久遠の島 [読書・ファンタジー]
久遠の島 〈オーリエラントの魔道師〉シリーズ (創元推理文庫)
- 作者: 乾石 智子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2023/07/28
評価:★★★★
〈久遠(くおん)の島〉は、世界中の書物を見ることができる場所。本を愛する者のみが入ることを許される。しかしある日、強欲で身勝手な男が入り込み、島の "要" を盗んでしまい、それによって島は崩壊し、海に没してしまう。
島を守る氏族の生き残りとなった3人の子どもたちの辿る冒険と成長、そして因果応報を描く。
* * * * * * * * * *
連合王国フォトの西の沖合に浮かぶ〈久遠の島〉は、1000年前に400人の魔道師が力を結集して作り出した島。本を愛する者のみが入ることを許され、その中心にある〈書物の森〉では、世界中に存在するあらゆる書物の複製が生まれ、誰でも閲覧することができる。島を守るジャファル氏族の管理の下、長い年月を経てきた。
主役となるのは、ジャファル氏族の少年ヴィニダルとその兄・ネイダル。そして二人の幼馴染みの少女・シトルフィ。15歳となったネイダルが、連合王国のひとつである大フォト国で宮廷書記の仕事に就くべく、島を出ていくところから物語は始まる。
その日、島にやってきたサージ国(これも連合王国のひとつ)の王子・セパターは野望を秘めていた。稀覯本の蒐集に熱中していた彼は、ヴィニダルを騙して〈書物の森〉に入り込み、ジャファル氏族に伝わる『誓いの書』を持ち出してしまったのだ。
しかしそれは島の "要" となるものだった。『誓いの書』を失った島は魔法の力を失い、崩壊して海に沈んでしまう。2000人のジャファル氏族を道連れにして。島の住民で生き残ったのはシトルフィとヴィニダルだけだった。
小舟に乗って対岸の港町に漂着したシトルフィは、既に島を出ていたネイダルに会うため、大フォト国を目指す。しかしその背後にはセパター王子の追っ手が迫る。
ヴィニダルは南方の国・マードラの漁師に救われ、一度は奴隷のように人身売買される身に落ちながらも、やがて王宮の神官に仕える魔道師の弟子となる。
物語の前半は、この3人の苦難と成長の物語になる。
伝統的な徒弟制度のもとで厳しい書記修行を続けるネイダル、機転を利かせて追跡をかわしながら旅を続けるシトルフィの逃避行。
島を破滅に導くきっかけを作ってしまったヴィニダルは自責の念に囚われながらも、一方では自分の中に眠っていた魔道師の資質に目覚めていく。
派手なシーンはないのだが、魔法の存在する世界での人々の生活がリアルさを感じられる描写で綴られていくので、冗長さや中だるみ感は全く感じない。それどころか主人公たちの運命が気になって、どんどんページをめくってしまう。
シトルフィが旅の途中で出会う "水の魔道師" オルゴストラなど、ユニークなサブキャラも多く登場して物語を盛り上げていく。
文庫で500ページ近い大部ゆえ、読みどころは多い。
3人の成長譚以外のエピソードも豊かだ。〈久遠の島〉崩壊の責任を追及しようとする動きに対して、フォト連合王国の盟主グァージ王を後ろ盾にして対抗しようとするセパター王子の思惑なども、十分な尺を使って描かれていく。
ネタバレになるのであまり書けないが、物語の後半は写本師の都パドゥキアが舞台になる。作者のデビュー作『夜の写本師』は、この遙か後の時代の物語だが、その源流となるエピソードが語られていく。
そして迎える終盤。物語開始から数年を経て、大人へと成長した3人によって〈久遠の島〉崩壊事件の決着がつけられる。ストーリーは大団円を迎え、読者は大満足して本を閉じられるだろう。
巻末にはボーナストラックとして『テズーとヨーファン』という掌編が収められている。時系列としては物語の開始前、魔法に守られていた頃の島のエピソードが語られる。
作者の後書きによると、執筆の理由は「(物語の冒頭で)島をあっという間に沈めてしまって、もったいないなと思ったから」とのことだ(笑)。
蓮見律子の推理交響楽 比翼のバルカローレ [読書・ミステリ]
評価:★★☆
大学を留年して引きこもり生活を送る葉山理久央(はやま・りくお)は、天才作曲家・蓮見律子(はすみ・りつこ)から作詞を依頼される。
引き受けたものの、いい詞が書けけない葉山は大学の国文学の講義に出席し、そこで本城美紗(ほんじょう・みさ)という学生と知り合う。それが名門音楽一家・本城家の事件に巻き込まれるきっかけだった・・・
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葉山理久央は大学生活からドロップアウトして引きこもりになり、ブログのアフィリエイトで細々と稼ぎながら生きている。
23歳の誕生日を迎えた日、突然、作曲家・蓮見律子から作詞の依頼が入る。彼女は天才と謳われ、20代半ばにしてすでに巨大な財産を築いていた。葉山のブログの文章に "詩情" を感じたから、というのが理由らしい。
引き受けたはいいもの、いい詞が書けない葉山は、藁にも縋る思いで大学の国文学の講義に出席し、そこで本城美紗という学生と知り合う。彼女の父は指揮者、母は歌手と、音楽一家として知られる本城家の娘だが、事故で左手を負傷してピアニストの道を断念していた。
そんなとき、葉山の前に一人の少年が現れる。本城湊人(みなと)、美紗の弟でピアニスト。数年前に海外のコンクールで史上最年少優勝を果たし、天才美少年としてマスコミの寵児となっていた。
彼の目的は、蓮見律子に自分のための曲を書いてもらうこと。そのためにあらゆる伝手を頼って律子に接触しているが、律子の方は全く相手にしていなかった。
葉山は湊人と何回か会っていくうちに、彼の人となりを知っていく。天才ではあるが同時に典型的な音楽バカであること、心の内には悩みを抱えていること。特に、姉の美紗との間には音楽を介した複雑な葛藤があること・・・
