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『ヤマトよ永遠に REBEL3199』公式サイト更新 後編 [アニメーション]




STORY  **************************************************
 時に西暦2207年。あのガミラス本星とイスカンダル星が消滅した事件から二年――。
 突如、太陽系に謎の巨大物体〈グランドリバース〉が出現した。
 地球防衛軍の善戦虚しく、幾重もの防衛網を易々と突破した〈グランドリバース〉は、悠然と地球の新首都へと降下したのである。
 音も無く出現する降下兵の群れ。上陸する多脚戦車。瞬く間に首都は制圧されてゆく。
 もはや地球には抗う術はないのか――。
 そのとき旧ヤマト艦隊クルーに極秘指令が下った。
 「ヤマトへ集結せよ!!」
 そこに聞こえてくる謎の歌声。「帰ってきた」と呟く謎の男。
 果たして侵略者の驚くべき正体とは!?
 人類の命運を賭けて、いま未踏の時空へと宇宙戦艦ヤマトの航海が始まる。
********************************************************

◎地球があっという間に占領されてしまうのは原典通りのようです。
◎旧ヤマトクルーに「ヤマトへ集結せよ!」との指令が。これも原典通り。
◎”聞こえてくる謎の歌声”・・・はて?
◎”「帰ってきた」と呟く謎の男”
 以前公開された絵コンテだと、スカルダート(デザリアムの聖総統?)の台詞だったよね・・・


PVと同時に何枚かの画像も公開されたので、そちらも見てみよう。

3199240103006.png
↑たぶんこれが〈グランドリバース〉。
 オリジナルでは ”重核子爆弾” で、これ一発で地球上の全生命を抹殺するという巨大中性子爆弾みたいな設定だったけど、核兵器っぽいネーミングは避けたのかな? いったいどんな物体なんでしょう?
 ”リバース” ってのがキーワードかな。「コスモリバースシステム」と何らかのつながりがありそうな気も・・・

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↑ よく観ると、瞳に真田さんが映ってる。たぶんこれはサーシャ。
 リメイク版でも真田さんが養育してるのかな? 新見さんが母親代わり?

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↑ 〈グランドリバース〉迎撃艦隊?
 中央にアンドロメダ級、右はヒュウガまたはその同型艦かな。

3199240103a.png
↑ これはPVからのキャプチャー画像。
 地球艦隊が謎のフォーメーションを組んでる。
 〈グランドリバース〉迎撃のために波動砲の砲火を集中させる、とか?
 

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↑ 岩盤を突き破って出現するヤマト
 原典ではこれは小惑星イカルスなんだけど・・・

3199240103b.png
↑ これもPVからのキャプチャー画像。
 核融合反応が異常増進した太陽? これを観る限り、
 『ヤマトIII』要素も描かれそう。デザリアムとどう絡めるのかな?


 今後、第一章の公開日(7/19)が近づくにつれて、また新たな情報が公開されていくのでしょう。そのときにもいろいろ書くことになると思います。
 『3199』、良い作品になるといいですね。期待してます。


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『ヤマトよ永遠に REBEL3199』公式サイト更新 前編 [アニメーション]


 1/3に公式サイトが更新され、リメイク・ヤマトの最新シリーズ『ヤマトよ永遠に REBEL3199 第一章 黒の侵略』2024年7月19日(金)より上映開始、とアナウンスされました。 
 Yahoo!ニュースの記事では「全七章(全26話)構成」とも伝えられてますね。これも以前から云われてましたが、今回で確定ということで。

ogp_3199_v1.jpg

 キービジュアルはオリジナルの『ヤマトよ永遠に』のオマージュですね。

  ↓オリジナル版
永遠にキービジュアル.jpg

 ”ワープ・ディメンジョン”・・・懐かしいですねぇ。


 ↓こちらはムビチケ。
3199240103004.png

 ヤマトの両横にはアスカとヒュウガ、あとは他の地球防衛軍艦艇。
  左上のは無人艦かな。


 各章それぞれ4ヶ月おきくらいに公開と考えると
  第一章(24年7月) → 第二章(24年11月) → 第三章(25年3月)
→ 第四章(25年7月) → 第五章(25年11月) → 第六章(26年3月)
→ 最終章(26年7月)

 『3199』の完結は2年半後くらいか。私、生きてるかなぁ(おいおい)
 まあそれは冗談として、この後にもし『完結編』が作られるなら、その頃には古稀を超えてるなぁ。喜寿までには完結するかなぁ(遠い目)。

 そんな先の話をすると鬼が笑うどころか怒り出しそうなので、現在の話題に目を向けましょう。
 まずは公式サイトの記述から。紹介文とスタッフからのコメントが載ってますので、気になる部分をピックアップし、私の感じたことを書いていきます。


紹介文:「五十年目の ”抵抗(REBEL)”」(by アニメ特撮研究家・氷川竜介氏)

「本作は1980年公開の劇場映画第3作『ヤマトよ永遠に』の諸要素に新解釈を加え、全26話のシリーズに再構成した意欲作だ。」
 『ヤマトよ永遠に』は上映時間が145分くらいだったかな。時間だけ取り上げればTVシリーズで7話分くらい。それを26話にするのだから、いろいろ膨らませられるのだろう。
 『2205』でも旧作『ヤマトIII』の要素(ガルマン・ガミラス、ボラー連邦)が投入されてたし、今回公開されたPVを観る限り、太陽に何らかの異変が起こりそうなので、そのあたりも描かれるのかも知れない。

「タイトルの「3199」とは千年後のことなのか?敵対者として現れたデザリアムと地球には、どんな秘められた関係が?」
 『2205』の記事でも書いたけど、私の予想ではデザリアムは未来の地球。具体的に書くと『2202』最終話の国民投票で ”時間断層破棄を選ばなかった地球”(そこで分岐した並行世界) の1000年後ではないかと思っている。
 これは古代たちヤマトクルーが ”否定した未来” だ。否定したが故に彼らはテレザート星へ旅立ち、ガトランティスとの死闘の果てに、無制限の軍拡を阻止した未来を手に入れた。だから、ヤマトのクルーはデザリアムに屈するわけにはいかない。それは彼らのレゾンデートルを賭けた戦いになるはずだから。

「敵士官アルフォンに捕らえられた森雪、自責の念から逃れられない古代進」
 やっぱりアルフォンと森雪のからみは描かれるみたいですねぇ。どういう解釈になるのかな?
 古代の自責の念とは雪を救えなかった(地球に残してしまった)ことなのか?

