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カエルの小指 a murder of crows [読書・ミステリ]


カエルの小指 a murder of crows (講談社文庫)

カエルの小指 a murder of crows (講談社文庫)

  • 作者: 道尾 秀介
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2022/02/15
  • メディア: 文庫

評価:★★★★

 長編『カラスの親指』の続編。ストーリー的にはつながりはないのだけど、前作のキャラが大挙して登場するので前作を読んでおいたほうが楽しめるのは間違いない。まあ、本書を手に取る人は、ほとんどが前作を読んだ人だろうけど。

 前作からおよそ10年。詐欺師だった武沢は足を洗い、実演販売士になっていら。
 実演販売とは、街頭や店頭などの往来の前で実際に商品を扱ってみせ、集まった客に商品を買ってもらうという販売形態のこと。それを演じているのが実演販売士だ。通販番組なんかでもよく見かける、あれだ。

 そんなとき、武沢の前に現れた女子中学生・キョウは、実演販売を教えてほしいと言い出す。
 TV番組『発掘!天才キッズ』に出たいのだという。出演すれば1万円、優勝すれば20万円の賞金がもらえる。要するに金がほしいのだ。

 シングルマザーだったキョウの母親が悪質な詐欺被害に遭い、ホームセンターの3階から身を投げてしまったのだという。
 母親をだました詐欺師はナガミネと名乗っていた。彼を見つけるために探偵を雇いたい。その資金を得るためのTV出演なのだと。

 そして彼女の話を聞くうちに、武沢はキョウの母親と15年前に出会っており、”ある因縁” があったことを知る。

 前半は、実演販売の特訓を通してTV出演を目指すキョウの姿が描かれる。
そして後半では、キョウの母を陥れた詐欺グループに対して報復の ”ペテン” を仕掛けるべく、一度限りの ”現役復帰” をする武沢と、彼に協力するかつての詐欺仲間たちの活躍が描かれる。

 とはいっても、詐欺がテーマであるから、欺し/欺されが本書の根幹。そのための伏線も冒頭から随所に仕込まれていて、物語は二転三転、いやいや四転五転もしていく。
 その ”ひっくり返り” ぶりもまたとっても鮮やか。だんだん ”欺される快感” すら感じるようになってきたよ(おいおい)。流石の道尾秀介だ。

 前作のキャラたちも10年経って変化している。彼ら彼女らの再登場も嬉しいのだけど、なんといっても本作のヒロイン・キョウちゃんのキャラ立ちぶりが群を抜いている。
 中学生とは思えないほど、海千山千のはずの元詐欺師のオッサン・武沢を翻弄してみせる。終わってみれば本書は、徹頭徹尾、彼女の物語だったのが分かるのだが、読後感は爽やか。

 楽しい読書の時間を過ごすことができました。



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コワルスキーの大冒険 クラッシャージョウ別巻3 [読書・SF]


コワルスキーの大冒険 (ハヤカワ文庫 JA タ 1-30 クラッシャージョウ 別巻3)

コワルスキーの大冒険 (ハヤカワ文庫 JA タ 1-30 クラッシャージョウ 別巻3)

  • 作者: 高千穂 遙
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2022/02/02
  • メディア: 文庫
評価:★★★★

 1977年から始まった、日本初の本格スペース・オペラ「クラッシャージョウ」シリーズ。その番外編だ。

 主役となるのは連合宇宙軍大佐・コワルスキー。
 正編第3巻『銀河系最後の秘宝』のラストで、乗艦である重巡洋艦「コルドバ」ともども、ブラックホールに飲み込まれて消滅するという最期を遂げていたはずなのだが・・・

 『銀河-』の刊行が1978年、本書が2022年。なんと44年ぶりにコワルスキーが ”帰ってくる” ことになった。


 ブラックホールに飲み込まれる寸前、一か八かのワープを行ったコルドバは、いずことも知れぬ宇宙空間に出現する。

 艦は大きく損傷し、動力もほとんど失うが、辛うじて最近傍の恒星系へ漂着することに成功する。そこに地球型の惑星を発見したコワルスキーは、艦を捨てて乗員183名全員で惑星へ降下することに。

 そこには先住民がいた。”クルセイダーズ” と名乗る新興宗教の信者たちだ。文明否定を教義とする彼らは、銀河連合から惑星ヌルガン(コワルスキーたちが漂着したこの星)を与えられ、そこに強制移住させられていたのだ。

 全員無事に降下を果たしたコワルスキーたちだったが、その直後にクルセイダーズに捕らえられ、幽閉されてしまう。

 しかしそこに、クルセイダーズたちの集落を襲う集団が現れる。

 それは、大宇宙海賊団ゴーマン・パイレーツのナンバー・ツーであるジェントル・リリーとその戦闘部隊だった。
 ”ある事情” で惑星ヌルガンへの不時着を強いられた彼女は、サバイバルのために住民からの略奪を開始したのだ。

 宇宙海賊こそ連合宇宙軍にとっての不倶戴天の敵。しかも目の前で民間人が襲われている。コワルスキーはクルセイダーズと協力し、部下たちとともに敢然とジェントル・リリーに立ち向かうのだが・・・