そして悲劇が起こる。本城家の邸宅が全焼したのだ。出火時には両親は不在、美紗は二階にいたが避難して無事、しかし焼け跡からは湊人の焼死体が。
警察によると湊人の遺体には不審な点があり、殺人の可能性を疑っているという・・・
探偵役となる蓮見律子は、名探偵にありがちな、いわゆる変人天才キャラだ。唯我独尊というか自分を超える作曲家はいないと思っている。音楽全般についても一家言もっていて、けっこうズバズバと言いたいことを言いまくる。その全部が正しいとは思わないが、「言われてみるとそうかも?」って思わせることもある。
たとえば「現代は再現技術(録音)が完璧なのだから、世界中いつでもどこでも最高の演奏を聴ける。ならば、ピアニストは全世界でせいぜい20人もいれば十分じゃないか」とか。音楽関係の方からは盛大に石を投げつけられそうだが。
対するワトソン役の葉山は典型的な凡人だ。初対面の湊人から「なにからなにまで普通」と言われる始末。でもストーリーの中で動き回っていろんな人物に会ったり情報を引いてくるという重要な役回りはきっちりと果たす。
律子の推理は、火事の現場で誰が何を考え、何が起こったのかに迫っていく。明らかにされていく真実は、意外なものだが同時に限りなく哀しい。
本書の初刊は2017年。続巻は出ていないみたい。単純に売れ行きが芳しくなかったのかも知れないけど、天才作曲家を探偵役として必要とするような事件、という設定が意外に高いハードルになってるような気もする。
律子さん(理久央くんも)のキャラ立ちはバッチリなので、これで終わってしまうのはちょっともったいない気もするが。
タグ:国内ミステリ
サロメの夢は血の夢 [読書・ミステリ]
評価:★★★☆
会社社長・土居盾雄(どい・たてお)が東京の自宅で首を切断されて殺された。現場に残されたのはビアズリーの『サロメ』の複製画。そしてその夜、盾雄の娘・帆奈美(ほなみ)の死体が発見される。遺体はミレーの『オフィーリア』を模したように、小川に浮かんでいた・・・
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『シールド・エンターテインメント』社長・土居隆雄の首が、東京・中野の自宅で切断された状況で発見された。現場の壁にはビアズリーの『サロメ』の複製画が留められていた。
そしてその夜、盾雄の娘で画家の帆奈美(ほなみ)の死体が軽井沢で発見される。遺体はミレーの『オフィーリア』を模したように、小川に浮かんでいた。
ちなみに、どちらの絵も文庫本の口絵ページに載っているので、とても親切だ(笑)。
帆奈美が父親を殺してから自殺をしたものと思われたが、車椅子の弁護士・山崎千鶴は独自の調査を開始する・・・
本書のいちばん大きな特徴は、語り手が頻繁に入れ替わること。普通は三人称だったり、語り手の一人称だったりするのだが、本書ではこの一人称の語り手が頻繁に入れ替わる。それも、ほぼすべての登場人物が語り手を務めると言っていい。
例えば冒頭は、死体を発見した社長付の運転手 → 盾雄の義弟で『シールド』支社長 → 『シールド』社員 → 盾雄の亡妻の妹、というように、そのシーンごとに、語り手となる人物が入れ替わる。そして目の前の光景を語るだけでなく、そのときの語り手の心境や考えたことまでさらけ出してしまう。
もちろん、犯人が語り手となるシーンもあるわけだが、そのときはもちろん犯行に関する内容や動機につながるような事実関係は伏せられる。つまり、どの人物も心の内側まで語っているが "すべてを語っているわけではない" というわけだ。
この利点は、人間関係の把握がしやすいというところか。盾雄の長男、その婚約者とその姉、盾雄の亡妻の妹、その夫、その娘など、盾雄の親族だけでも数が多い。さらに盾雄は社内に "反体制派" を抱えていて、仕事関係の登場人物も少なくない。
そして彼ら彼女らの間には、複雑な愛憎を伴う人間関係が潜んでいる。通常の手法だと、このあたりを描くだけでけっこうな尺を取ってしまいそうだが、本書では出てくる人物が、みな自分からどんどん語ってしまうので読者には丸わかり。人間関係の把握はしやすいと言える。
逆に言うと情報量が多すぎて、事件解決につながる "必要な情報" が埋もれてしまう。登場人物の内面を描くというのはけっこうな手間だろうが、読み手にとっても真相への道筋が見えにくくなるので、作者からすると苦労のしがいはあるのかもしれない。
内面が描かれることによる驚きもある。この人物はこんなことをしていたのか、こんなことを考えていたのか、という意外性だ。
その最たるものは、探偵役として登場する弁護士・山崎千鶴だろう。彼女が事件に関わっていくのは正義感が理由ではなく、単純に犯罪というものに心躍らせるものを感じるから。恋愛関係にも大胆で、けっこう奔放でもある。
そのあたりも赤裸々に語られていくので、読んでいる方が驚くやら照れるやら(笑)。弁護士というとお堅いイメージがあるが、読者はその落差に驚くことになるだろう。でもまあ、考えてみれば弁護士さんだって人間だからね。こういう面もあって然るべきではある。
事件は、意外な人間関係の発覚と同時に動機も判明して一気に解決へ向かう。こんな実験的な手法の作品で、作者は最後まで肝心なところを隠しおおせたわけで、やはりたいしたものなのだろう。
タグ:国内ミステリ
首イラズ 華族捜査局長・周防院円香 [読書・ミステリ]
評価:★★★★
清和源氏の流れをくむ名門・九鬼梨(くきなし)伯爵家の晩餐で、毒殺事件が起こる。その状況から、爵位と財産を狙った殺人と思われた。
内務省に新設された華族捜査局に異動となった来見甲子郎(くるみ・こうしろう)警部補は、局長となった周防院円香(すおういん・まどか)の指揮の下、毒殺事件の捜査を始める。しかし事態は連続首切り殺人へと発展していく・・・