「さらにスターシャの遺児サーシャも大きく関わってくる」
 原典でお亡くなりになったキャラはリメイクでもお亡くなりになってる(藪くん除く)からなぁ。やっぱり最後にはいなくなってしまうのかなぁ・・・

「星間国家の抗争へと格段にスケールアップした作品世界」
 ガルマン・ガミラスとボラー連邦も出てくるんだろうなぁ。ディンギル帝国まで出てきたりして。


コメント:製作総指揮/著作総監修 ◎ 西﨑彰司氏

「総監督、シリーズ構成を務める福井晴敏が5年前から構想を練ってきた」
 福井さん、いつの間にか総監督に昇格してたんですねぇ。「5年前」ということは『2202』終盤あたりから考え始めてたということかな。

「奇しくも、いま地球で起きている事象――暴力がもたらす悲劇、混乱を予見していたかの様な作品となりました」
 『3199』序盤で地球が占領されてしまったら、ロシアのウクライナ侵攻を重ね合わせる人も多かろう。構想時にはそんな事態になるとは想定もしてなかっただろうけど。
 たとえフィクションであっても、製作された時代と切り離して考えることはできない。
 1974年の第一作ではオイルショックや世紀末への不安があったし、『2199』では東日本大震災、『2202』ではそこからの復興、『2205』ではコロナ禍と、いやでも時代を背負う(観る側が重ね合わせる)ことになってしまう。


コメント:総監督 ◎ 福井晴敏

「それらと向き合い、戦ううちに、いつしか自由も人間性も犠牲にし、なにを守ろうとしていたのかもわからなくなってしまう。やさしさと表裏一体の、人の愚かさ」
 『2202』において、ガトランティスに対抗するために時間断層を用いて無制限の軍備拡張を行い、AIや機械化によって人間性を排除した戦いのシステムを構築し始めた地球政府のことか・・・あるいは(私の予想が正しければ)それを極限まで推し進めたデザリアムのことを指しているのか・・・?

「その抵抗の物語は、我々の明日を左右する現実になりつつあります。そんな時代に語られる、五十年目の宇宙戦艦ヤマト」
 五十年前の私は、五十年後の『ヤマト』がこのような展開をするなんて想像もしなかった。五十年目の宇宙戦艦ヤマト、見届けさせてもらいましょう。


コメント:監督 ◎ ヤマトナオミチ

「亡き父と一緒に幼い頃に見た「永遠に」」
 私が「永遠に」を観たのは大学4年生でした。ということは、監督さんは私よりも一回り以上も年下の方でしょう。お父さんの方が世代的には近いかも(笑)。

「歴代監督の名を汚さないよう精魂込めて務めさせていただきます」
 期待してます。がんばってください。


コメント:音楽 ◎ 宮川彬良

「敢えて次の世代の人と共にもがきたいと考えるようになりました」
「数年前から注目していたピアニストであり作曲家の兼松衆さんにご参加いただきました」
 wikiで見たら、兼松さんは35歳とのこと。新進気鋭の若手の方のようですね。こちらも期待ですね。


後編では「STORY」と公開された画像について書きます。
up は明後日(1/7)の予定。


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大雪海のカイナ [TV] / 大雪海のカイナ ほしのけんじゃ [映画] [アニメーション]


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 「大雪海のカイナ」は、全11話のTVアニメ。そして映画「ほしのけんじゃ」は、その続編かつ完結編に当たる物語。

 TVシリーズを見ずに映画を観に来る人はほとんどいないと思ってたが、ネットの感想を読んでみると、そうでもないみたい。極端な話、TVシリーズを全くの未見でも映画は理解できないわけではないが、TVと映画を通しで観ることにより、ひとつの作品として完成するので、本作を充分に楽しむためにも、ここは観てからの鑑賞をお勧めしたい。


 とりあえず、まずはTVシリーズを振り返る。
 Wikipediaの記述をベースに一部編集したものを掲げる。

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 舞台となるのは、地表が雪原(この世界では雪海[ゆきうみ]と呼ばれる)で覆われた世界。かつては高度な文明が栄えていたがそのほとんどは喪われ、断片的な技術が残るのみ。文字についても、ほとんどの者は見たことすらない。

 地上には巨大な樹木「軌道樹」が多数存在し、人間たちはそこで得られる水を求めて樹の根元に小都市を築いて暮らしている。ヒロインとなるリリハはそんな都市国家のひとつ、アトランドの王女だ。しかし「軌道樹」が産出する水は近年減少しており、近い将来に枯渇するのではないかと心配されていた。

 また「軌道樹」は、はるか上空にあって惑星全体を覆っている「天膜」をも支えていた。そこにもわずかな人間が集落を作って生活している。主人公のカイナはそこで暮らす少年だ。集落の老人から学んだことで、文字を読む力を身につけている。

 あるとき、アトランドの水を狙って移動戦闘国家バルギアが侵攻してきた。リリハはアトランドを救うべく、伝説の「賢者」を求めて「天膜」へと昇る。

 リリハと出会ったカイナは彼女と共に軌道樹を降りていき、初めて地上の雪海に降り立つ。だがそこでリリハはバルギア兵にさらわれてしまう。

 カイナはリリハの弟ヤオナとバルギアに乗り込み、リリハの奪還に成功するが、バルギアは古代兵器「建設者」(過去の超科学の遺物)を持ち出してアトランドへの侵攻を開始する。
 しかしカイナの働きで「建設者」は倒され、アトランドとバルギアの間に停戦が成立する。

 文字が読めるカイナは、アトランドの地下にある旗が巨大な軌道樹「大軌道樹」への地図になっていることに気づく。そこに行けば豊富な水が得られると考えたアトランドは、バルギアと協力して「大軌道樹」の探索を開始することになる。
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 というのがTVシリーズのあらまし。
 こう書いてくると、よくできたシリーズのように見えるが、実際に観てみるとちょっとバランスの悪さを感じる。
 主役たるカイナもあまり見せ場はなく、クライマックスの「建設者」破壊の場面もいささか唐突であっけなく感じる。
 意地悪く捉えれば、TVシリーズは映画に向けての世界設定の説明とキャラの紹介を兼ねた、壮大な ”前日譚” になっているとも言える。


 ではそれを受けた映画の方はどうか。今度は映画公式サイトから。

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文明が衰退し雪海(ゆきうみ)に沈んだ惑星。
人類は巨木「軌道樹」から広がる世界でかろうじて暮らしていた。
文字が読める少年・カイナと雪海の王女・リリハは
水源となる「大軌道樹」へと向かうが、
そこにあったのはビョウザン率いる独裁国家・プラナトだった。

「建設者」と呼ばれる兵器を自在に操り、
人類のためとして大軌道樹の破壊をもくろむビョウザン。
そして、失われた「文字」を読み解き、
滅びゆく世界の謎に迫るカイナとリリハ。

終末世界を舞台に展開するポスト・アポカリプスファンタジー超大作!
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 こちらはもう、全編にわたってアクション/スペクタクル・シーンの連続で、TVシリーズを「静」とすれば映画が「動」だろう。
 後半では、カイナとリリハは世界の命運を賭けた戦いに巻き込まれていく。
 エンタメ作品としてはとても良くできていて、とても楽しむことができた。


 全編を通してみた私の第一の感想は
「これは 弐瓶勉版『未来少年コナン』だなぁ」
 だった。

 一応説明しておくと『未来少年コナン』とは、言わずと知れた宮崎駿の初TV監督作で、1978年にNHKで放映された全26話のアニメ作品だ。
 『未来少年コナン』を観たことのある人ならば、『カイナ』との間に多くの類似点を見いだすことができるだろう。

 誤解されないように書いておくと、それが悪いということでは全くない。物語には、いくつかの ”王道展開” と呼ばれるパターンがある。王道故に普遍的な感動とカタルシスを観客に約束する。だから古今東西、多くの作品にモチーフとして繰り返し用いられてきた。

 辺境に生まれ育った少年が一人の少女と出会う。
 少女によって少年は世界の存在を知り、人間たちの社会へ迎えられていく。
 やがて、人間たちの社会を危うくさせる脅威が出現、
 少年は少女とともに世界の命運を賭けた戦いに身を投じていき、
 そしてラストは大団円を以て幕を閉じる。

