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1984年のUWF [読書・ノンフィクション]


1984年のUWF (文春文庫)

1984年のUWF (文春文庫)

  • 作者: 健, 柳澤
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2020/03/10
  • メディア: 文庫
1981年4月、一人の覆面レスラーが現れた。
その名は「タイガーマスク」。

 後に、他の団体などにも同様の虎のマスクのレスラーが現れたため、
 しばしば ”初代” と呼ばれることになる。

当時はアントニオ猪木率いる新日本プロレスのTVにおける全盛期で、
毎週金曜日午後8時というゴールデンタイムに
レギュラー放送の枠を持っていた。

それを中継するアナウンサーたちの筆頭には古舘伊知郎。
独特のハイテンションで熱く叫ぶそのアナウンスは、
視聴者を否が応でも沸き立たせたものだ。

そこに現れたタイガーマスクは、その華麗な空中殺法で
観客を熱狂させ、その人気は猪木をも超えるものだったという。

 私も、TVの前にかじりついて見ていたクチだ。
 もちろん、猪木よりもタイガーマスクの方が目当てだった。
 彼の正体が「佐山聡(さとる)」という若手レスラーであったことは
 かなり後で知ることになった。


しかし人気絶頂だった83年8月、タイガーマスクは
突如新日本プロレスとの契約を自ら解除し、引退してしまう。

84年4月、新団体UWFに現役復帰して参加するが、
UWFが85年9月に活動休止してからは、
プロレスの世界に戻ることはなかった

その後、旧UWFのレスラーたちは新日本プロレスのリングに上がるが、
その中の一人、前田日明は88年2月に契約解除される。

88年5月、前田はUWF(第2次)を再結成する。
しかし90年12月、第2次UWFは解散し、3団体に分裂した・・・


UWFという団体はTV中継を持たなかった。
今ならネットや衛星放送など多様な媒体が存在するが
当時、TVがないというのは致命的で、ほとんど情報が入ってこない。

実際にUWFの試合に足を運んでいるコアなファンならともかく
私のようなTVでしかプロレスの情報が入ってこない人間にとっては
何が起こっているのか知る術はなかった。

「週刊プロレス」のような活字媒体はあったが、
毎週買うほどのこだわりを持たなかったし。

私的な事情を書くと、このあたりは私が就職して最初の数年間にあたり
仕事に集中しなければいけない時期でもあった。
そういう慌ただしい時間を過ごす中で、
自然と「タイガーマスク(佐山聡)」「UWF」という存在から
だんだんと離れていってしまったのも仕方がなかったのだろう。
でも、多くの疑問が心の中に残っていたのも事実だ。


一番大きな疑問は、

・なぜタイガーマスク(佐山聡)は、人気絶頂のさなかに
 新日本プロレスを離れたのか?

そして、それに続いて浮かぶ疑問は

・なぜ佐山聡はUWFに参加したのか?
・そもそもUWFとはどういう目的の団体だったのか?


私が本書を読んだのは、上の疑問の答えが知りたかったからだ。
そしてそれは十分かなえられるのだが、それに加えて、
UWFという ”ムーヴメント” が
日本のプロレス界にもたらしたものをも教えてくれる。

・第1次/第2次UWFの旗揚げに関わった前田日明とは、
 どんなレスラーだったのか?
・なぜ佐山聡は第2次UWFに参加しなかったのか?
・佐山聡が目指していたことは何だったのか?


全ての始まりは、プロレスラーとプロレスファンが
「同床異夢」の関係にあったことだろう。

 何がどう異なっていたかはここには書かない。

プロレスファンが求める ”理想” に、
レスラーの側から近づこうとしたのがUWFだった。


本書の前半は、天才的なセンスと並外れた運動能力を持つ佐山聡が、
新しい格闘技(後の「シューティング」)の姿を求めて
次第にプロレス界から逸脱していく様が描かれる。

全編を通して名前が出てくる前田日明は、
前半では理想に燃える好青年として、
後半ではUWF人気に沸くマスコミに祭り上げられて
やや ”増長” した ”ヒール” 風に描かれる。

 当然ながらノンフィクションと言っても
 著者のフィルターを通して描かれる訳なので、
 当事者からしたら「これは違う」という意見もあるだろう。

他にも、人気レスラーが多く登場する。
藤原喜明とその奥さんのエピソードには感激するし、
高田延彦が後にPRIDEで「出てこいやー!」って叫んだり
ハッスルで ”高田総統” に扮したりする行動が
なんとなく理解できるようになった気もする(笑)。
(UWF時代と同じ人間がやってると思えなかったんだけど)


今でも、プロレスもエンターテインメントの一角として
根強く人気を保ち、総合格闘技もすっかりメジャーな存在となったが
UWFが存在したことが日本の総合格闘技の普及に
大きく関わったことも本書は記している。