 往年のファンとしては、コワルスキーの生存が何よりうれしい。映画版(1983年)では登場したけど、あれはパラレルワールドの話だからね。

 徒手空拳の身でありながら、宇宙海賊に戦いを挑むコワルスキー。行動や指示も的確、勇敢かつ迷いをみせない。指揮官としてはとても有能だ。そして部下たちもまた、よくそれに応える。まさに勇将の下に弱卒無し。
 命をかけて民間人を守る彼らのその姿はまさに軍人の鑑、公務員の鑑(笑)。

 映画版ではコワルスキーのCVを、今は亡き納谷悟朗さんが演じていたのを思い出す。脳内でコワルスキーの台詞を納谷さんの声に変換して読むのは、至福のひとときだったよ。

 戦いも終盤にはかなりスケールアップしていき、まさに「コワルスキーの大冒険」となっていく。

 そしてラストには、シリーズのファンにとってもサプライズが。とはいってもこれは読んでいけば大体見当はついてしまうんだけど。
 というか、”これ” が書きたかったのでコワルスキーを登場させたのかも、って勘ぐりたくなる(まさかね)。

 ちなみに Wikipedia の「クラッシャージョウ」の項目には、本作ラストのネタバレがしっかり載ってるので、事前に読まないようにしましょう(笑)。



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帝都探偵大戦 [読書・ミステリ]


帝都探偵大戦 (創元推理文庫 M あ 9-8)

帝都探偵大戦 (創元推理文庫 M あ 9-8)

  • 作者: 芦辺 拓
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2022/01/27
  • メディア: 文庫
評価:★★★☆

 小学校の頃に読んだ「ルパン対ホームズ」。それぞれ作者が異なるので、本来共演は出来ないはずのキャラクターたちが一つの作品に出演する。
 いわゆる ”夢の顔合わせ” というものだが、その超拡大版が本書だ。なんと総勢50人に及ぶ ”名探偵たち” が登場する。まさにオールスター・ゲームだ。


「帝都探偵大戦 黎明編」
 舞台は江戸時代。ここで登場するのは捕物帖の主人公たち。
 銭形平次(野村胡堂)、若さま(城昌幸)あたりは、創元推理文庫の時代劇ミステリ集で読んでるのでなじみはあるものの、それ以外はほとんど知らない。
 でも、かつてのTVドラマとかで名前だけなら知ってるキャラもいる。銭形平次は言うまでもないが、三河町の半七とかむっつり右門あたりもドラマになってる。現代でこそ希少だが、昔は時代劇はTVでよく放映されていたから。

「帝都探偵大戦 戦前編」
 意外と、江戸時代よりこちらの方がなじみのないキャラが多い。TVドラマにもならなかったし(なってたかも知れないけど、少なくとも私は知らない)。
 小栗虫太郎、海野十三、甲賀三郎、浜尾四郎、大阪圭吉、久生十蘭、木々高太郎。このあたり、作者名は知ってるんだが、彼らが創造した探偵さんまでは知らないんだよねぇ・・・

「帝都探偵大戦 戦後編」
 ここまで来ると、やっと私の ”ホームグラウンド”(笑) の時代のはずなんだが・・・。神津恭介(高木彬光)、明智小五郎(江戸川乱歩)とかのビッグネームは多くの人が知ってるだろうけど、それ以外のちょっとマイナーな探偵さんが、それも私が知らないキャラがわんさか出てくるんだよねぇ・・・。作者の博識には恐れ入るばかり。

 ちょっと脇道にそれるが、辛うじて加賀美啓介(角田喜久雄)は知ってたよ。何故かというと、親父の蔵書の中に『高木家の惨劇』があったから。読んだのは中学3年か高校1年の頃だったかな。
 ちなみに、その横には『悪魔の手毬唄』(横溝正史)があって、実は私の ”初横溝” ”初金田一” はこれ(あ、マンガ版『八つ墓村』[作画:影丸譲也]のほうが先だったかな?)。
 さらにその横には『化人幻戯』(江戸川乱歩)もあった。これは思春期の男子にはちょっと刺激が強かったなぁ(笑)。
 親父が読む本はほとんど時代小説ばっかりだった記憶があるんだが、こうしてみるとけっこうミステリも好きだったのかも知れない。

閑話休題。

 さて、3編合計で50人もの名探偵が出てくるんだが(巻末に「名探偵名鑑」としてまとめてある)、主役ばかりの物語には欠点もある。だってそれぞれのキャラに見せ場を作らないと、それぞれのファンが怒るだろうし。そのへんはかなり苦労したのだろうと思われる。例えば「黎明編」では、事件解決の場に名探偵たちが総集合して、リレー形式で謎解きをしていく。豪華ではあるがバランスという面ではいささか苦しい。

 まあ、プロ野球のオールスター・ゲームが、純粋に野球の試合として見たらどうなのか、評価はまた別の話であるように、本書のミステリとしての評価はまた別だろう。名探偵たちの共演を楽しむ ”お祭り” だと割り切れば、値段分の価値は十分にあると思う。


 巻末には「黒い密室 ー続・薔薇荘殺人事件ー」が収録されてる。
 これは鮎川哲也のパスティーシュ作品なんだけど、ちょっと内容紹介が難しいかな。鮎川哲也ファンなら大喜びの一編だとだけ書いておきます。