明治維新から半世紀。大正の世を迎えた日本では、華族やその一族の中に犯罪に手を染めたりスキャンダルに関わる者が多数現れてきていた。
事態を重く見た政府は内務省直属の機関・華族捜査局を新設した。
折しも、清和源氏の流れをくむ名門・九鬼梨伯爵家で事件が起こる。
九鬼梨本家、そして分家の中でも家格が高く "御三門" と呼ばれる吉松家、上柳家、室城(むろき)家。譜代家臣である中里家、青江家。これら一族が揃った晩餐の席で、中里家の長男・稔(みのる)が毒の入った酒を飲んで死亡する。
しかし彼が飲んだグラスは現当主・九鬼梨公人(きみと)のものであったことから、爵位と財産を狙った殺人と思われた。
22歳の公人は独身で子はいない。もし彼が死亡したら、後継は分家の "御三門" の中から選ばれることになる。
主人公は華族捜査局に異動となった来見甲子郎警部補。辞令をもらった来見は局長に会って驚く。なんと周防院円香という美貌の女性で、しかも公爵位をもつという。しかし女性には爵位の継承権はないはず。夫と死別したようだがそのあたりの経緯は不明だ。
作中に於いて来見は、この円香さんの大貴族的振る舞いにたびたび振り回されることになる。警視庁に新設された局長室には、トラック3台分の荷物を持ち込もうとするし(当たり前だがそんなに広くない)、午睡用の休憩室や使用人の控室や専用の食堂や浴室をほしがるし、とにかく一般常識との乖離が甚だしい、というか常識というものを持ち合わせていない。
ミステリのホームズ役は奇矯なキャラが多いけど、円香さんもその例に漏れない。ワトソン役となる来見は、彼女の ”お守り” に苦労することになる。
もっとも、今回の捜査のために九鬼梨伯爵家に乗り込んだ円香は、屋敷内に円香用の部屋を用意させてしまうことで自分の我が儘を通してしまう。
伯爵より公爵の方が位が高いから(序列は "公侯伯子男" だからね)九鬼梨家は円香に頭が上がらないし、円香の方も容疑者である九鬼梨一族たちへ遠慮する必要がない。そういう意味では、華族捜査局の長に公爵を置くのは正解なのかも知れない。
そして円香を迎えて晩餐会が開かれるが、そこで出されたメインディッシュを披露すべく、巨大なクロッシュ(半球型というか釣鐘型というか、料理を覆うカバーのこと)を取ってみたところ、そこにあったのは人間の生首。それは上柳家の長男・寛一郎のものだった・・・
吉松家の長男・舞太郎はグレて出奔していた。相続からは外されたが、彼の存在は一連の事件の背後に見え隠れする。
それ以外にも、一族の中には表に出せない複雑な事情が渦巻いており、捜査の進行と共に明らかになっていく。終盤で語られるのはまさに "衝撃の事実" で、本作は大正時代の物語ではあるが、現代にも通じる問題でもある。
浮世離れした円香さんの突拍子もない言動は枚挙に暇がない。来見はそれらに悩まされつつも、刑事たちを率いて地道な捜査を続けていく。
そこから得られた情報と、九鬼梨家内で自らが得た見識を組み合わせて、円香さんはきっちりと真相に迫っていく。華族が絡む犯罪に関する限り、彼女の頭脳の回転はすばらしい。
現在のところ円香さんの活躍する作品はこれ一作のみだが、ぜひ続編を読ませてほしいなぁ。円香さんが公爵位を継げた理由とか、亡夫はどんな人だったのかとか知りたいことは多い。
最初は円香さんのことを持て余していた(笑)来見が、事件を通じて彼女に次第に惹かれていってしまうところも面白く、この二人のその後も知りたいと思わせる。
タグ:国内ミステリ
冷えきった街/緋の記憶 日本ハードボイルド全集4 [読書・ミステリ]
冷えきった街/緋の記憶: 日本ハードボイルド全集4 (創元推理文庫 Mん 11-4)
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2022/04/19
- メディア: 文庫
評価:★★★
日本のハードボイルド小説の黎明期を俯瞰するシリーズ、第4巻。
私立探偵・三影潤(みかげ・じゅん)シリーズから長編1作、短編5作を収める。
「冷え切った街」(長編)
高級住宅地である世田谷区成城。そこにある実業家・堅岡清太郎(たておか・せいたろう)の豪邸へやってきたのは私立探偵・三影潤。依頼内容は、彼の家庭を巡って起こっている不審な出来事の調査だ。
清太郎の長男・清嗣(きよつぐ)は38歳。妻子とともに、敷地内の別棟に住んでいる。妻子が親類に泊まりに行った夜、ガス漏れが起きて危うく死にかけた。何者かが屋内のガス栓を開けたらしいのだが、すべてのドアと窓は内側から鍵がかかっていた。
次男・冬樹は高校2年生。最近グレだして学校へもろくに行っていない。それがある夜、何者かに袋だたきにされたと血だらけで帰ってきた。
そして長女で6歳のこのみについては、「9月24日ヨルニユウカイスル」という予告状が舞い込んできたのだ。
3人の子はみな母が違う。最初の妻カツは清嗣を生んだ後に病死、後添えの志保子は冬樹が小学1年生の時に死亡、現在の妻・玉代がこのみの母だ。
複雑な家族構成に加え、これ以外にも清嗣の妻の母親とか、清太郎の義兄とかが敷地内に住んでいたり、使用人がいたりと、けっこう大人数の一家だ。
そして全員揃ったパーティーの夜、聞こえてきた謎の物音に参加者が右往左往する騒ぎが起こる。その後、パーティー場所に残っていたお茶を飲んだ清嗣が死亡してしまう。何者かが毒物を投入していたのだ・・・
「色彩の夏」
休暇で東伊豆にでかけた三影は、海水浴場近くのホテルの屋上から女性が転落死した事件に遭遇する。被害者は東京に住むOLで、殺人の疑いがあるらしい。
その一ヶ月後、三影は自動車にひかれそうになった女性・松宮かおるを助ける。家に送り届けた三影は、かおるの義姉・さよ子と顔を合わせる。さよ子は、かおるをひきかけた車に乗っていた女ではないのか・・・?
