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夏への扉 (その2) [映画]

(「その1」より続く)

あんまり長文になったもんで、2回に分けた。

※前回も書いたけど、もう一度。
 以下の文章は、映画を観て思ったことを
 順不同に書いている。
 致命的なネタバレはしてないつもりだが、
 かなり内容に触れているので、これから映画を観ようという人は
 以下の駄文は読まないことを推奨する。

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写真は、この映画のパンフレット。
山崎賢人でも清原果耶でもなく猫のピートがメインビジュアル。
表紙もいいが、裏表紙がまさに「夏への扉」。
たしかに、「夏への扉」というタイトルは
”彼” の存在あればこそ、だものねぇ・・・

さて。

この映画において、原作との変更点は多々あるけれど、
最大のものは次の2つだろう。

人間型のアンドロイド ”ピート” が登場すること、
そして、ヒロインの年齢を11歳から17歳に引き上げたこと。

宗一郎と出会ったときから、ピートは作動がどこかしらおかしい。
やたら ”好奇心” が旺盛で、”感情” らしきものも垣間見え、
以後、宗一郎とずっと行動を共にすることになるる。

ピートの役割は様々だ。2025年世界の解説者であったり
人間離れ(?)した身体能力を発揮したりと大活躍。
宗一郎1人では困難なことも、彼の存在によって易々と進んだり。
彼にとっては、ドラえもんとT-800を足して2で割ったような
頼もしい相棒だ。しかも、宗一郎とのやりとりはコミカルで
しばしばクスリと笑わせてくれる。貴重なギャグメーカーでもある。

なぜ彼がそうなのかは作中では説明されない。
そこをあれこれ考えてみるのも楽しいだろう。
最後まで見終わってみると、彼の存在は
本作において最大のタイムパラドックスになっているのかも知れない。

そしてヒロインの璃子。

原作では11歳の ”女の子” だったが、
映画では17歳の高校生へと年齢が引き上げられ、制服姿で登場する。

原作のリッキーは、ともすれば ”男性にとっての願望充足キャラ”
として捉えられる面もあったと思う。
しかしそれでは、現代の映画では通用しないだろう。

制作陣は、この映画に登場する璃子さんについては
”一人の女性” としてきちんと描きたかった、ということだろう。

 ちなみに清原果耶さんは、本作の撮影開始時には17歳だったという。
 撮影中に18歳の誕生日を迎えたということなので、
 リアルに女子高生だったわけで、セーラー服が似合うのももっともだ。

そしてそれは、本作を21世紀に映像化するにあたっては
必須の要素だったのだろうと思う。

11歳のリッキーは、ダニエルにいろんな面で依存する
(依存せざるを得ない)少女だったが、
17歳の璃子は、宗一郎への想いは揺るがないものの、
自立した女性への道を、自分の足で歩んでいく人物として描かれていく。

リッキーは原作の終盤になってやっと登場するけれど、
璃子は映画の冒頭から登場、宗一郎が冷凍睡眠に放り込まれるまでの
サスペンスドラマ部分でも重要な役回りを果たす。

大幅に増えた出番の中で、彼女は常に自らの意思で行動し、
意思表示も明確だ。そして宗一郎への想いは一度も揺らぐことはない。

映画の中で、宗一郎は璃子を救うために過去へ戻るのだけど
彼女は守られるだけの存在ではないことが、しっかり描かれている。

それを示す一端となる(と私が勝手に想ってる)描写が、
映画の冒頭にある。
原作でのリッキーも利発そうな女の子だったが
璃子さんはそれを凌駕している。

映画の序盤、彼女が難しげな専門書を読むシーンがある。
いやいや、確かに賢そうなお嬢さんではあるが、これは単に
宗一郎に対して、ちょっと ”背伸び” をしてみせただけだろう・・・
なんて思ってたのだが、見終わってみるとこれも伏線だったようだ。

「ラスト、最高のサプライズが待っている」

映画のキャッチフレーズの一つなのだけど、
終盤で起こるイベント自体は、原作でも起こることだ。
異なるのは、そこに至る過程だろう。
同じイベントでも、描かれ方が違うと意味合いもまた変わってくる。
これもまた、璃子を「自立した女性」として描いてきた結果だ。

そして、ラストシーン。
ここで描かれる璃子さんが最高に美しい。

 「(映画は)主演女優が魅力的に撮れていれば、それだけでOK」
 ちょっと前に観た『映画大好きポンポさん』というアニメ映画の中で
 映画プロデューサー役のポンポさんが
 主人公に向けて、そんなことを語っていた。
 うろ覚えなので、細かいところは違ってるかも知れないが・・・
 このラストシーンを観ていて、上記の台詞が頭をよぎったよ。

清原果耶という女優さん、もともと綺麗なお嬢さんなのだけど
ラストシーンでの美しさはまた格別だ。

 見終わった後で、wikiで本作の企画のエピソードを読んで思った。
 「ひょっとして、小川Pはこのシーンが観たくて映画を作ったのでは?」
 そう思わせるくらい、素晴らしいシーンだ。

原作のリッキーと映画の璃子さんには、
イメージとしてかなりの差がある(というかほぼ別人)のだけど、
ここのラストシーンに至ると、
「ああ、私は確かに『夏への扉』を観ている」って思えたよ。

彼女をキャスティングしてくれた制作陣に拍手だ。

そしてここで流れる主題歌、LiSAの「サプライズ」がまたいい。
彼女が自ら書いたという歌詞が、宗一郎の心情に沿ったものになっていて
映画の終幕を大いに盛り上げてくれる。

1956年の原作に思い切った断捨離を敢行し、
2021年にふさわしい新たな要素を多く加えた作品でありながら
昭和生まれのオッサンである私でも、
「ああ、たしかに『夏への扉』だった」
って思える映画になっていたと思う。
私にとっては至福の2時間でした。

まだまだたくさん書けそうな気もするのだが
いい加減長くなってきたので、あと少しだけ。

主役2人以外の登場人物について。

宗一郎を陥れる松下和人。
演じる眞嶋秀和さんは、「麒麟がくる」に続いて
主人公を裏切る役どころになってしまいましたね(笑)。
和人は糖尿病を患っているという設定で、
初登場シーンではいきなりインスリンを射っていて驚いたんだけど、
これも伏線だったんですねぇ。

同じく宗一郎を裏切る悪女・鈴。
中盤での登場時は別の女優さんかと思ったんですが、まさかご本人?
特殊メイクならスゴいことで、それを演じた夏菜さんもまたスゴい。

田口トモロヲ演じるところの遠井教授は、
物語を一気に急加速させるキャラ。
彼の語るタイムパラドックスについては「?」が浮かぶのだけど、
教授の醸し出す、異様な ”ノリ” と ”勢い” で押し切られてしまう(笑)。

そして、原田泰造演じるところの佐藤太郎。
彼の異常なまでの有能さは、ある意味この映画一番のサプライズ(爆)。

その太郎の妻・みどりを演じる高梨臨さん。
『侍戦隊シンケンジャー』でシンケンピンクを演じてた頃から
大人っぽい雰囲気を醸し出してましたが、
今回では原田さんと ”いい夫婦” になってます。

