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名探偵・森江春策 [読書・ミステリ]


名探偵・森江春策 (創元推理文庫)

名探偵・森江春策 (創元推理文庫)

  • 作者: 芦辺 拓
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2017/08/20
  • メディア: 文庫
評価:★★★

タイトル通り、名探偵・森江春策の年代記形式で綴られた短編集。
少年期から現在の中年(?)まで、時代順に5編収録。

「少年は探偵を夢見る」
小学5年生の春策少年は、市立図書館へ行った帰りに
高架電車の窓から見えた洋館に興味を覚え、見知らぬ駅で下車する。
江戸川乱歩の《少年探偵団》シリーズを彷彿とさせる文体で
謎の館で起こる不思議な事件が語られる。ラストも幻想的な終わり方。
私もポプラ社刊行の同シリーズに熱狂した世代なので楽しんで読めた。

「幽鬼魔荘殺人事件と13号室の謎」
森江家で家の建て直しが始まったため、中学3年生で受験を控えた
春策くんは、勉強のために臨時にアパートで一人暮らしを始める。
しかし、彼が引っ越してきた雪間荘で殺人事件が起こる。
さらに、このアパートには存在しないはずの ”13号室” が
出現したり、消滅したり・・・の謎も描かれる。
歌野晶午の「長い家の殺人」をちょっと思い出したよ。
あれとは違うネタだけど、こちらも良くできてる。
まあ、実際にこれで勘違いする人がいるかどうかはちょっと疑問かな。

「滝警部補自身の事件」
大学生の森江春策は、友人から下宿館で起こった
学生の自殺についての話を聞かされる。
同じ頃、後に森江春策シリーズに登場する滝警部(このころは警部補)が
自殺と思われる事件の捜査を始めていた。
この2つの事件が並行して語られ、最後に収斂していく。
時系列としては、作者のデビュー作「殺人喜劇の13人」の
直前の話になるらしい。

「街角の断頭台(キロチン)」
文化関係の ”ごろつき” として悪名高い久留島泰治が、
廃墟になったホテルで生首となって発見される。
見つけたのは、彼が行きつけのバー《ファントマ》の常連たち。
たまたまその中にいたのが、新聞の文化部記者となっていた森江春策。
「あとがき」によると作者は、横溝正史が後期に書いていた
都会を舞台にしたスリラーっぽいものを目指したらしいけど、
なかなかそれらしい雰囲気を醸し出してると思う。
ラストで明かされるトリックはかなりエグいけど、
この作品の中でなら許されるかな。

「時空を征服した男」
弁護士兼私立探偵となった森江春策と、
その秘書兼助手の新島ともか嬢のもとへ訪れたのは
友人の新聞記者・来崎四郎と、滝儀一警部。
語り合ううちに、彼らがかつて遭遇した事件
(本書収録の「少年は-」から「街角のー」までの4編)
には、解けない ”謎” が残っていることに気づく。
そこへ突然現れた第5の人物は、
自らが「タイムマシンを発明した」と豪語する。
やがて起こった殺人事件では、容疑者には鉄壁のアリバイがあった。
まさにタイムマシンでもないと不可能な犯行だと思われたが・・・


連作短編集で、各作品に伏線が張ってあって
最後の作品でそれが回収され、作品全部がきれいにつながる・・・
ってパターンはよくあるし、本書もこの構造になってるのだけど
この ”回収方法” はどうかなあ(私は嫌いではないけど)。

この作者の作品をたくさん読んでいて、その嗜好をよく知ってる人なら
「ああ、こうなるのね」って分かってくれると思うけど
この作品で初めて芦辺拓に触れる人はかなり戸惑うかも知れない。

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いまさら翼といわれても [読書・ミステリ]


いまさら翼といわれても (角川文庫)

いまさら翼といわれても (角川文庫)

  • 作者: 米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/06/14
  • メディア: 文庫
評価:★★★☆

デビュー作「氷菓」から始まる<古典部シリーズ>、その6巻目。

「やらなくていいことなら、やらない」をモットーにする
主人公にして探偵役の折木奉太郎(おれき・ほうたろう)、
古典部部長でヒロインの千反田(ちたんだ)えるは、
地元の豪農・千反田家の一人娘。
博識で、折木と違って高校生活にアクティブに取り組んでいる福部里志、
漫画研究会と掛け持ちの伊原摩耶花(いばら・まやか)。

山にも近く、緑豊かな地方都市にある進学校・神山高校で
廃部寸前の古典部に入ったこの4人が
日々の学校生活の中で出会う謎の事件を描いていく。


「箱の中の欠落」
神山高校で生徒会長選挙が行われた。しかし開票したところ、
在籍する生徒数を40票以上も超える投票用紙が見つかる。
衆人環視の開票作業中に、誰が、どうやって、そして何のために
大量の投票用紙を混入させたのか?
開票の立会人を務めていた里志から相談された奉太郎だが・・・

「鏡には映らない」
ある日、摩耶花は中学時代の同級生・池平に出会う。
彼女との会話の中で折木の名を出した摩耶花だったが
池平は激しい拒否反応を示した。摩耶花は、中学での卒業記念製作で
折木が起こした ”事件” を思い出すのだが・・・
摩耶花が折木に対して口が悪く、辛く当たる理由が明かされるとともに
その ”事件” の真相が明かされる。

「連峰は晴れているか」
神山高校の上空をヘリコプターが飛ぶ様子を見ていた奉太郎は、
中学時代のことを思い出す。中学の数学教師・小木はあるとき、
校舎の上空を飛ぶヘリの音を聞いて授業を中断し、窓に駆け寄った。
「おれはヘリが好きなんだ」と言いながら。
しかしその後、何度かヘリが飛んでも小木は全く反応しなかったことを。
小木はなぜあの日に限ってヘリに関心を寄せたのか・・・
ちなみに神山高校の近辺はヘリの飛行が多いらしい。
近くに自衛隊の基地でもあるのかも知れないが。

「私たちの伝説の一冊」
神山高校漫画研究会は二派に分裂していた。
”読むだけ派” と ”描きたい派” に。
将来の漫画家デビューを目指している摩耶花は後者である。
そんな中、摩耶花は ”描きたい派” のリーダーである浅沼から
漫画執筆を依頼される。文化祭に向けて同人誌を発行しようというのだ。
承諾した摩耶花は準備を始めるが、ネーム(コマ割りと台詞)を記した
ノートを何者かに盗まれてしまう・・・

「長い休日」
珍しく、休日の散歩を思い立った奉太郎は
荒楠(あらくす)神社へやってくる。そこで奉太郎は宮司の娘で
高校の同級生である十文字かほと、
神社の掃除にやってきていた千反田えると出会う。
えるの掃除を手伝いながら、奉太郎は小学校の頃の思い出を語る。
奉太郎がなぜ「やらなくていいことなら、やらない」を
モットーにするようになったかが明かされるエピソード。

「いまさら翼といわれても」
夏休みの初日、市が主催する合唱祭が開かれる。
市民コーラスに所属しているえるも出場することになっていたが
当日、奉太郎のもとに摩耶花から連絡が入る。
えるの出番が近づいているにも関わらず、会場となる文化会館に
姿を見せていないのだという。
奉太郎は失踪したえるの所在を突き止めるべく、推理を巡らすが・・・


彼ら4人の高校入学時から始まったこのシリーズ。
この6巻目では、高校2年の1学期が終了時点まで進行してきた。
高校3年間でもう半分近くまで進行してきてしまったわけだ。

本シリーズは ”サザエさん時空” ではなく、
作品内で着実に時は流れている。登場人物たちも年齢を重ね、
年相応に成長していく。
本作では、奉太郎の小中学校時代のエピソードがいくつか語られ、
彼の人となりを形成してきた ”設定” が明かされたのだけど、
もう一つ、彼らの「進路」がメインテーマになっているように思う。

