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かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖 [読書・ミステリ]


かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖 (幻冬舎文庫)

かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 宮内悠介
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2023/10/05

評価:★★★


 明治41年、23歳の若き詩人・木下杢太郎(きのした・もくたろう)は、北原白秋らと「牧神(パン)の会」を結成した。料理店に集まって芸術家仲間と語り合う会だ。
 会員たちが持ち込んできた "不思議な事件" についても推理を闘わせるが、謎は解けない。
 そんなとき、店の女中・あやのが「ひと言よろしゅうございますか、皆様」
と口を挟み、見事に謎を解いてしまうのだった・・・

* * * * * * * * * *

 主人公である木下杢太郎は本名・太田正雄(おおた・まさお)。詩人・劇作家としても多くの作品を残すが、後の世では皮膚科の医学者として世界的に有名となった人だ。本書では23歳の若き日の杢太郎が描かれる。

 明治41年、杢太郎は歌人・小説家・洋画家・版画家などと共に「牧神(パン)の会」を結成する。両国橋ちかくの西洋料理店「第一やまと」に集まり、芸術について語り合う会合だ。

 しかしそこには会員たちが見聞きした "不思議な事件" も持ち込まれてくる。メンバーたちはそれについて推理を闘わせるが誰も謎を解くことができない。
 そこに店の女中・あやのが「ひと言よろしゅうございますか、皆様」と口を挟み、謎を解いてしまう。

 レストランに集ったメンバーが謎について推理し、最後は給仕のヘンリーが真相を言い当てる、というのはアメリカの作家アイザック・アシモフのミステリ・シリーズ「黒後家蜘蛛の会」のパターンだが、本書はそれを ”本歌取り” した連作短編集だ。


「第一回 菊人形異聞」
 団子坂の見世物小屋に展示されていた乃木将軍の菊人形に、日本刀が突き立てられるという事件が起こるが、犯行がいつ行われたのか分からない。客の目もあり、店番もいたので外部からの侵入者も考えられないというが・・・


「第二回 浅草十二階の眺め」
 凌雲閣、通称 "浅草十二階" にやってきたのは、印刷局勤務の桐野泰(きりのやすし)とその同僚・竹富仁蔵(たけとみにぞう)、そしてその妻のとしの三人。泰と仁蔵は最上階の展望台に上ったが、そこから仁蔵が転落死してしまう。泰が疑われるも、事件時の展望台には多くの人がいて、見られずに突き落とすのは不可能だった・・・


「第三回 さる華族の屋敷にて」
 華族にして外交官の池田兼済(いけだ・けんさい)。臨月を迎えていた妻の亮子(りょうこ)が陣痛を訴えたので産婆が呼ばれ、池田邸内で出産することに。
 しかし生まれた赤子が殺害されるという事件が起こった。出産を終えて亮子が眠っている間に赤ん坊は絞殺、さらに臀部の肉が切り取られ、両目がえぐられるという猟奇的な犯行だった・・・


「第四回 観覧車とイルミネーション」
 上野公園で行われた東京勧業博覧会。そこで銃撃事件が起こった。死んだのは軍人・佐藤正董(さとう・まさただ)。犯人は見つからなかったが、後日になって不可解な目撃証言が出てくる・・・


「第五回 ニコライ堂の鐘」
 ロシア正教の寺院・ニコライ堂。ある日の夕刻、日曜の朝にしか鳴らないはずの鐘が鳴った。それを聞いた二人の司祭が鐘楼を登ったところ、その中でフョードル司祭が死んでいるのを発見する。しかし犯人の姿はない。鐘楼からの逃げ場はないはずなのだが・・・


「最終回 未来からの鳥」
 陸軍士官学校の校長が青酸カリを飲んで死亡する。状況から自殺と思われたが、検視にやってきた森鴎外は疑問を抱く。その後ひとりの学生から、昨夜多くの生徒や教官が揃って不可解な夢を見たという・・・


 「第一回」から「第五回」までは、きっちりとしたミステリになっているのだが、特筆すべきはこの時代ならではの犯罪になっていること。それは舞台であったり、動機であったり。あるいは、この時代の価値観でなければ起こらなかった事件だったりする。
 その中でも「第三回 さる華族-」は、発端の怪奇性と結末の合理性が見事に両立していて、本書の白眉だと思う。