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デイ・トリッパー [読書・SF]


デイ・トリッパー (徳間文庫)

デイ・トリッパー (徳間文庫)

  • 作者: 梶尾真治
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2021/10/08
  • メディア: 文庫
評価:★★★★

 主人公の香菜子は、結婚生活わずか3年半で不幸のどん底に落とされる。最愛の夫・大介が突発性の病で急逝してしまったのだ。

 しかし、失意の日々を送る香菜子の前に現れた女性・笠陣芙美(りゅうじん・ふみ)はこう語り出す。

 「もう一度、ご主人に会う方法があるのですが」 

 芙美の伯父・機敷野風天(きしきの・ふうてん)は市井の科学者で、自らの発明で得た特許料をつぎ込んで様々な研究に没頭していたという。
 しかしその風天も半年前に亡くなり、芙美がすべての遺産を相続した。その中に、伯父の最後の発明品「デイ・トリッパー」があった。

 それはタイムマシンの一種だが、物体や人間を過去に送り込むのでは亡く、人の ”心(意識)” のみを、過去の自分の中に送り込む機械だった。
 これを使えば、大介が生きていた時期の ”過去の香菜子” の心の中に、”現在の香菜子” の心を送り込むことができる。

 香菜子はデイ・トリッパーで過去の大介に会いにいくことを決めるが、芙美はいくつか ”条件” をつけた。それは生前の機敷野が決めたもので、過去に戻った香菜子によって過去が改変されないように、つまり ”タイム・パラドックス” の発生を防ぐためのものだった。

 その中で最も重要な条件は「大介に死期を知らせないこと」だった。それを承服した香菜子はデイ・トリッパーに乗り、過去へと旅立つ。

 香菜子が着いたのは、大介の死から1年半前の過去だった。元気で健康な大介の姿を見て感激し、再び彼に愛される幸福な日々を迎えることになる。

 残りの日々を逆算しながら、彼と悔いのない時間を過ごそうと懸命になる香菜子。当然ながら、”大介の死” というタイムリミットがあり、しかもデイ・トリッパーの機能は限定的なもので、”その時” よりも前に香菜子の意識は ”現代” に戻ってきてしまう。

 最愛の人と暮らす楽しいはずの日々なのだけど、一方では刻々と別れの時が迫るという苦悩に苛まれる香菜子だが・・・


 くれぐれもタイム・パラドックスを起こすなかれ、って言われて過去へやってきた香菜子さんだが、大介との幸福な日々を送るうちに、自らの衝動に耐えられなくなる。

「大介といられれば幸せ」
「大介を救いたい」
「大介が生きられるなら、世界が、歴史がどうなってもかまわない」

 香菜子さんは、どうやったら未来が変えられるのかいろいろ画策し始める。


 タイムトラベルものにはタイム・パラドックスはつきもの。今までにも多くの時間SFが書かれ、その内容もいろいろ。

 スケールの大きなものとしては、大学時代に読んだ豊田有恒の『モンゴルの残光』かな。この作品では1000年単位での地球規模の歴史改変が描かれた。しかしよく覚えていたもんだねぇ。読んだのは40年以上前だよこれ。

 本書の作者・梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』では、過去から帰ってくるときには出発した現在に戻ることはできず、遙かな未来に飛ばされてしまうという ”副作用” をもつタイムマシンが登場した。しかし、それによってさまざまな感動の物語が紡がれた。

 タイムトラベルSFがすべてそうではないけれど、多くの時間SFはタイム・パラドックスを物語の重要な要素に据えている。

 この先は、ちょっとネタバレっぽいことを書くので要注意。


 本書でもタイム・パラドックスは発生する。そしてその原因となるのは香菜子さん。
 そして、たいていの時間SFではタイム・パラドックスの回避、あるいは修復が物語の中で大きな部分を占めていくことも多い。

 そもそもタイム・パラドックスというもの自体が架空の概念で、矛盾無く回避したり解決することは本来不可能なのだろう。だけど、そこのところをうまく描くのがSF作家の腕。物語世界内のロジックで、何とか解決していく。それがまた読みどころになるのだが・・・

 しかし、本書の場合はそのあたりはかなり甘いというかユルいというか(おいおい)。いわゆる ”投げっぱなし” な感じといったらいいか、読んでいて「これでいいのか?」って思うような展開になる。

 ハインラインの『輪廻の蛇』みたいなガチな時間SFが好きな人だったら、本書を読んで「何だよこれ」って放り出すかも知れない。私も、20代だったらそうしたかも。

 でもまあ、還暦を超えて人生の残り時間を計算するようになってきた身からすると、「これはこれでアリかもな」って思えるんだなぁ。
 だって、作中の香菜子さんはいじらしいまでに健気に描かれているんだもの。私だって香菜子さんには幸せになってほしいと願ってしまう。

 作者は、時間SFとしての完成度より、登場人物たちの幸福をとったのだと思う。香菜子さん以外のキャラにつても、扱いは同様だ。

 このあたり、作者の『黄泉がえり again』に近いものを感じる。
「これでいいのか?」という私の問に対しては、バカボンのパパじゃないけど、
「これでいいのだ!」って作者は答えるんじゃないかなぁ。