まあ、進学校に通っている4人のことであるから、
その気になればいかような進路でも選べそうなものだが
彼らには彼らなりの目標や悩みがあるようだ。

漫画の新人賞に応募を続けている摩耶花は、
ますますプロへの思いを強めるし、
里志もなんとなく将来の展望を持ち始めたような描写もある。

豪農一人娘で、家業の ”跡取り” を運命づけられてきたえる、
前巻で、そんな彼女への思慕を自覚した奉太郎。
この二人の「将来」がどうなるのか、その転回点になるかも知れないのが
本書の最後に置かれた「いまさら翼といわれても」だ。

える嬢への恋情を貫くのなら、
奉太郎くんは(彼の嫌いな)本気モードにならざるを得ない時が
そう遠くない未来にやってくるのだろう・・・


作者は、彼ら4人の高校卒業時まで描くと言っているらしいので
次巻を楽しみに待ちましょう。

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アド・アストラ [映画]


タイトルの「ad astra」は
ラテン語で「星へ向かって」という意味だそうです。

ad-astra.jpg
時は近未来(って冒頭にテロップで出てくる)。
どれくらい近い未来かというと、
火星には1100人規模の有人基地が存在していて、
地球ー火星間には人/物を運ぶシャトルが定期的に往来していて
途中の空間のあちこちに、観測・実験のためのステーションができてる。
そんなくらいらしい。
うーん、100年後でも難しそうな気もするが。


宇宙飛行士かつ科学者であったクリフォード・マクブライドは
幼い息子ロイを残し、地球外知的生命体探査のために
太陽系外宇宙へ向けて旅立った。
これが29年前(だったと思う。ちょっと記憶が定かでない)。

しかし出発から16年後、
クリフォードの探査船は宇宙の彼方で消息を絶ってしまう。

さらに時は流れ、父のあとを追うように
宇宙飛行士となったロイ(ブラッド・ピッド)が本作の主人公。

ある日、軍上層部からロイに驚くべき情報がもたらされる。
クリフォードが生きている可能性があると。

折しも、地球ー火星圏全域を強烈な電磁パルス(だと思うが)が襲い、
それが巻き起こす強力なサージ電流によって大規模な被害が発生していた。

その発生源は海王星近傍であり、それを引き起こす力を持っているのは
クリフォードの探査船に積まれていた反物質エンジンだという。

ロイは火星に向かい、そこでクリフォードに向けたメッセージを発信する。
それでお役御免となるはずだったのだが
軍がさらなる行動を起こそうとしていることを知ってしまう・・・


観る人を選ぶ映画だなあ・・・というのが感想。
私は、とりあえず2時間、寝落ちすることなく観られましたが
もう一回観たいとは思わないなあ・・・


TVCMや映画の公式サイトでは派手な言葉が並ぶ。
「衝撃の ”救出” ミッション」「壮大なスペース・アクション超大作」。

よく「話半分」って言うけれど、半分以下じゃないかなぁ。
全くと言っていいくらい派手な映画じゃないよ。それどころか、
同種の宇宙映画と比べても、「地味」な部類に入る映画だと思う。

全編の90%くらいはロイ(ブラッド・ピッド)が映っている。
しかもその大部分がアップの画面。
まあ、ブラピの表情の演技だけは堪能できる(笑)映画ではある。

で、彼は何をしているかと言えば、過去への回想だったり、
思索に耽ったり、自らの心理テストのためにAIと対話したり。

つまりとっても「内省的」で、よくいえば「哲学的」、
悪く言えば地味で、いわゆる ”映画的な盛り上がり” には乏しいと思う。
ハリウッドのエンタメ映画みたいなノリを期待すると当てが外れる。

淡々と進むので、静かに映画の雰囲気に浸りたい人や
哲学的な思索に耽りたい人は、楽しめるかも知れない。
もちろん、「とにかくブラピを2時間アップで見ていたい(笑)」、
って人にとっては、たまらない映画になってるのかも知れない。


これ以下、この映画についての文句というか不満というか
そのあたりをちょっと書いてみたい。
この映画が気に入った人からすると、かなりオモシロくない内容に
なっていると思うので、いちおうお断りしておきます。
あと、映画のネタバレを含みます。これもご注意を。


まず、科学考証的に納得できないところがいくつか。

冒頭、ロイが働いていた軌道アンテナ(背景からして衛星軌道上にある)
を電磁パルスが襲い、生じたサージ電流の暴走によって
宇宙服姿のロイがアンテナから弾き飛ばされ、
地球へ向けて真っ逆さまに落下していくシーンがある。

なにせ上下方向に長大に続く巨大アンテナなので
途中でどこかに引っかかるのかと思いきや
そのまま地表まで落下してしまう。まさに絶体絶命の危機。
しかし宇宙服に備えられていた落下傘で無事に着地・・・って、ええ?

外見はごく普通の、船外活動用のものに見えたんけど
実は大気圏突破能力をもつ超高性能宇宙服だったの・・・?

 スペースシャトルやガンダムの大気圏突入時の
 空気との摩擦熱で赤熱するシーンはどこに行ったのか・・・

火星でも、打ち上げ直前の、もう噴射が始まっている宇宙船に
外部(それもけっこう下の方)から取り付いて、
ハッチを開いて無理矢理中に入ってしまうところとか・・・

あと、ラスト近くの海王星近傍での描写の中にも「おいおい」って
ツッコミを入れたくなるシーンが・・・


次の疑問は、舞台になる海王星について。

まず、クリフォードの探査船は、なんで海王星にいたのか?

地球を出発して16年後に消息を絶ったのだから
海王星まで16年かかったのかな・・・とも思ったのだけど
ロイが無理矢理乗り込んだ宇宙船は、火星ー海王星を
なんと80日足らずで航行してしまう。

30年足らずの間に宇宙船の速度は70倍以上にスピードアップしたの?

それとも、探査船はいったん遙かな外宇宙まで行って、
そのどこかからUターンしたのか?

でもクリフォードは乗組員の反対を押し切ってまで
地球外生命の探査に拘っていたのだから
帰ってくるはずがないよね・・・

それこそ ”地球外生命の仕業” だったりするの?


そもそも「地球外生命探査ミッションに出発した宇宙船が行方不明に」、
なぁんて設定で始まるのだから、
物語にはそれについての何らかの反映があってしかるべきじゃないか。

「2001年宇宙の旅」や「未知との遭遇」みたいに
直接的に地球外知性を出さなくても、その片鱗や痕跡を示すくらいの
描写は期待したのだけど、それも全くなし。

「宇宙人はいない。地球人は孤独だ」ってのが結論なのかも知れないが
なんだか肩透かしを食らった気分。


おそらく制作陣が描きたかったのは
個人的にいろんな問題を抱えていたロイが、
自分(と母)を捨てて去って行った父親と再び対峙し、
その存在を乗り越えて成長していく姿だったんだろう。

だから「SF映画」「宇宙映画」という部分は
ロイの物語を語る上ではあまり重視してないんじゃないかな。

序盤の、月面でのムーンバギーのカーチェイス・シーンや
火星に行く途中で、救難信号を発した研究ステーションで繰り広げられる
「エイリアン」もどきのサスペンス・シーンも
とってつけたみたいに見えるし、実際ストーリー上も不要な部分だ。

言葉は悪いかも知れないが「これを描いとけば宇宙ものだろう」
っていうアリバイ作りみたいにも感じられる。


ブラピの熱狂的ファンではない、”一般的” な観客は
SFを、宇宙を舞台にした未知の体験をしたいと思って
映画館に足を運ぶんだろうと思う(少なくとも私はそうだった)。
でも、そっちの方に応えてくれる映画ではなかった、ということだろう。


公式サイトの「REVIEW」の項目を見ると
アメリカの各マスコミによる、この映画評が載ってる。
「宇宙規模の傑作!」「アカデミー賞最有力候補だ!」をはじめ
「スリル満点」とか「完璧」とかの賛辞ばかり。

