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生霊の如き重るもの [読書・ミステリ]

生霊の如き重るもの (講談社文庫)

生霊の如き重るもの (講談社文庫)

  • 作者: 三津田 信三
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/07/15
  • メディア: 文庫
評価:★★★★

怪奇作家・刀城言耶を探偵役としたシリーズの短編集、というか中編集。
本書は彼が学生時代に出会った事件を収めている。
ホラー風味満点ながら、しっかり本格ミステリしてる。


「死霊の如き歩くもの」
国立世界民族学研究所の本宮教授の屋敷を訪れた4人の若手研究者。
みな、教授の一人娘・美江子を巡る恋のライバルである。
この4人に言耶も加わり、彼らは大晦日から元日にかけての一晩を
本宮邸の別邸である〈四つ屋〉で過ごすことになるが、
そこの中庭にある四阿(あずまや)で研究者の一人が殺害される。
現場の周囲には犯行時刻前から雪が積もっており、
被害者のものと思われる足跡のみが残っていた。
しかも言耶は、信じられない光景を目撃する。
犯行直後と思われる時間に、母屋から中庭に出る石段の上を、
”下駄” が歩いていたのである。それも、履いている人の姿はなく、
下駄だけがするする動いて石段を登っていったのだ。
ゲゲゲの鬼太郎のリモコン下駄ですな(おいおい)。
密室形成にはなかなか大胆なトリックが使われているけど、
伏線は早い段階からちゃんと張ってある。
これ、映像化すると面白い気がする。

「天魔の如き跳ぶもの」
代々、庄屋を務めていた箕作(みつくり)家。
裏庭に、屋敷神を祀った祠(ほこら)があるが、
ここの周辺で複数の人間が姿を消していた。
先代の当主・宗明が竹藪の中で消え、
戦時中には近所の子どもが祠に向かって走って行く途中で消えた。
祠の周囲は切り開かれ、周囲に何もない場所に足跡だけが残り
最後の足跡の周囲の5m四方には何もなく、空中に消えたとしか思えない。
そして言耶が訪ねていった日に、また一人子どもが姿を消した・・・
二人の子どもの消失に、それぞれ別の解釈を用意するとはなんと贅沢な。

「屍蝋(しろう)の如き滴(したた)るもの」
新進作家・伊乃木彌勒(いのき・みろく)の正体は
民俗学者・土淵庄司教授だという。
土淵教授の父親・庄三は、十数年前に新興宗教〈彌勒教〉を立ち上げ、
自ら即身仏になってしまった。つまり生きながら地中に埋められ、
ミイラ化する〈土中入定〉を行ったのだ。
しかし二年後に掘り出した遺体は生前の容姿を留めたまま屍蝋化していた。
教団の後継者と目されていた3人の教団幹部たちは、
生きたままの教主の姿に震え上がって逃げだしてしまう。
しかしその後、彼らのもとに屍蝋化した教主が姿を現したという・・・
土淵教授の屋敷を訪ねた言耶だが、その夜、女性の死体が発見される。
場所は土淵邸の庭、周囲には雪が積もり、足跡は被害者のものだけ。
しかも遺体の口には大量の古新聞が詰め込まれていた・・・
そして犯行時刻あたり、現場付近に佇む
袈裟に頭巾の人影を見たとの情報ももたらされる。
それこそ、教主・庄三の入定時の服装だった・・・
文庫で120ページほどの中編だけど、密度は濃い。
終盤に至って複数の解釈を示しては否定してみせる多重解決を披露し、
最後に意外な真犯人を指摘するという
シリーズ長編と同じパターンをしっかり踏襲している。

「生霊の如き重(だぶ)るもの」
資産家・八生(やお)家の当主・猛が愛人・光世に産ませた子・龍之介。
空襲が激しくなり、龍之介は八生家に疎開することになる。
八生家には、本妻の産んだ長男・熊之介、
愛人・智子が産んだ次男・虎之介がいた。
虎之介は学徒出陣していたが、生まれつき体の弱い熊之介は
兵役に就いていなかった。
幸いにして熊之介に気に入られ、共に過ごすようになった龍之介だったが
やがて屋敷の中で熊之介の ”生霊” を目にするようになる。
つまり熊之介が同時に二カ所に存在しているとしか思えない場面に
しばしば出くわすようになったのだ。
それを熊之介に話すと、「それは、死の前兆だろう」と答えた。
それからまもなく熊之介の体調は急変し、死亡してしまう。
やがて終戦を迎え、その一年後の夏に虎之介の戦死が通知された。
智子は嘆き悲しむが、なんと秋になって当の虎之介が復員してきた。
だが、さらにその二年半後、もう一人の虎之介が復員してきたのだ。
二人とも戦傷で記憶を失っており、戦地での過酷な生活で風貌も一変、
さらには顔面にも負傷を負っていて、母親である智子でさえ
どちらが本物か判別できなくなっていた。
大学生になっていた龍之介は、後輩の言耶に相談するのだが・・・
文庫で150ページと、本書中最長。
生霊については、単純なトリックだろうと予想はつくのだが、
後半の ”二人虎之介”、さらには最後のオチに至るまでは見事。
長編を一本読んだくらいにおなか一杯になれる。

「顔無(かおなし)の如き攫(さら)うもの」
大阪・釜浜町の長屋街の一角に奇妙な空き地があった。
そこには小さな祠があり、東側は運河があって柵で仕切られ、
北側と西側は長屋の壁で囲まれており、南しか出口はない。
かつてそこには、地蔵の祠があったのだが、
長屋を建てるためにどかしてしまった。
すると、祠の跡地で二度も火事が発生、
その二回とも子どもが焼け死んでしまった。
いまは再び空き地となり、現在の祠は
死んだ子どもたちの霊を祀るためのものだという。
その長屋街へ引っ越してきたのが、平山平太(ひらやま・へいた)の一家。
彼は同じ長屋に住む花田優輝という少年と仲良くなるが、
ある日突然、その優輝が行方不明なってしまう。
その空き地へ入ったきり、出てこなかったのだ。
唯一の出口である南側は、平太本人がずっと見ていたのだから間違いない。
年月は流れ、大学生となった平太は、ひょんなことから知り合った言耶に
この不思議な人間消失について語るのだが・・・
可能性を排除していけば、最後に残ったものが真実だ。
それがどんなに突拍子もないことでも・・・ってミステリの法則にあるが
まさにその通りの真相を言耶は解き明かす。
海外の某有名短編を彷彿とさせるが、
作者はそのさらに一枚上の解釈を示してみせる。

このシリーズは、しばしば大胆な物理トリックが使われる。
この手のトリックって、文章で読むと陳腐な気がしがちなものだが
本シリーズでそう感じることが少ないのは、
昭和20年代って設定が大きいだろうなあ。
舞台の選択も上手いし、なんと言っても語り口が巧みなんだろう。
「ちょっと無理なんじゃない?」って思っても、
読んでるうちに「ま、それもありかな」って、納得してしまうんだよねえ。

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