タイトルに絡むのだが、犯行が露見するきっかけが毛糸の色見本。男性ではなかなか着目しないアイテムではあるだろう。
「しめっぽい季節」
時計屋を営む田畑義弘が2歳の娘を連れて散歩に出たところ、見知らぬ男が娘を連れ去ろうとした。娘を取り返そうともみ合った結果、男は崖から落ちて死んでしまったのだという。
義弘は警察に連行されるが、三影は独自の調査を始める・・・
1974年の発表だが、現代でも色あせないテーマではある。
「美(うるわ)しの五月」
依頼案件の尾行を終えて住宅街を歩いていた三影は、12歳ほどの少女から声をかけられる。
「おじさん、私を警察に連れてって」。人を殺したというのだ。
少女の名は中塚美佐。半年前、彼女の母親の広子から調査の依頼を受けたことがあり、そのときやってきた三影のことを美佐は覚えていたらしい。
彼女は血のついたナイフを持っていた。これで同級生の赤木真帆子を刺したのだという。赤木家へ向かった三影は、真帆子の刺殺死体を発見するが・・・
真相はけっこう陰惨なのだが、それだけに美佐の純真さが引き立つ。ラストシーンで美佐に別れを告げる三影は、ちょっと「カリオストロの城」のルパンっぽい(笑)。
「緋の記憶」
依頼人は北松園美(きたまつ・そのみ)、18歳の女子大生だ。資産家の孫娘で両親は既に亡くなっている。最近妙な夢を見るという。
西洋風の屋敷で、4歳頃の自分が小学生くらいの男の子と遊んでいる夢や、母と思われる女性が倒れていて、その横には手に何かを持った男性が立っている、という夢など・・・
彼女の母親は14年前に死んでいる。もしこの夢が事実ならば殺人だ。殺人の時効である15年(当時の刑法で)は5ヶ月後。母の死の真相を調べてほしい。これが依頼だった。
園美の母親の実家が夢に出てきた家らしいことを突き止める三影。その隣家には、当時小学生だった男の子がいたことも。
物語はこの後に意外な展開を迎え、終盤で様相が一変する。お見事。
「数列と人魚」
サラリーマン箕井昭(みのい・あきら)の妻・由利子が失踪した。彼女の持ち物から、数字の羅列が記された紙片が見つかる。失踪の数日前、道ばたで見知らぬ男から渡されたのだという。
さらに近所の主婦から失踪当日の目撃情報を入手する。由利子が人魚の模様のついた手提袋を持っていたこと、別の女性が、やはり人魚の模様のついた紙袋を持っていたこと、そして2人とも同じような色の服を着ていたこと・・・
不可解な出来事の裏には、巧妙な犯罪計画が隠されていた。ラスト、関係者の前で謎解きをする三影はすっかり名探偵である。
仁木悦子と云えば、植物学者・仁木雄太郎とその妹・悦子を探偵役とするシリーズが有名だし、私もけっこう読んだ。江戸川乱歩賞を受賞してデビューした本格ミステリ作家、というイメージがある。
本書は仁木兄妹でなく私立探偵・三影潤を主役としたシリーズを収めているが、それでも一読して感じるのは "よくできたミステリ" だなぁ、ということ。
本書は「ハードボイルド全集」と銘打たれているが、読んでいるうちにそんなラベルのことはすっかり忘れて、本格ミステリの佳品集として楽しませてもらった。
表題作の長編も、典型的な "富豪一家が住む屋敷で起こるミステリ" に思える。建物の見取り図も作中の2箇所に挿入されていたりする。探偵役の三影の調査は、関係者とひたすら会話を重ねていく手法で、アクションシーンなどの荒事の描写はほとんどない。いわば頭脳労働系の探偵といえる。
その他の短編も、魅力的な謎の提示から始まり、意外だが合理的な解決に着地するパターンで、しっかり "ミステリ" している。
強いてこのシリーズと "通常のミステリ" の差を探すなら、探偵役の三影が警察官ではない、というところだろう。
真相や犯人が分かっても、その時点で警察に連絡して終わりではなく、自ら解決に関わっていって決着まで見届ける、というところか。そのあたりの三影の行動に彼なりの正義感というか、探偵という仕事へのポリシーが現れる。そこがいわゆる探偵小説的結末とちょっと異なる余韻を感じさせる。
巻末のエッセイは女性作家の若竹七海氏。私立探偵・葉村晶シリーズでハードボイルド・ミステリの書き手として活躍している。そういう意味では仁木悦子の流れをくんでいる、とも言えるだろう。
そして、若竹氏の作品もまた、みんなしっかり "ミステリ" していることを考えると、まさにぴったりの人選だと思う。
すべてはエマのために [読書・ミステリ]
評価:★★★★
第一次大戦下のルーマニア。首都ブカレストで暮らすリサとエマの姉妹は、ドイツ軍の侵攻から逃れて地下水道へ逃げ込む。そこで出会った瀕死のルーマニア兵から「ネネ様」と呼びかけられ、指輪を託されるリサ。
2年後、看護婦となったリサは、名門・ロイーダ家から名指しで仕事の依頼を受ける。病を抱えたエマのために仕事を受けたリサは、北部の村にあるロイーダ家の屋敷にやってくるが、そこで仮面をつけた当主の死体と遭遇する・・・
第一次大戦下のルーマニア。首都ブカレストに侵攻してきたドイツ軍から逃れて、リサとエマの姉妹は地下水道へ逃げ込む。
