1984年のUWF [読書・ノンフィクション]
しばしば ”初代” と呼ばれることになる。
毎週金曜日午後8時というゴールデンタイムに
レギュラー放送の枠を持っていた。
独特のハイテンションで熱く叫ぶそのアナウンスは、
視聴者を否が応でも沸き立たせたものだ。
観客を熱狂させ、その人気は猪木をも超えるものだったという。
もちろん、猪木よりもタイガーマスクの方が目当てだった。
彼の正体が「佐山聡(さとる)」という若手レスラーであったことは
かなり後で知ることになった。
しかし人気絶頂だった83年8月、タイガーマスクは
突如新日本プロレスとの契約を自ら解除し、引退してしまう。
UWFが85年9月に活動休止してからは、
プロレスの世界に戻ることはなかった
その中の一人、前田日明は88年2月に契約解除される。
しかし90年12月、第2次UWFは解散し、3団体に分裂した・・・
UWFという団体はTV中継を持たなかった。
今ならネットや衛星放送など多様な媒体が存在するが
当時、TVがないというのは致命的で、ほとんど情報が入ってこない。
私のようなTVでしかプロレスの情報が入ってこない人間にとっては
何が起こっているのか知る術はなかった。
毎週買うほどのこだわりを持たなかったし。
仕事に集中しなければいけない時期でもあった。
そういう慌ただしい時間を過ごす中で、
自然と「タイガーマスク(佐山聡)」「UWF」という存在から
だんだんと離れていってしまったのも仕方がなかったのだろう。
でも、多くの疑問が心の中に残っていたのも事実だ。
一番大きな疑問は、
新日本プロレスを離れたのか?
・そもそもUWFとはどういう目的の団体だったのか?
私が本書を読んだのは、上の疑問の答えが知りたかったからだ。
そしてそれは十分かなえられるのだが、それに加えて、
UWFという ”ムーヴメント” が
日本のプロレス界にもたらしたものをも教えてくれる。
どんなレスラーだったのか?
・なぜ佐山聡は第2次UWFに参加しなかったのか?
・佐山聡が目指していたことは何だったのか?
全ての始まりは、プロレスラーとプロレスファンが
「同床異夢」の関係にあったことだろう。
レスラーの側から近づこうとしたのがUWFだった。
本書の前半は、天才的なセンスと並外れた運動能力を持つ佐山聡が、
新しい格闘技(後の「シューティング」)の姿を求めて
次第にプロレス界から逸脱していく様が描かれる。
前半では理想に燃える好青年として、
後半ではUWF人気に沸くマスコミに祭り上げられて
やや ”増長” した ”ヒール” 風に描かれる。
著者のフィルターを通して描かれる訳なので、
当事者からしたら「これは違う」という意見もあるだろう。
藤原喜明とその奥さんのエピソードには感激するし、
高田延彦が後にPRIDEで「出てこいやー!」って叫んだり
ハッスルで ”高田総統” に扮したりする行動が
なんとなく理解できるようになった気もする(笑)。
(UWF時代と同じ人間がやってると思えなかったんだけど)
今でも、プロレスもエンターテインメントの一角として
根強く人気を保ち、総合格闘技もすっかりメジャーな存在となったが
UWFが存在したことが日本の総合格闘技の普及に
大きく関わったことも本書は記している。
本書の内容にショックを受ける人もいるかも知れない。
いないと思うのだが、念のタメ。
すべて白日の下にさらしてしまった
『流血の魔術 最強の演技』(ミスター高橋)
を読んでる人なら大丈夫ですが(笑)。
ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた [読書・ノンフィクション]
「ウルトラセブン」とは、1967年(昭和42年)10月1日から
TBS系で毎週日曜日19:00 - 19:30で放映された特撮テレビドラマ。
いわゆる「ウルトラ・シリーズ」の最高傑作だ、と書いても
異論を唱える人は少ないだろう。
当初は3クール39話の予定が、30%を超える視聴率を
たたき出したことから10話増やされ、全49話が放映された。
最終話「史上最大の侵略(後編)」が放映された。
そして暁の光の中、宇宙の彼方へと消えていく彼の姿に
滂沱の涙を流した少年たちも多かろう。
本書の著者・青山通(あおやま・とおる)氏もまた、その一人だった。
「ウルトラセブン」は音楽監督・冬木透氏の作曲による
素晴らしいBGMの数々でも有名だが、