いちおう老婆心ながら付け加えておくと、ひょっとして
本書の内容にショックを受ける人もいるかも知れない。

まあ、本書を読む人で ”プロレスとはどういうものか” を知らない人は
いないと思うのだが、念のタメ。

プロレスラーとプロレスファンの「同床異夢」の内容を
すべて白日の下にさらしてしまった
『流血の魔術 最強の演技』(ミスター高橋)
を読んでる人なら大丈夫ですが(笑)。

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ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた [読書・ノンフィクション]


ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた (新潮文庫)

ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた (新潮文庫)

  • 作者: 青山 通
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 文庫
「ウルトラセブン」とは、1967年(昭和42年)10月1日から
TBS系で毎週日曜日19:00 - 19:30で放映された特撮テレビドラマ。

「ウルトラQ」「ウルトラマン」に続くウルトラ・シリーズの3作目であり
いわゆる「ウルトラ・シリーズ」の最高傑作だ、と書いても
異論を唱える人は少ないだろう。

日本特撮の雄、円谷プロダクションが総力を挙げて製作にあたり、
当初は3クール39話の予定が、30%を超える視聴率を
たたき出したことから10話増やされ、全49話が放映された。

そして1968年(昭和43年)9月8日、
最終話「史上最大の侵略(後編)」が放映された。

満身創痍の体で、死を覚悟したウルトラセブンの最後の戦い、
そして暁の光の中、宇宙の彼方へと消えていく彼の姿に
滂沱の涙を流した少年たちも多かろう。

私もその一人であり、
本書の著者・青山通(あおやま・とおる)氏もまた、その一人だった。


「ウルトラセブン」は音楽監督・冬木透氏の作曲による
素晴らしいBGMの数々でも有名だが、
クラシックの名曲がそのまま使われたところもある。
その中でも特に有名なのが上記の最終話だ。

物語も最終盤近く。
モロボシ・ダンが、実は自分がウルトラセブンであることを
アンヌ隊員に告白するシーン。

ダンが告白した台詞の直後から、実に劇的な
オーケストラとピアノ・ソロの楽曲が流れ始めるのだ。
ここはウルトラセブン屈指の名シーンであり、
音楽の面でもクライマックスになる。

当時の私はストーリーを追うのに精一杯で音楽にまで気が回らなかった。
その後何度か再放送でも観たけれど、
「なんかいつものBGMとは違うな」くらいは感じたかも知れないが
その ”正体” まで知ろうなんて思わなかった。

ところが、青山氏は違う。彼は初見の時から大きな衝撃を受け、
この曲の正体を突き止めることを決意する。
青山氏は1960年生まれであるから、このとき8歳。

 私の方がほんのちょっぴり年長ではあるが大差ない。
 彼とは同世代と言っていいだろう。

本書ではまず、彼の7年に及ぶ探索の道のりを描く。
同時に、当時の家庭における音楽環境の変遷も描かれる。
とくにカセットテープ・レコーダー普及のくだりなどは懐かしい。

そして中学3年になった青山少年は、
TVのN響アワーで演奏されていた曲を聴いて
「これだ!」っと思い当たる。

そのとき青山少年から「これ何の曲?」と聞かれて、すかさず
「シューマンのピアノ協奏曲よ」って答えるお母さん。
親子でそろってクラシック番組を観ているあたり、
彼の音楽への鋭い感性は、その家庭環境によって培われたのだろう。

しかし青山少年の ”探索” は、実はここでは終わらない。
そして、彼のクラシック音楽への傾倒がここから始まることになる。

その理由は本書を読んでもらうことにして、
前半は、このウルトラセブン最終回の曲名探索にはじまり、
クラシック音楽鑑賞の醍醐味を知っていくまでの過程が描かれる。

後半では、ウルトラセブンの中から
”音楽と物語が密接に関連した” 3作として
「第四惑星の悪夢」「ダーク・ゾーン」「狙われた街」を、
”音楽が突出して印象的な” 5作として
「ひとりぼっちの地球人」「悪魔の住む花」「零下140度の対決」
「ノンマルトの使者」「セブン暗殺計画(前篇・後編)」の
計8作を取り上げて、音楽的な面から詳細に解説を加えている。

著者の青山氏は大学卒業後に音楽之友社に入社、
『週刊FM』の編集にも携わっており
本書の中でも当時のFM放送のブームについて、ちょっと語っている。
このあたりも懐かしいねえ。
”エアチェック” なんて単語、久しぶりに目にしましたよ、はい。

懐かしさと面白さであっという間に読み終わってしまった。

同じ曲でも指揮者・演奏者が異なれば、異なる演奏になる。
そのあたりの差を説明する部分はかなり専門的で
ちょっと素人には分かりかねる部分もあるのだが
そういうところは軽く読み飛ばしてしまいました(おいおい)。