もちろん褒めてるのしか載せてないのだがら当たり前なのだけど
「スペースオペラの最高傑作」(ザ・ガーディアン)
には首を傾げてしまった。

”スペースオペラ” の意味が分かっているのかなぁ。
いちおう、日米で定義が違ってるのかも知れないのでネットで調べたけど
やっぱりこの映画を ”スペースオペラ” とは呼べないと思うよ。

で、よりにもよって「REVIEW」のトップにこの言葉を載せておくなんて
観客をミスリードしてしまうんじゃないの?
この言葉を見て「スペースオペラ」を期待して観に来た人は
あまりにも ”スペオペしてない” ので怒り出すんじゃないかなぁ。


もっと哲学的で思索的な静かな映画として宣伝するべきなんだと思うけど
それじゃ客が入らないんだろうし・・・

だから派手な映画みたいに宣伝を打つ。そして、
それにつられて見た私のような人が、ブログでこき下ろすという・・・


ネットでの評価では、私と同じく
どちらかというと辛めの評価が多いように思うけど
もちろん、満点やそれに近い評価の人もいる。
まあ、人の好みはそれぞれですから・・・


こんなに長く、文句たらたらに書くつもりはなかったんだけど
書きだしたら止まらなくなってしまった。
まあ、「年寄りは話がくどい」のが相場なので、ご勘弁を・・・

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ホームズの娘 [読書・ミステリ]


ホームズの娘 (講談社文庫)

ホームズの娘 (講談社文庫)

  • 作者: 横関 大
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/09/13
  • メディア: 文庫
TVドラマにもなった「ルパンの娘」、シリーズ3巻目。

3代続く泥棒一家に育った娘・三雲華と
3代続く警官一家に生まれた青年・桜庭和馬の恋の行方を描いた第1作。
もっとも、TVドラマの方はかなり原作から改変されてるんだが
そのあたりは「ルパンの娘」の記事に書いた。

第2作「ルパンの帰還」は、華と和馬が
紆余曲折を経て結婚してからおよそ4年後に始まる。

シリーズものを紹介する都合上、この下には
第2巻の内容についてのネタバレを書くので、
「ー帰還」を未読で、これから読もうと思っている方は
これ以降の文章は読まないことを推奨します。



警視庁捜査一課の和馬のもとに新たに配属されたのは、京都で
3代続く探偵一家に生まれた娘・北条美雲だった。

和馬と華の間に生まれた娘・杏を巻き込んだ
バスジャック事件の解決に奔走する和馬と美雲を描き、
終盤では三雲家の ”黒歴史” が明かされた。

華の父・尊には姉、華にとっては伯母がいたこと。
彼女の名は三雲玲(れい)であること。
そして、天才的な頭脳をもつ凶悪犯だった彼女が
30年ぶりにこの現代日本に現れたこと・・・

さらなるサプライズは、そのラスト。
なんと北条美雲嬢は、華の兄・渉に出会った途端に一目惚れして、
彼こそ自分の運命の相手だ、と確信してしまうのだった・・・

今度は、泥棒一家の青年と探偵一家の娘という、
再びの波乱の展開を予感させる引きで第2巻は幕を閉じる。


さて、そして本書「ホームズの娘」である。
タイトル通り北条美雲嬢がメインを張り、
和馬や華はその脇を固めるという役回りになる。

前巻から数ヶ月後、都内で殺人事件が起こる。
飲食店経営者・金子隆志の妻が殺されたのだ。
容疑の筆頭は隆志だが、彼にはアリバイがあった。
しかし、これが交換殺人であることを見破った和馬と美雲によって
事件は解決され、隆志の供述から意外なことが判明する。

ネット上で ”完璧な犯行計画” を売っている何者かがいるという。
彼の犯行も、そこから購入した計画に沿って実行されたものだった。
その ”犯行立案者” が三雲玲ではないかと疑う和馬だったが・・・

一方、三雲渉への恋情が募る美雲は、彼との会食に漕ぎ着け、
ますます結婚の意思を固めるのだが、当然のことながら
その最大の障害は双方の両親だった・・・

三雲玲の次なる犯行を阻止すべく、図らずも
彼女と ”知恵比べ” をさせられる和馬と美雲、
その陰で、平穏に暮らしている華と杏に迫る魔手、
相変わらず強烈なキャラである華の両親も健在だが
新登場の美雲の両親もまた負けず劣らず存在感を示すなど
読みどころは満載だ。

中でも、第1巻ではひきもこりのハッカーとして登場した渉君が
本書ではいっぱしの実業家へと成長し、美雲嬢に対しても
意外と積極的にアプローチしていくなど
すっかり ”大人” になっていて、オジさんはびっくりだ(笑)。


さて、楽しませてくれたこのシリーズなのだけど
現時点で続巻の刊行はアナウンスされていない。

内容的にも、渉と美雲嬢の行く末が明らかになるので
これで ”完結” とも受け取れるし、
その気になればまだまだ続けられる終わり方でもあるので
あとは本書の売れ行き次第(笑)なのかも知れない。

私としては、もうちょっとこのキャラたちと
過ごしてみたい気がしているのだけど
惜しまれるうちに幕を引くのが美しいんじゃないかとも考えたりする。

もっとも、本が売れないこの時代に、メディアミックスとは言え
結構売れているシリーズらしいので、
出版社は続けたがってるんじゃないかなぁ。
あとは作者のネタが続くかどうかだね(笑)。

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永井GO展 [日々の生活と雑感]


先週の篠山紀信展に続いての展覧会巡り。

かみさんは絵が好きで、たまに美術館に付き合わされるんだが
正直、西洋絵画はよく分からない(笑)。
私にもよく分かる ”絵” と言えば、やっぱりこの手のものだよねえ。

漫画家・永井豪の「画業50年突破記念」と銘打って
開催されている展覧会。去年は大阪で開かれたらしい。
今年は東京・上野の森美術館で開催されている。

9/14~29とわずか2週間の期間限定なので
この機を逃さないようにと行って参りました。

JR上野駅の公園口を出て、2分ほど歩くともう着いてしまう。
会場前には、どーんとでかい立て看板がお出迎え。
DSC_0031a.jpg

中心部を拡大すると、永井作品の人気キャラクター大集合の図。


DSC_0031b.jpg
平日の午前中だったんだけど、けっこうな人が入ってる。
やっぱり2週間限定だからかな。
でも大混雑というほどではなく、ほどほどの混み具合、って感じ。

メインはやっぱり50代以上の男性かと思うが
40代くらいの女性もけっこういらっしゃる。
30代以下の男女も意外といましたね。

さて、展示内容は大きく6つのパートに分かれている。
展示の主体はもちろんイラストなのだけど、
連載時の原画も数多く公開されている。


第1章 鬼と悪魔の黙示録

おそらく、(内容までは知らなくても)「デビルマン」の名を
知らない日本人はほぼ皆無ではないか。
それくらい有名な、永井豪の代表作の1つだが
ここで紹介されているのは、「デビルマン」をはじめとして
「魔王ダンテ」「凄ノ王」「手天童子」などの作品群。

章題にあるように「神と悪魔」「鬼」などは、
永井作品では繰り返し使われているモチーフなのだけど
改めてまとめて見せられると、やはり迫力が半端ではない。

バイオレンスな描写もさりながら、
読者の価値観を揺るがせるような展開やオチなど、
SF的にも高度な作品群だと思う。
これが少年誌の連載で毎週読めたなんて
考えてみたたらすごい時代だったんだなあ。


第2章  ヒロイン・ヒロイックサーガ

「ハレンチ学園」の連載開始は1968年から。
当時私は10歳だったが、この作品の性描写は衝撃的だった。
当時の、マンガにおけるタブーを破ってしまったわけで、
非難囂々だったらしい。まあ、”大人たち” からは総スカンだったろう。
作品自体は社会現象的大人気になって、
映画やTVドラマまでつくられてしまった。
十兵衛役の児島美ゆきさんは当時18歳だったとか、いろいろスゴイ。
少年ジャンプが少年週刊誌トップの座に躍り出る契機ともなった作品だ。