 本作で語られるのはそういう物語だ。冒険ファンタジーとしてはまさに ”王道展開” といえるだろう。

 日本で過去に例を探すなら、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年:高畑勲監督)にも共通点は見いだせるだろうし、西洋に目を向ければ『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1978年:ジョージ・ルーカス監督)などもこのパターンに入るといえる。
 探せば、枚挙にいとまが無いくらい見つかるだろう。

 この『大雪海のカイナ ほしのけんじゃ』も、そういう物語群に列する存在になっているということだ。

 そしてもちろん、本作独自の要素もふんだんに盛り込まれている。
 雪海に覆われた地表、そびえ立つ巨大な軌道樹、空を覆う天膜。そんな世界に適応した人々の生活様式。要塞で移動する国家や過去の超文明の遺物。
 豊かなイマジネーションによって産み出された作品の世界観も、充分に鑑賞に値する素晴らしいものだ。

 そしてクライマックス。某ジブリ映画を思い出した人もいるかもしれないが、ファンタジーの衣の下に、骨太なSFの ”核” があったのが分かるシーンだ。
 そしてラストは、エンタメ作品のお手本のような、絵に描いたような大団円。お客さんは大満足で家路につけるだろう。


 ずいぶん長く書いてしまった。あとは、登場キャラについて書いて終わりにしよう。

 リリハはとても聡明だ。しかも一国の王女に収まらない視野を持っている。敵国だったボルギアの民の困窮を知ると、敵味方関係なく救おうと考える。ある意味「理想」を持っているのだが、そのぶん足下が留守になりがち。
 CVは高橋李依さん。若手の人気声優さんらしいが、気丈で果敢で凜としたリリハを好演してる。

 それに対して、カイナは地に足がついてるキャラ(TV第一話では地の上にいなかったがwww)。思慮深いというか、沈着冷静で状況判断は的確、できることとできないことを判別し、その場面での最善手を見つけ出す。
 CVは細谷佳正さん。この方も人気声優で多くの作品に出てるけど、私はもっぱらリメイク・ヤマト・シリーズの加藤三郎役でおなじみ。歴戦の猛者どもを束ねる航空隊長もよかったが、本作では打って変わってナイーブな少年を演じている。その演技の幅の大きさに驚かされる。

 このリリハとカイナは、お互いに相手を補い合う存在であり、いわば二人一組の主役といえる。
 そしてどちらも、ファンタジーの主役には珍しく、戦闘能力という意味ではどちらもほぼゼロに近い。カイナはちょっと武器を扱うけど、それはあくまでも生活のために磨いた技術だ。
 「武」(戦う能力)ではなく、「文」(知識や思考)を武器にする。そういう意味でもこの二人組は異色だろう。
 リリハは「賢者」を見つけることはできなかったが、代わりにカイナと出会った。この物語の数十年後、あるいは数世紀後には、この二人が ”伝説の賢者” と呼ばれるようになるのだろう。

 ボルギアの武人アメロテ(CVは坂本真綾さん)は、TVシリーズでは敵だったが、アトランドとの停戦が成立したので映画では味方に。個人としての戦闘能力ではおそらく最強の彼女は、実に頼もしい。
 アトランドの親衛隊長オリノガ(CVは小西克幸さん)。TVシリーズでは何度もアメロテと剣を交えていくうちに、互いに認め合う存在になっていく。映画の終盤でも、アメロテと以心伝心というか阿吽の呼吸での素晴らしい連携プレーを見せてくれる。
 この二人、そのうち男女の仲に進みそうな気配も描かれたんだが・・・1分間だけでもいいから、もうちょっと二人の絡みを見たかったなぁ、・・・というのは私の願望です(笑)。

 そして、映画での ”敵役” となる独裁者ビョウザン(CVは花江夏樹さん)。カイナと同じく、彼もまた太古の文字を読む力を持っている。
 ビョウザンが太古の記録を ”誤読” したことから、彼の ”暴走” が始まったのだけど、そのおかげで古代遺跡の発掘が行われ、そこでカイナが正しい方法を見つけ出すことができたのだから、彼の行動も無駄ではなかったということだろう。


 最期に、この記事で触れた『未来少年コナン』についてちょっとだけ。

 1979年に『ルパン三世カリオストロの城』、そして84年からの『風の谷のナウシカ』、86年の『天空の城ラピュタ』、88年の『となりのトトロ』と、宮崎駿の怒濤の快進撃が始まるのだが、『未来少年コナン』はその直前、1978年のTVシリーズ作品だ。
 そしてその中には、後に上記の映画として花開くことになるモチーフというか原型を見いだすことができる。
 長編映画の監督として話題に挙がる宮崎駿だが、その彼の原点は、彼が初監督をしたTVアニメ『未来少年コナン』にあったと私は思っている。
 未見の人はぜひ一度観てほしい。観て絶対に損はない作品だと思う。


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アリスとテレスのまぼろし工場 [アニメーション]


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 まずはあらすじから。


*******************************************************
 主人公・菊入正宗は14歳。製鉄所の企業城下町である見伏(みふせ)で暮らしている。
 彼は仲間達と、その日もいつものように過ごしていた。すると窓から見える製鉄所が突然爆発し、空にひび割れができ、しばらくすると何事もなかったように元に戻った。しかし、元通りではなかった。この町から外に出る道は全て塞がれ、さらに時までも止まり、永遠の冬に閉じ込められてしまったのだった。

 町の住人たちは、「このまま何も変えなければいつか元に戻れる」と信じ、今の自分を忘れないように〈自分確認票〉の提出を義務とする。そこには、住所、氏名、年齢だけでなく、髪型、趣味、好きな人、嫌いな人までもが明記されていた。正宗は、将来の夢も捨て、恋する気持ちにも蓋をし、退屈な日常を過ごすようになる。

 ある日、自分確認票の〝嫌いな人〟の欄に書き込んでいる同級生の佐上睦実から、「退屈、根こそぎ吹っ飛んでっちゃうようなの、見せてあげようか?」と持ち掛けられる。

 正宗が連れて行かれたのは、製鉄所の内部にある立ち入り禁止の第五高炉。そこにいたのは、言葉も話せず、感情剥き出しの野生の狼のような謎の少女。
 この少女は、時の止まったこの世界でただ一人だけ成長し、特別な存在として、長い間、閉じ込められていた。
 睦実から彼女の世話をする手伝いを命じられる正宗。「五実」と名付けた少女と接しながら、同級生たちとの生活を続けていくが、父はある日を境に家に戻らず、同級生が不思議な煙によって消える場面にも遭遇する。やがて正宗は自分たちのいる世界と五実についての手がかりを得る。

 二人の少女とのこの出会いは、世界の均衡が崩れるはじまりだった。止められない恋の衝動が行き着く未来とは?
*******************************************************


 感想を書こうと思ったのだが、私にとってこの映画はとても難物で、まとまったものは書けそうにない。以下は、映画を観て頭に思い浮かんだことを断片的に並べたものである。


 人間、生きていれば、辛いこと苦しいこと悲しいことに遭遇する。しかし時間の流れとともに、すこしずつそれらの感情は薄らいでいくものだ。振り返ってみれば「いい思い出」だって言えるようにもなっていく。
 逆に、いま幸福ならば「このまま時間が止まったらいいのに」なんて思ったりもする。人間というのは我が儘なものだ(笑)。

 この映画の中では、主人公とその仲間たちは「14歳」の時点で時間が止まってしまう。14歳と言えば「思春期」だ。心の成長と体の成長がアンバランスで不安定な時期だろう。