それでも本書が十分にユニークで、”ウルトラセブン愛” と
”クラシック愛” に満ちていることはよく分かる。

ウルトラセブンが好きな人、クラシックが好きな人、
どちらが読んでも楽しめるだろう。

もちろん両方好きな人は、本書を100%楽しめる。
そういう人が羨ましい。


久しぶりにウルトラセブンを観たくなったよ。

どうせコロナ騒ぎで外出できないんだから、
ちょっとネット配信で観てみるのもいいかも。

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「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 [読書・ノンフィクション]


「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 (講談社+α文庫)

「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 (講談社+α文庫)

  • 作者: 牧村 康正
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/12/21
  • メディア: 文庫
ヤマト関係の書籍はいろいろ出回っているが、
西崎義展という個人をここまで掘り下げたものはないだろう。

日本のアニメ史上に燦然と輝く「宇宙戦艦ヤマト」。
その爆発的な人気は多くの熱狂的なファンを産み出し、
アニメの概念を書き換えた伝説的な作品。
それを世に送り出した不世出のプロデューサーの評伝だ。

なにぶん文庫で400ページを超える大部であるので
目次に沿って簡単に紹介しよう。


文庫版まえがき

本書の親本である単行本から文庫化される際、エピソードの追加、
新たな取材に基づく加筆・修正もされているとのこと。

文庫版で追加されたこの「まえがき」で特筆されるのは
リメイク作品「宇宙戦艦ヤマト2199」総監督の出渕裕氏の証言。
西崎氏が生前、「2199」のプロットに
3カ所だけダメ出しをしたというのは有名な話のようだが、
その後の展開も語られている。
その内容から察するに、西崎氏が健在であったなら
「2199」は未完成に終わったか、
たとえ完成しても全く異なった作品になっていただろう。
「ヤマト復活編」のような "西崎イズム" 満開の作品に。

西崎氏が最後まで執念を燃やし続けた「ヤマト」だが、
彼抜きで制作されたものが評価されたというのは皮肉なことだ。


序章 いつ消されてもおかしくない男

2010年に亡くなった西崎氏の訃報を聞いて、
他殺ではないかと疑う人は少なくなかったという。
経営会社の破産、公開した「復活編」の興行不振、
覚醒剤・銃刀法による服役、暴力団との関係、
松本零士氏との「ヤマト」著作権裁判と
怨まれる理由には事欠かなかったからだ。
この章では、その「ヤマト」第1作から「復活編」までの
毀誉褒貶に満ちた彼の人生を概観している。


第一章 アニメ村の一匹狼

1970年、虫プロ商事に36歳の西崎氏が現れたところから始まる。
この会社を踏み台に、わずか3年ほどで
借金まみれの状態から、まとまった金を動かせる
独立プロデューサーへとのし上がるまでが描かれる。


第二章 芝居とジャズと歌謡ショー

時間軸を出生までに巻き戻し、幼少期からの生い立ちが語られる。
父親との確執、受験の失敗、そして芸能界に飛び込み、
歌手の地方興行を請け負うようになる。
しかし創設した会社(第一期オフィス・アカデミー)が不渡りを出して
借金を逃れるためヨーロッパに逃亡するとか、
のっけから華々しい(笑)人生を歩んでる。


第三章 ヤマトは一日にしてならず

73年、いよいよ「宇宙戦艦ヤマト」の企画に着手する。
このあたりからはさまざまな媒体で伝えられていることが多いが
本書ではそれがより深く掘り下げられている。


第四章 栄光は我にあり

75年、「ヤマト」劇場版の制作が始まる。
その成功から「さらば」の爆発的な人気を得て、
西崎氏が43歳にしてマスコミの寵児となるまで。


第五章 勝利者のジレンマ

TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト2」(78年)以降、
西崎氏の神通力も陰りを見せ始める。
TVアニメ「宇宙空母ブルーノア」(79年)は39話予定が24話に短縮。
映画「ヤマトよ永遠に」(80年)の興行収入は
「さらば」の半分にとどまり(それでもたいしたものだが)、
TVアニメ「宇宙戦艦ヤマトⅢ」(80年)は1年間の放映予定が半年に短縮。
スタッフや社員との衝突も増え、彼のもとを去る者も増えていく。


第六章 砂上のビッグ・カンパニー

不振を打開すべく、多方面に手を出し始める。
しかし海外映画の買い付け、実写映画への進出も上手くいかない。
一方で遊びや愛人には湯水のように金を使う日々。
しかし西崎氏の凄いところは、
作品の制作にも自分の金を惜しみなくつぎ込んでいること。
「散財よりも蓄財に熱心な個人プロデューサーに、
 誰が魅力を感じるだろうか」
文中のこの言葉には頷かざるを得ない。


第七章 破滅へのカウントダウン

オフィス・アカデミーの後継(借金対策?)として設立された
ウエスト・ケープ・コーポレーションもまた、
巨額な負債を抱えて倒産する。そして債権者たちとの壮絶な攻防。
西崎氏の愛人たちのうち、何人かにも言及している。
けっこう重要な役どころを占めている人も。