そこで出会った瀕死のルーマニア兵は、リサに「ネネ様」と呼びかけ、指輪を託す。人違いを訂正する間もなく地下水道の崩壊に巻き込まれ、姉妹はかろうじて脱出を果たす。
2年後、リサは看護学校の卒業を迎えていたが、在学中にエマに腫瘍が見つかっていた。手術には輸血が必要だが、医師によるとエマの血液型は特殊で、適合する人間は極めて希少だという。
作中の時代にはRh因子は未発見だったが、作中ではエマの血液型がRhマイナスであることが示唆されている。
ちなみにRhマイナスは200人に1人。ABO型と組み合わせると、最も多いRhマイナスA型で500人に1人、最少のRhマイナスAB型だと2000人に1人だ。
そして残念ながら、リサの血液型はエマに適合しなかった。
そんなとき、名門・ロイーダ家から名指しで看護婦の求人依頼が入ってきた。"採用面接" に現れたネネ・ロイーダはなぜか ”仮面” をつけていた。しかし彼女の素顔を見たリサは驚く。ネネの顔はリサと瓜二つだったのだ。
リサとエマの姉妹は母子家庭に育った。二人はひょっとするとロイーダ家の血を引いているのかも知れない。ならば、そこにはエマと適合する血液型の持ち主もいるのではないか?
リサは一縷の希望を抱いて、ロイーダ家で看護婦として働く仕事を受けることにした。
北部の村にあるロイーダ家の屋敷にやってきたリサが出会ったのは、当主のオイゲン、その後妻のカトレア、その息子マルコとイオン。これが現在のロイーダ家だ。
そしてなぜか、前妻の娘であるネネは ”仮面” をつけて生活していた。対外的には「ロイーダ家の娘ではない」ということになっているのだという。
オイゲンは病床にあると云うことだが、みたところ健康のようだ。ところがそのオイゲンが密室状態の中で死亡する。しかも死体は ”鉄仮面” をつけており、なぜか妻のカトレアは仮面を外すことに頑強に反対する・・・
いかにも複雑な事情を抱えていそうな雰囲気の胡散臭い一族、そして仮面をつけた当主の死体、さらに殺人事件が続いていくというストーリー。
語り手はリサが務めるのだが、探偵役となるのは彼女と共にロイーダ家に採用された女性医師だ。彼女の名はシズカ・ロマーノヴナ・ツユリ。そう、本書は「シズカ・シリーズ」の一編なのだ。
いままでの作品はみな明治の頃の話だったので、時系列で云うと、その後の話なのだろう(第一次大戦は大正3~7年)。これまでも知性と教養溢れるハウスメイドさんだと思ってたけど、本作ではまさかの医師としての登場。どうやらポーランドに留学中だった模様だ。
一連の事件の真相、ロイーダ家が抱えた秘密、そしてリサやシズカを雇い入れた目的。中盤までは、不穏ではあるが比較的ゆっくりとした雰囲気で謎が積み重なっていく。しかし終盤に至ると、一気に事態が動き出す。企みに満ちたカラクリを解き明かすところから、終盤のスペクタクルなクライマックスまで、シズカさんは縦横の大活躍を見せる。
20世紀初頭という100年以上も過去の時代、欧州全体を巻き込む大戦下という特殊な状況、地方の名家が抱えた宿命、そんな舞台が用意されれば、現代では成立させにくいトリックやシチュエーションも不自然なく設定できる。とてもよくできた歴史ミステリだ。
作中で明らかになるリサ・エマ・ネネの関係にもひねりが加えられていて、これも大きな伏線だ。
とくに語り手のリサが実に健気。医療従事者としての矜持を心の支えに看護婦の仕事を全うしようとするし、それに加えて妹を救う道を最後まで模索し続ける。まさに『すべてはエマのために』。
読者は、彼女の辿る運命をハラハラしながら見守ることになるだろう。
タグ:ミステリ
人ノ町 [読書・SF]
評価:★★
かつて栄えていた高度な文明が衰退した、おそらくは遠未来と思われる地球。そこを旅する女性が6つの町を巡っていく。行き先々で出会う人々の営みに関わりながら。やがて明らかになる彼女の目的と正体とは・・・
文明が崩壊しつつある世界を巡る旅人は、さまざまな町を訪れる。そこで行われる、人々の不思議な営みや、不可解な事件の中に、"意味" を見いだしていく連作短編集。
広義のミステリとも云えるが、それよりはファンタジーやSFの雰囲気の方が勝るように思う。
「風ノ町」
旅人がやってきたのは、常に風が吹いている町。
いたるところに風車があり、動力や発電装置として利用されている。そこで旅人は風来(フェンライ)に出会う。風を動力として動き続ける、大小様々な骨格模型のような装置だ。
その町では、先週、風車を管理している電力屋が亡くなった。風で折れた風車の羽根に押し潰されたのだと云うが・・・
「犬ノ町」
凍死寸前だった旅人は、一頭の老犬に救われた。辿り着いたのは犬ノ町。
老犬の飼い主は旅人を町に住む学者と引き合わせる。学者は考古学的、生物学的、あるいは社会学的観点から、"犬" の定義について長々と語り始める。
そして翌朝、学者は死んでいた。自殺か他殺か判然としない状況で・・・
「日ノ町」
一年を通して日差しが強く乾燥した気候。乏しい農作物で細々と生きる町。
しかしそこには "玉座" があった。巨大な立方体の形状をした、用途不明の建造物だ。