 冒頭、製鉄所が爆発して時間が止まったとき、主人公たちはこたつに入って受験勉強をしているので、中学3年の冬、入試が迫った時期だったのだろう。
 ならば、彼らは「受験生」というこれまたストレスのかかる状態のまま、時の止まった世界に閉じ込められてしまったことになる。

 「思春期」だって「受験生」だって、時間が経てばいつかは終わる。終わりが来る。しかし時が止まった世界では、永遠にそれが続くことになる。これはなかなかに辛い状況だろう。

 この映画全体を覆っている陰鬱な雰囲気は、そんな閉塞感と無関係ではないだろう。


 この映画は、端的に言えば正宗と睦実のラブ・ストーリーなのだろうが、思春期の少年少女らしく、不器用極まりない。感情的なぶつかり合いから始まり、それは終盤まで続く。まあ自分で自分の感情が制御できず、持て余してしまうのもこの年頃ならではかもしれないが。


 エンタメ的には、最終的に元の状態に戻り、人々が時の止まった世界から解放されるのが王道展開なのだろうが、中盤で明かされる ”この世界の秘密” は、それを許さない。
 同時に「五実」の正体もまた明らかになる。これはちょっと意外だが、それによって事態が好転しないのもまた意外。

 この世界にいる人間に残された選択は二つ。この世界に留まることを受け入れるか、拒否して消滅するか。
 どちらを選んでも幸福になれそうもないし、予定調和的なエンディングは否定する。こんな設定を用意した監督(製作陣)の意図は何なのだろう?

 でもこれは、現実の世界でも同じこととも言える。この世界の有り様を受け入れて、その中で生きていくか。それが出来なければ、社会からドロップアウトして消えていくか。
 そういう意味では、この「時の止まった世界」は異世界でありながら現実世界を映したものでもあるのだろう。

 映画の終盤で、主役の二人も選択をする。この結末にも考えてしまう。これにはどんなメッセージが込められているのだろう。

 幸福かどうかは他者が決めるものではなく、本人たちが決めるもの。本人たちが幸福と思えばそれでいいではないか。
 そして、完全な幸福などは存在しないのだから、苦しい世界の中でそれに耐えて生きていくべきではないのか。

 私はそんなふうに受け止めたのだが、全くの見当違いをしているのかもしれない。

 見る人にいろんなことを考えさせる映画ではあると思う。幅広い層に届いて大衆受けするような作品ではないかもしれないが、その代わり、波長が合う人にはとことん ”刺さる” んじゃないかと思う。

 私も、十代か二十代の頃に見たらまた違う感想を持っただろう。思春期の葛藤を忘れてしまったオッサンには、少々敷居が高い映画だったかな、と。


 映画を見た後、近くの書店に入ったら監督自身によるノベライズがあったので購入した。内容はほとんど映画と同一なのだけど、エピローグについて、ささやかながら追加情報があったのはよかった。ちょっと安心したよ。まあ映像を見れば想像できることではあったんだけど。


 最後に余計なことを。
 この映画はタイトルで損をしているような気がしてならない。作中の台詞でちょっと言及されてるんだけど、それだけでは分かりにくいと思う。
 もうちょっとウケが良い題名にしたら、とも思うんだけど、たぶんそんなことは百も承知で製作陣はこの題名を選んだのだろうな。


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『ヤマトよ永遠に REBEL3199』 特設ページ公開 [アニメーション]


 5月15日、リメイク・ヤマト・シリーズ最新作、
 『ヤマトよ永遠に REBEL3199』の特設ページが公開されました。

 内容は、設定資料と絵コンテの一部のようです。
 眺めてみて、思ったことをつらつら書いてみましょう。


■公開時期は未だ不明

 まずはタイトルロゴの下に「鋭意制作中!」とあります。一所懸命に作っているのは間違いないでしょうけど、公開時期については全く記載がありません。

 『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』前章公開が21年10月、後章公開が22年2月。後章から数えても1年3ヶ月。そろそろ(だいたいでもいいので)公開時期の公表はないのかな。まあ、5月の時点で「制作中」ってことは、年内公開はなさそうだけど。

 現実的な線でいくと、『2202 第七章』と『2205 前章』の間が2年7ヶ月ありました。でも、これについてはコロナの影響で半年くらいずれ込んだと聞いたので、本来は2年くらいのインターバルでの公開予定だったのでしょう。
 ということは、『3199』の公開は『2205 後章』の2年後、つまり24年の2~3月ころかな・・・って思ってますが、さて。
 あと、24年の10月で『宇宙戦艦ヤマト』公開50周年(なんと半世紀かいな)になるので、記念のイベントが何かあるんじゃないかと密かに期待してます。


■CHARACTERS

○最初のグループは地球人、それも防衛軍所属の方々。左から見ていくと

・最初の方は誰でしょう? 土門や太助の宇宙防衛大学第38期生の写真に入ってましたから、教官ですかね?
・私服の真田さん
・続いて私服の相原、南部、太田
・最後は誰? 別の制服を着た相原かな?

○次のグループも地球人かな。民間人が主で軍人も2人ほど

・男の兄弟2人。どなたかの身内なのか、過去の姿なのか
・見た目がキツそうな(失礼!)女性士官の方
・その隣は南部のお父さん? ひょっとしてサイモン教授とか(まさかね)
・幼い女児を連れた若夫婦さん? こちらもどなたかの身内ですかね
・揚羽武という噂の彼も宇宙防衛大学第38期生の写真に入ってました。


○最後は異星人組

・サーダさん、登場確定ですね。43年前の映画では出番が少なかったので、今回こそは大いに暴れてほしいものです
・『2205』から登場のキール・キーリングさん。ガミラス軍に入ったんですね。マントを羽織ってるとこをみると、けっこう出世してる?
・これはどうみてもラム艦長でしょう。バース星も出てくるのか
・ボラー連邦の軍服の女性。襟の線の数がラムさんより多いので、彼の上官かな?
・大トリはアルフォン少尉。『永遠に』ときたら彼は外せませんよねぇ。さて今回、彼はどんなシチュエーションでお亡くなりになるのでしょう(おいおい)


■MECHANIC

・まずは防衛軍の無人艦隊ですね。このあたりは『2202』で流れができてますから。ちょっぴり艦首だけ見えるのはアリゾナか
・デザリアムのメカ。地球占領時に登場したモノですね
・最後に載ってるグレーの艦は・・・ボラー連邦のモノかな?


■ART BOARD

・イカルス天文台ですか。
・これはどこの施設でしょう。デザリアムの母星かな?