第八章 獄中戦記

97年、覚醒剤所持で逮捕。そして保釈期間中に
銃刀法違反で二度目の逮捕を受け、ついに収監される。
そして「ヤマト」の著作権を巡る松本零士氏との裁判へと続く。
西崎氏の獄中生活を支えた支援者の一人として登場するのが、
後に西崎氏の養子となる彰司氏。


第九章 復活する魂

出獄した西崎氏は、ただちに「ヤマト復活編」の制作に着手。
ここでも彰司氏は作品制作はもちろん、
西崎氏の私生活まで面倒を見ることになる。
「復活編」は2009年に公開されるが興行収入2億円に終わる。
翌年には実写版「SPACE BATTLESHIP ヤマト」が公開されるが、
ここでは原作料を巡る西崎氏と東宝側の攻防が興味深い。
そしてこの実写版の公開直後、
小笠原の海で事故死して75歳の生涯を終える。


終章 さらば、ニシザキ

本書の執筆のために取材した人々からの証言を掲げている。
さすがに死者を悪し様に言う人はいないが、それを差し引いても
みな西崎氏の功績は認めているし哀惜の念を示す人も多い。


解説 西崎義展と「SPACE BATTLESHIP ヤマト」

実写版の監督、山崎貴氏の寄稿である。
彼は西崎氏と直接触れあうことはなかったので、
実写版を製作するにあたっての姿勢、のようなものを語っている。

どんなヤマトを作っても山のようにアンチは現れる。
しかし山崎氏はそれに臆することなく、
彼なりの "理想" と "勝算" をもって製作にあたり、
結果的に大ヒットとなったわけで
「アンチの声は聞きすぎないほうがいいのだろうと思っている」
は、実際に作った人の実感なのだろう。

私も実写版は受け入れられない作品ではあるが、
この文章を読んで彼の製作姿勢自体には納得した。


本書の執筆者である牧村康正氏は1953年生まれ。
第1作のTV放映時(74年)に21歳、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」の
公開時(78年)には25歳くらいと思われる。
これは私の勝手な思い込みなのだが、年齢的に見て
牧村氏は「ヤマト」という作品の熱心なファンではないのではないか。

 ヤマトファンの上限は74年の時点で高校生(18歳以下)くらいの
 世代じゃないかなあ、って思ってるんで。
 そういう意味で当時21歳というのはかなり微妙だと思う。
 ひょっとするとファンですらないかも知れない。

実際、本文を読んでいても「ヤマト」という作品への
過度な思い入れは感じない。しかしそれは、
本書を執筆する上では良い方向に作用しているのではないかと思う。
「ヤマト」と適度な距離感を保ちつつ、
西崎義展という人物を追っていくにはいい塩梅なんじゃないか。
(もし熱烈なファンだったとしたら、この執筆姿勢は賞賛に値すると思う)

西崎氏は、なにかと批判されることの多い人だし、
そう言われても仕方ない行状の人だったが
筆者の目は極めて公平で、業績と手腕、
そして多岐にわたる業界人との交流なども含めて
客観的にみて評価すべきところはきちんと評価していると思う。

 年齢のことが出たついでに書くけど、
 「さらば宇宙戦艦ヤマト」という作品への評価も、
 初見時の年齢が大きいんじゃないかなと個人的に思ってる。
 映画の公開時でもTV放映時でもいいんだが、
 初見時に大学生以上(19歳以上)だった人(私もこれに含まれる)には
 否定派が多く、中学生以下(15歳以下)は肯定派が多くて、
 高校生(16~18歳)だった人は半々くらいなんじゃないかなあ、
 ってこれも勝手に思ってる。

本書を読み終わってみて、西崎義展という人物に対して
抱いていたイメージが大きく変わった、ということはないが
より深く実感できたとは言える。
山はより高く、谷はより深く(笑)。
独立プロデューサーとして毀誉褒貶に満ちた人生を送り
まさに空前絶後の人だった。
たしかに、こういう人がいなければ
画期的で斬新な作品というのは生まれてこないのだろうとも思う。

 「一発大ヒット」を狙うより「リスク回避」を最優先する
 (製作委員会方式というのはその象徴だろう)
 現在は、こんな人は存在すること自体が
 極めて難しい時代になってしまったのだろう。


新たなこともいくつか知ることができた。

「さらば」以降のヤマトの続編は、
キャラを安易に死なせることが半ば常態化した。
これらの作品群について、私は西崎氏の
「こんな話にすれば視聴者は感動するだろう」という "計算" のもとに
作られてきたと思っていた。
言ってみれば「さらば」で得られた "勝利の方程式" に則って。
しかしどうやらそれは違うらしい。