 「最終回」だけはちょっと毛色が異なる。超常的な現象も発生するので、この一編だけはSFと思って読んだ方がいいだろう。

 北原白秋、森鴎外、石川啄木、与謝野晶子など、実在の有名人がちょい役で顔を出すのも楽しい。

 そしてなんといっても注目は探偵役の "あやの" さん。頭の回転が速いのはもちろんだが、かなりの博識でもあり高度な教育を受けていることが窺われる。
 「最終回」ではそんな彼女の "素性" も明らかになる。意外ではあるが、納得の "人選" だろう。



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泳ぐ者 [読書・ミステリ]


泳ぐ者 (新潮文庫 あ 84-4)

泳ぐ者 (新潮文庫 あ 84-4)

  • 作者: 青山 文平
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2023/09/28
  • メディア: 文庫
評価:★★★

 『半席』に続く時代ミステリ・シリーズ第二作。
 幕府が開かれて200年あまり。日本の周辺に異国の船が現れはじめ頃。
 江戸の街で元勘定組頭が刺殺される。下手人は3年半前に離縁した元妻。なぜ彼女は犯行に及んだのか?
 毎日、決まった時刻に大川(隅田川)を泳いでいた男が斬り殺される。下手人は下級の幕臣。なぜ彼は犯行に及んだのか?
 徒目付(かちめつけ)・片岡直人(かたおか・なおと)は事件を調べるうちに、人の心に潜む、狂おしいまでの悩み、そして "闇" を知っていく・・・

* * * * * * * * * *

 主人公・片岡直人はまもなく30歳を迎える徒目付。徒目付とはいわゆる監察官のことで、片岡のお役目は主に幕府役人等の内偵や調査だ。

 勘定組頭を病で退いた藤尾信久(ふじお・のぶひさ)が刺殺されるという事件が起こる。被害者は既に寝たきりの状態の68歳。下手人は3年半前に離縁した元妻・菊枝(きくえ)。
 彼女は元夫を刺した理由を黙して語らない。直人はその動機を探りはじめる。

 信久は越後で百姓の身分から身を起こし、代官所で元締手代に取り立てられた。その有能ぶりを気に入った代官が江戸へ戻るに際して連れ帰った。
 その後、信久は正規の幕臣ではない普請役を振り出しに謹厳実直に勤め上げ、ついには役高350俵の勘定組頭まで出世を果たした。

 私生活では由緒ある大番家(幕府の上級武官)の三女・菊枝を娶り、嫡男を儲けた。しかしなぜか、3年半前に彼女を離縁していた。

 嫡男をはじめ菊枝の周囲にいた者たちに話を聞き、信久の故郷の越後まで足を伸ばした直人は、ある "仮説" を組み上げていく。
 信久が菊枝を離縁した理由も、菊枝が信久を刺した理由も説明できる。直人はその "仮説" を菊枝にぶつけるのだが・・・

 このあと、刺殺事件自体には "決着" がつくのだが、直人は菊枝の反応から、自分の "仮説" に疑いを抱いてしまう。
 納得できないままの直人の前に、さらなる事件が起こる。

 毎日、決まった時刻に浅草あたりの大川(隅田川)の両岸を、泳いで往復する男がいるという。見物に行った直人は、簑吉(みのきち)という男の名と、その目的を聞き出す。商売繁盛の願掛けで、あと二日泳げば満願なのだという。
 しかしその最終日、川から上がった簑吉は、その場で一人の武士に斬り殺されてしまう。

 下手人は川島辰三(かわしま・たつぞう)。身分は御徒(おかち)、幕府の警護を担当する下級武士だった。捕まった川島は精神に安定を欠き、「お化けを退治した」と口走るばかり。
 周囲の者に聞いたところ、川島には水練の稽古中に、相方の仁科耕助(にしな・こうすけ)を苛め殺したという過去があった。そして簑吉が大川を泳ぎだした頃から、川島は耕助の亡霊に怯えるようになっていったという。

 簑吉の身上調査を始めた直人は、「商売繁盛」と語っていた目的が偽りだったことを知る。さらに、彼の出自には意外な秘密があったことが明らかに・・・


 前作『半席』での直人は、出世を目指しながらも、事件が起これば調査に没頭する男だった。いくつかの事件で、なぜ下手人が犯行に及んだのか、納得できる理由を見つけるまでとことん追い続ける。そのうちに、出世よりもお役目を全うすることに自分の ”道” を見いだすまでが描かれた。

 本作でもそれは変わらず、まず「元勘定組頭刺殺事件」の "なぜ" を探求するが、直人がいまひとつ納得できないまま事件は終結する。
 続く「泳ぐ者事件」の調査で、簔吉の過去を探っていくうちに、人の心に潜む悩み、そして闇を知っていく。それをきっかけに、菊枝の心のうちにあった "悲哀と辛苦" に思いが至り、夫を刺した真の動機を知ることになる。