 まあ、作者も私もトシを取ったということなんですかねぇ・・・



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早朝始発の殺風景 [読書・ミステリ]


早朝始発の殺風景 (集英社文庫)

早朝始発の殺風景 (集英社文庫)

  • 作者: 青崎有吾
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2022/03/03
評価:★★★★

 5つの短編を収録している。いわゆる ”日常の謎” 系ミステリなのだけど、本書の特徴としては、5つとも主要登場人物は高校生であること、冒頭から結末までがほぼ一つの場面だけで完結する(一幕物の舞台のように)ことが挙げられる。

 短編ごとに登場人物は異なり、ストーリーも独立しているが、各編は緩いつながりを持っている。
 同じ街を舞台にしていることと、季節が進行していくことだ。冒頭の「早朝始発の殺風景」が5月で、最後は「三月四日、午後二時半の密室」はその翌年の3月の話、つまりおよそ10ヶ月の間に起こった話ということになる。


「早朝始発の殺風景」
 始発電車に乗った高校生の加藤木は、そこにクラスメイトの女子を見つける。普段あまり話したことがなく、馴染みがない相手だ。ちなみに表題の ”殺風景” とは、彼女の名字(!)である。文庫の表紙がこのシーン。
 2人しかいない車内の中で、ぎこちなく会話を始める2人。話を続けていく中で、お互いに ”始発電車に乗っている理由” を探り始める・・・

「メロンソーダ・ファクトリー」
 仲良しの女子高生3人がファミレスで駄弁っている。文化祭のクラスTシャツのデザインを決めているのだが、語り手の女の子が作ったデザインに対して、なぜかもう一人の女の子が反対する。さらにもう一人の女の子が ”保留” を宣言したことで、議論が始まるのだが・・・

「夢の国には観覧車がない」
 3年生の引退を記念して、遊園地にやってきたフォークソング部の部員たち。語り手である3年生男子は、密かに想っている後輩女子と一緒に園内を廻ろうと狙っていたが、なぜか伊鳥という後輩男子と2人で観覧車に乗る羽目に。ゴンドラが一周する間に、伊鳥が語り出したこととは・・・
 内容には全く関係ないけど、タイトルについて作中で開陳される内容(TDLに観覧車がない理由)は、とっても納得できるもの。

「捨て猫と兄妹喧嘩」
 両親の離婚で、別居することになった兄妹。半年ぶりに妹から呼び出され、出向いた兄が見せられたのは、段ボール箱に入れて捨てられていた仔猫だった。
 何とか飼いたいという妹に対し、捨ててこいという兄。お互いの主張は平行線を続けていくのだが・・・

「三月四日、午後二時半の密室」
 高校の卒業式を終え、クラス委員の ”わたし” は、風邪で休んだクラスメイトの家に、卒業証書とアルバムを届けに来た。部屋に通された ”わたし” は、本当に彼女は風邪で休んだのろうかという疑問を抱くのだが・・・

「エピローグ」
 時期は春休みの終わり頃で、時系列的には最後。内容としては「早朝始発の殺風景」の後日談なのだけど、それ以外の作品のキャラたちも顔出しをしていて、さながらカーテンコール状態。各話の ”その後” がうかがい知れるようにもなっている。
 「早朝-」の中で回収されていなかった ”ある事態” にも決着がつき、加藤木と殺風景の関係も、新たな段階へと進む予感を示して終わる。


 各作品とも、文庫で約40ページとコンパクトながら、ほぼ会話のみで進行し、その中に今風の高校生らしい描写を織り込む。その底には彼ら彼女らが日常で感じる喜怒哀楽が潜んでいる。
 そしてラストでは意外な事実を明らかにして読者を驚かせる。どれも ”小説巧者” だなぁとる唸らされるものばかり。
 ミステリとしては表題作の「早朝-」がいちばんかと思うが、最後の「三月四日-」の読後感の素晴らしさは特筆に値するし、青春ミステリとしても強く印象に残る。作中の2人にとって、”卒業式のあった三月四日” は、忘れられない記憶となっただろうと思う。



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PIT 特殊心理捜査班・水無月玲 [読書・ミステリ]


PIT 特殊心理捜査班・水無月玲 (光文社文庫)

PIT 特殊心理捜査班・水無月玲 (光文社文庫)

  • 作者: 五十嵐 貴久
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2021/10/13
  • メディア: 文庫
評価:★★☆

 PIT とは Psychology Investigation Team の略。警視庁捜査一課直属の捜査支援部署で、心理学の手法を用いて犯人像を分析するのが主な仕事。要するにプロファイリング(犯罪捜査において犯罪の性質や特徴から行動科学的に分析し、犯人の特徴を推論すること。by wikipedia)を行っているわけだ。

 この部署の班長が水無月玲(みなづき・れい)という女性。そしてこの部署に異動してきた新メンバー・蒼井俊(あおい・しゅん)が主人公である。

 とはいっても俊はコンピュータ、それもAIが専門。階級は巡査部長だが、肩書きは「コンピューター犯罪特殊捜査官」、それも技術職(エンジニア)だった。だから現場にもほとんど出ずに、専ら機械を相手にしている。もっとも、彼が現場に出たがらないのにはもう一つ理由があるのだが・・・
 そんな彼は、プロファイリングに対して「ちょっと性能のいい占いに過ぎない」なんて言い放つくらい信用していない。