西崎氏はあくまで「自分が見たいヤマト」
「これこそヤマトだと自分が信じるもの」を作り続けてきたらしい。
"計算" ではなく、本気の "思い込み" だったのだ。
自らが監督した「復活編」が惨敗に終わったとき、
スタッフが「時代の流れ」「感覚の古さ」を進言しても、西崎氏は
「そんなことはない。ならディレクターズ・カット版をつくる」
と言って、自分の感覚に最後まで自信を持っていたという。

自分の思い通りに作品を作り続けることができた
西崎氏本人は幸せだったのかも知れない。
それが時代に、そしてファンに受け入れられ続ければ
みんながハッピーだったのだけどねぇ・・・


西崎氏は生涯3度の結婚と3度の離婚を経験している。
実子も複数いるのだが、見事なまでに本書に登場してこない。
それだけ家族との縁が薄かったのだろう。
本書の中でいちばん印象的だった言葉が
「西崎氏は、金と権力で人間関係を支配していた」というもの。
まさに彼は他者に対して、終生その姿勢を変えなかった。
しかし家族にはその理屈は通用しない。
だから家族からは距離を置いていた(端的に言えば家族から逃げていた)。

そしてこの言葉は次のような文章に続く。
「西崎氏の人間関係には、敵か使用人しかいなかった」
ということは、西崎氏の周囲にいた人々から見れば、
氏は「自分の敵」か「自分を支配する者」でしかなかったことになる。

西崎氏は、自分が嫌われ者であることは百も承知で、
そういう目で見られることについて全く意に介さなかったものの、
一方では無類の寂しがり屋でもあったという。
そんな、人間としてのさまざまな側面も描かれている。

この強烈な個性が、70年代に於いては無類の輝きを放った。
徹頭徹尾、「生きたいように生きた」男の一代記だ。


 でも、もしもこんな人を上司に戴こうものなら
 私なんぞあっという間に胃に穴が空いて入院するか
 出社拒否に陥ってしまうだろうなあ・・・

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角川映画 1976-1986 [増補版] [読書・ノンフィクション]

病気もヤマを超えてかなり好転してきたので
そろりそろりと再起動、のつもりが
かなりの長文に・・・・・どうしてこうなった。


角川映画 1976-1986(増補版) (角川文庫)

角川映画 1976-1986(増補版) (角川文庫)

  • 作者: 中川 右介
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川マガジンズ
  • 発売日: 2016/02/25
  • メディア: 文庫



往年のカリスマ出版人だった角川春樹が、
『犬神家の一族』で日本映画界に参入してから40年。

巻末に、この40年間に "角川" が送り出した
映画のリストがあるんだけど、その数実に158本。

映画製作の母体も、初期は「角川春樹事務所」だったが、
ここは後に「角川書店」に吸収合併され、
角川春樹が去って弟・歴彦が後任社長となった後も
倒産した大映を買収して「角川大映映画」になり、
これが「角川映画」へと社名変更した現在では、
書籍・マンガ・アニメ・映画・TVそしてネットまで網羅した
一大グループ企業「KADOKAWA」の一員へと移り変わった。

様々な変遷があった40年間なのだけど、
サブタイトルにあるように本書で扱うのは、
「角川映画」の最初の10年間。
作品で言えば横溝正史原作『犬神家の一族』から
片岡義男原作の『彼のオートバイ、彼女の島』まで。
本数にして45本ほどが、本書で採り上げられている。

角川春樹が陣頭に立って大作・話題作を作り続けていた、
言ってみれば角川映画が "いちばん元気だった時代"。
"いちばん元気" というのに語弊があるなら
"いちばんやんちゃだった" と言い換えてもいいかな。
映画館は満員でも評論家には酷評(あるいは無視)されるなど、
この頃の角川映画、そして角川春樹は毀誉褒貶に晒されていたから。

ちなみに、映画の出来そのものについて筆者は論評していない。
興行収入と、キネマ旬報のベストテン結果という
客観的なデータを示すのみ。
あくまで、当時の角川春樹を中心とした
映画界の内実の再現に努めている。


本書で採り上げた10年間の45本の角川映画のうち、
私自身が映画館で観たのは10本ほどか。
ざっと挙げてみると『犬神家の一族』『人間の証明』
『悪魔が来たりて笛を吹く』『戦国自衛隊』『復活の日』
『魔界転生』『悪霊島』『幻魔大戦』『里見八犬伝』
『カムイの剣』・・・これくらいかなあ。
だけど、その映画のことを思い出すと、当時のことが記憶に甦る。
映画にはそういう魅力がある。本書を読んでいると、
私の心もまたあの頃にタイムスリップしていく。

著者は1960年生まれなので、私とほぼ同世代。
「1976-1986」は高校~大学~社会人となる時期で、
これも私とほぼ重なる。

筆者は、この10年間の角川映画を
すべて映画館でリアルタイムで観たという。
本書の序文で "わが青春の角川映画" と記しているくらいだからね。
その熱意が本書を執筆させたのだろう。

もちろん、当時の角川春樹や映画界、出版界の事情を
著者が知っているはずもないので、
そこは巻末にある90点近い参考文献から再構成している。
角川春樹本人へのインタビューも行って、それも反映されている。