原作もそうだったけど、善玉悪玉がはっきりしていて、
努力した者は報われ、悪巧みをした奴はきっちり制裁を受ける。
因果応報もまたエンタメの王道。

登場人物のネーミングについて。

原作での ”リッキー” は ”璃子” に、”ベル” は ”鈴” に、
物理学者 ”トウィッチェル教授” は ”遠井教授” に。

なるほどなぁと思ってたが、流石に
”サットン” 夫妻が ”佐藤” 夫妻、というのにはちょっと笑った。

じゃあ ”宗一郎” は?って、ちょっと考えたんだけど、
これはホンダの創業者・本田宗一郎から来ているんじゃないかな。
世界初の二足歩行ロボット・ASIMOを作ったのがホンダだったし。

ゴメンナサイ、あと一つだけ。

2025年に冷凍睡眠から目覚めた宗一郎が
病院から抜け出すシーンで、すれ違う人がみな彼に注目する。
特に、看護師と覚しきお嬢さんの「いかにも奇異なものを見ている」
みたいな視線が印象的だったのだが
その理由は映画の中では明かされなかった。

でも、映画を観た翌日になってから(えーっ)
「そうかあ、そうだったんだよねぇ」と膝を打った。
いやあ、アタマの回転が悪いにもほどがある。

これ以外にも、いろいろ仕込んでありそうだ。
機会があったら、もう一回見に行きたいと思ってる。

いやあ、まだまだ書けそうなだなあ(おいおい)。


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夏への扉 (その1) [映画]

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まさかの実写映画化だ。

私が原作を初読したのは19だったか20歳だったか。
この辺のことは以前の記事にも書いた。

wikiを見ていたら、本作を企画した小川真司氏は
「1979年の初読以来、映画化はずっとずっと個人的な夢」
だったそうだ。

1979年ということは、読んだのはハヤカワ文庫版かな。
私とほぼ同時期に原作に触れた人だったんだね。
もっとも私は大学生だったけど、小川氏はたぶん高校1年生。
その時に抱いた夢を叶えたわけだ。これはこれで素晴らしいことだろう。

 もしタイムマシンがあるのなら、1979年頃の私に会いに行って
 「40年後に、日本で実写映画化されるぞ」って言ってみたいものだ。
 絶対信じなかっただろうけど(笑)。

小説版の方の記事にも書いたが、原作者のハインラインは、
原作となった小説の中で
「そして未来は、いずれにしろ過去にまさる」と書いている。

現実世界を見ていると、なかなかそう思えないけれど
ことサブカルに目を転じると、これは紛れもない事実だと思う。

ここ数年で、ヤマトはリメイクされるし、
ガンダムやゴジラの新作映画はできるし、
ウルトラマンや仮面ライダーのリブートも製作されるし、
昭和生まれのオッサンとしては誠に嬉しい限り。
そしてついには、あの『夏への扉』までが映画になるなんて・・・

いやあ、長生きはするものだ・・・

閑話休題。


原作小説は、日本のSFファン対象のアンケートにおいて
過去50年近くも常に3位以内をキープしているという ”殿堂入り” 作品。

しかし、原作の人気が高いほど不安になるのは映画の出来映えだ。
原作への愛着が大きい人ほど心配だろう。
私自身、末席ながらその一人だと思っているので・・・

さて。

結論から言うと、杞憂だったように思う。
「思っていた以上に、原作に沿っていたな」というのが第一印象。

もちろん、65年も前に発表された作品であるし、
舞台も日本に置き換えられているので、変更点も少なくない。

原作を知ってる人ならば
「あー、あのシーンはないんだぁ」とか
「あの台詞も使わないのかぁ」とか、
どうしても小説と比べなから観てしまうだろう。

でも、ラストシーンまで見終わってみると、
変更点には、それはそれで意味があったと思える。

もちろん、評価は人それぞれ。
厳しい評価をする人もいるかも知れないが、私はこの映画が好きだ。

いや、「好きになれる映画」になっていてよかった、というべきかな。
原作の発表時と21世紀の現在では、科学技術はもちろん
人々の価値観も、男女の有り様も変わった。

作品を取り巻く初期条件が変化しているのだから
「映画化」という ”問題” を解くのは、簡単ではなかっただろう。
でも本作は、(”満点の解答” かどうかはわからないが)
”最適解” の一つになっているのは間違いない、と思う。

さて、以下に映画を観て思ったことをつらつらと
順不同に書いていくけど、けっこう内容に触れている。
致命的なネタバレはしてないつもりだが、
これから映画を観ようという人は
以下の駄文は読まないことを推奨する。

主人公・高倉宗一郎は1968年生まれで、
物語開始時点の1995年では27歳になっている。
映画は、68年からの95年に至るまでのニュース映像から始まる。

ニュースの合間に、宗一郎の半生を綴る写真も織り込まれ、
主人公の背景紹介になっているのだけど、ここで既に
映画としての ”仕込み” は始まっている。

世に有名な「三億円事件」は1968年に起こるのだが、
このニュース映像の中では犯人が逮捕されている。
”我々の世界” では、犯人は捕まらずに逃げおおせているので、
この映画で描かれる世界は、”我々の世界” とは似ているけど
同じではない ”別の世界” であることを示しているわけだ。

 「三億円事件」を知らない若い人は、ググってください(笑)。

そして、映画後半で重要な役どころを務める物理学者・遠井が
”物質移送” 実験に成功したことを伝える映像も流れる。
この時点で彼は空間の壁を突破しているわけだ・・・。

両親が相次いで早世し、孤児となった宗一郎は
飼い猫のピートともに、父の親友だった大学教授・松下に引き取られ、
彼の娘・璃子(りこ)とは兄妹のように暮らしていくことになる。

しかしその松下夫婦も航空機事故で亡くなり、
璃子は叔父の松下和人(かずと)と暮らすことに。

大学を卒業し、ロボット研究者となった宗一郎は
和人とともに会社を設立、順調に開発は進んでいき、
会社の計理士だった白石鈴(りん)とも婚約を交わす。

しかし会社の運営方針を巡って和人と衝突、鈴の裏切りもあって
資産も研究成果もすべて奪われてしまい、
さらには強制的に30年間の冷凍睡眠に放り込まれてしまう。

 この世界の1995年では、冷凍睡眠が実用化されていて
 誰でも利用できるようになっている。

 作中、冷凍睡眠のTVCMが流れるのだけど、
 当たり前だがブラウン管TVである。
 (今となっては「ブラウン管」も死語だなあ・・・)

 流れるCM映像はこれまた昔懐かしい、往年の東宝特撮映画みたいな
 雰囲気で、ちょっと嬉しくなってしまったのはナイショだ(おいおい)。

宗一郎は30年後の2025年の東京で目を覚ます。
彼の前に現れたのは、人間にそっくりな介護ロボット・”ピート”。
ピートとともに街を歩き、30年間の世界の変貌に驚く宗一郎だが、
ある人物から、璃子が謎の死を遂げていたことを知らされる。

ピートの力を借りて30年の間に起こったことを調べた宗一郎は、
再び1995年へと時を超えることを決意する・・・

(「その2」へ続く)


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『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 前章‐TAKE OFF‐』特報(『ヤマトという時代』上映後付けver)公開 [アニメーション]

映画館でしか観られなかった、上映後付けverが公開されました。
以前の特報が30秒だったのに比べて、こちらは42秒。
あれ? 「宣伝会議」では1分あるって言ってなかったっけ?
まあ、細かいことはおいといて(えー)
とりあえず、追加部分を確認してみよう。

まずデスラーのナレーション。
「無限に広がる大宇宙・・・この無数の星々のきらめきの中に・・・
 ・・・様々な生命の営みがある・・・愛、希望、野心」の後に
「かくも広大なればこそ、宇宙は時に、
 奇跡と呼ぶほかない偶然に、我らを導きもする・・・」
と続く。何を以て ”奇跡な偶然” となるのでしょう。

追加シーンは

・どこかの惑星上に駐留していると覚しき謎の艦隊。
 艦の形を見る限り、ボラー連邦っぽいけどね。

・山南艦長
 暗黒星団帝国こそ、山南さんの ”前世からの敵”(笑)ですからねぇ。
 彗星帝国編以上に大暴れしてほしいものです。

・コクピットのいるのは山本?
 機体はコスモタイガーIIですね。メルダとの共闘再び?