旅人は聖職者と思われる男と出会い、"玉座" について問う。しかし男も町の住民たちも、何らかの宗教施設であろうくらいの認識程度しかないようだ。
旅人はひそかに "玉座" への潜入を図るが・・・
"玉座" の正体はけっこう意外。読んでいると忘れそうになるが、この世界は遠未来なのだと云うことを改めて思い出させる。
「北ノ町」
一年の大半を氷に閉ざされる海岸にあり、極光(オーロラ)が見られる北ノ町。
旅人はそこで "氷穴掘り" に就く。氷河の底から、旧文明の遺物を掘り出す仕事だ。しかし仕事の初日に、旅人は氷の中に人の屍体を見つけてしまう・・・
「石ノ町」
無数の石積みが残された廃墟の町。そこに旅人と商人と医師が訪れる。そして町中では医師が何者かに襲われる。襲撃者は、注射器で医師の血液を抜いていったというのだが・・・
「王ノ町」
大河を挟んで栄える町。そこを統べる王は、一代でこの町を築いたという。
治安を守り、争いごとを鎮め、堤防を築いて災害を防ぐ。治水のための堰堤(川の流れをせき止める小規模なダム)上に居を定めている。
そこへやってきた旅人は、王が会談を希望していると告げられる・・・
4話目の「北ノ町」のラストは驚かされた。なんとなく6つの話は時系列順になっていたと思い込んでたのが、実はランダムに並んでるのかも? って。
でも次の「石ノ町」でその疑問は氷解する。同時に旅人の正体も目的も明らかに。
そして「王ノ町」に至ると、旅人は○○○○○○○だった可能性に気づかされる。
基本はSFで、異世界ファンタジー的雰囲気も強く感じる短編群なのだけど、最後まで読んでみると意外とミステリ要素も潜んでたんだなと思った。
影踏亭の怪談 [読書・ミステリ]
評価:★★☆
ある日、姉の自宅を訪ねた "僕" は、椅子に固定されて、両まぶたを縫い止められて昏睡状態にある姉を見つける。現場は密室、しかもまぶたを縫っていたのは姉自身の頭髪だった。
姉は怪談作家だった。この異様な事態は、彼女が取材していた霊現象に関係しているのか?
第17回ミステリーズ!新人賞を受賞した表題作を含む連作短編集。
「影踏亭の怪談」
本名にちなんで "呻木叫子(うめき・きょうこ)" というペンネームで怪談作家をしている姉。彼女の自宅を訪ねた弟の "僕" は、密室の中で異様な姿となった姉を発見する。昏睡状態の彼女は両手両脚を粘着テープで椅子に固定され、両まぶたは自分自身の頭髪を使って縫い止められていた。
姉が取材していた霊現象に関係しているのか? "僕" は姉が巻き込まれる直前に宿泊していた、栃木県にある影踏(かげふみ)亭という旅館を訪ねる。しかしそこで密室殺人が起こってしまう・・・
「影踏亭」に続く3作は、怪談作家・呻木叫子の遭遇した事件の記録として描かれる。
「朧(おぼろ)トンネルの怪談」
栃木の山中に、"朧トンネル" という心霊スポットがあるという。そこへ男女4人組の大学生が、深夜に車でトンネルまでやってくる。体調を崩した女子を車中に残し、3人はトンネルの探検に出かけるが、その間に残っていた一人が姿を消してしまう。
その事件を取材に来た呻木を加え、4人で再び現場にやってくるが、今度はトンネル内で男子学生が殺されて頭部を持ち去られてしまう。しかも、両側の出口にはそれぞれ人がいて、カメラ撮影をしていた。その映像には、出入りした者は映っていない・・・
「ドロドロ坂の怪談」
福島県の村には、全身真っ黒の幽霊が出るという "ドロドロ坂" があった。坂の近くに住む友人の望月法子から「息子が神隠しに遭った」との連絡を受けた呻木は村を訪れる。
そこで出会ったのは、怪談の取材にやってきたライターの陣野真葛(じんの・まくず)とカメラマンの十和田(とわだ)いろは。その十和田が、泥まみれの死体となって発見される・・・
「冷凍メロンの怪談」
埼玉県久喜市にある、幽霊が出るという廃工場を取材していた呻木が負傷した。落下してきた冷凍メロンが頭を直撃したという。
しかし、上階には誰もおらず、取材のために回していたカメラでも上階に向かう者は確認できない。誰がどうやってメロンを落としたのか・・・
ホラー・ミステリといってもいろいろあって、ホラーの衣を被ったミステリもあるし、ミステリと銘打ちながらホラーな結末だったりする。ちなみに私は後者は苦手である。
本書は後者に属するもの。不可解な事件・事態が発生するが、犯行方法や犯人については合理的な解釈が示される。しかし解決されない部分も残り、「影踏亭」~「ドロドロ坂」までは、いささか消化不良感が残る作品群になってる。
そして最後の短編は「冷凍メロン」なんてトボけたタイトルだが、内容は先行する3編とリンクしていて、4編に共通して潜んでいた事実が明かされ、積み残しの謎も部分的に解明される(あくまで "部分的に" だ)。
だから最後まで読んでも、説明できない不可解な(要するに怪談的な)現象が残される。それがまたけっこう気持ち悪い。読後感はホラーそのもの。
まあタイトルが ”怪談” なんだから当たり前だろう、と言われればそれまでなんだけど。
私はミステリを名乗るのであれば、やっぱり最後には謎はきっちり解明されてほしいと思う。まあ、スパイス的にちょっぴり不思議や怪奇が残ってもいいけど、それが主体になってしまうような結末は嫌だなぁ。