 しかし彼の異動は水無月班長の肝いりで、その目的は近頃東京で起こっている連続猟奇殺人の解決のためだった。
 若い女性ばかり狙い、遺体はバラバラに切断する。犯人は自らを ”V” と名乗って犯行声明を行っていた。既に3人が犠牲になり、”V” の検挙は警察にとって最優先事項になっていた。

 従来のプロファイリングに加えて最新のAI技術を用いて ”V” を見つけ出す。それが水無月班長の目的だった。

 ・・・というわけで俊を迎えて総勢6人となったPITの捜査が始まるのだが、これがまたまとまりがない集団で、先が思いやられる。

 メンバーの一人、春野杏菜巡査はプロファイリングの大家である水無月班長を崇拝している。

 同じくメンバーの川名巡査部長は昔気質の人間で、いわゆる「刑事の勘」こそ肝心と考えている。彼にとってはPITへの異動は ”左遷” であり、一刻も早く通常の部署に戻りたいと思っている。
 だから、現場に出ない俊など刑事の風上にも置けないわけで、この2人はことあるごとに角突き合わすことになる。

 そしてタイトルになっている水無月玲。年齢は45歳なのだけど、なんと言っても印象的なのは、下半身が不自由なため車椅子に乗っていること。
 沈着冷静で、ハンデはあっても必要ならば現場へも出向いていく。
 彼女が障害を負った原因や、プロファイリング研究に入ったきっかけなどは、物語の中で少しずつ明かされていく。

 俊が担当するのは、主に防犯カメラの映像解析。
 都内にある膨大な数の防犯カメラが撮影した、これまた天文学的な量の映像の中から、被害者が映ったものを選び出し、その周囲に映っている人物を特定していく。
 ”V” は犯行の前に ”獲物” を物色するために、被害者の周りに姿を見せているはず。だから、そこには必ず ”V” が映り込んでいるに違いない。
 およそ人間には不可能な処理も、最新AIの顔認証技術を用いれば可能なのではないか。

 それに加えて、2つの未解決事件も織り込まれていく。過去に起こった弁護士一家殺人事件、夫婦が殺害されて遺体が細かく切り刻まれた事件。一見すると関係なさそうな事件が、後半になると本筋に絡んでくる。

 俊による懸命の解析や、他のメンバーの捜査にも関わらず、なかなか ”V” に迫ることができないPIT。
 一刻も早い解決を迫られた警察は、ついに春野杏奈による ”囮捜査” を立案するのだが・・・


 AIは日進月歩で、そのために何年後かには無くなってしまう仕事があるとかいろいろ話題だけど、警察でもAIが捜査に利用されるようになっていくんだろうとは思う。
 今回は、ほとんど防犯カメラの画像解析でしか出番がなかったけど、おいおいいろんな使われ方が生まれていくんだろう。
 とは言っても「科学捜査+AI」で事件が全部解決するようになったら探偵は廃業だね。まあ、私が生きている間はそうならないだろうけど(笑)。

 本作でいちばん印象に残るのは、なんと言っても水無月玲のキャラクターだろう。全体を通してみれば出番は多い方ではないのだけど、読み終わってみると彼女の存在感は忘れがたい。
 ちなみに私の脳内では、彼女の台詞は声優の榊原良子さんの声に変換されてました。



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支那扇の女 [読書・ミステリ]


支那扇の女 (角川文庫)

支那扇の女 (角川文庫)

  • 作者: 横溝 正史
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/01/21
  • メディア: 文庫
評価:★★★

 横溝正史・復刊シリーズの一冊。
 表題作の長編と短編一作を収録している。


「支那扇の女」

 昭和32年8月、東京は成城の街の早朝。

 近頃、盗難事件が頻発しているため住宅地を警邏中の木村巡査が見つけたのは、路地から飛び出してきた若い女。そのまま線路に飛び込んで鉄道自殺を遂げようとするのを、木村巡査は周囲の人の手を借りて何とか止めることに成功する。

 女は作家・朝井照三の妻、美奈子だった。彼女を朝井の家に連れ帰った木村巡査は、凄惨な光景に出くわしてくまう。
 一階の廊下には血溜まりの中に倒れた女の死体が、そして奥の離れの間には、額を柘榴のように割られた老婆が死んでいたのだ。
 廊下の女は朝井家で働く女中、老婆は朝井の先妻の母親で、どちらも朝井夫婦と同居していた。

 現場に駆けつけた金田一耕助と等々力警部は、凶器のまき割り(斧)が二階の廊下に放置されているのを発見する。二階には朝井の書斎と夫婦の寝室があった。

 そして2人は、寝室に奇妙な書物を見つける。『明治大正犯罪史』とあるその本の中に載っていたのは、かつて「毒殺魔」と呼ばれた子爵夫人・八木克子の記録だった。克子は美奈子にとって大伯母にあたり、彼女は自分の中に犯罪者の血が流れていると悩んでいて、そのために夜間に夢遊状態で彷徨うまでになっていたらしい。