クラシックの名曲がそのまま使われたところもある。
その中でも特に有名なのが上記の最終話だ。
モロボシ・ダンが、実は自分がウルトラセブンであることを
アンヌ隊員に告白するシーン。
オーケストラとピアノ・ソロの楽曲が流れ始めるのだ。
ここはウルトラセブン屈指の名シーンであり、
音楽の面でもクライマックスになる。
その後何度か再放送でも観たけれど、
「なんかいつものBGMとは違うな」くらいは感じたかも知れないが
その ”正体” まで知ろうなんて思わなかった。
この曲の正体を突き止めることを決意する。
青山氏は1960年生まれであるから、このとき8歳。
彼とは同世代と言っていいだろう。
同時に、当時の家庭における音楽環境の変遷も描かれる。
とくにカセットテープ・レコーダー普及のくだりなどは懐かしい。
TVのN響アワーで演奏されていた曲を聴いて
「これだ!」っと思い当たる。
「シューマンのピアノ協奏曲よ」って答えるお母さん。
親子でそろってクラシック番組を観ているあたり、
彼の音楽への鋭い感性は、その家庭環境によって培われたのだろう。
そして、彼のクラシック音楽への傾倒がここから始まることになる。
前半は、このウルトラセブン最終回の曲名探索にはじまり、
クラシック音楽鑑賞の醍醐味を知っていくまでの過程が描かれる。
”音楽と物語が密接に関連した” 3作として
「第四惑星の悪夢」「ダーク・ゾーン」「狙われた街」を、
”音楽が突出して印象的な” 5作として
「ひとりぼっちの地球人」「悪魔の住む花」「零下140度の対決」
「ノンマルトの使者」「セブン暗殺計画(前篇・後編)」の
計8作を取り上げて、音楽的な面から詳細に解説を加えている。
『週刊FM』の編集にも携わっており
本書の中でも当時のFM放送のブームについて、ちょっと語っている。
このあたりも懐かしいねえ。
”エアチェック” なんて単語、久しぶりに目にしましたよ、はい。
そのあたりの差を説明する部分はかなり専門的で
ちょっと素人には分かりかねる部分もあるのだが
そういうところは軽く読み飛ばしてしまいました(おいおい)。
”クラシック愛” に満ちていることはよく分かる。
どちらが読んでも楽しめるだろう。
そういう人が羨ましい。
久しぶりにウルトラセブンを観たくなったよ。
ちょっとネット配信で観てみるのもいいかも。
「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 [読書・ノンフィクション]
「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 (講談社+α文庫)
- 作者: 牧村 康正
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/12/21
- メディア: 文庫
西崎義展という個人をここまで掘り下げたものはないだろう。
その爆発的な人気は多くの熱狂的なファンを産み出し、
アニメの概念を書き換えた伝説的な作品。
それを世に送り出した不世出のプロデューサーの評伝だ。
目次に沿って簡単に紹介しよう。
文庫版まえがき
新たな取材に基づく加筆・修正もされているとのこと。
リメイク作品「宇宙戦艦ヤマト2199」総監督の出渕裕氏の証言。
西崎氏が生前、「2199」のプロットに
3カ所だけダメ出しをしたというのは有名な話のようだが、
その後の展開も語られている。
その内容から察するに、西崎氏が健在であったなら
「2199」は未完成に終わったか、
たとえ完成しても全く異なった作品になっていただろう。
「ヤマト復活編」のような "西崎イズム" 満開の作品に。
彼抜きで制作されたものが評価されたというのは皮肉なことだ。
序章 いつ消されてもおかしくない男
他殺ではないかと疑う人は少なくなかったという。
経営会社の破産、公開した「復活編」の興行不振、
覚醒剤・銃刀法による服役、暴力団との関係、
松本零士氏との「ヤマト」著作権裁判と
怨まれる理由には事欠かなかったからだ。
この章では、その「ヤマト」第1作から「復活編」までの
毀誉褒貶に満ちた彼の人生を概観している。
第一章 アニメ村の一匹狼
この会社を踏み台に、わずか3年ほどで
借金まみれの状態から、まとまった金を動かせる
独立プロデューサーへとのし上がるまでが描かれる。
第二章 芝居とジャズと歌謡ショー