詳しい内容は本書を読んでもらうしかないのだけど、
今まで持っていたイメージが崩れたり、
意外に感じるエピソードもあって、楽しく読ませていただいた。

ごく一部を紹介すると、当時「風雲児」「革命児」とか呼ばれ、
なんとなく「傍若無人」なイメージがあった角川春樹が、
映画の客の入りを心配するような自信の無さを示すところとか
オーディションで出会った原田知世に一目惚れして
「結婚したい」と辺り構わず吹聴するロリコンぶり(笑)とか
(当時、知世が16歳で春樹が40歳なので24歳差。
 高橋ジョージと三船美佳と同じ年齢差だ。)
人間味溢れる(?)春樹像を知ることができる。

あと、角川春樹自身は映画というものをこよなく愛してるんだけど
自分では「名画」と呼ばれるような作品は最初から作るつもりはなく、
あくまで目的は "本を売るため" で、
"難しく考えずに楽しく見られる" ような「B級作品」が作りたかった、
とか、「映画作り」というものに対する根本的な考え方が語られる。


あと、本書には、角川映画を監督した人々も登場する。

大林宣彦は、実験的かつ芸術的な映画ばかり撮る人、
ていうイメージが私にはあったのだけど、
オファーに応じてどのようにも撮れる人だったんだね。
「○○主演でアイドル映画を」って請われれば
「アイドル映画」に徹して製作する。
それはつまり、○○のファン以外の人が観ると
苦痛にしか思えない映画でさえも作り上げてしまう、ということ。

邦画洋画問わず、「大作」と名のつくものにことごとく噛み付いて
辛辣な映画評を発信している井筒和幸も、
意外にも「大作」の代名詞のような角川映画を監督している、とか。
しかも2本も。
ちなみに『晴れ、ときどき殺人』(主演・渡辺典子)と
『二代目はクリスチャン』(主演・志穂美悦子)だけど。


社会人になってから結婚するまでの10年ほど、
私は「年に映画を12本観る」というノルマを自分に課していた。
要するに「月に1本は映画を観よう」ということだったんだけど
シネコンなんかも無い時代だったからなかなか難しくて、
休日に3~4本まとめて観てなんとか帳尻を合わせてたなあ・・・

本書を読んでて、そんなことも思い出した。
(当時の)角川映画が嫌いな人もいるかと思うけど、
映画好きな人なら読んで損は無いんじゃないかな。


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昭和40年代ファン手帳 [読書・ノンフィクション]

昭和40年代ファン手帳 (中公新書ラクレ)

昭和40年代ファン手帳 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 泉 麻人
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/06/09
  • メディア: 新書



昭和40年代の世相を伝える資料(主に新聞の縮刷版)を眺めながら
当時の代表的な出来事を、著者自身の回想を絡めつつ綴った
70編あまりのエッセイ集になっている。

著者の泉麻人氏は昭和31年(1956年)の生まれなので
昭和40年~49年は9歳から18歳。
小学校高学年から高校3年までの時代に相当する。

ちなみに、私は泉氏よりちょっと年下だが、まあ同世代と言っていい。
なので、本書に書かれていることもだいたい記憶にあるし
読んでいて「ああ、そうそう」「そういえばそうだったね」
という部分がたくさんあって、たいへん楽しかった。
特撮、マンガ、アニメ、ラジオの深夜放送、アイドルなど
サブカルチャーに関する話題もあって、そのあたりも嬉しい。

スゴいなあと思ったのは、引用している文献の中に、
著者本人の「日記」があること。
当時、学校の宿題で書かされていたらしいのだけど、
なかなか達者な文章を書いていて、文筆家としての片鱗を感じさせる。
まあ、そんな昔の日記をまだ持ってること自体もスゴいけど。

 私なんか、大学時代に書いたレポートだって残ってない。
 (実家の物置の奥とか探せばあるかも知れんが・・・)

ざっと項目を挙げてみる。
とても全部は上げられないので、年ごとにひとつずつ。

昭和40年「クレージーとキングギドラの正月」
昭和41年「ビートルズは台風4号に乗って」
昭和42年「新宿にフーテンがいた頃」
昭和43年「55号とマエタケ」
昭和44年「東大安田とりで」
昭和45年「三島由紀夫と鼻血ブー」
昭和46年「夏に来た南沙織」
昭和47年「角栄・パンダ・アグネス・チャン」
昭和48年「石油ショックと六本木の夜」
昭和49年「ユリ・ゲラーが時計を直した夜」

これだけでも、なかなか面白そうでしょ?