 直人自身は出世の道を自ら外れたと思っているが、彼の有能さを知る上司は多いようで、今作でも出世の誘いがかかる。いまのところ直人にその気はないようだが。
 本書の背景となるのは異国船が出没して海防の機運が高まってきた頃。これから幕末へと向かい始める世相の中で、直人は200年以上続いてきた幕府の中で起こる事件に取り組むという、ある意味 "内向き" の人生を送っている。
 もし続編があるのなら、この時代背景がより一層クローズアップされてくるのかも知れない。そんな世界で直人はどう生きていくのか知りたいところだ。



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祝! 『ゴジラ -1.0』アカデミー賞視覚効果賞受賞!! [映画]




 ちょっと時機を逸しましたが、『ゴジラ -1.0』制作陣の皆様、受賞おめでとうございます。

 ノミネートされただけでもスゴいと思ってましたが受賞までしてしまうとは、もうビックリでした。『ゴジラ』シリーズを観続けてきて良かったと思えた日でした。

 ただ、その報道の仕方にはちょっと不満も。みな「CGの出来がスゴい」とか「ハリウッド映画と比べて1/10の予算」とか、VFX関係の話ばかり。
 まあ「視覚効果賞」だから、そのへんがメインになるのは仕方がないのでしょうが、そもそもの話、映画としての出来が良くなければ、いくらCGがスゴくたって候補にも挙げてもらえないわけで、ぜひそこのところを伝えてほしかったんだけどね。

 受賞のニュースを伝えてるアナウンサーとかキャスターとかの中には、「こいつ絶対、映画本編を観てないだろ・・・」って思う人もいた。
 映画としての出来にまで言及していたのは私の知る限り、某ワイドショーのコメンテーターの一人が奥さんと一緒に観に行った話をしていて、本人はもちろん奥さんも「素晴らしい映画だった」って絶賛していた、というのが唯一かな。

 おっと閑話休題。

 この映画、11/3の公開後、11~12月の間に4回くらい見に行きましたかねぇ。
 Dolby Cinema が2回、IMAX が2回だったかな。料金はかかるけど、この映画はそれだけの出費に見合う作品だと思います。綺麗な映像と素晴らしい音響で観る『ゴジラ -1.0』は最高でした。

 「5/1に Blu-ray が発売予定」ってアナウンスされ、さっそく予約したんですけど、今回の受賞を知って嬉しくなり、またまた映画館に観に行ってしまいました。一昨日(3/13)のことです。
 平日の昼間なのに、席は7割方埋まってましたかね。通常では考えられないことです。みんな受賞のニュースを聞いて観に来たのでしょう。
 およそふた月ぶりの『ゴジラ -1.0』でした。流石に一日一回上映で、通常の音響のハコでしたけど、よかったです。ストーリーも分かりきってるんだけど、やっぱり涙が出てしまいました。

 願わくば、今回の受賞をきっかけに「ゴジラだから・・・」とか「怪獣映画だから・・・」とかの理由で敬遠していた人にも、ぜひ劇場に足を運んでもらいたいものです。
 観客動員も盛り返してきたようだし、上映館や上映回数も増えたらいいな。ちょっと前に、国内興行収入が60億に達したというニュースがあったけど、少しでもそれに上積みされるといいな。『シン・ゴジラ』の82億は超えられないかもしれないけど、少しでもそれに近づくようになってほしいものです。

 山崎貴監督は「ゴジラをもう一本撮りたい」って言ってましたけど、可能性は高まりましたね。
 『-1.0』の続編になるのか、別の新しいゴジラになるのかは分かりませんが、どっちにしろかなりハードルが上がってしまったので、次の映画はそう簡単には作れないでしょうねぇ。
 まあ、私の生きているうちにお願いします(おいおい)。


 あともうちょっと書かせてもらうなら、この映画は全世界で160億くらい稼いでいるらしいので、儲けの一部は制作陣にも還元してあげてほしいなあ。結果を出したらきちんと報酬を与えるのは当然のこと。そこを怠ると、そのうちCGスタッフたちは外国(アメリカや中国)に引き抜かれてしまうぞ。


タグ:SF
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波の鼓動と風の歌 [読書・ファンタジー]


波の鼓動と風の歌 (集英社文庫)

波の鼓動と風の歌 (集英社文庫)

