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「宇宙戦艦ヤマト」の真実 -いかに誕生し、進化したか [アニメーション]


「宇宙戦艦ヤマト」の真実 (祥伝社新書)

「宇宙戦艦ヤマト」の真実 (祥伝社新書)

  • 作者: 豊田有恒
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2017/10/01
  • メディア: 新書

本書の中でも断り書きがあるのだけど、それに倣って
この記事の中でも人物名の敬称は略して記します。


著者は、ヤマトの「SF設定」として参加していた豊田有恒。

豊田有恒と聞いても、最近の若い人は知らないだろう。
知ってても「嫌韓本の執筆者」とか「原発賛成派の御用作家」とか
あまりいいイメージがないかも知れない。

豊田有恒は1938年生まれ、当年とって79歳。

1961年に早川書房主催のSF新人賞に佳作入選し、
63年に商業誌「SFマガジン」に短編が掲載されてデビュー。

同じ頃TVアニメ「エイトマン」のシナリオに参加、
64年には虫プロダクションに嘱託として入社して
「鉄腕アトム」のシナリオを書きはじめる。
その後「スーパージェッタ-」や「宇宙少年ソラン」等のシナリオにも
参加した後、65年にはアニメ界から離れて小説家に専念する。

その後「モンゴルの残光」(67年)、「退魔戦記」(69年)、
「地球の汚名」(70年)など初期の代表作となる長編を発表している。

その後、歴史ものにも活躍の場を広げて、古代史SFや
ヤマトタケルを主役としたヒロイックファンタジー等を執筆してる。

 歴史ものの執筆を通じて古代史、特に朝鮮半島の歴史にハマったらしく
 韓国語までマスターして、かなりの韓国通になったはずなんだけど
 なぜか最近は韓国に批判的な内容を発表している。
 このへんの事情は不明だけど「ヤマト」とは関係ない話だし
 当然ながら本書でも触れていない。
 そういえば、TV番組「クイズダービー」の解答者として有名になった
 明治大学の鈴木武樹教授(先日亡くなった篠沢教授の前任者)との
 古代史を通じたバトルも有名だったなあ。
 私が大学生だった頃、雑誌「奇想天外」で豊田が連載してた
 「あなたもSF作家になれる わけではない」にも、
 たびたび「古代史ゴロのS教授」として登場してた。

2000年には島根県立大学の教授になって(09年に定年退職)、
日本SF小説界の "大御所" の一人にもなってる。


さて、私がSFにハマったそもそものきっかけは、
中学時代に読んだ「SF教室」(筒井康隆・編著、1971年)だった。
私が自分で買ったのか、父が買ってきたのか覚えていないのだけど。

子供向けのSF入門書兼読書ガイドであるこの本で、
小松左京と星新一、さらには彼らに続いてデビューした
眉村卓や光瀬龍、平井和正などを知ることになるのだが
その中にこの豊田有恒の名もあった。

そんな彼が、1973年になって「宇宙戦艦ヤマト」の
立ち上げに関わることになるのだが、そのあたりの経緯も含めて
本書は「鉄腕アトム」時代から筆を起こし、
日本のTVアニメーションの黎明期を経て「ヤマト」第1作に至り、
そして82年の「ヤマト完結編」を以て
再びアニメ界から離れるまでを綴っている。

人間、トシを取ってから昔を振り返るとき、
どうしても過去は美化されがちである。
美化とまではいかなくても不快な記憶は封印したくなるものだし
その記憶だってだんだん怪しくなってくるし(笑)。

豊田有恒にとっても40年以上前のことであるから、
記憶違いもあるみたいだし(実際、そう思える記述もある)
自分にとって都合の悪い内容に触れるときは筆先が鈍るだろう。
そのあたりを割引して読む必要はあると思う。

とは言っても、「ヤマト」の誕生を担った当事者の一人の証言である。
なかなか興味深いことも記されているので
以下、目次に沿っていろいろ思ったことを書いてみようと思う。

まえがき

本書執筆に至る経過が書かれている。
某大新聞社から、「ヤマト」について取材が来たのだが
結果として本人の意図と異なる記事になっていたらしい。
作品について、一方的な解釈を読者に強要していると感じた著者は
作品制作の経緯と事実関係を書き残そうとした、ということだ。

