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松本零士氏、ご逝去 [日々の生活と雑感]


 2023年2月13日、SFマンガの巨匠・松本零士氏が急性心不全でお亡くなりになりました。

 その事実がマスコミで報道されたのは2月20日のことで、もう一週間以上も前のことになります。
 それなのに、なんでこんな時期外れにこの記事を書いているかというと、実はここ2週間ほど、よんどころない事情でSNSが使えない環境におりまして・・・TVは普通に見られたし、スマホは使えたので、このニュースはほぼリアルアイムで知ることができましたが。

 大昔にはスマホから投稿したこともあったのですが、もう何年もやってなかったもので、すっかり方法を忘れてしまってました。
 つい先日、その環境から脱してきて、やっとPCに向かっているというわけです。

 これから、私と松本零士という漫画家との関わりを振り返ってみようと思います。その場合の ”座標軸” は、何といっても『宇宙戦艦ヤマト』。私の人生に一番大きな影響を与えたと云っても過言ではないアニメーション作品です。


■出会い

 私が小学校の頃、「忍者ブーム」というものがありました。マンガに限っても横山光輝の『伊賀の影丸』『仮面の忍者 赤影』、白土三平の『カムイ外伝』『サスケ』・・・
 私の家にも上記の単行本がありました。その中に混じって『忍法十番勝負』という単行本もありました。
 これは10人の漫画家が(基本となるストーリーは連続している)リレー形式で1人一話ずつ競作していくというアンソロジーでした。
 参加漫画家は堀江卓・藤子不二雄A・古城武司・桑田次郎・一峰大二・白土三平・小沢さとる・石ノ森章太郎・横山光輝というそうそうたるメンバー。その中に混じって第3話を担当していたのが松本零士氏(当時のペンネームは松本あきら)でした。

 さらに、上にも名がある小沢さとる氏の ”潜水艦マンガ” も大人気で、『サブマリン707』『青の6号』も大好きでした。そして松本氏にも『スーパー99』という潜水艦マンガもありました。小沢さとる氏の作品よりもSF寄りの作風で、後の『ヤマト』の片鱗を感じるものでした。この3作も、家に単行本がありました。

 おそらくこのあたりが、私と松本氏との初接触だったのだろうと思います。


■『宇宙戦艦ヤマト』

 そして私が高校1年だった1974年、『宇宙戦艦ヤマト』が放送開始。
 このアニメが私にどんな影響を与えたか、その後の人生に大きく関わったかはこのブログで散々書きましたのでそちらを参照してください。
 『ヤマト』と出会ってその後の人生が変わった、という人も多いと聞きます。私は高校卒業後の進路に理系学部を選んだのですが、その理由の中には真田さん(『ヤマト』に登場する技師長)の格好良さにシビれた、というものもありました。
 私の中に「松本零士」という名が深く刻まれたのもこの頃でした。

 『ヤマト』のリメイク・シリーズが始まった2012年の春頃に、一念発起して大量の記事を書きまくったのも、今では記憶の彼方です・・・
 ああ、何もかもみな懐かしい。


■松本ブーム

 『ヤマト』が社会現象的なヒットとなって以後、”松本ブーム” とも言えるものが起こりました。連載作品が一気に増え、単行本の出版も相次ぎ、代表作はアニメ化されるという。特に『銀河鉄道999』は、氏の代表作とも言われるくらい人口に膾炙したものです。
 私も ”松本フォロワー” の1人となって、氏の作品が本になるたびに買ったものです。実家にいけば、押し入れの中に当時買い集めた単行本が山になってるはず。

 しかしブームの熱狂というのは、いつかは去ってしまうもので、”松本ブーム” も例外ではなく、1982年頃には下火となっていきます。
 私自身も職に就いたりと公私ともに忙しくなり、いつの間にか「漫画家・松本零士」とは疎遠になっていきました。


■その後の松本氏

 1999年、松本氏は『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物の著作者が自分(松本零士)であることの確認を求めて、『ヤマト』プロデューサー・西崎義展氏を提訴しましたが、2003年には法廷外で和解し、西崎氏が著作者・著作者人格権者であるとされました。
 現代ならば、作品の権利関係についてはきっちり契約書で明らかにしてから製作に入るのでしょうけど、『ヤマト』が企画・製作されていた1970年代前半ではそういう意識が希薄だったのではないかと思います。西崎氏もかなりワンマンだったみたいですし(笑)。
 それ以後も、2006年には歌手の槇原敬之氏を相手取って、彼の楽曲の歌詞を巡って争ったりと、マンガ以外の面で目立つことが多かったように思います。

 一方で、本業の漫画では、自作の異なる作品に登場した人気キャラクターを同一の作品世界にまとめる、という壮大な作業に取りかかっていたようですが、それが完成する前のご逝去となりました。


■松本零士とはどんな漫画家だったのか

◎イメージ・メイカーとして
 松本零士といえば精密なメカ描写が挙げられます。現実に存在するものは、「戦場まんがシリーズ」のように現物に忠実に、架空のものは『ヤマト』をはじめとするSFメカ群のように、ひたすらカッコよく印象的なビジュアルで、どちらにしても見る者の想像力を刺激するデザインを見せてくれます。
 SF的な、あるいはファンタジックなイメージを描かせたら、類い希な才能を示す人だったと思います。