「あばしり一家」「ドロロンえん魔くん」も懐かしいなあ。
「キューティーハニー」は、未だに新作がつくられる人気作だし。

「真夜中の戦士」は短編版と、その続きを描いた長編版(こちらは未完)が
あるらしいけど、私は短編版しか読んでない。
でも、短編版はラストの切れ味が素晴らしいSFマンガの傑作なので
こちらで十分かなと思う。

「バイオレンスジャック」は、雰囲気と内容がどうにもなじめなくて
ほとんど読んでません。ゴメンナサイ。


第3章 笑劇奇譚

「まろ」「オモライくん」ああ、こんな作品もあったよなあ・・・
ってしばし感慨に耽ってしまう。

「イヤハヤ南友」は、作中で繰り広げられる
”勉強試合” が超絶に面白かった。

「けっこう仮面」は連載時に夢中で読んだ記憶がある。
あの ”必殺技” も衝撃(笑)だったが、
毎回、何かしらのパロディになっているのも面白かった。
最後に「○○先生ごめんなさい」って台詞が入るのがお約束で
”○○先生” には元ネタになった作品の作者の名前が入る。


第4章 魔神伝説

日本のロボットアニメに革命をもたらした「マジンガーZ」と
それに続くロボットマンガの作品群を紹介してる。

これがなかったら「ガンダム」も「エヴァンゲリオン」もなかった・・・
とまでは言わないが、数年から10年くらいは遅れたかも知れない。
”人が乗って操縦する巨大ロボット” ってアイデアを
誰かが思いつくまで、かなり年数はかかっただろうから。

「グレートマジンガー」「グレンダイザー」も懐かしいね。

「ゲッターロボ」はもう変形合体なんてレベルではない超絶ぶりだった。
こんな強引な変形を企画立案してしまうのも凄いが
それを強引に見せてしまうアニメもまた凄かった。


第5章 OTHER WORKS

ここではマンガ以外の仕事を紹介してる。
例えば小説「魔界水滸伝」(栗本薫)の表紙・挿絵イラスト。
これ、小説の方は途中で読むの止めちゃいました。ゴメンナサイ

コミックエッセイや、レコードのジャケットも描いてるし
映画監督もやってるんだねえ。多才な人だ。


第6章 現在進行形

最後は、74歳の今も現役バリバリの永井氏の現在の仕事を紹介してる。
いまでも連載を2本抱えてるとか凄すぎる。


この展覧会の順路の途中には、なんと「撮影・録画可」のエリアがある。

まずは「デビルマン」の巨大イラストがお出迎え。

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その先には、なんとデビルマン ”ご本人” が座ってる(笑)。

DSC_0026a.jpg
フィギュアもあるんだけど、私はこの手のものには
あまり興味はないんだよねぇ。

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その先には、なんとスーパーロボットの揃い踏み。

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やっぱり ”ご本尊” は単独で撮りたくなる。

DSC_0029a.jpg

出口の先には物販コーナー。
さすがにものすごい数・種類のものが並んでるんだけど
嵩張るものを買っても置く場所がないので(笑)、
図録だけ購入して帰りました。

ちなみに図録の付録の小冊子は、永井豪が
石ノ森章太郎のアシスタントだった頃のエピソードを描いたマンガで
名作「真夜中の戦士」の発想を得たきっかけも描かれてる。


見終わってみて思うけど、作品数の多さ、さらに
SF、バイオレンス、ギャグ、ヒーロー/ヒロインストーリーと
ジャンルを超えて傑作を描いているのに改めて驚かされる。
そしてそれらが日本のマンガを、アニメを、革命的に進化させたことも。

そして、10歳~大学卒業くらいまでの間に、
私がそれらをたくさん読んでいたことも思い出させてくれた。

「デビルマン」「マジンガーZ」「キューティーハニー」など、
天才・永井豪の全盛期(未だ現役の作家に向かってこう書いては失礼か)
の時代を、リアルタイムで体験できたってのは
とても幸せなことだったのだなぁ・・・。

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記憶にございません! [映画]


このタイトルを見て「ロッキード事件」を思い出す人は
たぶん50歳を超えてるんだろうなぁ。

1976年、戦後最大の疑獄事件が明るみに出た。
内閣総理大臣(1972年当時)・田中角栄が
アメリカの大手航空機製造・ロッキード社から
5億円の賄賂をもらっていたというものだ

それを巡って、証人として国会に召喚された実業家・小佐野賢治が
要所要所で連発したのが「記憶にございません」という言葉だった。
これ、当時の流行語になって、お笑いバラエティ番組でも使われて、
もしこの頃に「流行語大賞」があれば、ぶっちぎりで第1位だったろう。

 もっとも、実際の発言は「記憶『は』ございません」だったらしいが。

ちなみに、76年当時に私は18歳で、三谷幸喜は15歳だったので、
この発言は彼にも十分「記憶にあった」のだろう(笑)。

閑話休題。

この映画はロッキード事件とは全く関係が無い、コメディ映画だ。
共通点は総理大臣が主役、というところくらいかな。

e865900b.jpg
内閣総理大臣・黒田啓介は、私利私欲に走る悪徳政治家の見本のような男。
あちこちの女に手を出して家庭を顧みず、
妻は浮気に走り息子はグレかけていて、家庭人としても最低最悪だ。
内閣支持率も2.3%という最低記録を更新中。

 88年に消費税3%を導入した竹下総理が、あまりの不人気で
 自らの内閣支持率も3%になってしまったというのもよく言われるが、
 実際は3.9%はあったらしい(まあ五十歩百歩だが)。(by wiki)

ところが黒田は、演説中に聴衆の一人が投げた石が頭に当たり、
それが原因で10代半ば以降の記憶をすべて失ってしまう。

病院で意識を取り戻した黒田は、自らが
”史上最低の不人気総理” という地位にあることに衝撃を受ける。

しかし政治は、国会は待ってはくれない。
黒田の3人の秘書官たちは記憶をなくしたことを外部に隠したまま
政局を乗り切ろうと画策するのだが・・・


黒田総理は中井貴一。
意外にも(失礼!)素晴らしくコメディが上手いのに驚き。
小心者で善良な小市民と化してしまう記憶喪失後の黒田を好演してる。
ミキプルーンのCMで片鱗を見せていたコメディパワーを全開だ。

総理秘書官を演じる小池栄子がまたいい。
今回、コメディも達者にこなしてるんだけど、それ以上に
ストーリー展開のキーパースンとして重要な役どころになってる。

最初は記憶をなくした黒田を必死にフォローするので精一杯なんだが
彼の中に潜んでいた ”善良なもの” に気づいてからは
積極的に支えるようになっていく。

記憶を失ったことで、すべてのしがらみから解放された今だからこそ
できることがあるのではないか・・・

彼女のこの言葉を聞いてから、黒田は変わり始める。
政治家としても家庭人としても、すべてをリセットして
自分の ”理想” とする政治を、そして人生を目指して踏み出していく。

三谷幸喜の脚本がまたよくできていて
この新生・黒田が、”謎の突破力” を発揮して(笑)、
周囲を変えていくくだりを面白おかしく見せていく。

そんな黒田の前に立ちはだかる最大の敵は、
日本の政治を実質的に牛耳っている鶴丸官房長官。
演じるは草刈正雄。「真田丸」「なつぞら」と人気作が続くが
今回も曲者ながら、なかなかお茶目な面を見せる。

それ以外にも、豪華な配役が目白押し。
秘書官のディーン・フジオカ、総理夫人の石田ゆり子、
官邸料理人の斉藤由貴、SP役の藤本隆宏。
このあたりはもう堅実というか、
しっかり脇を固めていて物語を盛り上げていく。
悪徳フリーライター役の佐藤浩市の
女装が拝めるのも三谷映画だからだろう。