 このあたり、もっと踏み込んで書いてもらって、
 一冊の本にしたら面白いだろうと思うのだが。

あと、豊田の原発に対する考えも多少述べられてる。
決して無条件に容認しているというわけではないのだが、
このへんは本書の趣旨と外れるので触れない。


第一章 日本アニメ誕生からヤマトに至るまで

豊田は、友人の平井和正から頼まれて
平井が原作のTVアニメ「エイトマン」のシナリオを書き始める。
当時はSFが書ける脚本家がいなかったからだ。

この時豊田が書いた「地球ゼロアワー」という話で、
核ミサイルが東京に向けて発射されるのだが、作中に
時々刻々と「東京壊滅まであと○○分○○秒」とテロップを入れたら
この回が高視聴率を叩き出したので、後の「ヤマト」での
「地球滅亡まであと○○日」の元ネタになったとか。

「鉄腕アトム」での手塚治虫とのエピソードも、なかなか面白い。
彼の「クリエイターは名前を貸したらおしまいです」という言葉が重い。

その後、「スーパージェッタ-」「宇宙少年ソラン」に携わるが、
小説を専業にするためアニメ界を去る。


第二章  本格的なSFアニメをやりたい!西崎義展との出会い

この章から西崎義展が登場する。

虫プロで一緒に仕事をした山本暎一(のちに「ヤマト」のスタッフになる)
から「本格的なSFアニメをやりたいプロデューサーがいる」との
電話があって引き合わされた西崎は、話術が巧みで
人の気を逸らさない魅力があり、他人の心をつかむコツを心得ている。

西崎は豊田にこう語るのだ。
「ハインラインの『地球脱出』のようなSFがやりたい」

 ロバート・A・ハインラインはアメリカの代表的なSF作家だ。
 『夏への扉』は海外SFのベスト選出では常に上位に入る名作だし
 『宇宙の戦士』は「ガンダム」の元ネタになったことでも有名だ。

西崎のこの一言で豊田はOKするのだが、このとき
口約束のみで確約をとらなかったことが後に災いする。


第三章 「アステロイド6」

豊田の仕事は、主にSFの面からストーリー原案と設定を考えること。
このあたりは今までもいくつかの書籍や媒体で紹介されているから
大筋を知ってる人も多いだろう。

章題の「アステロイド6」は豊田による原案のタイトルだ。
初対面で意気投合した松本零士もこの原案に賛成して
作品としての具体化に向けて動き出すが、
後に豊田は、主人公たちが乗る宇宙船に戦艦大和を改造したものを使う、
ということを聞いて困惑する。SF的な理屈づけに苦しむ設定に
豊田は反対するものの、のちの成功をみて納得することになるのだが。

このとき、大和を使うというアイデアは豊田の記憶によると
松本零士から出たものなのだが、後に西崎は
自分のアイデアだと言い張るようになる。

さらに脚本家の藤川桂介が加わり、
彼もまたいろいろ細部で肉付けしていったらしい。

豊田は本書の中で、「ヤマト」という作品に対して
「松本零士が "おおよその原作者"」という表記をたびたびしている。
多くのスタッフが集い、たくさんのアイデアをまとめた作品の中でも
彼の貢献がいちばん大きい、と認めていたのだろう。
後年の著作権裁判でも豊田は松本側の証人として参加しているが
その理由はこのあたりにあると思われる。

とにかく西崎義展という人はクリエイターに敬意を払わない人で
「ヤマト」初放映の時、裏番組にこれも豊田が関わった
「猿の軍団」があったことを理由に豊田がクレジットされる役職名を
「原案」から「SF設定」に格下げしてしまう。


第四章  「宇宙戦艦ヤマト」続編へ動き出す

続編(「さらば宇宙戦艦ヤマト」)の企画にも参加した豊田だが、
ここでもいろんな話が明かされていて面白い。

西崎が沖田艦長の復活を画策していたとか、
それに応じて、豊田が沖田のクローンを登場させようとした話とか。
ちなみに「完結編」で沖田が復活した経緯については
豊田には無断だったとか(笑)。

敵の本拠地として「白色矮星」を提案したら
「白色彗星」になったというのは有名な話だ。

 そしてこのあたりから、後に「2199」総監督を務める
 出渕裕の名がスタッフの中に出てくる。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」という映画は
興行収入43億円の大ヒットになったが、
豊田が受け取った報酬は文庫1冊の初版印税にも満たない額だったとか。

メカデザインで参加したスタジオぬえも被害者で
加藤直之や宮武一貴といった人気イラストレーターにすら
相場の1/10しか支払わなかったとか。
旧作シリーズ後半では、スタジオぬえが
メカデザインから降りてるのもここが原因だろう。