高度成長期の終わり近く、
石油ショックによる大不況の直前というわけで
良くも悪くも、日本に
いろんな意味で "元気" があった時代、なのかも知れない。


おまけなのか付録なのか分からないけど
巻末に、某政治家との対談が収録されている。

泉氏と高校の同級生だったという縁で対談が実現したらしいが
内容的にはあまり見るべきものはないかなあ・・・
当事者同士なら思い出話も面白いんだろうけどね。


余談だが、読んでいて思ったのは著者の泉氏と、私自身の境遇の差。

三田にある慶應義塾中等部から日吉の慶應高校へ進学。
自宅が新宿にあったせいか、友人たちと遊んだ場所として
都内の盛り場があちこち出てくる。

 中学生や高校生がそんなところで遊んでていいのか?
 って思った場所も。

北関東の片田舎に育って、野原の中を自転車で走り回って遊び、
最寄り駅は1時間に電車が3本という県立高校へ進んだ私。

ことさら泉氏の環境が羨ましいとは感じないが、
こういう場所で育った人にしか書けない文章ってのも
あるんだなあ・・・とは思った。


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「最高学府はバカだらけ」 [読書・ノンフィクション]

最高学府はバカだらけ―全入時代の大学「崖っぷち」事情 (光文社新書 318)

最高学府はバカだらけ―全入時代の大学「崖っぷち」事情 (光文社新書 318)

  • 作者: 石渡 嶺司
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2007/09
  • メディア: 新書
評価:★★★★
 
大学進学率が5割を超え、受験生人口は減り続けているのに大学は増え続ける。
今春に至っては、ついに志願者の90%以上が大学へ入学したらしい。
事実上の「大学全入時代」なのだという。
 
この本は、そんな現代の大学に生息する「バカ学生」について書いた本だ。
 
第1章「アホ大学のバカ学生」では、
現代の学生の実態(これがまたあきれかえってしまうが)を描き、
 
第2章「バカ学生を生む犯人は誰か?」では、
高校・文科省・親・企業にその原因があるのか検証し、
 
第3章「バカ学生の生みの親はやはり大学?」では、
大学側に原因があるのかを探る。挙げられるのは
入試制度・大学の乱立・教職員の問題・広報不足etc。
 
第4章「大学の情報公開をめぐる二つの講演」は、
この本の白眉だと思う。
 
「受験生増進委員会」なる団体が主催した
「受験生集めに効果的な情報の隠し方」、
そして
「大学被害者友の会」なる団体が主催した
「大学にだまされない大学の選び方」。
 
「実際にあった講演を、転載許可を得て載せている」
と書いてあるが、読んでみてわかるが、
こんな過激な内容を転載許可するわけもなく
(たとえば「ニート・フリーターは大学の悪口を言う前に
 ネットカフェ難民になって過労死しろ」
 「大学業界に巣くう教職員は詐欺師そのもの」など)
これは明らかに、著者が取材した相手の「本音」を
「第三者の発言」という形で書いているものだと思う。
 
第5章「ジコチューな超難関大」では
東大・京大・早稲田・慶応を俎上に載せ、
第6章「崖っぷち大学サバイバル」では
その他大勢の大学の生き残り策を紹介する。
 
しかし「バカ学生」は、いつまでも「バカ学生」ではないらしい。
終章「バカ学生はバカ学生のままか?」では
一部のバカ学生は、”化学変化”を起こして
「バカ」から脱皮していくこともある、ということを述べている。
そのきっかけはさまざまで、
何とかその”化学変化”を起こそうと、
学生の面倒をよく見る大学の取り組みを紹介している。
 
とにかくおもしろい本だ。内容もおもしろいが、
各章の最後に「まとめ」というページがある。
これだけでも十分おもしろい。
もし本屋で見かけたら、この「まとめ」だけでも目を通してほしい。
買ってもっとよく読もうという気になる(かも)。
 
私がこの本から得た結論は、
大学に行ける経済的余裕があり、本人に(積極的ではないにしろ)
大学へ行って卒業しようとする意志があるのなら、行った方がいいということ。
一部の有名大・難関大でなくても、面倒見のいい大学に入れば
”化学変化”を起こして大きく成長する可能性もある。
そのためには、大学の情報をよく吟味して、選ぶ必要がある。
そして、この本はいい情報源の一つになるだろう。

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「『世界征服』は可能か?」 [読書・ノンフィクション]

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書 61)

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書 61)

  • 作者: 岡田 斗司夫
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2007/06
  • メディア: 新書
評価:★★★★
 
「世界征服を企む悪の秘密結社」といえば、
私の子どもの頃のアニメ・特撮番組では定番の悪役だった。
 
しかし「世界征服」とはどういうことか?
何を持って世界を征服したといえるのか?
そして世界征服を実現してしまったらどうなるのか?
そもそも「悪」とはどういうものなのか?
 