・母親とその娘と覚しき二人。
 お母さんはずいぶんふっくら(笑)。さて、ストーリーの中で
 どんな関わりを見せてくれるのでしょうか。

・ツンツン頭のお兄さん
 彼は前回の特報にも出てましたが、いつの間にか
 公式サイトに追加されてましたね。その名も「キャロライン雷電」。
 容貌とのギャップに笑ってしまいそうですが、
 さてどういう風に物語に絡んでくるのでしょうか
 それと、旧作の雷電五郎とは何か関係があるのかな?

・アナライザー色違い3人(?)組
 復活するのでしょうか? 「2202」で壊れてしまったけど
 メモリーのバックアップくらいは取ってあったよねぇ・・・?

・佐渡先生
 相変わらず酒が切れないようで。私もですが(笑)。

・星名君ですか?
 嫁さんをほっといてヤマトに乗るのかな?

・ディッツ提督
 メルダの父上ですが、彼はヒス派でしょうから
 デスラーとの関係はどうなるのでしょうかね。

・芹沢参謀
 「2202」の最終回でちょっとイメージを変えましたが、
 「2205」ではどんな風に振る舞うのでしょうかね。

・山崎さん
 もちろんヤマト新機関長でしょう。
 徳川太助が彼にしごかれるシーンがあるのは、もう確定でしょうな。

・ヒルデ・シュルツ
 「2199」で予想以上に人気が出た彼女。13歳(地球換算)だった彼女も
 「2205」では(たぶん)19歳。さて、どんな形で再登場するのか。

・板東平次
 キャラクター紹介だけ、という状態から、やっと登場。

・バレル大使
 おお、もうオールスターキャストですな。

・北野のアップ
 なにげに、見せ場があるのでしょう。

・島、南部、太田、相原
 やはりヤマトの第一艦橋には、このメンバーが必要です。

そして、ラストに一瞬映るのは

・デーダー
 旧作よりも精悍な感じ?

・プレアデス
 正確には、現段階では「暗黒星団帝国(仮称)」なのでしょうが・・・

さて、現在映画館では、「ヤマトという時代」とともに
”「2205」の冒頭6分18秒” が上映されてます。

ヤマトに限らず、いろんなアニメで
宣伝の一環としてこの方法が取られていますが
もともと私は「冒頭○○分」というのにあまりそそられないようで
いままで一度も観たことがありません。

余計な情報は入れない方が本編を楽しめると思ってるからなんですが。

さて、今までのヤマトは、たいてい
かみさんと二人で観に行ってたんですが
今上映中の「ーという時代」は、かみさんは観てないんですよね。

あちらにいろいろ仕事が立て込んでいたもので、
私だけ先に観てしまいました。

今後、予定が合えば二人で映画館に行くつもりはあるんですが
有形無形の縛りというか制約があって、いまのところ
揃って観に行ける予定が立たない状態です。

もし、観に行ければ必然的に「冒頭6分18秒」も観ることになるんだけど
そのあたりはもう、運任せですな。


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ヒノマルソウル ~舞台裏の英雄たち~ [映画]


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1994年のリレハンメルオリンピック。
主人公・西方仁也(にしかた・じんや)はスキージャンプ団体、
いわゆる “日の丸飛行隊” メンバーの一人だった。しかし。
日本はエース原田雅彦のジャンプ失敗で金メダルを逃してしまう。


4年後の長野オリンピックでの雪辱を誓い、選手たちは日々練習に励む。
そして、船木たち有力な若手もまた頭角を現してくる。
そんな中、西方は練習中に負傷してしまい、練習からの離脱を
余儀なくされる。懸命なリハビリによって長野オリンピック直前で
復帰にこぎつけたものの、代表候補からは外されてしまう。

失意に沈む彼に、テストジャンパーとしての
オリンピック参加が打診される。

 テストジャンパーとは、選手が本番で飛ぶ前にジャンプを行って、
 コースの調整をする役目を負った者のことだ。

「なんでオレがそんなことをしなければならない・・・」
屈辱を感じながらも、裏方としての参加を受け入れる西方。

そして迎えた長野オリンピック本番。
集まった25人のテストジャンパーは、みな様々な思いを抱えていて
一枚岩とはほど遠い、いわば ”寄せ集め” だった。
そんな異なる思惑のもとに集まった集団に、反目や対立が起こる。

物語は、そんなテストジャンパーたちを描きながら進んでいく。
西方もまた、その中にあって傍観者ではいられない。
他のメンバーたちとも、いやでも関わりを持つことになり、
それが彼を少しずつ変えていくことになる。


そしてついにスキージャンプ団体戦の日を迎える。
1本目のジャンプで、原田の失敗により日本はまさかの4位に後退。
しかも折からの猛吹雪により競技が中断。
このまま中止となれば1本目の成績だけで順位が決まってしまう。


メダルの可能性が消えかけた時、審判員たちから提示されたのは、
「テストジャンパー25人全員が無事に飛べたら競技を再開する」
という前代未聞の条件だった・・・

実話を元にした作品だという。

もちろん、ドキュメンタリーではないのだから
映画の内容が全て事実ではないだろうし、
ドラマチックな展開にするために、ある程度の脚色も施されているだろう。

公式サイトの紹介文には
「誰もが心を打たれる感涙必至のヒューマンドラマ」とある。

じゃあそんな感じの、「いかにもな演出」があるのかというと
そういうわけでもないように思う。

田中圭演じるところの主人公・西方仁也は、
大きな挫折と葛藤を抱えながらも、テストジャンパーとして
長野オリンピックに参加するが、彼が自分の心に折り合いをつけ、
日本の金メダルのために飛ぶことを決意するのは
じつに映画の最後の最後、クライマックスの直前だ。
彼はそれまでの間、悩み続ける。そして観客もまた、
最後まで彼の迷走につき合うことになる。


観ていて思ったことをいくつか。

まず「テストジャンパー」という存在を知らなかった。

そしてその中には、難聴というハンデを抱えながらも
130mを超える自己ベスト記録を持つ者や、
どんなに記録を出そうとも、決してオリンピックに参加できない
女子高校生ジャンパーなど
(当時、女子ジャンプはオリンピックの正式種目ではなかった)
自らの満たされぬ思いをテストジャンプという場にぶつける者たちが
いたことも初めて知った。

そして彼ら25人が、吹雪の中のテストジャンプに挑むクライマックス。
一歩間違えれば重大事故につながる。
怪我の具合によっては選手生命を絶たれることもある。
それでも彼らは、飛ぶことを決断する。

誰にも知られず、誰からも賞賛を受けることも無く、
ただ日本のメダルの可能性を切り開くために飛ぶ。
そんな、まさに ”舞台裏” の仕事に徹した者たちがいたことを知った。