■STORY BOARD
 絵コンテの一部を抜粋したものかな。番号ごとに観ていくと

・[3][5]
 この瞳は女性のものでしょう。真田さんといっしょにいるということはサーシャ?
・[75][77]
 銀河艦内の古代。雪に「サーシャと3人で家族になろう」って云うためのリハーサルですね。”子持ち” の男としてはためらうのも分かる。まあ雪は否とは云わないだろうけど。
・[319]
 アナライザー復活ですね。ヤマトのクルーに集合をかけるのは、今回はアナライザーの役回り?
・[378]
 指令星ゴルバ・サトゥ内で、「帰ってきた」とスカルダート(!)の声が

 番号を見るに、ここまでが第1話かな。で、次から第2話と。

・[290][295][300][304]
 旧作でも序盤のクライマックスと云えるシーン。ここも復活ですね。
・[376]
 地球を取り囲む6基の自動惑星。この中のひとつがゴルバ・サトゥなのでしょう。
・[169]
 目を開くスカルダートのアップ。「・・・波動砲・・・」の台詞。


■まとめというか予想もどき

 この資料を見る限り『3199』序盤のストーリーは旧作の『ヤマトよ永遠に』を踏襲してるみたい。でも、ところどころ『ヤマトⅢ』要素が入ってたり、リメイク・シリーズ独自の設定もあったりするから、途中からけっこう変わっていくんじゃないかな。

 デスラーについては、しばらく出てこないと思う。ルーツが同じとはいえ、異なる歴史を辿ってきたガミラスとガルマンの2つの民族を統合するだけでもひと苦労だろうし、ボラー連邦との対峙も続いてるだろうから、地球の方まで面倒見てる暇はなさそう。

 スカルダートとサーダのツートップの登場が確定したのだけど、問題はデザリアムの正体。絵コンテのスカルダートの台詞を観る限り、以前の記事でも書いた ”未来人” という線が濃厚に感じられるんだけど、さてどうなるか。

 あとは雪とアルフォンのメロドラマ(笑)かなぁ。昭和の頃ならともかく、令和の時代にそのまま再現しても陳腐になりそう。どう ”料理” するのでしょうかね。

 『2202』『2205』と観てきて、主要キャラの生死については旧作準拠ということが分かったので、たぶん今作も・・・なのでしょう。残念ですけどね。


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かがみの孤城 [アニメーション]

 2018年に第15回本屋大賞を受賞した作品のアニメーション映画化。
原作小説に関する記事はこちら

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 まずは公式サイトの「STORY」から。


 学校での居場所をなくし部屋に閉じこもっていた中学生・こころ。

 ある日突然部屋の鏡が光り出し、吸い込まれるように中に入ると、そこにはおとぎ話に出てくるようなお城と見ず知らずの中学生6人が。

 さらに「オオカミさま」と呼ばれる狼のお面をかぶった女の子が現れ、「城に隠された鍵を見つければ、どんな願いでも叶えてやろう」と告げる。期限は約1年間。

 戸惑いつつも鍵を探しながら共に過ごすうち、7人には一つの共通点があることがわかる。互いの抱える事情が少しずつ明らかになり、次第に心を通わせていくこころたち。そしてお城が7人にとって特別な居場所に変わり始めた頃、ある出来事が彼らを襲う――――

 果たして鍵は見つかるのか? なぜこの7人が集められたのか?
 それぞれが胸に秘めた〈人に言えない願い〉とは?
 全ての謎が明らかになるとき、想像を超える奇跡が待ち受ける―


  引用はここまで。


 映画化決定のアナウンスがあった時、嬉しかったのと同時に心配になったのが「原作小説の内容が2時間の枠に収まるのか」ということだった。

 文庫で上下巻というボリュームがあり、さまざまなエピソードを積み重ねながら終盤に向けて盛り上げていく。これが映画で再現できるのかな、ということだった。
 結論から言うとこれは杞憂だった。原作と改変されている部分もあったが、映画の感動を増す方向への改変だと感じた。

 こころが不登校になった原因については尺を取って描かれている。胸が痛くなるシーンだけど、ここは必要だからね。その代わり、他の6人の事情については断片的に描かれることになるけど、個々の状況を全部描いたら冗長になってしまうだろうから、これくらいに刈り込んだ方が映画としては見やすく仕上がってると思う。ここは脚本が上手いのだろう。

 ストーリー進行のペースとしては駆け足になることもなく、落ち着いた雰囲気でじっくりと描かれていく。ダイジェスト感もない。逆に地味すぎて心配になったくらい。
 アニメ映画といえば、派手なアクションやスペクタクルなシーンが観客への訴求力となりがちなものだが、本作はその逆を行ってる。
 でも、だからこそ主人公たちと同世代の中高生たちには等身大の問題として刺さるのだろうし、親の世代である大人たちにも響くものがあると思う。

 実際、映画の終盤で ”オオカミさま” の正体と、場所が ”城” であった理由が明かされる場面では、原作を読んで知っていたはずなのに、涙腺が緩んでスクリーンがにじんでしまったよ。

 上にも書いたけど、原作の感動を上手に映像化した良作だと思う。できるだけ多くの人に観てほしいと思う。
 人気TVアニメや著名な原作マンガからの映像化でないぶん、興業は苦しいのではないかとも思うけど、こういう作品こそこれからも作られるべきだと思う。


 観に行ったのは公開日の12月23日、午後の上映回だった。
 中学・高校は終業式の日なのかな。けっこう若い人が多かった。なかでも高校生くらいの男の子が6人ぐらいグループで観に来てたのが印象的だった。なんとなく女の子の方が多そうに思ってたので(もちろん女の子もいたけどね)。私みたいな高齢者も、ちらほらとだけど、ちゃんといたよ(笑)。


 声優陣について。

 メインキャラたちは、俳優さんがメインで要所を声優さんが固める、って感じかな。

 ヒロインのこころ役は當真あみさん。CMで話題の美少女高校生。声優としての技量は正直言ってあまり高くないかなと思ったけど、ひたむきに一生懸命演じてるのが伝わってきて、それがこころちゃんの素朴なキャラクターに合ってる気がしたので、この配役は正解だと思う。

 リオンは北村匠海さん。「HELLO WORLD」にも出てたね。彼も達者。
 アキ役の吉柳咲良さん、フウカ役の横溝菜帆さんも女優だけど、上手い。
 スバル役の板垣李光人さんだけは、ちょっと違和感を感じたけど、これは好みの問題なのかも知れない。

 ”クセ” がある2人のキャラを演じたの専業の声優さん。
 マサムネ役は高山みなみさん。ベテラン声優さんだけど、あのアドリブは余計だよなぁ(笑)。
 ウレシノ役は梶裕貴さん。イケボなのに、イケてないキャラも上手にこなしてる。流石だ。

 さて、肝心のオオカミさまは芦田愛菜。彼女は能力が高くて何でもこなしてしまうので、声優としても特に問題なく演じてるように思う。
 ただ彼女は最近CMで露出がたいへん多い。だからオオカミさまの台詞を聞くたびに、彼女の顔が頭に浮かんでしまう。これには困った。
 ジブリ映画の時も書いたけど、アニメ映画に有名人を起用する時の弊害だね。芦田愛菜さん自身に罪はないんだけど。


 最後に、入場者特典について

 ビニールの封筒にキャラクターのイラストが2枚(全6種あって、その中からランダムに2枚もらえる)入ってる。テーマは ”映画では描かれなかったシーン” らしい。「映画鑑賞後に開封のこと」「内容はSNS等には挙げないこと」って注意書きが表紙にある。
 確かに、どちらも画像をSNSに挙げたら即ネタバレになる内容だね。

 うーん、でもこれくらいは書いてもいいかな。
 私がもらったうちの1枚には、”主人公たち7人+オオカミさま” が描いてあった。ただし、どういうシチュエーションかはナイショ。
 もう1枚は、もう何も言えないなぁ。物語の根幹に関わるシーンで、何を書いてもネタバレにつながりそう。
 でも、どちらもとても ”素晴らしい光景” を描いていると思う。

 こうなると残り4種が知りたいなぁ。公開が終わった頃に公式サイトあたりに掲載してくれないかなぁ・・・無理だろなぁ(笑)。


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宇宙戦艦ヤマト2199 第9巻 [アニメーション]