 タイトルの「支那扇の女」とは、克子が不倫相手でもあった画家に描かせた肖像画のことで、ここに描かれた克子が美奈子と瓜二つだったという。

 しかも美奈子に対して『明治大正犯罪史』や「支那扇の女」を見せたのは、夫である照三であった。しかも、克子の夫だった子爵は、照三の大伯父だったのだという。彼は、わざわざ自分の妻である美奈子を精神的に追い詰めるようなことをしていたわけだ。
 警察の取り調べに対して、今回の殺人は外部の人間によるものだと主張する照三だったが・・・

 物語はこの後二転三転して、意外な結末を迎えるのだけど、70年前(明治20年頃)の因果が現在(昭和32年)の物語につながるなど、いかにも横溝正史の得意そうな設定。
 伝奇的な背景を持つ事件だけど、解決はあくまで合理的。まあ、そこで描かれる人間の情欲には常軌を逸したものがあるのだけど、そうでなければ殺人まで行き着くこともないだろうし。


「女の決闘」

 舞台は金田一耕助の事務所がある緑が丘町。
 近所に住むイギリス人のロビンソン夫妻が帰国することになり、住民たちによる ”さよならパーティー” が開催された。

 そこへ河崎泰子という若い女性が現れたことに、パーティーの参加者たちは戸惑う。なぜなら、そのパーティーには彼女の前夫が招待されていたからだ。

 その後、泰子の前夫である小説家の藤本哲也とその現在の妻・多美子が現れ、パーティーは進行していくのだが、そのさなか、多美子が突然倒れてしまう。
 呼ばれた医師の診察によると、原因はストリキニーネ(植物から得られる毒の一種)によるもの。多美子は辛うじて命を取り留めるが、やがて第二の事件が起こる・・・。

 文庫で70ページほどだけど、意外な展開を経て、毒を盛った方法も含めて納得のラストを迎える。
 終盤、金田一耕助が海外にいるロビンソン夫人との間に交わした往復書簡で真相が明かされるのもなかなかお洒落。



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彼方のゴールド [読書・その他]


彼方のゴールド 千石社シリーズ (文春文庫)

彼方のゴールド 千石社シリーズ (文春文庫)

  • 作者: 大崎 梢
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2021/07/07
評価:★★★☆

 まず書いておくが、私はスポーツが不得手だ。
 不器用なので球技はからっきし。小学校の昔から、かけっこで上位に入ったためしがないくらい足も遅い。水泳は平泳ぎで25mプールを何とか泳ぎ切れるかどうかというレベル。辛うじてスキーは人並みくらいには滑れるかな。たいていのコースは何とか転ばずに降りてこられるから。とはいっても、もう15年くらい行ってない。

 そのせいか、スポーツ中継にもあまり思い入れがない。オリンピックはそれなりに観るし、日本人がメダルを取れば嬉しいとは思うけど。
 現在、甲子園では高校野球まっさかり。球児たちの熱闘ぶりには頭が下がるけど、その一方でいろいろな ”邪念” が湧いてきてしまうんだよねぇ・・・いや、 ”邪念” というと角が立つね。”素朴な疑問” としておきましょう。
 その内容をここに書き出すと、熱烈な高校野球ファンから袋だたきにされてしまうだろうから、ナイショにしておきますが(笑)。

 閑話休題。

 本書は、そのスポーツをテーマにした小説だ。上に書いたように、スポーツに疎い私が、なんでこの本を読んだのか。
 まあ、好きな作家さんの本だというのが大きいかな。その作家さんが、スポーツという題材をどんな風に描いたかも興味があったし。

 本作は総合出版社・千石社を舞台にしたシリーズの4作目。とはいっても各作品は独立していて主人公も異なるので、本書から読み始めても全く問題ない。


 主人公は入社3年目の目黒明日香。営業部から異動になった先は総合スポーツ雑誌「Gold」編集部。

 ちなみに千石社のモデルは文藝春秋社(本書は文春文庫刊)。「Gold」のモデルは「Sports Graphic Number」だそうだ。

 記者としては新米ながらも、明日香はバドミントン、プロ野球、マラソン、女子バスケット、Jリーグと、スポーツ選手たちへ取材し、記事に仕立て、誌面を通じて読者へ伝えていく。
 読者は、一冊のスポーツ雑誌が完成するまでに、記者以外にも多くの ”その道のプロ” が関わってることを知ることになる。その一連の流れを追っていく ”お仕事小説” の面がある一方、明日香自身の物語も描かれていく。

 小学校の頃、スイミングスクールに通っていた明日香。彼女自身にとっては習い事のひとつでしかなかったが、一緒に通う仲間には、選手コースに入って本格的に競泳に取り組んでいる者もいた。
 彼ら彼女らが描く究極の夢はオリンピック出場、そして金メダルだ。

 結果のタイムに泣き、笑い、喜び、悔しがり。選手たちの間には時に激しい軋轢まで生じる。それでも上を目指して諦めずに挑み続ける。しかしその一方で、競技から離れていく者もいる。その理由もまた様々。

 物語の序盤では回想で綴られるのだが、中盤以降、明日香はそのときの仲間たちと再会していく。そして、意外な現在の姿も知ることに。


 冒頭にも書いたように、私はスポーツというものにさほど思い入れのない人間なのだけど、「スポーツを伝える」ということの ”目的” というか ”意義” は分かったように思う。
 明日香の視点から描かれる物語はとても興味深く、けっこう楽しく読ませてもらいました。