上の方でも書いたが、観客の涙を誘うような「いかにもな演出」は
無いわけではないが、それがあからさまに現れる場面は少ないように思う。

それでも、見ている私の涙腺は途中から緩みっぱなしであった。
コロナ禍の折、マスクをつけての鑑賞なのだが
そのマスクが鼻水でグズグズになりそうなくらいには涙が出た。

 まあ、私が人並み外れて涙もろいということなのだろうが・・・

私自身が、華やかなスポットライトを浴びる立場からは
全く無縁の人生を送ってきたせいもあるだろう。
裏方の仕事をすすんで引き受けることも多かったし。

しかし、私の40年の職業人生の中で、(元)同僚達の中には、
周囲や世間からの賞賛をあびるような実績を残した者もいる。
もちろん、そういう人たちはそれに見合う努力をしていたし
人生のリソースのうち、かなりの部分を注ぎ込んでもいた。

だからそれは当たり前のこと。
私が彼ら彼女らに届かないのは、それだけの覚悟を持って
取り組んでいなかっただけの話。それはそうなのだけど・・・
私の中に、彼ら彼女らに対する羨望や嫉妬の感情が無かったか、
といわれれば、残念ながら否定せざるを得ない。

人間は理性よりも感情の動物だ。私もその枷からは逃れられない。

おそらく世の中の99%の人は、華やかな脚光とは無縁の存在だろう。
この映画は、そんな99%の「その他大勢」の人を描いている。
それでも、わずか1%の「脚光を浴びる人」の陰には、
99%の「その他大勢の人」の努力があった。
そのことを描いてくれたのだから、”以て瞑すべし” なのだろう。

だから、99%の「その他大勢の人」の人生を歩んできた私が、
それで涙を流したっていいじゃないか・・・なんて思った。

俳優陣についてちょっと書く。

西方の妻・幸枝(ゆきえ)は、彼にとっては精神的な支柱となる女性。
演じるのは土屋太鳳。ちょっと前までは制服を着て
女子高生を演じていた気がするのだが、
本作では3歳の子を持つ母として登場する。
西方が何をどう言っても動じないという、度量の広さを感じさせる。

テストジャンパー・髙橋竜二を演じるのは山田裕貴。
聴覚障害がありながら、テストジャンパー集団において
貴重なムードメイカーとなる、という難しい役どころを熱演している。

女子高生ジャンパー・小林賀子は紅一点、
かつ(おそらく)最年少なのだろうが、映画の中においては
要所要所でストーリーの流れを作る大事な台詞を任されるという
ある意味 ”メインヒロイン” 的な位置に立つ女性である。
演じるのは小坂菜緒(日向坂46)。寡聞にして存じ上げなかったけど
台詞回しには堅さが感じられるが一生懸命に演じているのはわかる。


 いつまでアイドルを続けるのかはわからないけど、
 早めに女優に転向した方が未来は開けるのでは・・・
 なぁんて思ったり(笑)。

未だコロナ禍が収まらない中、東京オリンピックを目指すアスリートには
辛い状況が続いていることだろう。

私もこの状況での五輪開催には不安を覚える一人だが
こういう映画を観てしまうと、いろいろ考えてしまう。

アスリートたちは五輪の舞台に上がるために必死の努力を続けている。
少なくとも彼ら彼女らには、コロナ禍に関して何の責任もないのだから
とにかく胸を張って頑張ってほしいものだ。


少なくとも、私にはそれしか言えない。


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夏への扉 〔新装版〕 [読書・SF]

夏への扉〔新版〕 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉〔新版〕 (ハヤカワ文庫SF)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2020/12/03
  • メディア: Kindle版
評価:殿堂入り

オールドSFファンなら知らぬ者のない「永遠の名作」の新装版だ。

原著は1957年に刊行され、本邦初訳は翌58年。
訳者は福島正実氏。「SFマガジン」初代編集長だった人だ。

巻末の解説によると、それ以降、出版社が変わったり判型が変わったり
新訳になったりしながら、合計8回も ”新装版” が刊行されている。

それに加えて、国内でのファン団体や出版社主催による
各種の「オールタイムベストSFアンケート」では
1968年から2006年に至るまで、常にベスト3に入り続けているという。
なんと半世紀にもわたって驚異的な人気を保っている作品でもある。

私自身も、高校生の頃には題名だけは知っていた。
「名作」らしいというのは分かっていたが、手に入らなかった。
当時の最新版は「早川書房 世界SF全集 第12巻」(1971年刊行)。
同じ作者の長編「人形つかい」(これも名作!)と合本で1冊というもの。
しかし絶版だったのか、書店にない。
(あっても、高価で買えなかったかもしれんが)

そこで、大学1年だか2年(77~78年)の夏に、神田の古書店を巡って
上記の本を探し回った。見つけたときの喜びは今でも覚えている。
このへんのことは、過去の記事にも書いたなぁ。

 79年の春まで待てば、ハヤカワ文庫版で再刊されるなんて
 そんなことは分からなかったからねぇ・・・(笑)
 ちなみにこの文庫版も購入した。捨ててはいないので
 実家へ行けば、どこかに転がっているはず(おいおい)。

2009年には、小尾芙佐氏による〔新訳版〕が刊行。
コレも買ったなぁ。21世紀に合わせて訳語がアップデートされてた。

しかしそれ以後も、福島正実氏による旧訳版の人気は衰えず、
今回の新装版も福島版だ。実に日本で9回目の新装刊行である。
そしてこれは、実写映画化とのタイアップでもある。

 映画については、6/25に公開されるので、それを観てから書く予定。

前置きが長くなってしまった。内容紹介に入ろう。
オールドSFファンなら説明は不要だろうが、
知らない人も多いと思うので。

致命的なネタバレはしてないつもりだけど、
かなりストーリー(特に後半)に触れているので、
これから本書を読もうという人は、
以下の駄文は読まないことを推奨します。


舞台となる時代は1970年。

 ちなみに、本作は雑誌での初出が1956年だから、
 1970年は ”14年後の未来”。
 今の我々からみたら2035年あたりの感覚か。

主人公ダニエルは天才的な発明家で、飼い猫ピートと暮らしながら
多くの画期的な製品の開発に没頭していた。
物語は、彼の一人称で語られていく。

親友のマイルズ、秘書のベルとともに立ち上げた会社は
順調に成長していき、やがてダニエルはベルと婚約する。

しかし会社の運営方針を巡ってマイルズと衝突、
婚約者のベルにまで裏切られ、ダニエルは会社の権利や
彼の発明品に至るまで全てをだまし取られ、
さらには30年間の冷凍睡眠に放り込まれてしまう。

 この時代、冷凍睡眠技術は実用化され、費用の工面がつけば
 誰でも利用できるようになっている、という設定。
 不治の病を患っていて、未来での医療技術の進歩に期待するという
 深刻な願いをもつ人から、単純に未来世界を見てみたいという人まで
 様々な人々に冷凍睡眠が利用されている。

30年後の2000年に目覚めたダニエルは、
無一文で未来世界に放り出されることになる。
しかも、身につけていた科学技術も30年前のもの。

しかしここでくじけないのが主人公。
奮闘努力を続けて自分の居場所をつくっていく・・・

今回再読をしてみて気がついたのは、1970年と2000年の描写に
けっこうページを費やしていること。

この新装版は文庫で約400ページあるのだけど、
ダニエルが裏切りに遭って冷凍睡眠に放り込まれるまでが約150ページ、
西暦2000年の世界での奮闘を描くのが約150ページという配分だ。