アメリカ初の日系女性大統領という設定の
木村佳乃の怪演ぶり(笑)もいい。
けっこう英語が達者なので驚いたが、
wikiでみたら大学は英文科だったんだね。

野党の女性党首役の吉田羊もなかなかぶっとんだ演技を見せる。
これは笑わせてもらった。詳細は映画館で見てほしい。

警官役の田中圭は出番は少ないが印象に残る。
なかなか可愛いキャラで、「おっさんずラブ」で人気爆発したのも
このおかげかも知れないね。

投石して黒田を記憶喪失に追いやった大工を演じたのは寺島進。
もう画面に映った瞬間から観客は笑ってしまう。

あと、黒田の小学校時代の恩師役で山口崇が出てた。
最初分からなかっただけど、最後の配役紹介で分かった。
いやあ、往年の二枚目俳優だったよねえ。
「天下御免」の平賀源内とか「大岡越前」の徳川吉宗とか言っても
知ってる人はもう少ないだろうなあ・・・
御年82歳。さすがに老けたけど、いい感じに年を重ねてると思う。

深夜ニュースの女性キャスターがまたスゴイ。厚化粧バッチリで
アンミカとLiLiCoを足して2で割ったみたいなキャラ(笑)なんだけど
演じてる人を知って「どひゃあ!」。
これも映画館で見てほしいなぁ。そしてこの人には是非、
このメイクでニュース番組をやってほしいものだ。

コメディ映画なんだけど、笑わせるだけではない。
ところどころほろりとさせるし、
黒田が国会で ”演説” するクライマックス・シーンでは
涙腺が崩壊してしまったよ。いやあ、三谷幸喜は上手いなあ。

2時間7分の映画だが、値段分は十分に楽しませてもらったと思う。

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篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN The Last Show [日々の生活と雑感]


私が初めて一眼レフを買ったのは20代の終わり頃だったか。
入門者向けの初級機で、もちろんアナログのフィルムカメラだった。
サラリーマンなので平日の昼は撮りに行けず、
土日はまた別の用事(趣味?)で忙しくて、結局のところ
自動車通勤の帰り道で、途中の夜景なんかを撮るのがせいぜい。
今から考えれば立派な不審者だったなあ(笑)。
いつおまわりさんから職務質問に遭ってもおかしくなかったよ。

その後、30代に入ったくらいから仕事が猛烈に忙しくなって
カメラは押し入れにしまったまま、時代はいつの間にかデジタルへ。
使うカメラもコンパクトデジカメからケータイカメラになっていき、
アナログで重くて大きい一眼レフはすっかり出番を失ってしまった。

再び一眼レフを買ったのは50歳を過ぎてから。
入門者向けの初級機(進歩してない・・・)で、もちろんデジタル。
とは言っても、なかなか「写真が趣味です」と言えるほど
数多く撮っているわけでもなかった。
定年を迎えて、もうちょっとカメラに時間を割きたいなあ・・・と
思い始めたところに、この写真展の広告が新聞に載ってた。

というわけで、行って参りました。

場所はJR水道橋駅を降りてすぐ北側、目の前にある
東京ドームシティ内の Gallery AaMo にて。

ちなみに、西側に見える高層ビルは東京ドームホテル。
20年くらい前に、ここのランチブッフェにいったことがあったなあ。
その北側には東京ドームが見える。
かみさんの母親が大の巨人ファンで、何回か観戦に来てたらしいが、
私は中に入ったことはない。

閑話休題。

kishin20190712-001.jpg
会場に入ると、レノンとヨーコがキスしてる写真が、どーんとお出迎え。
今回の写真展の ”表紙” 的作品なのでしょう。

ギャラリー内は「GOD」「STAR」「SPECTACLE」「BODY」
そして「ACCIDENTS」と5つのエリアに分かれている。


「GOD」鬼籍に入られた人々

中に入るとき、A3を二つ折りにしたサイズのパンフレットが配られる。
どの写真に誰が写ってるのかの一覧になってるのだけど
さすがに還暦を超えて生きてくると、この「GOD」エリアにある
たいていの写真なら誰が映っているのか分かる(笑)。

美空ひばり、勝新太郎、渥美清、高倉健などの大スターに混じって
きんさんぎんさん、田中角栄とか意外な顔も。

なかでも、モノクロの三島由紀夫は異様な迫力だ。
篠山紀信28歳の作品のはずで、思い入れがあるのか
他の人物が1人1枚なのに、三島だけ2枚(特大のが)展示してある。


「STAR」すべての人々に知られる有名人

ここで一番大きい写真は山口百恵。なつかしいなあこれ。
雑誌かなにかで見た記憶があるよ。アンニュイな雰囲気がいいねえ。

古今の歌手、アイドル、俳優、女優、お笑い芸人からスポーツ選手まで
バラエティに富んだ展示になってる。
私の年代からするとY.M.O.とか王貞治、
グラビア時代の宮崎美子あたりが懐かしいかな。

白無垢姿の女優さんは映画の1シーンなのかなぁ・・・
え? このひと大竹しのぶ? 全然分からなかったよ。

満島ひかりの幼い頃の美少女ぶりも半端ない。

澤穂希がまた、すごい美人に写ってる(失礼!)。
メイクと演出でここまで変わるのか、
元々もっていた美をカメラが引き出しているのか。
どちらにしても女はスゴイ。

そんな中に、ちゃっかり南沙織が混じってるのがなんとも(笑)。


「SPECTACLE」私たちを異次元に連れ出す夢の世界

いきなり豊島園プールの真夏の一枚がどーんと。
ものすごい人、人、人の群れ・・・たしかにここも異次元だ。

草間彌生さんの眼力(めじから)に畏れ入った先には
歌舞伎俳優の方々の写真が延々と・・・
残念ながら私はこっち方面にはあまり詳しくないのだけど、
好きな人にはたまらないんだろうなあ。

そんな中に後藤久美子の大作が。ものすごい横長のパノラマ写真で
しかもその中にゴクミが4カ所くらいに写ってる。
たぶん複数のカメラを組み合わせて時間差で撮ってるんだろうけど
写真同士のつなぎ目が全く分からない。
この写真を撮った当時(1988年)はデジタル合成なんか
ほとんどなかったと思うのだけど、いったいどうやったんでしょうね?


「BODY」裸の肉体-美とエロスと闘い

いきなり、裸の女体にプロジェクションマッピングしたみたいな作品で
度肝を抜かれる。これも篠山紀信28歳(1968年)だというのに驚き。

その次の巨大作品には、体中に入れ墨をした男たちが
パノラマ画面にところ狭しとずらりと並んでる。
しばし息を呑んでしまう。

もちろん、女性のヌードも多く展示されてるし、
私たちの年代ならなじみがある(笑)作品も。

中でも宮沢りえの1枚には、当時の衝撃を思い起こした。
1991年だから、もう28年も前なんだねぇ。
写真集「Santa Fe」からの1枚だ。

 ちなみにこの写真集、累計165万部を売り上げていて
 芸能人の写真集では最高記録を保持している。

人気絶頂のアイドルが脱いだわけで、今なら差し詰め
広瀬すずが脱いだ、くらいのインパクトがあっただろう。

ただ、28年経って見てみると、その健康優良児的発育ぶり(笑)に
改めて驚かされる。これで17歳なんてアンビリーバブルである。

おそらく彼女の一生を通じて、
このときの体のラインが一番美しかったのだろうし、
それを記録に留めておこうと思ったのも分かる気がする。

 まあ見る方も、いい加減枯れてきたのも大きいかも知れないが(笑)。

ちなみに、広瀬すず嬢の写真もちゃんとある。
こっちは服を着ているが(笑)。

 もし今、広瀬すずが脱いだら日本中が大騒ぎだろうなあ。
 若いお兄さんたちはもちろん、朝ドラを見ていた主婦やら、
 爺ちゃん婆ちゃんあたりはひっくり返ってしまうかも知れないなあ・・・