父親との確執、受験の失敗、そして芸能界に飛び込み、
歌手の地方興行を請け負うようになる。
しかし創設した会社(第一期オフィス・アカデミー)が不渡りを出して
借金を逃れるためヨーロッパに逃亡するとか、
のっけから華々しい(笑)人生を歩んでる。
第三章 ヤマトは一日にしてならず
このあたりからはさまざまな媒体で伝えられていることが多いが
本書ではそれがより深く掘り下げられている。
第四章 栄光は我にあり
その成功から「さらば」の爆発的な人気を得て、
西崎氏が43歳にしてマスコミの寵児となるまで。
第五章 勝利者のジレンマ
西崎氏の神通力も陰りを見せ始める。
TVアニメ「宇宙空母ブルーノア」(79年)は39話予定が24話に短縮。
映画「ヤマトよ永遠に」(80年)の興行収入は
「さらば」の半分にとどまり(それでもたいしたものだが)、
TVアニメ「宇宙戦艦ヤマトⅢ」(80年)は1年間の放映予定が半年に短縮。
スタッフや社員との衝突も増え、彼のもとを去る者も増えていく。
第六章 砂上のビッグ・カンパニー
しかし海外映画の買い付け、実写映画への進出も上手くいかない。
一方で遊びや愛人には湯水のように金を使う日々。
しかし西崎氏の凄いところは、
作品の制作にも自分の金を惜しみなくつぎ込んでいること。
「散財よりも蓄財に熱心な個人プロデューサーに、
誰が魅力を感じるだろうか」
文中のこの言葉には頷かざるを得ない。
第七章 破滅へのカウントダウン
ウエスト・ケープ・コーポレーションもまた、
巨額な負債を抱えて倒産する。そして債権者たちとの壮絶な攻防。
西崎氏の愛人たちのうち、何人かにも言及している。
けっこう重要な役どころを占めている人も。
第八章 獄中戦記
銃刀法違反で二度目の逮捕を受け、ついに収監される。
そして「ヤマト」の著作権を巡る松本零士氏との裁判へと続く。
西崎氏の獄中生活を支えた支援者の一人として登場するのが、
後に西崎氏の養子となる彰司氏。
第九章 復活する魂
ここでも彰司氏は作品制作はもちろん、
西崎氏の私生活まで面倒を見ることになる。
「復活編」は2009年に公開されるが興行収入2億円に終わる。
翌年には実写版「SPACE BATTLESHIP ヤマト」が公開されるが、
ここでは原作料を巡る西崎氏と東宝側の攻防が興味深い。
そしてこの実写版の公開直後、
小笠原の海で事故死して75歳の生涯を終える。
終章 さらば、ニシザキ
さすがに死者を悪し様に言う人はいないが、それを差し引いても
みな西崎氏の功績は認めているし哀惜の念を示す人も多い。
解説 西崎義展と「SPACE BATTLESHIP ヤマト」
彼は西崎氏と直接触れあうことはなかったので、
実写版を製作するにあたっての姿勢、のようなものを語っている。
しかし山崎氏はそれに臆することなく、
彼なりの "理想" と "勝算" をもって製作にあたり、
結果的に大ヒットとなったわけで
「アンチの声は聞きすぎないほうがいいのだろうと思っている」
は、実際に作った人の実感なのだろう。
この文章を読んで彼の製作姿勢自体には納得した。
本書の執筆者である牧村康正氏は1953年生まれ。
第1作のTV放映時(74年)に21歳、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」の
公開時(78年)には25歳くらいと思われる。
これは私の勝手な思い込みなのだが、年齢的に見て
牧村氏は「ヤマト」という作品の熱心なファンではないのではないか。
世代じゃないかなあ、って思ってるんで。
そういう意味で当時21歳というのはかなり微妙だと思う。
ひょっとするとファンですらないかも知れない。
過度な思い入れは感じない。しかしそれは、
本書を執筆する上では良い方向に作用しているのではないかと思う。
「ヤマト」と適度な距離感を保ちつつ、
西崎義展という人物を追っていくにはいい塩梅なんじゃないか。
(もし熱烈なファンだったとしたら、この執筆姿勢は賞賛に値すると思う)
そう言われても仕方ない行状の人だったが
筆者の目は極めて公平で、業績と手腕、
そして多岐にわたる業界人との交流なども含めて
客観的にみて評価すべきところはきちんと評価していると思う。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」という作品への評価も、
初見時の年齢が大きいんじゃないかなと個人的に思ってる。