宇宙戦艦ヤマト2199 (9) (角川コミックス・エース)

宇宙戦艦ヤマト2199 (9) (角川コミックス・エース)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/12/26
  • メディア: コミック

 リメイクアニメ「宇宙戦艦ヤマト2199」のコミカライズ作品。アニメ本編の公開終了後もコミックは続いていましたが、8巻まで刊行されたところで止まってしまってました。
 この第9巻の発行日は2022年12月26日。手元にある第8巻の発行日を見ると2016年3月26日とあります。なんと6年9ヶ月ぶりの続巻刊行です。

 この間、2017年から2019年にかけて続編の「2202」も公開され、2021年から今年にかけて「2205」も公開。もう「2199」のコミックは出ないのかなぁと思っていたら、まさかの再起動。嬉しいことです。

 どんな事情が裏にあったのかは一読者には知るすべもありませんが(噂だけはいろいろ聞きましたが・・・)、ここは単純に、再開を祝いたいと思います。

 アニメ版のストーリーをベースにしながらも随所にむらかわ氏のオリジナル展開を含み、単なるコミカライズを超えた作品に仕上がっていた本作。

 本書では ビーメラ4での反乱収束 → 亜空間ゲート → バラン星突破 までが描かれます。全26話のアニメ版でいうと、18話までの内容になっています。

 特に亜空間ゲートのコントロール衛星でのエピソードは本書の白眉でしょう。古代、真田、雪の3人のドラマは実に読み応えがあります。
 真田さんについては、旧作の設定も踏まえた人物造形になっていて実に感動的です。雪さんについては・・・これは読んでのお楽しみですね。

 「2199」公開当時、キャラの設定や先の展開の予想について、ネットではああでもないこうでもないと侃々諤々だったのを思い出しました。ああ、何もかもみな懐かしい・・・
 このコミカライズも、順調にいけばあと4巻くらいで完結、2年半か3年くらい先かな。ぜひこのまま頑張って最後まで突っ走ってほしいものです。


 思い起こせば「2199」第1章の公開が2012年4月。あれから11年近い年月が流れてしまいました。よくここまで続いたものです。評価する声もあれば激しいバッシングも起こり、リメイク作品にはつきものとはいえ、制作陣は大変だったと思います。

 現在は「3199」の公開待ちの状態ですが、これがまあナシのツブテ状態。いったいいつ公開になるのやら。

 リメイクシリーズがどこまで続くのか分かりませんが、完結編までは生き延びたいものです。
 いや冗談抜きで自分の寿命との戦いになりそうで、困ったもんだなぁと思ってます。
 こうなると、「2202」のノベライズも再開してほしいですね。こちらは4巻(発行日は2019年2月28日)まで出て止まったまま、4年近くも放置状態。これもなんとかしてくださいよ、KADOKAWAさん。



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すずめの戸締まり / 小説 すずめの戸締まり [アニメーション]


 もう知らない人はいないくらいメジャーになった、新海誠監督の新作だ。

 この記事を書いている段階で、もう3回観てる。もう1回くらい観に行くかも知れない。それくらい、楽しませてもらったということだ。
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 まずは公式サイトの「STORY」からの引用を。


 九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…。

 扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、草太は扉を閉めて鍵をかける “閉じ師” として旅を続けているという。すると、二人の前に突如、謎の猫・ダイジンが現れる。

「すずめ すき」「おまえは じゃま」

 ダイジンがしゃべり出した次の瞬間、草太はなんと、椅子に姿を変えられてしまう―! それはすずめが幼い頃に使っていた、脚が1本欠けた小さな椅子。
 逃げるダイジンを捕まえようと3本脚の椅子の姿で走り出した草太を、すずめは慌てて追いかける。

 やがて、日本各地で次々に開き始める扉。不思議な扉と小さな猫に導かれ、九州、四国、関西、そして東京と、日本列島を巻き込んでいくすずめの ”戸締まりの旅”。
 旅先での出会いに助けられながら辿りついたその場所ですずめを待っていたのは、忘れられてしまったある真実だった。


 さて、以下にこの映画について思ったことをつらつら書いてみる。致命的なネタバレはない(つもり)で書いてます。


■疑問

 最初にこの映画を見たとき、2つの疑問を持った。

 疑問その1。
 映画の冒頭、ヒロイン・すずめが草太を追って廃墟へ向かうところ。
 道ばたで一言だけ言葉を交わしただけの相手に、そこまでする(惹かれる)のは何でだろう、と思ったこと。

 疑問その2。
 すずめが草太から「きみは死ぬのが怖くないのか?」と問われて、すかさず「怖くない!」って叫び返すところ。
 彼女は17歳の女子高生。このさき数十年の人生が待っていて、楽しいこと嬉しいことももたくさんあるだろう。そんな人が吐く台詞ではない。

 しかしどちらの疑問も、映画を観ていく中で氷解していった。


■震災

 11年前の東日本大震災の日、私は職場にいた。関東地方の内陸部で、鉄筋の建物の4階にいたのだけど、ものすごく揺れて「いまこの建物が倒壊したら俺は死ぬんだろうなー」なんてぼんやり思ったのを覚えている。
 その後、TVのある部屋に行ったら、あの "津波" のシーンが流れてた。家も車も何もかも飲み込んでいくのを見て、呆然としていた。あまりの衝撃に現実感が追いついていかなかったのだろうと、今になって思うけど。

 映画の冒頭は、幼少時のすずめが荒野を歩くシーン。廃墟と化した家々、その上に乗り上げた漁船・・・いずれも、11年前の震災の爪痕を伝える報道VTRで見たものだ。ここですずめが震災で母親を喪った被災者であったことを観客は知る。

 この震災は、すずめの中にトラウマとして残るだけでなく、彼女の価値観にも刻まれているのだろう。「人の生死は運次第」「自分はたまたま生き残っただけ」彼女は心のどこかでそんなふうに達観しているのかも知れない。彼女の心の中では、死は特別なものではなく、身近に存在するものに感じられるのかも知れない。だから "疑問その2" で挙げた「死ぬのは怖くない」なんて言葉が出てくる。

 しかし、その記憶はとてつもなく哀しく、苦しいことでもある。だからもう二度と起こってほしくない。そういう気持ちも心の中を占めている。
 だから、映画の中盤で彼女は "あの決断" を下すことができた。これも普通なら「私にはできない」と拒否してもおかしくないところを、彼女は苦渋と悔恨に苛まれながらも実行してしまう。

 この映画は、徹頭徹尾すずめの物語である。彼女と、彼女の心の中の震災の記憶の物語であり、なにより彼女の成長の物語だ。

 草太によって巻き込まれたはずが、その彼が早々と椅子に姿を変えられてしまい、しかも中盤からは物語の表舞台からも姿を消してしまうことによって、物語の焦点がどんどんすずめにむけて絞り込まれ、彼女が主体の物語へと変化していく。


■賛歌

 すずめは草太に出会い、彼とともに旅をする中で変わっていく。
 草太は映画の終盤で、「人は少しでも命を永らえたいと願う」と叫ぶ。
 そしてスペクタクルな場面が決着した後、すずめの語る台詞は、映画冒頭時点の彼女からは出てこないものだ。

 新海監督がこの映画で訴えたかったのは、まさにこのシーンなのだろう。

 つらく悲しいことも多いけれども、少しずつでも前に進もう。
 この世は生きるに値する。人間は愛するに値する。
 生命への賛歌、人間への賛歌が心に響く。
 ここがこの映画の真のクライマックスだ。