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TANG [映画]



 デボラ・インストール原作の長編小説『ロボット・イン・ザ・ガーデン』の映画化。舞台をイギリスから日本に置き換え、日本人キャストで描いている。
1119.jpg
 原作小説については2019年2月13日に記事を書いている。
 この記事をベースに、この映画の感想めいたものを書いてみる。


 時代は近未来。人型ロボットが街や施設内を闊歩し、ドローンが物流の主役となっているようだ。
 主人公夫妻が住んでいる街は、広々とした敷地にけっこうな豪邸が立ち並ぶ、それこそハリウッド映画に出てきそうな高級住宅地。

 はて、日本にこんな場所あったかな・・・と思ったが、製作がワーナー映画なので「日本人キャスト部分だけあとで外国人俳優の演じたものと差し替えて、ハリウッド版を作っちゃうじゃないだろうか」なんて邪推もしてしまった(笑)。
 ちょっと後で、ここが北海道に設定されてることが明かされますが。

 ちなみに映画の中盤では、舞台が中国の深圳(しんせん)に移るのだけど、ここも実に華やかに描かれていて、科学技術についても先進都市ぶりが強調されてる。このあたり、中国での公開を睨んでのことかなと邪推したり。

 うーん、邪推ばっかりですね。ちょっと反省。


 絵に描いたような幸福な新婚生活だったはずが、夫の健(二宮和也:原作ではベン)が ”ある理由” から研修医の道を放り出し、ひきこもりのニート状態になってしまう。
 日夜ゲームに明け暮れて、弁護士として働く妻・絵美さん(満島ひかり:原作ではエイミー)のヒモ状態に。というわけで彼女の中に不満が鬱積していく。

 そんなある日、健は庭先に迷いこんだ一体のロボットを発見する。いかにもあり合わせの部品を集めて作ったような、見るからにポンコツな外見。”彼” は自らを「タング」と名乗るが、どこから来たのかは答えない。

 そんな矢先、とうとう絵美さんは健に愛想を尽かし、彼はタングともども家から追い出されてしまう。なんとかタングを厄介払いしたい健は、タングを作ったと思しき大手ロボット製作会社を訪ねていくのだが・・・


 2019年の記事には、私はこんなことを書いている。

「これは、タングとの間の ”疑似親子関係” を通じた、ベン(健)の ”父親修行” の物語だ」
「『子育ては自分育て』。はじめから立派な親はいない。子どもを育てながら、自分も親になっていくものだ」

 タングは学習型AIを搭載しているらしく、健とのやりとりを通じてだんだん人間ぽい受け答えを覚えるようになっていく。
 最初はタングを嫌っていた健も、タングの ”成長” に伴い、だんだん愛着を覚えるようになっていく。

 その記事の中では、こうも書いている。

「タングと共に旅を続けるうちに、タングの保護者としての自覚と行動を身につけていき、ベン(健)はだんだんと ”父親” らしく振る舞えるようになっていく」

 この健の成長こそが原作のメインテーマで、映画もしっかりそこのところは押さえて作られている。

 しかし、大筋においては原作通りでも、細かいところはけっこう改編されている。

 いちばん大きいところは、ベンの妻・エイミーの描き方だろう。
 原作での2人の仲は、けっこうドロドロしてる部分もあったのだけど、映画ではそのあたりは一掃され、満島ひかりさん演じる絵美は、可愛らしく健気な奥さんとして描かれる。
 こんなよくできた嫁さんを、悲しませるポンコツ男を二宮和也が演じてる。映画前半の健は、ホント感情移入できない ”嫌なヤツ” と感じさせる。なかなか好演といえると思う。

 原作での夫婦の描き方のほうが今風でリアルなのかも知れないが、夏休み公開のファミリー映画としてみるなら、この改編は必須で、かつ正解だったと思う。

 それ以外でも、タングを付け狙う ”悪党たち” に、かまいたちの2人+小手伸也を起用してるのも、ファミリー向け映画感を醸し出している。


 2019年の記事では、最後の方にこんなことを書いてる。

「総体的にSF的雰囲気は薄いかな。アシモフのロボットものみたいな作品を期待するとあてが外れるが、”親子” の情愛物語としてみれば、ベタな展開だけど手堅く読ませる」

 映画の評価も、ほぼこのまま。終盤の展開はだいたい予想がついてしまうんだけど、それが大多数の観客が望むエンディングだろう。
 そのあたりに物足りなさを感じる人もいるかも知れないけど、小さいお子さん連れの家族や、若いカップルには楽しめる映画になってると思う。



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祝祭と予感 [読書・青春小説]


祝祭と予感 (幻冬舎文庫)

祝祭と予感 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 恩田陸
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2022/04/07
評価:★★★