 すずさんもなかなかのスタイルの持ち主らしいので
 宮沢りえにも十分対抗できるんじゃないかな。
 165万部なんて軽くぶっちぎって新記録達成も夢じゃない。
 もちろん私もネットでポチって・・・

 なぁんて妄想が沸いてくるあたり、
 なんだぁ、まだ全然枯れてねえじゃんか俺(爆)。

 いやあ、りえちゃんの写真1枚から、
 こんなにあーんなことやこーんなことを考えさせるなんて・・・
 これが「篠山紀信の写真力」なのか、
 多すぎる私の煩悩がなせる技なのか(おいおい)。

・・・話を戻そう。

さて、意外な人もこのコーナーには登場する。
例えば黒柳徹子さんのセミヌードとか。
1968年だから35歳の女盛り(笑)。そのせいか肌露出度は高め。

そして、大相撲。たしかにこれもBODYには違いない。
国技館で、横綱貴乃花と曙を中心に、力士、親方、行司などの裏方衆まで
全部含めて一枚に収めたもの。もちろん力士は全員、廻し姿で写ってる。
これはこれで一見に値する。


「ACCIDENTS」2011年3月11日ー東日本大震災で被災された人々の肖像

震災あとの、がれきと化した市街地に立つ人々のポートレート写真。

聞くところによると、被写体となった人たちに対しては
「カメラのレンズだけを見てください」とだけ指示したとのことで
それ以外の ”演出” はないらしいのだが
写っているほとんどの人が、見事なまでに「無表情」なのには驚く。

後ろに写っているのは、被写体となった方の自宅の残骸かも知れない。
ひょっとしたら、そこで亡くなられた家族もいたかも知れない。

おそらく震災直後には様々な感情があっただろう。
大自然の暴威に対しての驚き、そして
家族を失い財産を失ったことに対しての怒り、嘆き、哀しみ。
未来が見えないことに絶望も感じただろう。

震災から一定の時が経ったあとと思われる、
この写真に写った人たちの脳裏には、
このときどんな感情が渦巻いていたのだろう。

見ている側にいろんなことを考えさせる写真群だ。


この写真展に展示されてる作品はすべて人物を撮ったもの。
篠山紀信がポートレート写真で名をなした人なので当然なのだけど
風景写真や静物写真は一点もない。

風景や静物を対象とすることを否定するものではないけど
人間がいちばん惹きつけられ、注目するのは
やはり人間なのだなぁということを、改めて意識させられた。

これからはもう少し、カメラをいじる時間を増やそうと
思ってるのだが、風景ばかりじゃなくて
人物を撮ることも目標にしていきたいものだ。

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引っ越し大名 [映画]


生涯に7回もの国替えをさせられ、“引っ越し大名” とあだ名された
実在の大名・松平直矩(なおのり)をモチーフにした作品とのこと。

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時は江戸時代前期。姫路藩主の松平直矩は
幕府から豊後国日田藩への国替えを命じられる。
史実では、直矩が藩主になってからこれが3度目(!)になる。

要するに兵庫から大分まで、藩主から家来、一族郎党引き連れて
引っ越しをしなければならなくなったわけだ。

それには周到な計画立案&準備が必要で、
もちろん莫大な労力と金も用意しなければならない。

しかし、そのノウハウを知っていたはずの前任の引っ越し奉行は
度重なる国替えに伴う激務で、亡くなってしまっていた(過労死?)。

当たり前だが、後任の引き受け手は現れず、
直矩は書庫番の片桐春之介を引っ越し奉行として指名する。

しかし、国替えのことなどさっぱり分からない春之介は途方に暮れ、
前任の引っ越し奉行の娘・於蘭(おらん)に助けを求めるのだが・・・


予告編を見た人は、てっきり ”爆笑喜劇” なんじゃないかと思うだろう。
(そういう風に編集してあるんだもの。)

じゃあ本編はどうなのかというと、どうにも中途半端な感じが否めない。
コメディシーンはあるのだけど、たまにクスッとなるくらいで
”爆笑” とは言いがたい。だって、どこで笑っていいか悩むんだもの。


その理由はいろいろあるのだろうけど、
私はまずキャスティングにあると思った。

主役・春之介は本の虫で。日がな一日書庫にこもって
読書に明け暮れていて、およそ人付き合いというものが苦手。
知識だけはありそうなので、引っ越し奉行が務まるだろうと
思われたのが運の尽き・・・というキャラで、まあ星野源でOKだろう。

だけど春之介(星野源)が、未だに ”童貞” だって設定は如何なものか。
未だにやらされる(やらされてる)のをみても、観客は ”引く” だけだよ。

春之介の数少ない味方となるのが親友である源右衛門。
酒好き女好きで、肉体労働なら任しとけという典型的な脳筋キャラ。
しかし武芸は一級で、槍を持たせれば天下無敵の豪傑だ。

源右衛門は映画の冒頭から登場しているのだけど、私は最初のうち
上記のようなキャラであるとはほとんど思わなかった。
それが分かったのはかなりストーリーが進んでから。
どうしてそんなに時間がかかったかというと、高橋一生が演じてたから。

 だって体育会系の脳筋マッチョなんて、彼のキャラじゃないでしょ。

たぶん、春之介と真逆のキャラにして凸凹コンビにしようと
思ったんだろうけど、二人とも典型的な ”優男” キャラなので
”凹凹コンビ” にしかならない(笑)。

この二人の絡み合いが今ひとつしっくりこないのも仕方ないと思った。

映画は2時間しかないし、とくに喜劇映画ならば分かりやすさ優先で
出てきたときにすぐキャラが分かるようにしないとダメじゃないのかなぁ。
源右衛門なら、(例えばだけど)鈴木亮平とか小澤征悦とか、
一目で豪快さが伝わる人がいいんじゃないかと思うよ。

 念のタメに書いておくと、高橋一生が悪いのではありません。
 彼にこの役を振ったことがミスなんだと思ってるので。

この二人に遅れて加わるのが、財政面での助っ人になる
中西監物(けんもつ)。演じるは濱田岳。

彼はいい。
濱田岳って、真面目な顔で出てくるだけで
そこはかとなくおかしいという、素晴らしい ”才能” がある。
もちろん演技も達者なわけで、彼が加わって3人組になった途端、
星野源も高橋一生も生き生きとしてきたように感じたよ。
もっと早く、できれば冒頭から
3人そろって出しておけばよかったのに、って思った。


さて、松平直矩は国替えにあたり15万石から7万石へと厳封となった。
要するに家来へ払える給料が半分以下になってしまったので
そのぶん人減らし(リストラ)しなければならない。
クビになった人は置き去りになって、大分へは行けないのだ。

そのリストラもまた引っ越し奉行の役割で、このあたりは結構シリアス。
サラリーマンなら人ごとでないと思う人もいるだろう

結局、2000人いる藩士のうち600人がリストラされるのだが、
春之介はクビにした藩士たちにある約束をする。
このへんがラストの感動に関わってくるので、どんな内容かは書かない。

そのラスト、すべてがうまくいき、直矩は喜びと感謝に打ち震えるのだが
そもそも今回の国替えの原因を作ったのは直矩本人にあることが
映画の冒頭で描かれているので、「もっと責任を感じてほしいなあ」って
思ってしまう人も多いのではないか(私もそうだった)。


キャストのことをたくさん書いてしまったが、出演者は豪華で
芸達者な方も多い。於蘭役の高畑充希、国家老の松重豊とか。
松平直矩役の及川光博はとぼけた味があるし。

中でも、リストラされる藩士役のピエール瀧の存在感が半端ない。
彼が出てくるとそれだけで画面が締まって見える。
なかなかこんな俳優さんはいないと思う。

 たぶん、”あの騒ぎ” 以前に撮影されていたのだろうけど
 何とか復帰できないものかなあと思ってる。


キャスト以外にも、面白い要素、面白くできる要素は
映画の中にたくさん転がっているのだけど、それらをうまくつなげて
活かし切ることができていない印象が残る。

だから「もったいないなあ」というのが私のいちばんの感想でした。

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天気の子 [アニメーション]