■善人
 
 ダイジンを追って、扉を閉める旅に否応なく加わることになってしまったすずめだが、行く先々で出会う人々はみな "いい人" ばかりだ。
 「こんなにいい人ばっかりじゃないよ」って思うんだけど、映画を見終わった後なら、この映画で訴えたかったものを知ったなら「こうでなければならない」と思える。
 エンドタイトルで、彼ら彼女らが再登場してカーテンコールをしてくれるのも楽しい。

 でも考えてみたら、登場人物は基本的に善人ばかりなのに、それでも2時間の冒険映画に仕立て上げてしまうのもすごいなとも思う。



■円環

 唐突だが、「ふしぎの海のナディア」というアニメがある。第1話で主人公とヒロインの出会うのがパリのエッフェル塔。そして世界中を巡る大冒険活劇の末、物語は最初の場所に戻ってくる。クライマックスの最終決戦はパリ上空だった。

 こんなふうに、最後の最後で "始まりの場所" に帰ってくる物語が好きだ。

 この映画もそういう "円環構造" をもっているのだけど、特筆すべきはそれが "二重" になっていることかな。
  このあたりは詳しく書くとネタバレになってしまうけど・・・。


■再会

 もっとも、これくらいは書いてもいいかな。

 新海監督の前2作のラストはどちらも "再会" だった。本作もそれを踏襲しているのだけど、前2作ほどドラマチックではない。
 でもこの映画のラストにはこれがふさわしい。

 映画の最後はすずめの台詞で終わる。映画館で観たときには全く感じなかったのだけど、小説版を読んだら、この台詞には実は深い意味が込められていたことを知った。まあ、映画だけで気がついた人も多いのだろうけど、いかんせん私はニブチンなので。
 小説版を読んでから観た2度目のラストシーンは、更に感慨が増した。


■声優について

 主役の2人は、専業の声優さんではないけど、しっくりきていて、ぴったりだと思った。まあ、オーディションをしたのだろうから、下手な人が入ることはないとは思うけど。
 この映画、意外なほど声優さんが少なくて、俳優さんばかり。だけど、どの役の人もハズレなし。専業の人をも含めて、素晴らしいキャスティングだと思う。

 個人的にはすずめの叔母を演じた深津絵里さんがよかった。いまから20年くらい前に、彼女の出ていた舞台を見た記憶がある。そのときも、とても達者な人だと思ったのだけど、年齢を重ねてさらに円熟してきたようだ。
 草太の友人・芹沢を演じた神木隆之介さんは、最初は彼だとわからなかったよ。「君の名は。」の瀧君とはガラッと変わった役を演じていて、これも見事。



小説 すずめの戸締まり (角川文庫)

小説 すずめの戸締まり (角川文庫)

  • 作者: 新海 誠
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/08/24

■小説版

 上にも少し書いたが、小説版も読んだ。新海監督自らの書き下ろしだ。

 基本的に映画と異なる部分はないのだけど、登場人物、とくにすずめの心情が細かく書き込まれているので、そのあたりは興味深く読める。

 映画は徹底的にすずめが主役なので、小説も当然ながらすずめの一人称で綴られる。驚いたのは、すずめが関わっていないシーン(登場していないシーン)も、すずめの一人称で書かれていること。
 そのためにちょっと無理をしてるかな、とも思うけど、これは監督のこだわりだね。
 映画の中の世界すべてを、すずめの視点から描きたかったのだろう。


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僕が愛したすべての君へ / 君を愛したひとりの僕へ [アニメーション]


 原作はハヤカワ文庫刊行のSF小説。並行世界(パラレルワールド)を生きた2組のカップルのラブ・ストーリーだ。


※小説版の記事は明日 up する予定。

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「読む順番によって読後感が異なる」をキャッチフレーズに部数を伸ばしたらしく、今回に映画化につながったのだろう。

 どちらを先に読む(観る)べきなのか、で悩む人がいるかも知れないが、
「どちらを先に読む(観る)か」を選ぶことは、言い換えれば「どちらを後に読む(観る)か」を選ぶこと。
 最期に穏やかな気持ちになりたければ「君愛」→「僕愛」の順に、最期に切ない気持ちに浸りたければ「僕愛」→「君愛」の順に読む(観る)のがいいだろう。どう「穏やか」でどう「切ない」かは、ここには書かないでおく。

 ただ悩ましいのは、この2つの物語は独立していなくて、双方向につながりがあること。だから、片方を読む(観る)と、もう片方の内容も一部入ってくるんだよねぇ。
 小説版のほうではそのあたりは抑えてあるのだけど、映画版の「僕愛」の終盤では、「君愛」の情報がかなり出てくる。ネタバレとまではいかないが。このへんはちょっと気になった。これについては後述する。

 ちなみに私は「僕愛」→「君愛」の順に観た。別に理由はなく、単に上映時間の早いほうから順に観ただけなんだが(笑)。
 原作は未読で、だから内容もほとんど知らない状態だった。でも、エンディングの違いは別として、「作品世界の設定のわかりやすさ」を考えれば、この順番の方がいいかもしれない。
 「君愛」の方が展開がドラマチックなのに加えて、並行世界に関する用語や設定が頻出して、特に後半の展開では正直言って消化不良の部分があった(そこのところは、あとで小説版を読んで理解した)。

 でも、SFとしてもラブ・ストーリーとしても面白いのは間違いない。10代~20代のカップルのデートムービーにはぴったりだと思うし、どちらもメインキャラたちの少年期から青年期、壮年期、そして老境までが描かれるので、私みたいなオッサンでもしみじみと感じるものがあった。
 どの世代の人が観ても、いろんな想いをかき立てられる映画だと思う。


 前置きが長くなってしまった。内容紹介に入ろう。


 舞台は ”並行世界(パラレルワールド)” の存在が実証された近未来。
 並行世界は、自分の存在する世界とほとんど変わらない世界もあれば全く異なる世界まで、可能性の数だけ無数に存在する。

 しかも、人間は日常的に並行世界の間を移動している(作中では ”パラレル・シフト” と呼ばれる)ことも判明する。それは、意識のみが他の並行世界の自分と入れ変わる形で起こる。
 世界間の差が小さいほど移動の頻度は高いが、移動している時間が短い。そのため、ほとんどの人間は並行世界間の移動に気づかないままに生きてきた。

 この2冊の主人公は、ともに暦(こよみ)という名の少年。しかしそれぞれ異なる並行世界を生きている。どこが異なるのかというと、暦が7歳の時に両親が離婚したときに分岐した世界になっているのだ。

 「僕が愛した-」は、暦が母親と暮らすことを選んだ世界で、
 「君を愛した-」は、暦が父親と暮らすことを選んだ世界だ。

 これだけなら、2つの世界の2人の暦がたどる、別々の人生を語るだけなのだが、上述したように並行世界間での意識の移動(パラレル・シフト)というものがある。これがしばしばストーリーに関わってくる。