作中でダニエルが考案する発明の数々、
その多くは家庭内の家事労働軽減のための機械。
いまでいうところのルンバみたいなものを考えていたわけだが
ダニエルは最終的に人間型のメカ(ロボット)に行き着く。

 今回の実写映画化では、主人公のダニエルこと高倉宗一郎(山崎賢人)が
 ロボット開発者に設定されているのは、そのためだろう。

そしてまた、未来世界をリアルに描くのも
ハインラインお得意の技で、半世紀以上昔の作品ながら、
未来の描写のいくつかは現代に通じるものもあったりして
今でも読むに耐えるものになっているのは流石だ。

西暦2000年で暮らしているうち、ダニエルは疑問を感じ始める。

自分が発明した機械(及びその改良型)は、
大企業が生産して広く普及しているのだが、どうやら
その会社にはマイルズとベルは関わっていないらしい。

そしてもう一つ。どうしてもリッキーの行方がつかめないこと。

リッキーとは、マイルズの義理の娘で、1970年当時は11歳。
ダニエルとピートのことを慕ってくれる少女だった。

しかしある偶然から彼女の手がかりを得たダニエルは、
その糸をたぐり、ついにリッキーの消息を掴むのだが・・・

このあとダニエルは、ある方法で30年過去の世界、
1970年へとタイムトラベルするのだけど、ページを確認したら
彼が ”跳ぶ” のは、ラストまで100ページを切ったあたり。
なんとなく、彼が時を超えるのは物語の中盤あたりかと
思っていたんだけど、けっこうラスト近くだったんだね。

戻った過去で ”いろいろ” あって、
ダニエルはリッキーとの再会を果たす。
ここでまた数えてみたら、2人のシーンは20ページほど。

物語のあちこちで彼女の名前は出てくるのだけど、ちゃんと登場して
ダニエルと2人だけで会話を交わすのは、ほぼこの20ページのみ。

このわずか20ページの出演で、日本のオールドSFファンの心に
しっかりその名を刻んでしまう「永遠のヒロイン」になろうとは。
作者のハインラインさんも思いもよらなかったでしょうな。

 出番だけならベルの方が圧倒的に多いのだけど
 「ベルがヒロイン」なんて書こうものなら、
 日本中のオールドSFファンから石を投げられますからねぇ・・・

 ちなみに、実写映画で原作でのリッキーに相当する
 松下璃子(りこ)を演じるのは清原果耶嬢。
 原作より年齢を上げて、高校生(18歳くらいか)に設定されてる。
 それでも、当代一の美少女が演じてくれるのは嬉しい限り。
 これだけでも映画館に足を運ぼうという気になる(おいおい)。

2009年に新訳が出たけれど、福島氏の旧訳の方も
根強い人気があるのは、いろいろ理由があると思うのだけど
(実際、今回の映画の「原作」として取り上げられたのは旧訳の方だ)
私からすればただ一点。
この新装版で言えば、372ページのリッキーの台詞にある。

 おそらく、小尾芙佐氏の新訳の方が原文には忠実なのでしょう。
 でも、旧訳の方が心を動かされてしまうのは、
 私が昭和生まれの古い人間だからかも知れません・・・

このあと、物語は絵に書いたような大団円を迎えるのだけど
ラスト近くのダニエルの言葉に、
当時のハインラインの考えが語られているように思う。

「そして未来は、いずれにしろ過去にまさる」
「誰がなんと言おうと、世界は日に日に良くなりつつあるのだ」
「人間精神が・・(中略)・・新しい、よりよい世界を築いていくのだ」

上にも書いたが、本書の初出は1956年。世界大戦は終結し、
まだ米ソの冷戦もそんなに深刻ではなかっただろう。

世界は(少なくとも先進国は)平和で、誰もが楽観的で、
未来に希望を抱ける時代だったのかも知れない。

現在の世界情勢を見てみると、隔世の感もあるが
ちょっと羨ましかったりもする。
1950年代よりも科学技術は格段の進歩を遂げたけど
そのわりに人間は幸せになっていないのかも知れない。

でも、たまにはこんな物語に浸るのもいいんじゃないか?
そして、そんな時代が来ることを願ってもいいんじゃないか?
そんなことを思った。

「主人公が時を超えて過去へ向かう。
 大事に思う女の子を探すため、あるいは助けるために・・・」
そんな作品は、昨今では珍しくなくなってしまったけれど、本書は
(私の知る限り)その「嚆矢」であり「元祖」とでも言うべき作品だ。

 今の若い人の感覚に合うかどうかは分からないけど・・・


もういい加減長く書いてきたのだけど、あと一つだけ。

この駄文を書いているときに思いだしたことがある。
「そういえば、この作品をモチーフにした歌があったな・・・」

その名もズバリ『夏への扉』。歌ってたのは難波弘之という人だった。
ひょっとしてもうお亡くなりかなと思ってwikiで調べたらご存命。
なんと東京音楽大学で教授を務めていらっしゃる。失礼!

 40年も昔の人の名前はすらすら思い出せたのに、
 昨日の晩ご飯のメニューが思い出せないのは何故だ(おいおい)

この曲は難波弘之氏が1979年に発表したアルバム、
「センス・オブ・ワンダー」に収録されてる。
ちなみに作詞は吉田美奈子、作曲は山下達郎。
山下氏自身もセルフカバー版を出していて、
こちらはラジオで聞いた記憶がある。
実家を探せばエアチェック(死語だね)したカセットテープが
どこかにあるはずだが、もうとっくに劣化してるだろうなぁ・・・

さて、実写映画は6/25公開予定。
観にいくつもりなんだけど、公式サイトを見てみたら
けっこう原作から改変されてるみたいなので不安も大きい。
期待しすぎたらがっかりするかも・・・

映画を見たら、記事に上げます。
そしてそれが、私がこの「夏への扉」という作品について書く
最後の文章になるでしょう・・・たぶん?

こんなに長い文章を書いたのは、ヤマト関連以外では久しぶり。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。m(_ _)m


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ローズメイカー 奇跡のバラ [映画]

rosemaker.jpg
本作はフランス映画なんだけど、タイトルが英語なのはなぜ?
なんてツッコミはおいといて、内容紹介。

ちなみに「ローズメイカー」とはバラの育種家。
新種のバラをつくり出すことを生業にしている人のことだ。

舞台はフランスの郊外。

主人公のエヴは、あふれる才能と魔法のような指で
過去には新種のバラを多く開発し、数々の賞に輝いてきた。

結婚もせずにバラの育種に勤しんできたが、農園を経営していた
父が15年前に逝き、ここ数年は大手企業のラマルゼル社に
新種のバラのコンクールでも負け続け、顧客も奪われ、
父が遺したバラ農園も倒産寸前の状態にあった。

父の代から農園で働いてくれている助手のヴェラは、
立て直しのために職業訓練所から格安で3人の従業員を雇い入れる。

しかし三者三様に問題を抱えたメンバーたちでもちろん全くの素人。
仕事を任せてみれば、エヴの足を引っ張るばかり。

そんな頃、エヴに起死回生のアイデアが閃く。
画期的な新種のバラをつくりだす交配プランを思いついたのだ。

しかし、必要な2種の希少種バラのうち、1つは手元にあったが
もう1つはラマルゼル社のバラ園に秘蔵され、門外不出の扱い。

雇い入れた新人の1人、フレッドに窃盗の前科があったことから、
エヴは彼の ”特技” を利用してラマルゼル社のバラ園に忍び込み、
交配に必要な希少バラを盗み出そうとするが・・・