  • 作者: 佐藤 さくら
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2023/09/20
  • メディア: 文庫

評価:★★★


 女子高生・来島凪(くるしま・なぎ)は、校外学習での登山中に湖に転落してしまう。目覚めたとき、そこは異世界。そして彼女は人と獣の混じり合ったような異形の姿へと変わってしまっていた。
 囚われの身となっていたナギ(凪)を救ったのは、サージェという少年。彼と共に都を目指す旅に出るが、やがてこの世界の過酷な "定め" を知っていく・・・

* * * * * * * * * *

 高校3年生の来島凪は、運動も勉強も普通の生徒。真面目で努力家だが変わり者と見られていて友人もいない。そんな自分に存在意義や生きる価値を見いだせない日々を送っていた。
 高校最後の行事である校外学習での登山中、クラスメイトの北村なぎさと共に湖に転落してしまう。

 目覚めたとき、そこは何処とも知れぬ異世界。ナギの身体は人と獣の混じり合ったような異形の姿へと変わっていた。左手は太くて毛むくじゃらで、鋭い爪を持つ指が。両脚には恐竜か爬虫類のような鉤爪が。
 この世界では、ナギのような存在は "まじりもの" と呼ばれ、激しい差別を受けていた。ナギもまた囚われの身となり、鉱山で強制労働をさせられていた。

 ナギを救ったのは、紺碧の瞳を持つ12歳の少年・サージェだった。鉱山から逃れた二人は都を目指して旅に出る。やがてナギは、この世界の異様さを知っていく。

 この世界は、"星の海" と呼ばれる、すべての物体を溶かしてしまう液体で覆われている。陸地は無数の巨大な柱に支えられて、"星の海" のはるか上方に存在している。かつては四つの大陸があったが、柱の崩壊とともに砕けていき、いまは島がいくつか残るのみ。ナギが漂着したのはその島国の一つ、サライだった。

 島を支える柱が崩落を続ければ、いずれはサライも "星の海" に飲み込まれてしまう。それを防ぐため、王は自らを "王柱"(おうちゅう)と呼ばれる柱に変えて、島を支える存在になるのだという。
 そしてサージェは、自らを "聖王シュレンの喜生(きっしょう)" だと名乗る。シュレンはかつてサライを収めていた仁王であり、"喜生" とはいわゆる「生まれ変わり」のことだ。彼の望みは、サライの王族に "聖王の喜生" と認められ、王柱へとその身を変えることだった。

 年端もいかない少年の身で、自らの身体を犠牲にしようとするサージェの目的に疑問を持ちつつも、共に都に向かうナギ。しかし都では、王位を巡る争いが勃発していた・・・


 いわゆる異世界転生ものだ。転生に伴ってナギは異形の姿へとなってしまい、衝撃を受けてしまう。まあ年頃のお嬢さんとしては無理もない。
 だが、ナギたちを襲う数々の危機を逃れるとき、彼女の身体が得た "獣の力" は大いに役に立つことになる。

 また、この世界における "まじりもの" の生態はどちらかというと獣寄りで、ナギのように人間と意思疎通ができる者はいないらしい。そういう意味では彼女はこの世界に於ける唯一無二の存在でもある。

 自分が生きる意味を見いだせなかったナギの前に現れたサージェは、自らの身を犠牲にして王柱となることに自分の存在意義を見いだしている。
 そんなサージェと行動を共にしていくうち、ナギの意識は少しずつ変化していく。本書はナギの精神的な成長の物語でもある。

 物語は、本書でいちおうの区切りを迎えるが、ナギ自身の "元の世界" への帰還までは描かれない。
 とはいっても作中では帰還の可能性自体は否定されていないので、続編があるのかも知れないし、この一巻で完結で以後の展開は読者の想像に任せているのかも知れない。
 私としては、数々の試練をくぐり抜けたナギが、成長した ”来島凪” として元の世界へ帰って行った後の話が読みたいので、続編を期待してる。



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アンダードッグス [読書・冒険/サスペンス]


アンダードッグス (角川文庫)

アンダードッグス (角川文庫)

  • 作者: 長浦 京
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2023/09/22

評価:★★★★☆


 1996年、中国返還が直前に迫った香港。そこのメガバンクからは世界各国の要人に関する機密情報が運び出されようとしていた。
 かつて政争に巻き込まれて失脚した元官僚・古葉慶太(こば・けいた)は、大富豪マッシブによって機密情報奪取計画への参加を強いられる。現地へ飛んだ古葉は、彼と同じ "負け犬" の寄せ集めチームを率いることに。
 米露英中の諜報機関が暗躍し、謀略と銃弾が飛び交う中を "負け犬たち" が駆け抜ける、スパイ・アクション大作。

