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彼方のゴールド [読書・その他]
評価:★★★☆
まず書いておくが、私はスポーツが不得手だ。
不器用なので球技はからっきし。小学校の昔から、かけっこで上位に入ったためしがないくらい足も遅い。水泳は平泳ぎで25mプールを何とか泳ぎ切れるかどうかというレベル。辛うじてスキーは人並みくらいには滑れるかな。たいていのコースは何とか転ばずに降りてこられるから。とはいっても、もう15年くらい行ってない。
そのせいか、スポーツ中継にもあまり思い入れがない。オリンピックはそれなりに観るし、日本人がメダルを取れば嬉しいとは思うけど。
現在、甲子園では高校野球まっさかり。球児たちの熱闘ぶりには頭が下がるけど、その一方でいろいろな ”邪念” が湧いてきてしまうんだよねぇ・・・いや、 ”邪念” というと角が立つね。”素朴な疑問” としておきましょう。
その内容をここに書き出すと、熱烈な高校野球ファンから袋だたきにされてしまうだろうから、ナイショにしておきますが(笑)。
閑話休題。
本書は、そのスポーツをテーマにした小説だ。上に書いたように、スポーツに疎い私が、なんでこの本を読んだのか。
まあ、好きな作家さんの本だというのが大きいかな。その作家さんが、スポーツという題材をどんな風に描いたかも興味があったし。
本作は総合出版社・千石社を舞台にしたシリーズの4作目。とはいっても各作品は独立していて主人公も異なるので、本書から読み始めても全く問題ない。
主人公は入社3年目の目黒明日香。営業部から異動になった先は総合スポーツ雑誌「Gold」編集部。
ちなみに千石社のモデルは文藝春秋社(本書は文春文庫刊)。「Gold」のモデルは「Sports Graphic Number」だそうだ。
記者としては新米ながらも、明日香はバドミントン、プロ野球、マラソン、女子バスケット、Jリーグと、スポーツ選手たちへ取材し、記事に仕立て、誌面を通じて読者へ伝えていく。
読者は、一冊のスポーツ雑誌が完成するまでに、記者以外にも多くの ”その道のプロ” が関わってることを知ることになる。その一連の流れを追っていく ”お仕事小説” の面がある一方、明日香自身の物語も描かれていく。
小学校の頃、スイミングスクールに通っていた明日香。彼女自身にとっては習い事のひとつでしかなかったが、一緒に通う仲間には、選手コースに入って本格的に競泳に取り組んでいる者もいた。
彼ら彼女らが描く究極の夢はオリンピック出場、そして金メダルだ。
結果のタイムに泣き、笑い、喜び、悔しがり。選手たちの間には時に激しい軋轢まで生じる。それでも上を目指して諦めずに挑み続ける。しかしその一方で、競技から離れていく者もいる。その理由もまた様々。
物語の序盤では回想で綴られるのだが、中盤以降、明日香はそのときの仲間たちと再会していく。そして、意外な現在の姿も知ることに。
冒頭にも書いたように、私はスポーツというものにさほど思い入れのない人間なのだけど、「スポーツを伝える」ということの ”目的” というか ”意義” は分かったように思う。
明日香の視点から描かれる物語はとても興味深く、けっこう楽しく読ませてもらいました。
TANG [映画]
デボラ・インストール原作の長編小説『ロボット・イン・ザ・ガーデン』の映画化。舞台をイギリスから日本に置き換え、日本人キャストで描いている。
原作小説については2019年2月13日に記事を書いている。
この記事をベースに、この映画の感想めいたものを書いてみる。
時代は近未来。人型ロボットが街や施設内を闊歩し、ドローンが物流の主役となっているようだ。
主人公夫妻が住んでいる街は、広々とした敷地にけっこうな豪邸が立ち並ぶ、それこそハリウッド映画に出てきそうな高級住宅地。
はて、日本にこんな場所あったかな・・・と思ったが、製作がワーナー映画なので「日本人キャスト部分だけあとで外国人俳優の演じたものと差し替えて、ハリウッド版を作っちゃうじゃないだろうか」なんて邪推もしてしまった(笑)。
ちょっと後で、ここが北海道に設定されてることが明かされますが。