キャッチコピーは
「愛すべき〈はみだし者〉たちの逆転サクセス・ストーリー!」
とあるのだけど、映画本編から受けるイメージはかなり異なる。

まず主役のエヴが、”愛すべきおばさん” に見えないんだよなぁ。
バラの育成だけが人生のすべてで、父のバラ園を残すことが至上命題。
そのためなら不法行為に手を染めることも厭わない。
映画の前半では、嫌われる要素は満載だが好かれる要素は少ない。
”貧すれば鈍する” の道を一直線に驀進中だ。

もちろん、物語が進むにつれて彼女の人となりがわかってきて
愛情も思いやりも人並み以上に持ち合わせていることが
分かってくるのだが・・・

さらに、”逆転サクセス・ストーリー!” なんて煽られると
エヴと新人問題児3人が、さぞかし熱く奮闘するんだろう・・・
というイメージを持ったのだけど、これもそれほど描かれない。
農園の経営資金を得るために、3人はバラの売り込みに奔走するが
頑張ってはいるけど ”熱闘” というほどではない。

この映画全体に言えることなのだけど、全体に ”薄味” だ。

ハリウッド映画だったら、問題児3人がバラを売り歩くシーンなど
抱腹絶倒のギャグシーンの連続として描くだろうし、
作中では悪役に相当する大手企業の経営者ラマルゼル氏は
札束にものを言わせて非道なことをゴリ押しをするような、
分かりやすい悪人として描かれるだろう。

しかしこの映画のラマルゼル氏は、バラの育種をきちんと
企業の業務として組織化し、かつ結果を出している有能な経営者だ。
エヴに対して農園の買収を申し出るけど、従業員の雇用も守るし、
エヴ本人に対しても、それなりのポストを用意するという。

 もっとも、台詞のニュアンスが伝わってこないので、そのへんは不明。
 もしかしたら、ものすごく嫌みったらしい口調で
 喋ってるのかも知れないが・・・
 字幕からではそういう雰囲気は感じられないけどね。

そういうふうにラマルゼルを描いているものだから、
終盤になって問題児3人が口々にラマルゼルを批判する台詞を
口にするのには、正直言って違和感の方が大きかった。

最後の〈サクセス〉にしても、奮闘努力の甲斐あって、
というよりは、けっこう偶然に助けられてのもの。

 もっとも、毎日の ”凡事徹底” の姿勢こそが
 成功の秘訣、ということなのかも知れないが。

このあたりの展開も、ハリウッド映画だったら
ド派手に盛り上げるのだろうが・・・

フランス映画というのは、こういう雰囲気のものが多いのでしょうか。
ハリウッドの “高カロリー濃厚とんこつ味” に慣れてしまった身には
この映画の持つ ”ほんのり塩味あっさり風味” には戸惑います。

濃厚味のものばっかり食べていると健康に悪い。
たまにはこういう味のものに出会うことも必要なのかも知れません。


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グリーンランド ー地球最後の2日間ー [映画]

greenland.jpg

太陽系に侵入してきた彗星が分裂し、生じた無数の破片が地球に降り注ぐ。
各地に甚大な被害が発生するが、それは前哨に過ぎなかった。

かつて恐竜を絶滅に追いやった隕石に匹敵するような巨大な破片が
48時間後に地球に衝突することが判明したのだ。

アメリカ大統領は来るべき破滅が避けられないものとみて、
復興のために必要な人材を選別し、生き残らせることを決定する。

主人公の建築技師、ジョン・ギャリティはその選ばれたメンバーの一人。
突然、彼のスマホに大統領府からの直接指令が入り、
避難シェルターへの移動のために、軍基地への出頭が命じられる。

ジョンと妻・アリソンとの関係は破綻しかかっていたが、
彼は妻子を連れて家を出て、指定された基地へ到着する。
しかし息子・ネイサンに持病(糖尿病)があったために
輸送機への搭乗を拒否されてしまう。

さらに、選ばれなかった人々が暴徒と化して基地に押し寄せる。
滑走路上で軍と争ううちに輸送機が破壊され、そして
その大混乱の中、ジョンは妻子と離ればなれになってしまう・・・

この手の映画では、超大国の首脳部や宇宙飛行士などの
特別な人間にスポットが当たるパターンが多かったが、
本作はあくまで市井の人々に焦点を当てている。

ギリギリのところで地球を救うようなヒーローは現れず、
ひたすら生き延びるために足掻く人間たちが描かれる。

ジョンの一家は、親しかった友人たちを振り捨てて脱出しようとし、
商店街は暴徒の略奪を受け、街には銃声と悲鳴が響き渡る。

善意を寄せてくれる人もいるが、ジョンたちが
”生存権” を持っていると知ると豹変し、牙をむいて襲いかかる。

そんな中でジョン、アリソン、そしてネイサンのサバイバルは続き、
壊れかかっていた夫婦の絆もまた、再生されていく。

後半に入り、3人はついに再会を果たすが、
流石にこのあたりはちょっと感動的だ。

ここで終わりかと思いきや、物語はさらに続く。
ジョンは妻子を連れ、グリーンランドにあるという
シェルターへ向かおうとするのだが・・・

この後は映画の結末に触れる。
盛大にネタバレしているので、未見の方はご注意を。

前半は、パニックものとしてそれなりに面白く観られるのだけど
後半に入ると、疑問点というかツッコミどころがだんだん増えていく。

まず、シェルターがグリーンランドにあるという情報が
けっこう多くの人に知られてるみたいなのは如何なものか。
もともと広く公開されていた情報だとも思えないし、
主人公たちが知るのも、噂というか口コミレベルである。

 しかも、シェルターはホントにグリーンランドにあるんだから・・・
 どこから漏れたんでしょうね?
 これじゃ、世界中から人々が殺到しちゃうんじゃないの?

それに、ジョン一家がシェルターに辿り着いたとしても、
空きがあるかどうかも分からないよね。
仮にあっても、持病があることでいったんは拒絶されてるんだから
入れる保証はない。そうしたらジョンはどうするんだろう。
でも行くんだよね・・・なぁんて心配しながら観てた。

ジョン一家は口伝えで聞いた話を信じてカナダへ行き、
”巨大破片” 落下まであと数時間、というところで飛行場に到着、
グリーンランドへ向かう小型飛行機に乗り込むことができてしまう。
これもちょっと安易なようにも思うが、ここでもたもたしていたら
彼らはここで死んでしまうからね・・・

ならば、さぞかしグリーンランド上空はそんな飛行機で
溢れかえっているんじゃないかと思いきや、そんなこともない。

そして着いたら、シェルターにすんなり入れてしまうのも拍子抜け。
ここでまた一悶着あるんじゃないかと思ってたんだが、
心配して損したよ(笑)。

好意的に解釈すれば、暴徒に襲われるとかのトラブルに巻き込まれて
到着できなかった人々も少なからずいた、ということか。
想定以上に ”定員” が埋まっていなかったのかもしれないし、
それに、到着した時点で ”落下” まで数分だったみたいなので
シェルターの職員もいちいち資格に拘らなかったのかも知れない