◎ストーリー・テラーとして
 松本氏のストーリー・テラーとしての私の評価は「短編の名手」というもの。これを否定する人は少ないと思います。
 単発の作品群である『戦場まんがシリーズ』、連作短編形式の『男おいどん』『銀河鉄道999』など、連載一回分で読み切りになる形式の短編作品は傑作が揃っています。

 作者は亡くなっても作品は残ります。今度実家に行ったら、久々に押し入れの中を漁って当時買い集めた単行本を手に取り、当時を振り返ろうと思ってます。


■再び『宇宙戦艦ヤマト』

 さて、いろいろ書いてきましたが、私にとっていちばん大きな存在は、やっぱり『宇宙戦艦ヤマト』ということになると思います。
 原作者としては認められませんでしたが、松本氏抜きでこの作品が世に出ることはなかったと思いますし、人気を博することもなかった。それを否定する人はいないでしょう。

 『ヤマト』(オリジナル第1作)がTV放映されてから49年。来年2024年には満50年。実に半世紀を超えます。
 そして、11年前の2012年からはまさかのリメイク・シリーズの公開が始まりました。なにぶん長い歴史を持つ作品故に、様々な毀誉褒貶はありますが、私はとても嬉しく思いますし、基本的には楽しませてもらっています。

 リメイク・シリーズには松本氏の名は一切クレジットされていませんが、オリジナルを知る人ならば彼の功績を忘れることはありません。スクリーンの中で展開される新たな「ヤマト」の物語の奥に、しっかり松本氏の存在を感じ取っているはず。
 半世紀が経とうとも、未だに新作(リメイク)が作られているヤマト。これほどの影響を残したクリエイターは希有でしょう。


■最期に

 私の人生の傍らには、常に『ヤマト』がありました。時には近くに、時には見失いそうなくらい遙か遠くに。でも、いままでともに旅をしてこれたことを幸せに思っています。そして、そういう作品を残してくれた松本氏に、万感の思いを込めて感謝の意を表したいと思います。

 ありがとうございました。

 松本氏の宇宙では、ヤマトと999が仲良く併走していることでしょう。
 彼の魂がヤマトの第一艦橋にあるのか、999の客室にあるのかはわかりませんが、楽しい旅を続けていかれることを祈ります。

 合掌。


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めとろん

mojoさん、こんにちは。お久しぶりです。

私も松本零士先生の訃報を聞いて全身の力が抜けていく思いでした。
私が初めて松本先生に出会ったのは、小学生の頃の「男おいどん」だったでしょうか。何故かサルマタケがとっても美味しそうに見えて...(えーっ!)

中学生になってすぐ、テレビのヤマトに衝撃を受けてから今に至っております。あっ、ちょうどヤマトが始まった頃に、友達から松本先生の「セクサロイド」を借りて自分の部屋でドキドキしながら読んだことも懐かしい思い出です(笑)

mojoさんが仰る様に、ヤマトには松本先生は欠かせない存在でしたね。音楽の宮川泰先生も同じですが。
西﨑氏や豊田有恒さん、藤川さんや山本さん、阿久悠さんも含めて「戦う男 燃えるロマン」の集合体がヤマトなのだと自分では思っております。

この先、いつまでヤマトと一緒にいられるか分かりませんが、病院に行っても施設に入ってもヤマトを熱く語る気味悪いジジイになりたいものです(笑)

これでひとつの時代が終わってしまう様な寂しい気持ちです。まだ永井豪先生はお元気ですが。

素敵な文章をありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。
by めとろん (2023-03-02 16:01) 

mojo

めとろんさん、こんばんは。お久しぶりですね。


>何故かサルマタケがとっても美味しそうに見えて...(えーっ!)

「男おいどん」は私も大好きでした。
サルマタケという絶妙なネーミングもよかったですね。
さすがに食べたいとは思いませんでしたが(笑)。

普通に考えたらキノコよりも先にカビが生えそうなものですが
どちらも ”真菌類” という同じ仲間の生物だというのを最近知り、
なんとなく納得してしまいました(おいおい)。


>「セクサロイド」を借りて自分の部屋でドキドキしながら読んだ

私も「セクサロイド」大好きでしたね~
なにせ思春期でしたから(爆)。


>音楽の宮川泰先生も~(中略)~「戦う男 燃えるロマン」の集合体がヤマト

まさに、当時としては第一級のスタッフが揃っていましたね。
そういう環境を構築できたのが西崎プロデューサーの ”力” なのでしょう。


>病院に行っても施設に入ってもヤマトを熱く語る気味悪いジジイになりたい

その心意気、私も見習おうと思います。
お互い、頑張りましょう。


>まだ永井豪先生はお元気ですが。

最近、昭和の時代から活躍してきた作家さん、漫画家さん、声優さんなどの
訃報を聞く機会が増えてきたと思います。
仕方がないとは思いますが残念なことではあります。


昨年の5月には小椋佳さんのコンサートに行ってきました。
御年78歳で、けっこうヨロヨロになってましたが(おいおい)、
きっちり最後までステージをこなされていて、たいしたものです。

松本氏は85歳まで頑張られましたからね。
私などまだまだです。


ありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。

by mojo (2023-03-03 00:24) 

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