ちなみに映画の中盤では、舞台が中国の深圳(しんせん)に移るのだけど、ここも実に華やかに描かれていて、科学技術についても先進都市ぶりが強調されてる。このあたり、中国での公開を睨んでのことかなと邪推したり。
うーん、邪推ばっかりですね。ちょっと反省。
絵に描いたような幸福な新婚生活だったはずが、夫の健(二宮和也:原作ではベン)が ”ある理由” から研修医の道を放り出し、ひきこもりのニート状態になってしまう。
日夜ゲームに明け暮れて、弁護士として働く妻・絵美さん(満島ひかり:原作ではエイミー)のヒモ状態に。というわけで彼女の中に不満が鬱積していく。
そんなある日、健は庭先に迷いこんだ一体のロボットを発見する。いかにもあり合わせの部品を集めて作ったような、見るからにポンコツな外見。”彼” は自らを「タング」と名乗るが、どこから来たのかは答えない。
そんな矢先、とうとう絵美さんは健に愛想を尽かし、彼はタングともども家から追い出されてしまう。なんとかタングを厄介払いしたい健は、タングを作ったと思しき大手ロボット製作会社を訪ねていくのだが・・・
2019年の記事には、私はこんなことを書いている。
「これは、タングとの間の ”疑似親子関係” を通じた、ベン(健)の ”父親修行” の物語だ」
「『子育ては自分育て』。はじめから立派な親はいない。子どもを育てながら、自分も親になっていくものだ」
タングは学習型AIを搭載しているらしく、健とのやりとりを通じてだんだん人間ぽい受け答えを覚えるようになっていく。
最初はタングを嫌っていた健も、タングの ”成長” に伴い、だんだん愛着を覚えるようになっていく。
その記事の中では、こうも書いている。
「タングと共に旅を続けるうちに、タングの保護者としての自覚と行動を身につけていき、ベン(健)はだんだんと ”父親” らしく振る舞えるようになっていく」
この健の成長こそが原作のメインテーマで、映画もしっかりそこのところは押さえて作られている。
しかし、大筋においては原作通りでも、細かいところはけっこう改編されている。
いちばん大きいところは、ベンの妻・エイミーの描き方だろう。
原作での2人の仲は、けっこうドロドロしてる部分もあったのだけど、映画ではそのあたりは一掃され、満島ひかりさん演じる絵美は、可愛らしく健気な奥さんとして描かれる。
こんなよくできた嫁さんを、悲しませるポンコツ男を二宮和也が演じてる。映画前半の健は、ホント感情移入できない ”嫌なヤツ” と感じさせる。なかなか好演といえると思う。
原作での夫婦の描き方のほうが今風でリアルなのかも知れないが、夏休み公開のファミリー映画としてみるなら、この改編は必須で、かつ正解だったと思う。
それ以外でも、タングを付け狙う ”悪党たち” に、かまいたちの2人+小手伸也を起用してるのも、ファミリー向け映画感を醸し出している。
2019年の記事では、最後の方にこんなことを書いてる。
「総体的にSF的雰囲気は薄いかな。アシモフのロボットものみたいな作品を期待するとあてが外れるが、”親子” の情愛物語としてみれば、ベタな展開だけど手堅く読ませる」
映画の評価も、ほぼこのまま。終盤の展開はだいたい予想がついてしまうんだけど、それが大多数の観客が望むエンディングだろう。
そのあたりに物足りなさを感じる人もいるかも知れないけど、小さいお子さん連れの家族や、若いカップルには楽しめる映画になってると思う。
祝祭と予感 [読書・青春小説]
評価:★★★
直木賞と本屋大賞をダブル受賞し、2019年には松岡茉優さん主演で映画化もされた長編小説『蜜蜂と遠雷』。そのスピンオフ短編集。
ちなみにWikipediaには ”続編” って書いてあるけど、本書収録の短編6作の中で本編後の話は2作しかないし、内容も ”後日談” という感じ。
「祝祭と掃苔」
本編である芳ヶ江(よしがえ)国際ピアノコンクールでは、終了後に入賞者によるコンサートツアーが行われる。芳ヶ江と東京でのコンサートが終わり、最後の開催地であるパリに向かう直前、亜夜とマサルが幼少時にピアノを教わった綿貫先生の墓参りに行く話。