そして、迎える運命の時。巨大破片はヨーロッパ中央部に落下する。

よりによって最も人口密度の高そうなところに落ちるのは
”絵” として盛り上がるから・・・なのでしょうなぁ。
普通に考えれば海に落ちる確率の方が高いし、
陸だって、シベリヤや中央アジアやサハラ砂漠やアマゾンとかの
広くて人間の少なそうなところもいっぱいあるのにね。

そして、エピローグは破片落下から9か月後。

事前の試算では、地上の生命の75%が死に絶えるとのことだった。
実際、画面に描かれるのは燃え尽きて廃墟と化した世界中の都市群。

でも、あちこちから無線が飛んでくるんだよね。
(たぶん)わずかに生き残った人々が、仲間を求める呼びかけが。

 一番簡単な答えは、グリーンランド以外にも世界の各地に
 いろんな国が密かにシェルターを作っていた、ってことなのだろう。

ジョンたち生存者が、未来に希望を感じなからエンドマーク・・・
ということなのだろうけど、私としては
9ヶ月の間、グリーンランド以外の人々が
どうやって生き延びてきたのか、どんな人たちが、どこに隠れて、
何を食べてきたのか。あの暴力と混乱をどう乗り切ったのか。
そっちのほうが知りたいなぁ・・・なぁんて思いながら
エンドロールを眺めていました。

余計なことを書けば、恐竜が滅んだ隕石落下で起こった
気候の大変動は、数年にわたって続いたと推定されていたので、
農作物の収穫もゼロでしょう。
映画の中で生き残った人々は、さらに数年間、
サバイバルのために足掻かなければならないはず。

シェルターにどれくらいの備蓄があるのかはわからないけど
ジョンたちの前途はかなり厳しいものであるような気が・・・

なぁんて悲観的なところまで描いてしまったら
エンタメとして成立しないんだろうなぁ・・・

どうもこの映画、観ていて余計な ”邪念” が湧きすぎて、
私はあまり楽しめませんでした。
まあ、もともと ”スカッと爽やか” なテーマじゃないけどね。


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機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ [アニメーション]

原作は「ガンダム」の生みの親、富野由悠季氏が
1989~90年に発表した小説。私もリアルタイムで読んでいる。
そのことは後で述べるとして、この映画のことについて書いていく。

最初に断っておくけど、肯定的な文章ではない。

ファンの方なら不愉快に思うかも知れないので、いちおう念のタメ。
気を悪くしたくないのなら、以下の文章は読まないことを推奨します。
hathaway_gundam_poster.jpg

まずはざっくりと内容の紹介から。

時代は「逆襲のシャア」から12年、宇宙世紀0105。
地球連邦政府の腐敗はさらに進行し、非人道的な政策を進めていた。

それに抵抗しているのが反地球連邦政府運動「マフティー」。
そのリーダー「マフティー・ナビーユ・エリン」の正体こそ、
連邦軍大佐ブライト・ノアの息子、ハサウェイ・ノアであった・・・

というわけで(ほんとにざっくりだね)。

上映時間は95分ほどなのだけど、自分でもびっくりするくらい
心が動かなかった。いや、映像はスゴいし、
声優さんたちも達者な人ばかりで、そういう面での不満は全くない。
ただ、私の心には「作品」として響いてはこなかったんだな・・・

以下に、感じたことを思いつくままに書いてみよう。

いちばん大きな理由は、主役たるハサウェイに魅力を感じないこと。

「逆襲のシャア」では紅顔の少年であったハサウェイも
本作時点では25歳になっており、反体制グループの首領だ。
そして、やっていることはテロ行為。

「逆シャア」で初恋の少女クェスを失い、チェーンを手にかけ、
アムロとシャアが閃光の中に消えていくのを目の当たりにする。
そんなトラウマを抱えた少年が真っ当に育つのが難しかろう。
どこかで道を踏み違えればテロリストになってしまうこともあろう。

だが、そういう人間を主役に据えるのはどうなのか。

原作小説を読んだときも、いちばん違和感を感じたのはそこだった。

主人公というものは、ストーリー上の様々な困難を
頑張って乗り越えていくものなのだけど、
ハサウェイが「頑張る」ということは「テロ行為を頑張る」ということ。

作中、「マフティー」はハサウェイの逗留するホテルを襲うが
関係ない民間人だってたくさん宿泊していただろう。
その後、市街戦に移行するが、
そこでも無辜の市民が大勢死んだことだろう。

どんな理想を掲げようとも、所詮はテロ、
やっていることは無差別大量殺人だ。

 でも、ネットでの映画評をちょっとのぞいてみたんだが
 ハサウェイ(マフティー)のテロ行動を
 容認する意見がけっこう多いのに驚いた。
 これはショックだったねぇ・・・
 今の人はそういう感性なんだ・・・

対する連邦軍だって似たようなものだ。
「マフティー」のモビルスーツが市街地を背にしていても、
かまわず攻撃を加える。
「市民を守る」という軍隊の存在理由を自ら否定している。

私の目には、どうしてもハサウェイが魅力的に映らない。
そして、ケネスに代表される連邦軍にも肩入れすることができない。
結果、主要登場人物ことごとくに感情移入ができない。

ハサウェイ、ギギ、そしてケネスの会話は、いわゆる富野節が全開だ。
30年前の私だったら「大人だなぁ」とか「洒落てるなぁ」とか
感じたのかも知れないが、今の私には
言葉遊びに終始しているような空疎なものに感じられる。
それに90分間をつきあうのは、いささか苦痛だった。

 それは私が年を取ったというだけのことなのかも知れないが。

私は、小説にしろ映像にしろ、キャラに入れ込んでいくタイプなので
この作品はそういう意味でも「私向き」ではないのでしょう。

でもねぇ、原作小説の発表から30年も映像化されなかったのはなぜか。
いろいろ事情はあったのかも知れないけど、
一番大きな理由は主人公がテロリストだったからじゃないのか?

原作でも、富野氏だって決して彼の行動を認めるようには語ってない。
最終的にハサウェイの行為は否定されてる。
だからこその小説版の結末だと、私は思っているのだけどね。

それとも、今回の映像化では物語が大幅に改変されるのでしょうか。

原作小説の発表時は、米ソ冷戦の最末期。
曲がりなりにも、二大国の支配下でそれなりの秩序があった時代。
しかしそれから30年が経ち、現代世界は当時と比較にならないほど
テロの嵐が吹きあれるようになってしまった。

そんな現代だからこそ、暴力によって問題が解決してしまうような展開は、
やってはいけないことなのではないか・・・?