* * * * * * * * * *

 ちょっと調べてみたら、タイトルの「アンダードッグス」(underdogs)には、意味が3つほどあるようだ。
 (1)勝ち目のない人やチーム  (2)敗残者、負け犬  (3)弱者

 主人公の古葉慶太は32歳。かつては農林水産省の官僚だったが政争に巻き込まれ、詰め腹を切らされる形で省を去り、証券会社に拾われた。まさに「敗残者」であり「負け犬」だ。

 1996年12月末、古葉は香港在住のイタリア人大富豪マッシモに呼び出され、ある作戦への参加を要請される。
 いま香港では、中国返還前にメガバンクから世界中の要人に関する秘密情報を海外へ持ち出そうとしている。それを奪取しろ、というものだった。
 かつて自分を陥れた者たちへの復讐の機会を与えられた古葉は現地へ向かうが、作戦開始直前にマッシモが暗殺されてしまう。しかし彼の残した組織は健在で、計画中止は裏切りと同義で、死を意味する。

 計画続行を決めた古葉の元に、マッシモが選んだメンバーが集まってくる。元銀行員のイギリス人マクギリス、元IT技術者のフィンランド人イラリ、政府機関に勤める香港人・林彩華(ラム・チョイワ)。みなそれぞれ挫折した過去を抱える「負け犬」たちだ。
 チームの警護役のオーストラリア人ミア・リーダス以外は、古葉を含めて諜報活動に関してはみな素人。だが、いまの香港には米露英中、各国の諜報員が大量に投入されて跋扈している状態だ。そんな中へ割って入る古葉はまさに「弱者」であり、彼らは「勝ち目のないチーム」に他ならない。

 「アンダードッグス」とは、まさに本書にぴったりの題名だろう。

 メンバーが揃ったのも束の間、謎の集団による銃撃を受け、ここからジェットコースターのような危機また危機の展開が幕を開け、爆音と硝煙と流血がほぼ途切れることなく終盤まで続く。

 各国の諜報機関に加えて香港警察までも介入してきて、事態は混迷の度を深めていく。それに輪を掛けてストーリーを紛糾させていくのは、登場キャラクターほぼすべてが、裏の顔をもっていること。
 各国の諜報機関同士が離合集散したり、登場キャラが自らの立ち位置を変える(つまり裏切り)も日常茶飯事。だから敵味方がめまぐるしく変転する。そんなスパイの世界が描かれていく。

 古葉は諜報とは無縁の元官僚。腕っ節が強いわけでもない。そんな彼の唯一の武器は "頭脳" だ。並外れた観察力と記憶力、高い先見性と計画性、そして決断力。それを強固な復讐心が支えている。

 彼はいわゆる素人であり弱者だ。だが、それ故に常に頭脳はフル回転し続ける。事態の推移する先を予想し、可能性の分岐を考える。そして、どう転んでも対処できるように事前の準備を万全に整える。実際、降りかかってくる危機を次々と乗り越えていく姿は読む者を驚かせるだろう。
 まさに「こんなこともあろうかと」(笑)。

 もちろん古葉の方も無傷で済むはずもない。時には自らの身を囮として「肉を切らせて骨を断つ」ような反撃も決行するので、古葉は次第にボロボロの満身創痍になっていくのだが、最後まで諦めることはない。

 本編の舞台は1996年末~97年初頭なのだが、その合間合間に2018年のパートが挿入される。こちらの主役は古葉瑛美(えいみ)という若い女性。慶太の「義理の娘」である彼女は、ある組織から招かれて香港へやってくる。
 彼女のパートはいわゆる本編の「後日談」になっているので、どんな経緯で彼女が慶太の ”娘” になったのかも含め、彼がどんな運命を辿ったのかを予想しながら読むことになるだろう。

 全編がハラハラドキドキの激しいアクションで彩られ、ページを繰る手が止まらない本書は、エンターテインメントの傑作だ。楽しい読書の時間を約束してくれるだろう。


 素人が、素人故の発想と手段でプロの敵を出し抜いていく姿は、往年の山田正紀の "超冒険小説" 群を思い出させる。『火神を盗め』(1977年)、『謀殺の弾丸特急』(1986年)なんかがまさにそれだった。うーん、久々に読み返したくなってしまったよ。



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