で、なぜかそこに風間塵がついてくる。まあ、この3人はホントに仲良くなったからねぇ。ついでに塵のお母さんのことも明らかになる。これはびっくり。
ちなみに ”掃苔” は ”そうたい” と読むそうで、墓参りのこと。なるほど、墓石に着いた苔(こけ)を掃除する、というわけだ。
「獅子と芍薬」
芳ヶ江国際ピアノコンクールで審査員を務めていたナサニエル・シルヴァーバ-グと嵯峨三枝子。かつて夫婦だったという2人の、30年前の馴れ初めが描かれる。なかなか運命的というか衝撃的な出会いを果たしてたんですねぇ。
この2人の過去から現代までの物語を読んでると、亜夜とマサルの将来に思いを馳せてしまいます。どうなるんですかね、あっちの2人は。
「袈裟と鞦韆」
主人公は音大教授で作曲家の菱沼。芳ヶ江国際ピアノコンクールの課題曲「春と修羅」を作曲した人です。ちなみに「春と修羅」というのは宮沢賢治の詩集の題名でもあるんだけど、彼がこのタイトルで曲を作ったきっかけが描かれる。
菱沼の教え子・小山内健次は、音大卒業後に郷里の岩手に戻った。実家のホップ農家を継ぐのだという。
家業の傍らコツコツと作曲を続けていた小山内は、卒業して10年後、新人作曲家の登竜門である賞を受賞することができたのだが・・・
ちなみに ”鞦韆” は ”ブランコ” と読むそうで。冒頭に菱沼が公園のブランコに乗ってるシーンがある。
「竪琴と葦笛」
本編の数年前、ジュリアード音楽院時代のマサルの物語。
ピアノ科教授のミハルコフスキーに師事することになったマサル。しかしミハルコフスキーの同僚であるナサニエル・シルヴァーバ-グは、マサルの才能が潰されてしまうのではないかと危惧を覚える。
ある日、ナサニエルはマサルを ”ある場所” に連れ出すのだが・・・
教師というのは、教える力量も大事だろうけど、こと芸術家になると、師弟の相性というのもかなり大きいというのは、ありそうに思える。何せ強烈な個性の持ち主同士なんだろうから・・・
「鈴蘭と階段」
本編の主役・栄伝亜夜の音大での先輩にして学長の娘・浜崎奏。
亜夜の付き添いとして芳ヶ江国際ピアノコンクールに臨み、終了後はヴァイオリン奏者からヴィオラ奏者へと転向した。しかし、なかなか自分の気に入った楽器に巡り会えずに悩んでいる。ようやく3つまで絞り込んだものの、どれにするか決めかねていたのだが・・・
本編では亜夜の世話を献身的にこなしていたのに、映画では出番がなかった(出てたかも知れないけど、観た記憶がない)。ちょっと不憫だなあと思ってたのでこの作品は嬉しかったですね。
あと、芳ヶ江国際ピアノコンクール終了後、亜夜はどうしているのか。その一端もちょっと語られます。
「伝説と予感」
ピアノ演奏の巨匠ユウジ・フォン=ホフマン。ある日、彼は訪れたフランスの古城で、誰かが弾いているピアノの音を耳にし、衝撃を受ける・・・
ホフマンと、彼の最後の弟子となった風間塵との出会いの物語。
「あとがき」によると、『蜜蜂と遠雷』の続編を書く予定はないそうで、関連する物語も本書をもってお開き、ということのようです。
まあその後のことは読者の想像に任せるというのが正しい道なのでしょう。
とはいっても、ちょっと不満なのは本編の主役4人のうち高島明石が登場するのが一編もないこと。これはちょっと淋しいかな。
でもこれは、彼の物語は本編の中で完結してるってことなのでしょう。彼の登場する最後のシーンで、涙腺が崩壊してしまったことを思い出しましたよ。
コンクールのあと、プロへ転向するのか、それともサラリーマンを続けながらアマチュア演奏家として生きていくのか。それこそ読者が思い描けばいいことなのかな。
どちらも大変な道ではあろうけども、彼ならどちらを選んでも地道に続けていくのだろうし・・・
あと、巻末に音楽関係のエッセイが何作か収録されてる。
『蜜蜂と遠雷』のファンとしては「『蜜蜂と遠雷』登場曲への想い」「ピアノへの憧れから生まれた『蜜蜂と遠雷』」あたりを読むと、執筆の裏舞台をちょっと覗いた気分になれる。
作者はもともと幼少時からピアノを習っていて、小学校から大学まで音楽とともに生活してきた。エッセイに登場する内容もクラシックのみならず、ジャズも歌謡曲(松本伊代とか「夜のヒットスタジオ」とか)もと幅広い。