「僕が愛したすべての君へ」

 高崎暦(高崎は母親の旧姓)は、県下有数の進学校にトップの成績で合格するが、勉強漬けの雰囲気になじめず、友人もいない高校生活を送っていた。

 そんなある日、クラスメイトの瀧川和音(たきがわ・かずね)から声を掛けられる(ちなみに彼女は入試で2位だった)。

 「私はこの世界から85離れた世界からきた(パラレル・シフトしてきた)」
 さらに、意外なことを告げる。
 「その世界では、私とあなたは恋人同士だ」と。

 このあたりはまるっきりのラブコメ展開なのだが、これをきっかけに暦は和音と言葉を交わすようになり、”こちらの世界” での彼女に恋愛感情を持つようになる。

 しかし ”こちらの和音” は難攻不落で、暦が何回アタックしても、ことごとく玉砕してしまう。だが、彼女と出会ったことで暦の人生は大きく変化していく。無味乾燥でモノクロのような日常が、一気に極彩色になったように。

 物語は暦と和音、2人の人生を綴っていく。


「君を愛したひとりの僕へ」

 両親が離婚し、父親と暮らす日高暦。10歳の時、暦は父が研究者として勤務する「虚質科学研究所」(並行世界の研究のために設立された)で、同い年の少女・佐藤栞(しおり)と出会う。彼女は研究所の佐藤絲子(いとこ)所長の娘だった。

 時は流れ、お互いの恋心を意識するようになった中学2年生の夏、2人に驚きの知らせがもたらされる。互いにバツイチ同士だった暦の父と佐藤所長が再婚することになったのだ。「兄妹になってしまったら結婚できない」と思い込んだ2人は、並行世界への ”駆け落ち” を敢行する。

 しかし、パラレル・シフトした先の世界で栞は交通事故に遭い、死亡してしまう。その結果、彼女の肉体だけが ”こちらの世界” に残り、彼女の意識はその交通事故の現場に残り続けること(作品内では ”交差点の幽霊” と呼ばれる存在)になってしまう。
 ”こちらの栞” の体は脳死との診断が下り、植物状態となって人工呼吸器で延命されることに。

 無事な ”帰還” を果たした暦は、成長すると「虚質科学研究所」に入り、研究者となった。すべては、”栞を救い出す” ために・・・


 作中でも言及されるが、義理の兄弟姉妹であっても血縁関係がなければ結婚できる。「それくらい調べろよ~」とも思ったが、まあそれくらい2人とも頭に血が上っていた、ということか。それに、ここが物語のキモとなる設定なので「それは言わない約束」なのだろう(笑)。


 暦は、どちらの世界でも、1人の女性を愛し抜く人生を送る。
 「僕愛」では和音を、「君愛」では栞を。

 しかし、その愛が暦の人生に与えたものは極めて対照的だ。彼の7歳の時の選択に依って分岐した、彼の2通りの人生を2つの物語は描いていく。


 この記事の頭の方で、映画版「僕愛」の終盤について言及したけど、そこのところを書いておこう。
 映画の終盤で、老境を迎えた暦と和音が登場するのだが、ここでの展開がどうにもそれまでの流れと合ってないと感じた。まさに、木に竹を接いだような印象を受ける。

 原作の「僕愛」を読んでみると、老境の2人が登場するのは同じだけど、もっとすっきりとした流れで、問題のこの部分は存在しない。つまり映画の終盤で起こる ”イベント” は映画版オリジナルだということだ。
 たぶん「君愛」との関連性を強調したかったのだろう、とは思うのだけどね。だけどそれで「君愛」の内容が一部判ってしまうのは諸刃の剣かな。
 でもひょっとしたら、この部分はもともと作者が考えていた展開で、小説を書くときにカットしたのかも知れない、とも思ったが。

 さて、冒頭でも書いたけど、小説版の記事は明日 up する予定。


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四畳半タイムマシンブルース [アニメーション]


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 森見登美彦による小説『四畳半神話大系』のキャラと、上田誠の戯曲『サマータイムマシン・ブルース』のコラボレーション作品であるとのこと。

 『四畳半神話大系』は未読なんだけど、『夜は短し歩けよ乙女』『【新釈】走れメロス』『有頂天家族』は読んでるので、なんとなく雰囲気の見当はついてた。

  ちなみに『四畳半神話大系』は2010年にTVアニメになっていて(これも未見)、今作でも声優さんは同じ方が出演されてるらしい。だけど本作は『-大系』の続編ではなくて、パラレルワールドという位置づけみたいだ。

 キャラデザインや背景の絵柄が、強烈というか超個性的(笑)なので、好き嫌いはあると思う。私も最初はかなり抵抗があったけど、観ているうちに少しは慣れてきたかな。
 好きな絵柄か? って聞かれたら、素直に「はい」とは言いづらいけど、映画自体は楽しく観られましたよ。


 まずは内容紹介。


 主人公の「私」は、京都のとある大学の三回生。
 おんぼろアパート「下鴨幽水荘」で、1年後輩の明石さんに密かに思いを寄せつつも、無為な青春を送っている。
 「私」が住む209号室には、なぜかそこにだけクーラーが設置されており、猛暑の夏には住人たちのオアシスともなっていた。
 しかし8月のある日、その唯一のエアコンが動かなくなった。住人たちが騒いでいる時にコーラがかかって故障してしまったのだ。
 そこに見知らぬ青年が現れた。”田村” と名乗った彼は、25年後の未来からタイムマシンに乗ってやってきたのだという。
 「私」は、彼のタイムマシンで昨日に戻り、壊れる前のリモコンを持ってくることを思いつく。ところが、タイムマシンに乗り込んだ住人たちが、リモコンを持ってくるだけにとどまらず勝手気ままに過去を改変しようとする。
 さらに、「私」と明石さんは過去の改変によって自分たちの存在する世界が消滅する可能性に思い至る。
 かくして、タイムパラドックス回避のためのドタバタ騒ぎが始まる・・・


 冒頭から「私」によるマシンガンのようなナレーションが始まり、その長さと速さに驚かされる。キャラたちの台詞もそれぞれユニーク極まりないが、このへんはアニメ版『-大系』を見ている人には先刻ご承知なのでしょう。

 1日前に戻って、エアコンのリモコンを持ってくるだけ、というシンプルな出だしから、予想外の事態が連続するスラップスティック・コメディへと変貌していく。
 その原因の大半は、エキセントリックな住人たちの奇行によるもの。よくここまで奇人変人が集まってるものだと感心する。

 基本はドタバタ喜劇で、楽しく見ていられる。途中で何か所か辻褄が合わないところが出てくるが、これこそタイムトラベルものの醍醐味(笑)。ラストまでには、きっちり帳尻が合うようになっていて、このあたりはとてもよくできていると思う。まあ、ひとつだけ疑問を覚えたところもあったのだけど、それを言うと野暮かな・・・。
 謎の青年・”田村” の正体も、なんとなく見当がつくのだが、これは観てのお楽しみだろう。


 見ていると、自分自身の大学時代をちょっぴり思い出してしまった。
 私は実家通いだったのでアパート暮らしの経験はない。それ自体に不満があったわけではないけれど、こんな学生生活も楽しかったんじゃないかと思う。

 演じているのは、みんな本業の声優さんで、ベテランで達者な方ばかり。そのあたりも安心して観ていられる。

 中でも、声優の坂本真綾さん演じる「明石さん」はなかなか魅力的。映画製作に情熱を傾け、古本市を愛する。融通が利かなそうな雰囲気をまといつつ、天然ボケな一面もあったり。学生時代、彼女みたいな人がひとりでも周囲にいてくれれば、恋愛云々は別として、もう少し華やかな学生時代が送れたんじゃないかなぁ、って思ったり(遠い目)。
 終わってみれば、明石さんばっかり見ていたような気もする(おいおい)。


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