映画の公開時でもTV放映時でもいいんだが、
初見時に大学生以上(19歳以上)だった人(私もこれに含まれる)には
否定派が多く、中学生以下(15歳以下)は肯定派が多くて、
高校生(16~18歳)だった人は半々くらいなんじゃないかなあ、
ってこれも勝手に思ってる。
抱いていたイメージが大きく変わった、ということはないが
より深く実感できたとは言える。
山はより高く、谷はより深く(笑)。
独立プロデューサーとして毀誉褒貶に満ちた人生を送り
まさに空前絶後の人だった。
たしかに、こういう人がいなければ
画期的で斬新な作品というのは生まれてこないのだろうとも思う。
(製作委員会方式というのはその象徴だろう)
現在は、こんな人は存在すること自体が
極めて難しい時代になってしまったのだろう。
新たなこともいくつか知ることができた。
キャラを安易に死なせることが半ば常態化した。
これらの作品群について、私は西崎氏の
「こんな話にすれば視聴者は感動するだろう」という "計算" のもとに
作られてきたと思っていた。
言ってみれば「さらば」で得られた "勝利の方程式" に則って。
しかしどうやらそれは違うらしい。
「これこそヤマトだと自分が信じるもの」を作り続けてきたらしい。
"計算" ではなく、本気の "思い込み" だったのだ。
自らが監督した「復活編」が惨敗に終わったとき、
スタッフが「時代の流れ」「感覚の古さ」を進言しても、西崎氏は
「そんなことはない。ならディレクターズ・カット版をつくる」
と言って、自分の感覚に最後まで自信を持っていたという。
西崎氏本人は幸せだったのかも知れない。
それが時代に、そしてファンに受け入れられ続ければ
みんながハッピーだったのだけどねぇ・・・
西崎氏は生涯3度の結婚と3度の離婚を経験している。
実子も複数いるのだが、見事なまでに本書に登場してこない。
それだけ家族との縁が薄かったのだろう。
本書の中でいちばん印象的だった言葉が
「西崎氏は、金と権力で人間関係を支配していた」というもの。
まさに彼は他者に対して、終生その姿勢を変えなかった。
しかし家族にはその理屈は通用しない。
だから家族からは距離を置いていた(端的に言えば家族から逃げていた)。
「西崎氏の人間関係には、敵か使用人しかいなかった」
ということは、西崎氏の周囲にいた人々から見れば、
氏は「自分の敵」か「自分を支配する者」でしかなかったことになる。
そういう目で見られることについて全く意に介さなかったものの、
一方では無類の寂しがり屋でもあったという。
そんな、人間としてのさまざまな側面も描かれている。
徹頭徹尾、「生きたいように生きた」男の一代記だ。
でも、もしもこんな人を上司に戴こうものなら
私なんぞあっという間に胃に穴が空いて入院するか
出社拒否に陥ってしまうだろうなあ・・・
角川映画 1976-1986 [増補版] [読書・ノンフィクション]
病気もヤマを超えてかなり好転してきたので
そろりそろりと再起動、のつもりが
かなりの長文に・・・・・どうしてこうなった。
往年のカリスマ出版人だった角川春樹が、
『犬神家の一族』で日本映画界に参入してから40年。
巻末に、この40年間に "角川" が送り出した
映画のリストがあるんだけど、その数実に158本。
映画製作の母体も、初期は「角川春樹事務所」だったが、
ここは後に「角川書店」に吸収合併され、
角川春樹が去って弟・歴彦が後任社長となった後も
倒産した大映を買収して「角川大映映画」になり、
これが「角川映画」へと社名変更した現在では、
書籍・マンガ・アニメ・映画・TVそしてネットまで網羅した
一大グループ企業「KADOKAWA」の一員へと移り変わった。
様々な変遷があった40年間なのだけど、
サブタイトルにあるように本書で扱うのは、
「角川映画」の最初の10年間。
作品で言えば横溝正史原作『犬神家の一族』から
片岡義男原作の『彼のオートバイ、彼女の島』まで。
本数にして45本ほどが、本書で採り上げられている。
角川春樹が陣頭に立って大作・話題作を作り続けていた、
言ってみれば角川映画が "いちばん元気だった時代"。
"いちばん元気" というのに語弊があるなら
"いちばんやんちゃだった" と言い換えてもいいかな。
映画館は満員でも評論家には酷評(あるいは無視)されるなど、
この頃の角川映画、そして角川春樹は毀誉褒貶に晒されていたから。