第五章 さらばでない、「さらば宇宙戦艦ヤマト」。
     何匹目でもドジョウがいる

西崎は、柳の下にドジョウがいれば、
絶滅するまでドジョウを採り続ける人だったそうで、
さもありなんとは思う。

彼に求められて「ヤマトよ永遠に」の重核子爆弾、
「ヤマトⅢ」での太陽の新星化、
「完結編」における回遊する水惑星など
シリーズ作品の中核となるアイデアを出してきたのも豊田だという。

この章で驚いたのは、豊田の小説「地球の汚名」の映像化に
西崎が食指を動かしていたという話。

 「地球の汚名」とは、「忠臣蔵」の物語を未来SFとして翻案したもので
 「幕府」は星間連盟、「赤穂」はもちろん地球、
 「吉良家」は地球と敵対する異星人ザミーン。
 「勅使」ならぬ星間連盟からの使節を迎えた地球だが
 使節はザミーンによって暗殺され、その容疑が地球にかけられる。
 盟主は処刑され、地球は星間連盟によって占領される。
 しかし主人公たち一部の軍人は地球を脱出して太陽系内に潜伏、
 やがて宇宙艦隊を組織してザミーンの星系に侵攻、
 敵本星において陰謀の首魁を暴き、星間連盟に対して
 地球が無実である証しを立てる、というストーリーだ。

もし実現していれば日本初の本格スペースオペラの映像化になったはず。
でも結局実現しなかったので、
西崎がどこまで本気だったのかは疑問だったとも語っている。
この作品での「地球が占領される」という設定は
後に「ヤマトよ永遠に」で流用されることになる。


第六章 その後の西崎義展

ヤマト制作の最大の功労者である松本零士でさえ
豊田の数倍程度しか報酬を受け取っておらず、
西崎はヤマトで得た総合計にして200億とも300億とも言われる収入は
すべて自分の趣味(女、ヨット、バイク、車etc)につぎ込んでしまい、
クリエイターに対しては雀の涙ほどしか対価を支払っていないという。

このあたりを角川春樹と対比している部分がある。

角川にしても毀誉褒貶はある人だが、仕事に対しては誠実で
恩義を感じる作家も多かったという。
だから後に彼が角川書店を追われてハルキ文庫を立ち上げたときも
彼に協力して作品を提供する作家がたくさんいた。

西崎にとってクリエイターは(松本や豊田は例外として)使い捨てのもの。
いかに安くこき使うかしか考えていなかった。
だから、彼と一緒に仕事をしようという人間が
どんどん減っていってしまったのだと。

最後に語られるのは、リメイクである「2199」に関するエピソード。

総監督を務めた出渕が、松本の名も豊田の名も
クレジットに出せないことを謝っていたこと、
(出渕は制作プロに名を出すように掛け合ったが通らなかったらしい)
松本の元を訪れて謝りたいというので、引き合わせたこと。
そして、松本は文句を言うどころか
「わかった。作るからには、頑張っていい作品を作りなさい」
といって出渕を激励したこと。

つい何年か前にも槇原敬之と歌詞について裁判を起こしたりと
「権利にうるさいおじさん」というイメージもあるかも知れないが、
事前にきちんと筋を通せばすんなりOKする度量の広さも持っている。
松本零士とはそういう人なのだね。

なんだか西崎の悪口ばかり書いているみたいだけど、
西崎のプロデューサーとしての能力は随所で認めている。
(クリエイティブな能力はゼロと断定してるが)

彼なしに「ヤマト」は生まれなかったし、
TVで放映されることもなく、したがって
日本のアニメの歴史を変えるようなヒット作品になることもなかった。

豊田自身も、そんな作品を産み出したスタッフの一員として
誇りも感じたし、達成感も持っていた。
だからこそ「完結編」までつきあってしまったのだろうが。

オリジナルの「ヤマト」のスタッフも高齢化し、
物故された人も少なくない。
制作の真っ只中にいた著者のような人の証言は貴重だ。

とはいっても、本書の内容はあくまで
豊田の目から見た「ヤマト」制作の現場。
彼の記憶違い、勘違いもあるかも知れないし、
その場にいた別のスタッフからすれば、また違った見方もあるだろう。

少しでも多くの人に当時のことを語ってもらい、
資料として記録に残ればいいと思う。

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