そういう人だからこそ、『蜜蜂と遠雷』を書くことができたのだなぁと改めて思う。
びっくり箱殺人事件 [読書・ミステリ]
評価:★★★
横溝正史復刊シリーズの一冊。
表題作の長編に加え、短編を1作収録。
「びっくり箱殺人事件」
時代は終戦後間もない頃。レビュー劇団・梟(ふくろう)座の公演「パンドーラの匣(はこ)」で起こった事件を描いている。ちなみに金田一耕助は登場しない。
「レビュー」を検索すると、語源はフランス語の「revue」で意味は ”批評” だとのこと。言葉通り、本来は歌と踊りに時事風刺劇を組み合わせた舞台芸能を指すらしいのだけど、本書に登場する「レビュー」はかなり ”お色気” の方に重点を置いたもの。
元俳優で、人気作家でもある深山幽谷先生書き下ろし台本による「パンドーラの匣」。神話では、匣の中からはあらゆる災いが飛び出したとされるが、今回の舞台では、匣の中からは5人の怪人が飛び出すという趣向に。
『フランケンシュタイン』の人造人間、『ジキルとハイド』のハイド氏、『ノートルダムのせむし男』のカジモド、『カリガリ博士』の夢遊病患者、そしてなぜかキング・コングが(笑)。
しかし公演の7日目、怪人役の俳優が次々と何者かに殴られるという謎の事態が勃発する。
さらに、公演の最中に舞台上で殺人が実行されてしまう。匣を開くのは本来、パンドーラ役の女優・紅花子(くれない・はなこ)なのだが、その日の演出ではパンドーラの夫役が開くことになっていた。そして彼が匣を開けた瞬間、中から飛び出した短剣が彼の胸を貫いたのだ・・・
横溝正史と言えば伝奇・怪奇趣味な作風で有名だけど、本作はその辺は影を潜めていて、専ら喜劇調で進行する。
出てくるキャラクターの名も、作家兼俳優の深山幽谷をはじめ ”ショーグン” こと葦原小群(あしはら・しょうぐん)とか、”しばらく” こと柴田楽亭(しばた・らくてい)とか、半紙晩鐘(はんし・ばんしょう)とか、灰屋銅堂(はいや・どうどう)とか、顎十郎(あご・じゅうろう)とかふざけたものばかり。
殺人事件が起こったので当然ながら警察が登場する。やってきたのは皆さんおなじみの等々力警部。しかし金田一ものに登場する彼とは同一人物に見えないくらい、いささかエキセントリック。まあそのへんも楽しいといえば楽しいが。
コミカルな展開ながら、匣の中に短剣の仕掛けを取り付ける時間の各容疑者のアリバイとか、役者たちが次から次へと殴られまくった謎も合理的に説明されるなど、ミステリとしての構成はきっちりしている。
「蜃気楼島の情熱」
ひさびさにパトロンである久保銀造に会いにきた金田一耕助は、久保の知人・志賀泰三の住む瀬戸内の島に案内される。
志賀は久保とともにアメリカにいた頃、妻を殺されるという哀しい過去があった。帰国した彼は、本土から一里(約4キロ)ほど沖にある小島に、国籍不明で摩訶不思議な仕様の家を建て、新婚の若妻・静子とともに住んでいた。しかし金田一たちが志賀の家に宿泊した夜、静子の絞殺死体が発見される・・・
文庫で70ページほどなのだけど、ミステリ的に密度が高い作品。
メイントリックは海外の某有名作品でも似たものが使われてるけど、それよりも事件の全容に驚かされる。犯人の構築した計画の綿密さ、周到さ、そして凶悪さは異様だ。そしてそれを見抜く金田一耕助の推理も素晴らしい。
短編ミステリの二百年4 [読書・ミステリ]
評価:★★☆
短編ミステリの歴史を俯瞰するアンソロジー、全6巻の4巻目。
本書には13編を収録。
「争いの夜」(ロバート・ターナー)[1956]
酒場で飲んでいた ”おれ” と友人のマックス。そこに見知らぬ男が絡んできて、マックスと壮絶な殴り合いに。その行き着く先まで描いて、それだけで終わる。
「獲物(ルート)のL」(ローレンス・トリート)[1964]
廃車置き場で弾痕のあるホイールキャップを見つけたミッチ刑事。そこで出会った子どもが、強盗事件の犯人にそっくり。子どもを警察署に連れてくるが、廃車置き場の支配人が「うちの子だ」と言い出す・・・
「高速道路の殺人者」(ウィリアム・P・マッギヴァーン)[1961]