まだ第一部しか公開されていない段階で、
ゴチャゴチャと文句をつけるのは如何なものかとは思うのだけど
現時点で思ったことを書いてみた。
まだ完結編の影も形もない時点であれこれ言うのはどうかとも思うが
昭和生まれの頭の固いオジさんの戯言と思って
聞き流し(読み流し?)てください。

最後に、登場するモビルスーツについてもちょっと。

Ξ(クシィ)ガンダムは全高26m超えだそうな。
初代ガンダムが18mだったことを考えたら、恐竜的な進化。
MS単体で飛行ができるとか、高性能になったのはいいとして、
やたらパーツがゴチャゴチャついていて・・・

ライバルとなるペーネロペーはもうドラゴンですね。
「Gガンダム」とか「SEED」みたいにアナザー系の作品ならともかく
宇宙世紀のメカとしてはどうなんでしょう。

両者とも、私にはかなり奇をてらったものに感じる。
いままで数多くの「ガンダム」が産み出されてきて、
デザインのバリエーションが出尽くしてしまったのかなとも思ったり。

でも、ガンプラ好きには堪らないデザインなのでしょうね。
プラモデルが売れることも大事なことですから、
バンダイさんもここは譲れないところなのでしょう(笑)。

いろいろ文句を書いてきてしまいましたが
「ガンダム」という作品が嫌いなわけではないので
(今回の「ハサウェイ」はアレでしたが、好きな作品も数多いので)
とりあえず、第二部と第三部も観にいくつもりです。
それによっては私の感想も変わっていくかも知れないけど・・・

完結するのはかなり先になりそう。
物語の終わりに、ハサウェイに救いは訪れるのでしょうか・・・


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映画大好きポンポさん [アニメーション]

pompo.jpg

舞台は「映画の都」ニャリウッド。

タイトルの「ポンポさん」とは、映画会社ペーターゼン・フィルムで
映画プロデューサーを務める女性だ。
年齢不詳で、一見すると子供のように見えるが
才能を見抜く目や、企画を通す決断力、
そして映画製作に於ける揺るぎないポリシーを併せ持つ。

主人公は、ポンポさんのもとで制作アシスタントしている青年・ジーン。
映画作りが夢だったが、ポンポさんに命じられて作ったCMの出来を
評価され、新作映画「MEISTER」の監督として大抜擢される。

主演女優は、これも無名の新人であるナタリーをポンポさんは指名。

映画はこの3人を軸に「MEISTER」完成までの紆余曲折が語られていく。

コンプレックスと無力感に囚われていたジーンや
夢の実現に向けてアルバイトに明け暮れるナタリーなど
主役2人の掘り下げも充分に描かれる。

アニメの絵柄からもわかるように、基本はコメディなのだけど
シリアスなシーンも随所に挟み込まれる。
しかもそれでいて重くはならない。配分が絶妙なのだと思う。

撮影を通じて、ジーンは監督として、ナタリーは女優として
着実な成長を遂げていく様子が描かれていく。

それによって、間接的にだが、この2人を抜擢した
ポンポさんの眼力の確かさも証明されていくわけだ。

そしてもちろん映画製作は集団芸術であるから
その道のプロである各スタッフたちの尽力も欠かせない。
ジーンやナタリーを支える彼らの活躍も、しっかり描かれる。

観る前は、正直言ってあまり期待していませんでした(失礼!)。
「面白そうだな」とは思ってたのだけど(そうじゃなかったら観ませんて)
期待以上の素晴らしい映画でした。

カット割りも小気味よく、テンポ良く見せてくれる。
90分あまりの間、映画の世界に没頭し、時にニヤニヤ、時にハラハラ。
そして最後はちょっと目頭が潤んでしまいました。

監督は平尾隆之という人。寡聞にして存じ上げなかったのだけど
素晴らしい才能の方だと思う。覚えておきましょう。


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「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち」特報公開 [アニメーション]

公式サイトで特報が公開されました。
現在公開中の『「宇宙戦艦ヤマト」という時代』の最後に
おまけで上映されてる予告編とはちょっと違うみたいですね。
あっちは1分あるそうだけど、公開された特報は30秒。
それじゃ、頭から順番に確認していこうか。

・礼拝堂のような場所
 もちろんここがどこかは不明。
・なぜか安置してある像は目の部分がくりぬかれてる
 もともとは何をかたどった像だったのでしょうね。
 「マザー=シャルバート」だったりして。
・そこに集う人々。
 服装は見知らぬものだけど、皮膚の色からするとガミラス人?

ここからデスラーによるモノローグが始まる。
「無限に広がる大宇宙・・・」


・礼拝堂に集う人々の中でひとりの人物がアップに。
 前髪が切りそろえてあるが性別はは不明。
 これからメインキャラになるのでしょうか。
・振り返るデスラーのアップ

「・・・この無数の星々のきらめきの中に・・・」

・艦長服の古代。
 場所は、多分ヤマトの艦長席でしょうね。
・バーガー
 彼も出番があるのですね。まあ当たり前かな。
・森雪
 古代との関係はどうなってるのでしょう。
・フラーケンとハイニ
 相変わらずのようで何より。
・新見さん
 真田さんとの仲はどうなってるのかな。
 旧作では真田さんと○○○○の関わりが描かれたけど、
 もしそこが踏襲されるなら、彼女も絡んでくるでしょうねぇ。

「・・・様々な生命の営みがある・・・」

・メルダ
 久々の登場なんだけど、なんだか哀しげな表情。どうしたのでしょう。
・藪くん!
 もし彼がヤマトに復帰したら、太助との関係はどうなる?
・真田さん艦長服?
 ヤマト随伴艦隊の艦長・・・って勝手に思ってるんだけど、さて?
・ヒス
 お元気そうで何より(笑)
・徳川太助
 何か文句言ってるみたいに見えますが
 未来のヤマト機関長ですからねぇ、頑張ってもらわんと。

「・・・愛、希望、野心」

・スターシャ
 さて、いったいどんなふうに再登場するのでしょう。
・島
 前にいるのは古代、後ろは北野か。
 ということはヤマトに乗ってるみたいですね。
・タラン
 デスラーあるところにタランあり。
・ヤマト新クルー?
 この髪の毛ツンツンの坊やは
 公式サイトの「CHARACTERS」にはいませんね。誰?
・坂本かな?
 航空隊のメンバーですね。
・京塚みや子さん
 一気に萌えキャラっぽくなってしまいましたね。
 でも見た感じでは嫌いじゃない(おいおい)
・そして土門竜介
 公式サイトの「CHARACTERS」ではフードみたいのを被ってて
 なにやら不穏な雰囲気が。
 でも新作ではストーリーのキーマンらしいので活躍に期待。

ここでデスラーのモノローグは終わって、一気に戦闘シーンに。

・何か命令を下すデスラー
・惑星の表面で謎の爆発
 ここはイスカンダルか? 映ってる艦隊はボラーっぽいけど?
・ガミラス三段空母
・空間雷撃機ドルシーラ
 「2199」からのメカが出てくるとなんだか嬉しい。
・ガミラスの地表に取り憑いた謎メカ
 旧作みたいなガミラシウム採掘用のメカなのかな?
・デスラーのアップ
・戦闘空母(デウスーラ三世)の主砲斉射
 デスラーはやっぱり戦闘空母に乗ってるイメージですね。
・地球のものとおぼしき新メカ。
 コスモタイガーの発展系?かな。
・ヤマトの主砲
 やっとヤマトが映った(笑)
・破壊される敵艦隊(たぶん)
 場所はガミラスの地表かな?
・攻撃するコスモタイガー
・海上から発進するヤマト
 普通に考えたら地球なんだけど、案外イスカンダルだったりして。
・ガミラスを見上げるスターシャ(たぶん)。
 でも、ガミラスの地表には所々爆発の炎が・・・不穏ですね。
 これがガミラス-イスカンダル連星系を襲う ”悲劇” なのか。

例によって細かいカットの積み重ねで、
短い時間にも関わらず情報量がやたら多い。
もちろん、詳しい説明はありませんから、
観た人が勝手に妄想を広げるしかない(笑)。

前にも書いたけど、ヤマトの続編が観られるなんて
いい時代になったものです。
人生、長生きした者が勝ち、ですね。

次の予告篇公開まで目一杯、あーでもないこーでもないと
妄想を繰り広げることにしましょう。


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