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離島から家出してきた高校生・森嶋帆高(もりしま・ほだか)。
東京へやってきたものの、ろくな仕事に就けるはずも無く
上京時のフェリー船内で知り合ったライター・須賀圭介を頼り
彼の事務所に住み込みで働き始める。

一方、ネットでは「100%の晴れ女」なる都市伝説が話題になっていた。

そして帆高が東京で知り合った少女・天野陽菜(あまの・ひな)こそ、
「空に向かって祈ることで晴れを呼ぶ」(ただし短時間で狭い地域に限る)
ことができる「100%の晴れ女」その人だったことを知る。

弟の凪(なぎ)と二人暮らしで経済的に困っていた陽菜を助けるために
帆高は「晴れ女」を ”デリバリー” するネットサービスを始める。
折しも東京は異常気象で長期の雨が続いており、
彼らのサービスは大繁盛する。

しかし「晴れ女」(天気の巫女)としての能力には代償があった。
陽菜は自分の体が次第に透明になってきていることに気づく。
伝承によると、巫女がその命を犠牲にすることによって
異常気象が静まるのだという。

そんなとき、帆高は家出人捜索で警察から追われ、
陽菜と凪も児童相談所に送られることになってしまう。

3人は警察の目を逃れて逃亡を企てるのだが・・・


この映画は現在100億円を超える興行収入をたたき出していて
新海監督は2作続けての大ヒットを生み出したことになる。

私自身も楽しんで観させてもらった。
好みとしては「君の名は。」の方がちょっと上だが
「天気の子」も嫌いじゃない。たぶん円盤が出たら買うだろう。


映画の内容とその評価については、賛否が分かれているようだ。
私が思うに、評価が分かれるポイントは2つあるように思うので、
それについて書いてみたい


その1:「ジブリっぽさ」との決別

3年前の前作「君の名は。」が日本映画史上第2位という
お化けヒット作になった理由については、
それについて考察した記事や評論は無数にあるだろう。

私が思う理由の一つは、「君の名は。」が持つ「ジブリっぽさ」だ。
作画に元ジブリのスタッフが加わっていることもあるし
和風伝奇ファンタジーの要素を取り入れていることもそうだ。

宮崎作品に親しんできた、膨大なジブリアニメのファンにとって
「君の名は。」は敷居が低く感じられて、
彼ら彼女らをうまく取り込むことに成功したのが
大ヒットの理由の一つだったのではないかと思っている。

ところが本作では、その「ジブリっぽさ」を
あえて否定するかのような展開を見せる。

その最たるものが主人公、そしてヒロインの造形だろう。

まず帆高の家出の理由の説明がほとんどない。
それらしいものはあるけど納得できるレベルのものではないだろう。
それ以外にも彼の行動は、優等生とはほど遠く問題児そのもの。
いちばんショッキングなシーンは、たまたま拾ってしまった拳銃を
あろうことか人に向けて撃ってしまうところだろう(外れるけど)。
この一点だけでも、「帆高が受け入れられない」って
書いてある批評をネットで見かけた。そう感じた観客は多いと思う。
特に「夏休みの楽しいファミリー映画」を期待して
劇場に足を運んだ人ほど、そう感じるだろう。

陽菜は弟とアパートの一室で暮らす。親はいない。
映画冒頭で母親が病床にあったことが描写されているが
父親も含め、なぜ子どもだけで暮らしているかの説明は一切無い。
それでいて、知り合ったばかりの帆高を部屋に招いてくれるし
あり合わせの素材で上手に料理をつくってしまうほど家庭的。
帆高の素性も詮索せず、一緒にネットビジネスを始めてくれる。
10代の少年が妄想に描くような ”理想的美少女” といえるだろう。

さらには、警察から逃げ回る3人が逃げ込んだのがなんとラブホテル。
さすがに ”事に及ぶ”(笑) ことはないが(凪も一緒だし)。

この主役カップルに眉をひそめる観客もまた少なくないのではないか。
「トトロ」や「ラピュタ」や「千と千尋」などを至高の作品と
考えているような人にとっては、この二人の行動は
アニメ映画の主役として、あるまじきものに見えたかも知れない。

でも、10代の少年が(銃器を含めて)暴力的な行動をとるアニメや
男子の妄想がそのまま実在化したような美少女が
主人公に奉仕してくれるようなアニメなんて
それこそ、世にゴマンと存在しているのだ。
エロチックなくすぐりに至っては、
全く無い作品の方が少ないのではないか?

そういう意味では、本作は新海監督の趣味全開で、
日本のアニメの ”本道” (笑)に戻ってきたというか
もともと彼がつくりたかったものに近づいてきたのではないだろうか。


その2:ラストにおける帆高の選択について

天気の巫女の命と異常気象の終息はトレードオフであり、
太古の時代から、人々は巫女の犠牲によって天気を治めてきた。

しかし帆高はそれに敢然と異を唱える。
「天気なんて狂ったままでいい、俺は陽菜と生きたい」と。

昭和の頃だったら、天気の巫女が自らを犠牲にして天を治め
なすすべ無くそれを見送った主人公が悲しみに暮れる・・・
なぁんて展開が観客の涙を誘ったかも知れない。

平成の時代なら、巫女の命も異常気象の終息も
全部まとめて解決する方法を主人公が見つけ出し、見事に大団円!
って展開に観客は拍手喝采を贈るだろう。

令和の時代を迎えた本作において、帆高は第3の道を選ぶ。
彼のことを「身勝手だ」「自分さえ良ければいいのか」
って非難する人は流石に少なかろうが、皆無ではあるまい。

「最大多数の最大幸福」を目指すなら、陽菜は消滅しなければならない。
でも、異常気象は彼女が引き起こしたものではないし
彼女が責任を取らされるいわれも全くない。
もし責任の所在を求めるなら、環境破壊を繰り返し
今の世の中を造ってきた、(過去を含めた)大人たちこそ
異常気象の元凶であるはずだ。
だから、帆高の叫びは至極真っ当なもののはず。
彼の選択を否定することは誰にもできない。

しかしながら「真っ当なことを貫き通す」ことが
現実の世ではしばしば多大の困難を伴う。
みんな、長いものに巻かれた方が楽な世界を生きているのだもの。

でも、フィクションの中だけでも
「真っ当なことを貫く」物語があってもいいじゃないか。

世界を敵に回してでも、目の前の愛する人を守る。
その結果、世界が狂ってしまったままでも
自分たちはそこでしっかり生きていく。
こういうラブストーリーがあってもいいじゃないか。

前作「君の名は。」のキャラがカメオ出演していることとか
まだ語りたいこともあるのだけど
もういい加減長くなったのでここまでにしよう。


■小説版「天気の子」

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

  • 作者: 新海 誠
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/07/18
  • メディア: 文庫
新海監督自らのノベライズ。
基本的には映画の流れを踏襲しているのだけど、
登場人物の心情とか背景とかがより深く書き込まれているので
映画を見終わった人が読むと、もう一段楽しめると思う。

そして、前作「君の名は。」のノベライズと比べて、
文章力がアップしたように感じる。

「あとがき」を読むと、映像と文章での
表現の違いにも気を遣って書いてるのが分かるし
実際、ラスト近くで帆高が陽菜を救うべく
東京中を走り回るシーンの描写は秀逸だ。

とは言っても、いまは本が売れなくて小説家は儲からないし
どう考えても、このままアニメを造っていた方がお金が入る(笑)
と思うので、”小説家・新海誠”が生まれることはまずあるまいなぁ。