こういうことを真面目に考えてみた、という本である。
 
でも難しいところは全くない。
何せ書いているのが「オタキング」ですから。
 
具体的な例も、アニメや特撮作品から
いろんなケースを引っ張り出してきてくれる。
例えば第1章「世界征服の目的」では、
世界征服の目的を4つに分類する。
それぞれのケースについて、いろいろ例を挙げてくれるので実にわかりやすい。
「人類の絶滅」が目的なら「宇宙戦艦ヤマト」のガミラス帝国、
「お金が欲しい」なら「ヤッターマン」のドクロベエ、
「支配されそうだから逆に支配する」のは「機動戦士ガンダム」のジオン公国、
「悪を広めたい」のは「ドラゴンボール」のピッコロ大魔王、
という具合。
 
第2章では悪の支配者をタイプ別に分類し、
第3章では世界征服の手順を真面目に考える。
ここでは、世界征服というのは、真面目にやると、とても大変
コストパフォーマンスが非常に悪いこともわかるし、
そして、仮に世界征服を成功させてしまっても、
支配者にはなかなか安息の日々は訪れないこともわかる。
 
そして第4章では、現代における世界征服を考えるのだが、
この章はけっこう真面目な研究論文に近い雰囲気をもっていて、
よんでいて「なるほど」「そういえばそうだよなあ」と感心するし、
言われてみて気がついて「目からウロコが落ちた」思いをする部分もある。
 
もし、最初の方の軽い、ちょっとおちゃらけた雰囲気のところで
底の浅い本だと思ったら、それは間違いです。
 
ぜひ最後まで読んで欲しい。
「世界征服を企む悪の秘密結社」
という言葉に抱くイメージが、確実に変わると思います。
 

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「格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~」 [読書・ノンフィクション]

格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~ (宝島社新書 231)

格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~ (宝島社新書 231)

  • 作者: 三浦 展
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2007/05/19
  • メディア: 新書
評価:★★★
 
東大の学生の親は、東大出身が多いという話を聞いたことがある。
親の学歴・収入・家庭環境によって、子どもの成績が決まってしまうのか。
何となくみんながそう思っていた事なのだが、
この本はそれを、統計的に検証したものである。
インターネットを通して、小学生の子供を持つ母親
1400人に対してアンケート調査を行った。
この本の内容のほとんどは、その集計を分析したものなのである。
 
その結果はどうか。
確かに、親の収入と子どもの成績には相関がある。
しかし、それ以外にもいろいろな要素が
子どもの成績に関わっていることが判明する。
 
例えば
「母親が料理好き」「父親が土日に休み」
な方が、子どもの成績はよい、とか。
 
子どもについても
成績がよい子ほど「明るい」「がんばりや」「スポーツ好き」
成績が悪い子ほど「消極的」「だらしない」「友だちが少ない」
とか。
アンケート結果の分析が延々と続くのである。
 
読んでいくと、子どもの学力格差の背景に、現代の社会システムがあることがわかってくる。
 
コンビニ・スーパー・宅配便が365日24時間営業している
→そのためには土日・深夜に働く人が必要になる
→父親・母親の就労時間が不規則になる
→一家揃っての食事・会話・旅行が難しくなる
→家族や子どもを大切にしようにも、その時間がとれない
 
そして、「構造改革」のもと、「リストラ」された人たちが
この「コンビニ・スーパー・宅配便」に代表される
就労時間の不規則な第3次産業へ大量に流入している。
 
そこで生じる「生活の質の格差」が、「子どもの成績の格差」へ現れてくる、
と著者は言う。
 
あくまで、一つのアンケート結果による統計であるから、
これですべてがわかるというものではないが、
読んでいると、この国の現在は、
(前から思っていたことではあるけれど)
「子どもがまともに育つのが難しい時代」
なんだなあ、というのを改めて実感した。

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「裁判官の爆笑お言葉集」 [読書・ノンフィクション]

裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書 な 3-1)

裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書 な 3-1)

  • 作者: 長嶺 超輝
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 新書

評価:★

面白そうなタイトルだと思って読んだのだが、看板に偽りありである。

「裁判官の」「お言葉集」ではあるが、「爆笑」とはほど遠い。

裁判官は判決を言い渡すだけでなく、それ以外にもさまざまな言葉を発している。
「説諭」とか「付言」とか、あるいは「閉廷後の言動」とか言う形で。

むしろそういうところにこそ、裁判官の本音や人間性が表れるというのは、わかる。

この本に収められた言葉も、そういう中から選ばれたものである。
それ自体は興味深いし、面白くもある。たまにクスリと笑わせてくれたり、
「へえー、裁判官ってこんな事も言うんだ」と思わせてくれる。

でも「爆笑」ではないんだな。
「爆笑」とある以上、爆笑させてくれることを期待してはいけないことはあるまい?

この本が「裁判官のホンネ」とか「裁判官の意外な一言」とかいうタイトルだったら
★3つでした。

でも、いかにも
「このタイトルなら売れるだろう」
「これくらいのインパクトのあるタイトルじゃないと目立たないからダメ」
的な、売る側の発想が見えてきそうでイヤです。だから★1つ。

でも、まんまとそれに乗せられて買ってしまった私でした。


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