ミステリは事件が起こって混乱や渾沌が発生しても、ラストの真相解明によって秩序と平穏が回復される。できれば "正義" も(何を以て正義とするかは作品ごとに異なるだろうけど)。そういうジャンルだと思っているんで。
その意味では、この作品には私の考えるミステリとはかなりの "ずれ" を感じてしまう。こういう作品が大好きな人がいるであろうことは否定しないけど。
バッドビート [読書・冒険/サスペンス]
評価:★★★★
ワタルとタカトは、ヤクザの兄貴分である新津蓮(にいつ・れん)から「荷物運び」の仕事を請け負う。しかし受け渡し場所にいたのは謎の巨漢。そして次の瞬間、意識を失う。
気がつくと、そこには3人の男の死体が。俺たちをハメたのは誰だ?
房総半島の西に浮かぶ玄無(くろん)島。人口3000人あまり。特産品も観光資源もない離島だった。しかしここ10年で様相は一変した。島の西側が埋め立てられて面積が倍以上になり、そこには観光特区として誘致されてきたカジノが建設され、巨大アミューズメント施設「レイ・ランド」として開業したのだ。
ホテル、レストラン、人工ビーチなどが整備され、観光客が大挙して押し寄せてきた。しかし経済的な潤いはほとんど "フロントステージ"(新地区)に集中し、"バックヤード"(旧地区)はそのおこぼれを頂戴して細々と生きながらえていた。
玄無島出身のワタルは、都内で違法ネットカジノの店員をしている若者。暴力団・江尻組の新津蓮は兄貴分だ。彼から ”荷物運び” を請け負ったワタルは、預けられたアタッシュケースを持って相棒のタカトとともに故郷であるレイ・ランドへやってくる。
しかし受け渡し場所にいたのは筋肉の塊のような謎の巨漢。あっという間に彼にノサれてしまった二人が気がつくと、そこには見知らぬ3人の男の死体が。どうやら彼らがアタッシュケースの受取人だったらしい。
なぜかアタッシュケースは現場に残されていた。ワタルは新津に連絡を取り、受け渡す相手が用意してきた「もの」が現場から消えていたことを知る。そして相手の組織は、ワタルたちが3人を殺して「もの」を持って逃げたと思っているらしいことも。
誰かが俺たちをハメた。だがその目的は何か? チンピラ二人をハメても得るものはない。しかしこのままでは相手組織の報復に遭って命が危ない。
ワタルはバックヤードの顔役・敷島を頼り、真相を探り始める。どうやら一連の事件を引き起こした黒幕はフロントステージに潜んでいるようだ。
ワタルは敷島の "孫娘" で、天才的なポーカーの名手であるハコと手を組み、フロントステージに乗り込んでいくのだが・・・
どこかの組織が横取りを企んだのか、新津を排除しようという江尻組内部の権力抗争なのか、とかいろんな可能性が見え隠れしていくが、後半に入るとレイ・ランドの利権が絡み始め、次第に背後関係が明らかになっていく。
そんなトンデモナイ事態に巻き込まれたワタルだが、目の前に迫り来る危機から逃げ出すのは意外と得意。機転と知恵を巡らせて(というか彼にはそれしかない)必死の生き残りを模索していく。
相棒のタカトは、地下格闘技のチャンピオンだが、食欲と闘争本能だけで生きている(笑)、いわゆる脳筋キャラ。物事を深く考えることは苦手で、そういう面倒くさいことはすべてワタルにお任せである。
頭脳労働担当のワタルと肉体労働担当のタカトというわけだ。
ハコはクール・ビューティーな外見とは裏腹に中身は歴戦のギャンブラー。(当たり前のことだが)そのポーカー・フェイスは完璧だ。無敗の戦績を誇る彼女なのだが、今作では最大のライバル・我那覇(がなは)との対決を迎える。
この3人が揃って二十歳前後という設定なのだが、不自然さを感じないのはやはりキャラクターの描写が巧みなのだろう。
これ以外にもユニークなキャラは多い。バックヤードでパブを営むジーナは年齢不詳の女性。ハコの付き人(みたいなもの)を勤める佐高(さたか)は胡散臭いオネエキャラ。独特のプレースタイルで、次第にハコを追い詰めていくギャンブラー・我那覇、レイ・ランドの「管理者」を務める世良(せら)は典型的なボンボンだったりと多彩だ。
もちろん、謎の筋肉巨漢とか、どこの所属か分からない正体不明の追っ手とか、"荒事" 担当の登場人物も数多く、ワタルとタカトの行く先には血と暴力が渦巻き、銃弾が飛び交う。とにかく序盤から最後まで緊張感が途切れずに読ませるのはたいしたもの。
作者は本作の2年前に『白い衝動』で第20回大藪春彦賞を受賞しているが、本書中盤の銃撃シーンは本家大藪春彦に負けてない迫力だ。
ワタルは知恵を、タカトは腕力を振り絞り、多くの人の助けを得て、やっとの事でラストシーンへ辿り着く。ただ、このエンディングは、一連の事態が解決したのかしてないのか、ちょっと判断に苦しむ。いささかの猶予を得ただけのようにも見えるし、いわゆる "千日手" に近い状態に持ち込んだと考えると、双方の痛み分けなのかなぁ。うーん。
神曲法廷 山田正紀・超絶ミステリコレクション #7 [読書・ミステリ]
山田正紀・超絶ミステリコレクション#7 神曲法廷 (徳間文庫 トクマの特選!)