 直木賞と本屋大賞をダブル受賞し、2019年には松岡茉優さん主演で映画化もされた長編小説『蜜蜂と遠雷』。そのスピンオフ短編集。

 ちなみにWikipediaには ”続編” って書いてあるけど、本書収録の短編6作の中で本編後の話は2作しかないし、内容も ”後日談” という感じ。


「祝祭と掃苔」
 本編である芳ヶ江(よしがえ)国際ピアノコンクールでは、終了後に入賞者によるコンサートツアーが行われる。芳ヶ江と東京でのコンサートが終わり、最後の開催地であるパリに向かう直前、亜夜とマサルが幼少時にピアノを教わった綿貫先生の墓参りに行く話。
 で、なぜかそこに風間塵がついてくる。まあ、この3人はホントに仲良くなったからねぇ。ついでに塵のお母さんのことも明らかになる。これはびっくり。
 ちなみに ”掃苔” は ”そうたい” と読むそうで、墓参りのこと。なるほど、墓石に着いた苔(こけ)を掃除する、というわけだ。

「獅子と芍薬」
 芳ヶ江国際ピアノコンクールで審査員を務めていたナサニエル・シルヴァーバ-グと嵯峨三枝子。かつて夫婦だったという2人の、30年前の馴れ初めが描かれる。なかなか運命的というか衝撃的な出会いを果たしてたんですねぇ。
 この2人の過去から現代までの物語を読んでると、亜夜とマサルの将来に思いを馳せてしまいます。どうなるんですかね、あっちの2人は。

「袈裟と鞦韆」
 主人公は音大教授で作曲家の菱沼。芳ヶ江国際ピアノコンクールの課題曲「春と修羅」を作曲した人です。ちなみに「春と修羅」というのは宮沢賢治の詩集の題名でもあるんだけど、彼がこのタイトルで曲を作ったきっかけが描かれる。
 菱沼の教え子・小山内健次は、音大卒業後に郷里の岩手に戻った。実家のホップ農家を継ぐのだという。
 家業の傍らコツコツと作曲を続けていた小山内は、卒業して10年後、新人作曲家の登竜門である賞を受賞することができたのだが・・・
 ちなみに ”鞦韆” は ”ブランコ” と読むそうで。冒頭に菱沼が公園のブランコに乗ってるシーンがある。

「竪琴と葦笛」
 本編の数年前、ジュリアード音楽院時代のマサルの物語。
 ピアノ科教授のミハルコフスキーに師事することになったマサル。しかしミハルコフスキーの同僚であるナサニエル・シルヴァーバ-グは、マサルの才能が潰されてしまうのではないかと危惧を覚える。
 ある日、ナサニエルはマサルを ”ある場所” に連れ出すのだが・・・
 教師というのは、教える力量も大事だろうけど、こと芸術家になると、師弟の相性というのもかなり大きいというのは、ありそうに思える。何せ強烈な個性の持ち主同士なんだろうから・・・

「鈴蘭と階段」
 本編の主役・栄伝亜夜の音大での先輩にして学長の娘・浜崎奏。
 亜夜の付き添いとして芳ヶ江国際ピアノコンクールに臨み、終了後はヴァイオリン奏者からヴィオラ奏者へと転向した。しかし、なかなか自分の気に入った楽器に巡り会えずに悩んでいる。ようやく3つまで絞り込んだものの、どれにするか決めかねていたのだが・・・
 本編では亜夜の世話を献身的にこなしていたのに、映画では出番がなかった(出てたかも知れないけど、観た記憶がない)。ちょっと不憫だなあと思ってたのでこの作品は嬉しかったですね。
 あと、芳ヶ江国際ピアノコンクール終了後、亜夜はどうしているのか。その一端もちょっと語られます。

「伝説と予感」
 ピアノ演奏の巨匠ユウジ・フォン=ホフマン。ある日、彼は訪れたフランスの古城で、誰かが弾いているピアノの音を耳にし、衝撃を受ける・・・
 ホフマンと、彼の最後の弟子となった風間塵との出会いの物語。


 「あとがき」によると、『蜜蜂と遠雷』の続編を書く予定はないそうで、関連する物語も本書をもってお開き、ということのようです。
 まあその後のことは読者の想像に任せるというのが正しい道なのでしょう。

 とはいっても、ちょっと不満なのは本編の主役4人のうち高島明石が登場するのが一編もないこと。これはちょっと淋しいかな。
 でもこれは、彼の物語は本編の中で完結してるってことなのでしょう。彼の登場する最後のシーンで、涙腺が崩壊してしまったことを思い出しましたよ。

 コンクールのあと、プロへ転向するのか、それともサラリーマンを続けながらアマチュア演奏家として生きていくのか。それこそ読者が思い描けばいいことなのかな。
 どちらも大変な道ではあろうけども、彼ならどちらを選んでも地道に続けていくのだろうし・・・


 あと、巻末に音楽関係のエッセイが何作か収録されてる。

 『蜜蜂と遠雷』のファンとしては「『蜜蜂と遠雷』登場曲への想い」「ピアノへの憧れから生まれた『蜜蜂と遠雷』」あたりを読むと、執筆の裏舞台をちょっと覗いた気分になれる。
 作者はもともと幼少時からピアノを習っていて、小学校から大学まで音楽とともに生活してきた。エッセイに登場する内容もクラシックのみならず、ジャズも歌謡曲(松本伊代とか「夜のヒットスタジオ」とか)もと幅広い。

 そういう人だからこそ、『蜜蜂と遠雷』を書くことができたのだなぁと改めて思う。



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