高速道路パトロールの警官オリアリー。ハイウェイ沿いのレストランのウエイトレスと恋仲だ。そこへ殺人者が現れ、警察隊と追いつ追われつが始まる。こいつがけっこう賢くて、オリアリー(警察)との知恵比べの様相も。
「正義の人」(ヘンリィ・スレッサー)[1962]
マッケルヴィは退職警官だが、かつて担当した強盗事件に未だこだわっていた。犯人とにらんだ男がいたのだが、被害者の女性は苛性ソーダを顔にかけられ視力を失っていた。しかし、名医の治療で視力を取り戻す可能性が出てきた・・・
「トニーのために歌おう」(ジャック・リッチー)[1965]
兄・トニーが人を殺した。弟の ”ぼく” は、兄を死刑から救うために、州知事の息子を殺人の共犯者に仕立てて逮捕させる。州知事が ”政治力” を発揮して減刑させることを期待したのだが・・・
「戦争ごっこ」(レイ・ブラッドベリ)[1943]
子どもの頃、戦争ごっこに夢中だったジョニー。成長し、現実の戦場に放り込まれても、彼の心は ”ごっこ遊び” の世界の中にあった。そして彼は、なぜか幾多の戦場から生還し続ける・・・
「淋しい場所」(オーガスト・ダーレス)[1948]
子どもの頃、”わたし” は町へのお使いが恐ろしかった。帰り道に途中に、暗くて ”淋しい場所” があったから。そこには ”何か” がいるのだ・・・
「獲物」(リチャード・マシスン)[1969]
母親の束縛から逃れたいアメリア。電話で母親に辛く当たった夜、異変が起こる。恋人の誕生日のために買った人形が動き出し、アメリアに襲いかかってきたのだ・・・。こんな映画があったような気が。
「家じゅうが流感にかかった夜」(シャーリィ・ジャクスン)[1952]
夫婦と3人の子ども(うち一人は赤ん坊)、そして犬一匹の家族。彼らみんなが流感にかかり、寝苦しい一夜を過ごす。寝付けないままに布団や枕を持ってふらふらと家中を彷徨う様子を描く、それだけ。とにかく広い家で羨ましい(笑)。
「五時四十八分発」(ジョン・チーヴァー)[1954]
秘書を一夜の情事の後に解雇したブレイク。クビになっても彼女は手紙や電話でブレイクに接触しようとしていたが、彼は全て無視。ある日、列車に乗ろうとしたブレイクは彼女に出くわす。どうやら直接会いに来たようだ・・・
「その向こうは――闇」(ウィリアム・オファレル)[1958]
高級アパートに暮らす資産家の老婦人ミス・フォックス。ある日彼女は強盗に遭いダイヤの指輪を奪われてしまう。アパートのエレベーターボーイのエディを疑う彼女は、警察に彼が犯人だと告げてしまう・・・
「服従」(レスリー・アン・ブラウンリック)[1963]
第二次大戦中、フランス人の娘の ”わたし” が暮らすアルジェリアの村に、ドイツ軍人フォルクマルが現れ、村は占領されてしまう。フォルクマルに協力する ”わたし” は、次第に彼に惹かれていくのだが・・・
「リガの森では、けものはひときわ荒々しい」
(マージェリー・フィン・ブラウン)[1970]
ごめんなさい。私にはこの作品を理解できるだけの知性がありません。
うーん。前巻でミステリ度が上がったって書いたけど、この巻では下がってしまったと思う。
ミステリとして面白いと思ったのは「獲物(ルート)のL」「高速道路の殺人者」の2編。「高速-」はサスペンスとしても秀逸。
「争いの夜」はバイオレンス小説。
「トニーのために歌おう」「五時四十八分発」「その向こうは――闇」「服従」はサスペンス。「五時-」はホラーに入れてもいいな。
「正義の人」はサスペンスというよりは警察(警官)小説。
「戦争ごっこ」はファンタジーだね。さすがはブラッドベリ。
「淋しい場所」「獲物」はホラー。
「家じゅうが流感にかかった夜」はユーモア小説として読んだ。
「リガの森では、けものはひときわ荒々しい」
これ、ホントに分かりません。ていうか、分かる人いるのかなぁ。
このシリーズ、あと2巻なんだけど、一体どうなるのでしょうか。
ミステリ以外(と私が感じる)の作品でも、だいたいは面白く読めてきたのだけど、今回の「リガ-」を読んだら、私と編者の方とでは根本的に基準が違う気がしてきて、ちょっと心配です。
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