- 作者: 山田正紀
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2023/06/09
評価:★★★★☆
天才建築家・藤堂俊作(とうどう・しゅんさく)が設計した神宮ドーム球場。しかしオープンから9ヶ月後、火災が発生し29名の死傷者を出した。ドーム側は管理責任を問われ、裁判になる。しかし5度目の公判が開かれる日に判事と弁護士が不可解な状況で殺害されてしまう。
精神を病んで休職中の検事・佐伯神一郎(さえき・しんいちろう)は、突如「正義を為せ」という神の声を聞き、事件に介入していくことに・・・
神宮球場の跡地に建設された神宮ドーム球場。しかし開業から9ヶ月後、市民体育祭のリハーサル中に火災が発生、場内にあったマットに引火し、そこから発生した有毒ガスで29人の死傷者を出してしまう。
原因は放火と判明して捜査が始まるが、それとは別にドーム側の防火管理も問われ、当日の責任者だった綿抜周造(わたぬき・しゅうぞう)が業務上過失致死で起訴された。
主人公兼探偵役となる佐伯神一郎は、23歳で司法試験に合格、地方の検察庁で5年勤めて後に東京地検へ異動したが、希望していた特捜部入りを果たせず、その挫折から精神を病んで休職中である。
そんな佐伯を呼び出したのは、先輩検事の東郷一誠(とうごう・いっせい)。綿抜の公判を担当するチームの一員だ。神宮ドームの設計者である藤堂俊作が失踪したという。東郷は藤堂とは同郷で親友でもあることから、藤堂を探し出すことを佐伯に依頼してきたのだ。
その日は、東京地方裁判所で綿抜の5度目の公判が予定されていた。しかし開廷を待つ傍聴人たちが待機する控室で、被告の弁護人・鹿内が胸を鋭利な凶器で刺されて殺されてしまう。しかし50人を超える衆人環視の中、凶器も犯人も見つからない。
さらにその夜、公判を担当する裁判官・大月の絞殺死体が、法廷の "被告人席に座った" 状態で発見される。このとき裁判所内には警察関係者やマスコミ関係者が大挙して残っており、大月がいた10階の裁判官室から5階の法廷まで誰にも見られずに移動することは不可能だった・・・
タイトルの『神曲法廷』は、ダンテの『神曲』からきている。
学生時代に小説家志望だった佐伯は、ダンテの『神曲』を読んで圧倒され、その夢を捨てた。しかし挫折を経験したことをきっかけに再び『神曲』を読みふけるようになっていた。
彼は東郷の依頼に応じて藤堂の探索を始め、次第に事件の深部へと入り込んでいくのだが、しばしば、いま自分が見ている光景を『神曲』の中の描写と重ね合わせていくようになる。
物語の序盤、佐伯は「正義を為せ」という神の声を聞くのだが(精神を病んだ者の幻聴、という解釈がおそらく正しいのだろうが)、それを含め、事件の示すさまざまな様相が、佐伯の心象風景としては『神曲』の "地獄篇" とぴったり重なっていくのだ。
そして彼が追う藤堂がまた『神曲』のマニア的愛好者と云うことで、これまた『神曲』を連想させるような行動をとっていたりするからややこしい(笑)。
だからといって、『神曲』を読んでいないと本作が理解できない、ということは全くない。実際、私も読んでないし(笑)。それに何がどう重なっているのかは、佐伯の心理描写の中で十分に説明されていくから。
まあ、読んでいる方がイメージがしやすいのかも知れないけど、ミステリとして楽しむ分には未読でも支障はない。
そして "佐伯の心" というフィルターを通して事件を描くことで、作品に幻想的な不可思議さや神秘性が加わり、独特な雰囲気の醸成に貢献してるのは間違いない。
もちろん、そんな幻想とか神秘とかの余計なものは必要ない、単純に不可能犯罪を扱った本格ミステリが読みたい、という人もいるかもしれないが、作者の用意したこの異様な作品世界に浸って流されていくというのもまた心地よい読書体験じゃないかと思う。この雰囲気は他の作家さんには出せないものだと思うし、山田正紀作品が持つ魅力のひとつでもある。
作中では上に書いた二つの不可能殺人に加え、さらなる密室殺人やいくつかの不可解な事態も発生する。雰囲気は幻想的だが、ファンタジーに逃げることなく、作品内で起こった事象すべてにきっちり合理的な説明がなされていく。最後に残った謎はなんとラストの3ページで明らかになり(ちなみに本書は文庫で600ページを超える)、その解決と同時に最大の衝撃がやってくる。
最後の最後までページを繰る手が止まらない。山田正紀という作家の凄さが充分に堪能できる作品だと思う。