ちなみに、映画の出来そのものについて筆者は論評していない。
興行収入と、キネマ旬報のベストテン結果という
客観的なデータを示すのみ。
あくまで、当時の角川春樹を中心とした
映画界の内実の再現に努めている。
本書で採り上げた10年間の45本の角川映画のうち、
私自身が映画館で観たのは10本ほどか。
ざっと挙げてみると『犬神家の一族』『人間の証明』
『悪魔が来たりて笛を吹く』『戦国自衛隊』『復活の日』
『魔界転生』『悪霊島』『幻魔大戦』『里見八犬伝』
『カムイの剣』・・・これくらいかなあ。
だけど、その映画のことを思い出すと、当時のことが記憶に甦る。
映画にはそういう魅力がある。本書を読んでいると、
私の心もまたあの頃にタイムスリップしていく。
著者は1960年生まれなので、私とほぼ同世代。
「1976-1986」は高校~大学~社会人となる時期で、
これも私とほぼ重なる。
筆者は、この10年間の角川映画を
すべて映画館でリアルタイムで観たという。
本書の序文で "わが青春の角川映画" と記しているくらいだからね。
その熱意が本書を執筆させたのだろう。
もちろん、当時の角川春樹や映画界、出版界の事情を
著者が知っているはずもないので、
そこは巻末にある90点近い参考文献から再構成している。
角川春樹本人へのインタビューも行って、それも反映されている。
詳しい内容は本書を読んでもらうしかないのだけど、
今まで持っていたイメージが崩れたり、
意外に感じるエピソードもあって、楽しく読ませていただいた。
ごく一部を紹介すると、当時「風雲児」「革命児」とか呼ばれ、
なんとなく「傍若無人」なイメージがあった角川春樹が、
映画の客の入りを心配するような自信の無さを示すところとか
オーディションで出会った原田知世に一目惚れして
「結婚したい」と辺り構わず吹聴するロリコンぶり(笑)とか
(当時、知世が16歳で春樹が40歳なので24歳差。
高橋ジョージと三船美佳と同じ年齢差だ。)
人間味溢れる(?)春樹像を知ることができる。
あと、角川春樹自身は映画というものをこよなく愛してるんだけど
自分では「名画」と呼ばれるような作品は最初から作るつもりはなく、
あくまで目的は "本を売るため" で、
"難しく考えずに楽しく見られる" ような「B級作品」が作りたかった、
とか、「映画作り」というものに対する根本的な考え方が語られる。
あと、本書には、角川映画を監督した人々も登場する。
大林宣彦は、実験的かつ芸術的な映画ばかり撮る人、
ていうイメージが私にはあったのだけど、
オファーに応じてどのようにも撮れる人だったんだね。
「○○主演でアイドル映画を」って請われれば
「アイドル映画」に徹して製作する。
それはつまり、○○のファン以外の人が観ると
苦痛にしか思えない映画でさえも作り上げてしまう、ということ。
邦画洋画問わず、「大作」と名のつくものにことごとく噛み付いて
辛辣な映画評を発信している井筒和幸も、
意外にも「大作」の代名詞のような角川映画を監督している、とか。
しかも2本も。
ちなみに『晴れ、ときどき殺人』(主演・渡辺典子)と
『二代目はクリスチャン』(主演・志穂美悦子)だけど。
社会人になってから結婚するまでの10年ほど、
私は「年に映画を12本観る」というノルマを自分に課していた。
要するに「月に1本は映画を観よう」ということだったんだけど
シネコンなんかも無い時代だったからなかなか難しくて、
休日に3~4本まとめて観てなんとか帳尻を合わせてたなあ・・・
本書を読んでて、そんなことも思い出した。
(当時の)角川映画が嫌いな人もいるかと思うけど、
映画好きな人なら読んで損は無いんじゃないかな。
昭和40年代ファン手帳 [読書・ノンフィクション]
昭和40年代の世相を伝える資料(主に新聞の縮刷版)を眺めながら
当時の代表的な出来事を、著者自身の回想を絡めつつ綴った
70編あまりのエッセイ集になっている。
著者の泉麻人氏は昭和31年(1956年)の生まれなので
昭和40年~49年は9歳から18歳。
小学校高学年から高校3年までの時代に相当する。
ちなみに、私は泉氏よりちょっと年下だが、まあ同世代と言っていい。
なので、本書に書かれていることもだいたい記憶にあるし
読んでいて「ああ、そうそう」「そういえばそうだったね」
という部分がたくさんあって、たいへん楽しかった。
特撮、マンガ、アニメ、ラジオの深夜放送、アイドルなど