もうそろそろ、次回作の企画が動き始めてるんじゃないかな。

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蜜蜂と遠雷 [読書・青春小説]


蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

  • 作者: 恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 文庫
蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

  • 作者: 恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 文庫
評価:★★★★☆

なんと第156回直木賞と第14回本屋大賞を
ダブル受賞するという快挙を成し遂げた超話題作。

内容的にも、現時点での恩田陸の最高傑作だと言っても
異を唱える人は少ないんじゃなかろうか。

上の星の数を見ていただければ分かると思うけど
私も本作には最高級の評価をつけた。

これから内容紹介に入るけど、もしあなたが
本作をこれから「読んでみよう」と思っているのなら、
以下の私の駄文なんか読まずに
書店に直行するかネットでポチりましょう。


3年ごとに開かれる芳ヶ江国際ピアノコンクールは、
優勝者のその後の活躍が目覚ましいことから近年評価が高まっていた。

第6回を迎えた今年も、世界中からピアニストの精鋭たちが
優勝を目指して芳ヶ江の地へ集まってきた。

物語は、その中の4人の出場者に焦点を当てて描いていく。

風間塵(かざま・じん)は16歳。フランス在住。
父が養蜂業を営んでいるため、各地を転々として暮らしてきた。
演奏歴はおろか自宅にピアノさえなく、
行く先々で見つけたピアノで練習するという生活。
しかしピアニストの巨匠、ユウジ・フォン=ホフマンに見いだされ、
彼の最後の弟子として芳ヶ江に送り出されてきた。

栄伝亜夜(えいでん・あや)は20歳の音大生。
天才少女としてわずか5歳でデビューを飾るが、
13歳の時の母の死がきっかけでピアノを弾けなくなってしまった。
しかし彼女の才能を信じる音大学長の浜崎によって芳ヶ江に送り出される。

マサル・カルロス・レヴィ・アナトールは19歳の日系三世。
誰もが認める天才で、フランスから渡米しジュリアード音楽院に在学中。
今回のコンクールの優勝候補筆頭である。
幼少時には日本に住んでおり、亜夜とは幼馴染みで
彼女との出会いが彼をピアノの世界へと導いた。
そんな二人が十数年の時を超え、芳ヶ江で再会する。

高島明石(たかしま・あかし)は28歳で、楽器店勤務のサラリーマン。
音楽大学出身で、かつては国内のコンクールで上位入賞の実績もあるが
卒業後は音楽界には進まず、現在は結婚して娘がいる。
しかしピアニストへの夢が断ちがたく、練習を続けてきた。
自らの不完全燃焼だった音楽生活にけりをつけるため、
これが最後の機会と決めて、芳ヶ江へ参加する。


もう一度書くけど、本書を読みたい人はここで止めて
書店へ直行するかネットで(以下略)


物語は、この4人を中心に世界各国でのオーディションから始まり、
芳ヶ江ピアノコンクールの開幕、第一次、第二次、第三次予選、
そして本選へと進む彼らを描く青春群像小説になっている。

いやあ、ほんとにコンクールのことだけで進行していくのだけど
それがもう面白い、というか楽しいんだなあ。
とにかく、この4人のコンテスタント(参加者)のキャラが抜群にいい。

既成の枠に収まらない大胆な演奏で、審査員の中に賛否の嵐を引き起こし
文字通りコンクールの「台風の目」となっていく風間塵。
でも本人は、弾きたいように弾いてるだけで
周囲の評価など全く気にしていない。というか、
自分が評価されているということすら気づいてないような。
ピアノを離れれば、年齢相応で好奇心旺盛な、素朴な少年だ。

「ジュリアードの王子様」と呼ばれ、高身長でイケメンなマサル。
当然ながら女性に大人気である。ピアノ以外の楽器までもこなし、
まさに「天才」の名に恥じない才能を示す。
そんな奴は得てして、高慢で嫌な奴として描かれがちなんだが
マサルは才能を鼻にかけることのない人格者で、まさに完璧超人(笑)。
しかも、幼少時の亜夜との思い出を忘れずにいて、
彼女と再会した途端に一目惚れ(惚れ直し?)てしまうという
可愛くて一途な好青年でもある。

本作の中で、いちばん ”ドラマ” を背負っているのが亜夜だろう。
13歳のときの母の死は確かにショックではあったが
亜夜は音楽そのものから遠ざかることなく生きてきた。とは言っても
再びピアニストとして脚光を浴びようなんて思いはさらさらなく、
芳ヶ江への参加も、大学入学の便宜を図ってくれた
浜崎への恩返しもあったが、亜夜本人としては
”記念受験” みたいなつもりで臨んでいた。
しかし、コンクールに参加した亜夜は変わっていく。
風間塵、そしてマサルとの出会いが彼女を変えていく。
予選のステージが進むたびに、一回りも二回りも大きな演奏家へと。
本作は群像劇なのだけど、コンクールを通じた亜夜の成長こそが
いちばんの読みどころであるのは間違いないところだろう。

劇中、彼女が演奏しながら涙を流すシーンがあるのだが
私も読んでいて活字がにじんでしまったよ。
まさかピアノの演奏を描写する文章で泣くことになるとは・・・

そして最年長の明石。
実は、私がいちばん感情移入してしまったのが彼だった。
練習時間も満足にとれず、音楽家としてもコンテスタントとしても、
あまりにもハンデがありすぎる環境にありながら、愚痴もこぼさず
家族の理解を得ながら、あきらめきれない夢に挑んでいく。
彼の妻がまたよくできた女性で、健気に支えてくれる。
もう、泣かせるじゃないか・・・

塵、マサル、亜夜の3人は序盤で仲良くなって
ほとんど行動を共にするようになるのだけど
明石だけは3人との接点がない。
でも、終盤近くに明石と亜夜が一度だけ、会話を交わすシーンがある。
ここもまた感動ポイントなんだよなあ・・・


コンクールであるから、優劣がつけられてしまうのは当たり前なのだけど
彼らには「勝ち上がろう」とか「あいつより上に行きたい」
なんて意識は全くなく、ただただ
自分の理想とする演奏を追求する姿が描かれていく。

この手の作品だと、参加者同士の妬み嫉みや足の引っ張り合いなんかが
描かれそうなものだのだけど、本作に限っては
見事なまでにそんなシーンは存在しない。
(予選で落とされた参加者が審査にクレームを入れるシーンはあるけど)

ここで描かれるのはひたすら
”演奏することの喜び” であり、”音楽への感謝” だ。
だから、読んでいてもひたすら心地よい。

そして素晴らしいと思ったのは、
コンクールの終わりが物語の終わりではなく
彼らの輝かしい未来へ向かっての始まりを予感させることだ。

優勝や上位入賞者にはもちろん、予選で落ちてしまった者でさえ、
音楽の世界にはきちんと居場所が用意されている。

読者は、満ち足りた気持ちで本を閉じることができるだろう。
こんなに心地よい読後感が味わえる作品は数少ないと思う。

メインの4人以外のサブキャラについても書きたかったんだが
もういい加減長くなったのでここでお仕舞いにしよう。


最後に余計なことを。

本作は映画化され、2019年10月4日に封切られる。
「こんな作品、映画化できるのかよ」って思ったが
映画には映画なりの切り口があるのだろう。

キャストは、栄伝亜夜に松岡茉優。
私は彼女のファンなので、単純に喜んでる(おいおい)。
高島明石には松坂桃李。これもけっこうイメージ通りかな。

ちなみに、本作を読み始めて早々に、
公式サイトで予告編を見たら、それ以降
亜夜の台詞が松岡茉優の声で、明石の台詞が松坂桃李の声で
脳内再生されるようになってしまって困った(笑)。

ただ予告編を見る限り、「原作にはこんなの無かったよなぁ」
って思われるシーンが散見される。

果たして映画化は吉か凶か。

映画は観に行くつもりなので、感想も後日upしようと思います。

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