サブカルチャーに関する話題もあって、そのあたりも嬉しい。
スゴいなあと思ったのは、引用している文献の中に、
著者本人の「日記」があること。
当時、学校の宿題で書かされていたらしいのだけど、
なかなか達者な文章を書いていて、文筆家としての片鱗を感じさせる。
まあ、そんな昔の日記をまだ持ってること自体もスゴいけど。
私なんか、大学時代に書いたレポートだって残ってない。
(実家の物置の奥とか探せばあるかも知れんが・・・)
ざっと項目を挙げてみる。
とても全部は上げられないので、年ごとにひとつずつ。
昭和40年「クレージーとキングギドラの正月」
昭和41年「ビートルズは台風4号に乗って」
昭和42年「新宿にフーテンがいた頃」
昭和43年「55号とマエタケ」
昭和44年「東大安田とりで」
昭和45年「三島由紀夫と鼻血ブー」
昭和46年「夏に来た南沙織」
昭和47年「角栄・パンダ・アグネス・チャン」
昭和48年「石油ショックと六本木の夜」
昭和49年「ユリ・ゲラーが時計を直した夜」
これだけでも、なかなか面白そうでしょ?
高度成長期の終わり近く、
石油ショックによる大不況の直前というわけで
良くも悪くも、日本に
いろんな意味で "元気" があった時代、なのかも知れない。
おまけなのか付録なのか分からないけど
巻末に、某政治家との対談が収録されている。
泉氏と高校の同級生だったという縁で対談が実現したらしいが
内容的にはあまり見るべきものはないかなあ・・・
当事者同士なら思い出話も面白いんだろうけどね。
余談だが、読んでいて思ったのは著者の泉氏と、私自身の境遇の差。
三田にある慶應義塾中等部から日吉の慶應高校へ進学。
自宅が新宿にあったせいか、友人たちと遊んだ場所として
都内の盛り場があちこち出てくる。
中学生や高校生がそんなところで遊んでていいのか?
って思った場所も。
北関東の片田舎に育って、野原の中を自転車で走り回って遊び、
最寄り駅は1時間に電車が3本という県立高校へ進んだ私。
ことさら泉氏の環境が羨ましいとは感じないが、
こういう場所で育った人にしか書けない文章ってのも
あるんだなあ・・・とは思った。
「最高学府はバカだらけ」 [読書・ノンフィクション]
最高学府はバカだらけ―全入時代の大学「崖っぷち」事情 (光文社新書 318)
- 作者: 石渡 嶺司
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/09
- メディア: 新書
「『世界征服』は可能か?」 [読書・ノンフィクション]
私の子どもの頃のアニメ・特撮番組では定番の悪役だった。
「格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~」 [読書・ノンフィクション]
格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~ (宝島社新書 231)
- 作者: 三浦 展
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2007/05/19
- メディア: 新書
「裁判官の爆笑お言葉集」 [読書・ノンフィクション]
評価:★
面白そうなタイトルだと思って読んだのだが、看板に偽りありである。
「裁判官の」「お言葉集」ではあるが、「爆笑」とはほど遠い。
裁判官は判決を言い渡すだけでなく、それ以外にもさまざまな言葉を発している。
「説諭」とか「付言」とか、あるいは「閉廷後の言動」とか言う形で。
むしろそういうところにこそ、裁判官の本音や人間性が表れるというのは、わかる。
この本に収められた言葉も、そういう中から選ばれたものである。
それ自体は興味深いし、面白くもある。たまにクスリと笑わせてくれたり、
「へえー、裁判官ってこんな事も言うんだ」と思わせてくれる。
でも「爆笑」ではないんだな。
「爆笑」とある以上、爆笑させてくれることを期待してはいけないことはあるまい?
この本が「裁判官のホンネ」とか「裁判官の意外な一言」とかいうタイトルだったら
★3つでした。
でも、いかにも
「このタイトルなら売れるだろう」
「これくらいのインパクトのあるタイトルじゃないと目立たないからダメ」
的な、売る側の発想が見えてきそうでイヤです。だから★1つ。
でも、まんまとそれに乗せられて買ってしまった私でした。