SSブログ

「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 [読書・ノンフィクション]


「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 (講談社+α文庫)

「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 (講談社+α文庫)

  • 作者: 牧村 康正
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/12/21
  • メディア: 文庫
ヤマト関係の書籍はいろいろ出回っているが、
西崎義展という個人をここまで掘り下げたものはないだろう。

日本のアニメ史上に燦然と輝く「宇宙戦艦ヤマト」。
その爆発的な人気は多くの熱狂的なファンを産み出し、
アニメの概念を書き換えた伝説的な作品。
それを世に送り出した不世出のプロデューサーの評伝だ。

なにぶん文庫で400ページを超える大部であるので
目次に沿って簡単に紹介しよう。


文庫版まえがき

本書の親本である単行本から文庫化される際、エピソードの追加、
新たな取材に基づく加筆・修正もされているとのこと。

文庫版で追加されたこの「まえがき」で特筆されるのは
リメイク作品「宇宙戦艦ヤマト2199」総監督の出渕裕氏の証言。
西崎氏が生前、「2199」のプロットに
3カ所だけダメ出しをしたというのは有名な話のようだが、
その後の展開も語られている。
その内容から察するに、西崎氏が健在であったなら
「2199」は未完成に終わったか、
たとえ完成しても全く異なった作品になっていただろう。
「ヤマト復活編」のような "西崎イズム" 満開の作品に。

西崎氏が最後まで執念を燃やし続けた「ヤマト」だが、
彼抜きで制作されたものが評価されたというのは皮肉なことだ。


序章 いつ消されてもおかしくない男

2010年に亡くなった西崎氏の訃報を聞いて、
他殺ではないかと疑う人は少なくなかったという。
経営会社の破産、公開した「復活編」の興行不振、
覚醒剤・銃刀法による服役、暴力団との関係、
松本零士氏との「ヤマト」著作権裁判と
怨まれる理由には事欠かなかったからだ。
この章では、その「ヤマト」第1作から「復活編」までの
毀誉褒貶に満ちた彼の人生を概観している。


第一章 アニメ村の一匹狼

1970年、虫プロ商事に36歳の西崎氏が現れたところから始まる。
この会社を踏み台に、わずか3年ほどで
借金まみれの状態から、まとまった金を動かせる
独立プロデューサーへとのし上がるまでが描かれる。


第二章 芝居とジャズと歌謡ショー

時間軸を出生までに巻き戻し、幼少期からの生い立ちが語られる。
父親との確執、受験の失敗、そして芸能界に飛び込み、
歌手の地方興行を請け負うようになる。
しかし創設した会社(第一期オフィス・アカデミー)が不渡りを出して
借金を逃れるためヨーロッパに逃亡するとか、
のっけから華々しい(笑)人生を歩んでる。


第三章 ヤマトは一日にしてならず

73年、いよいよ「宇宙戦艦ヤマト」の企画に着手する。
このあたりからはさまざまな媒体で伝えられていることが多いが
本書ではそれがより深く掘り下げられている。


第四章 栄光は我にあり

75年、「ヤマト」劇場版の制作が始まる。
その成功から「さらば」の爆発的な人気を得て、
西崎氏が43歳にしてマスコミの寵児となるまで。


第五章 勝利者のジレンマ

TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト2」(78年)以降、
西崎氏の神通力も陰りを見せ始める。
TVアニメ「宇宙空母ブルーノア」(79年)は39話予定が24話に短縮。
映画「ヤマトよ永遠に」(80年)の興行収入は
「さらば」の半分にとどまり(それでもたいしたものだが)、
TVアニメ「宇宙戦艦ヤマトⅢ」(80年)は1年間の放映予定が半年に短縮。
スタッフや社員との衝突も増え、彼のもとを去る者も増えていく。


第六章 砂上のビッグ・カンパニー

不振を打開すべく、多方面に手を出し始める。
しかし海外映画の買い付け、実写映画への進出も上手くいかない。
一方で遊びや愛人には湯水のように金を使う日々。
しかし西崎氏の凄いところは、
作品の制作にも自分の金を惜しみなくつぎ込んでいること。
「散財よりも蓄財に熱心な個人プロデューサーに、
 誰が魅力を感じるだろうか」
文中のこの言葉には頷かざるを得ない。


第七章 破滅へのカウントダウン

オフィス・アカデミーの後継(借金対策?)として設立された
ウエスト・ケープ・コーポレーションもまた、
巨額な負債を抱えて倒産する。そして債権者たちとの壮絶な攻防。
西崎氏の愛人たちのうち、何人かにも言及している。
けっこう重要な役どころを占めている人も。


第八章 獄中戦記

97年、覚醒剤所持で逮捕。そして保釈期間中に
銃刀法違反で二度目の逮捕を受け、ついに収監される。
そして「ヤマト」の著作権を巡る松本零士氏との裁判へと続く。
西崎氏の獄中生活を支えた支援者の一人として登場するのが、
後に西崎氏の養子となる彰司氏。


第九章 復活する魂

出獄した西崎氏は、ただちに「ヤマト復活編」の制作に着手。
ここでも彰司氏は作品制作はもちろん、
西崎氏の私生活まで面倒を見ることになる。
「復活編」は2009年に公開されるが興行収入2億円に終わる。
翌年には実写版「SPACE BATTLESHIP ヤマト」が公開されるが、
ここでは原作料を巡る西崎氏と東宝側の攻防が興味深い。
そしてこの実写版の公開直後、
小笠原の海で事故死して75歳の生涯を終える。


終章 さらば、ニシザキ

本書の執筆のために取材した人々からの証言を掲げている。
さすがに死者を悪し様に言う人はいないが、それを差し引いても
みな西崎氏の功績は認めているし哀惜の念を示す人も多い。


解説 西崎義展と「SPACE BATTLESHIP ヤマト」

実写版の監督、山崎貴氏の寄稿である。
彼は西崎氏と直接触れあうことはなかったので、
実写版を製作するにあたっての姿勢、のようなものを語っている。

どんなヤマトを作っても山のようにアンチは現れる。
しかし山崎氏はそれに臆することなく、
彼なりの "理想" と "勝算" をもって製作にあたり、
結果的に大ヒットとなったわけで
「アンチの声は聞きすぎないほうがいいのだろうと思っている」
は、実際に作った人の実感なのだろう。

私も実写版は受け入れられない作品ではあるが、
この文章を読んで彼の製作姿勢自体には納得した。


本書の執筆者である牧村康正氏は1953年生まれ。
第1作のTV放映時(74年)に21歳、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」の
公開時(78年)には25歳くらいと思われる。
これは私の勝手な思い込みなのだが、年齢的に見て
牧村氏は「ヤマト」という作品の熱心なファンではないのではないか。

 ヤマトファンの上限は74年の時点で高校生(18歳以下)くらいの
 世代じゃないかなあ、って思ってるんで。
 そういう意味で当時21歳というのはかなり微妙だと思う。
 ひょっとするとファンですらないかも知れない。

実際、本文を読んでいても「ヤマト」という作品への
過度な思い入れは感じない。しかしそれは、
本書を執筆する上では良い方向に作用しているのではないかと思う。
「ヤマト」と適度な距離感を保ちつつ、
西崎義展という人物を追っていくにはいい塩梅なんじゃないか。
(もし熱烈なファンだったとしたら、この執筆姿勢は賞賛に値すると思う)

西崎氏は、なにかと批判されることの多い人だし、
そう言われても仕方ない行状の人だったが
筆者の目は極めて公平で、業績と手腕、
そして多岐にわたる業界人との交流なども含めて
客観的にみて評価すべきところはきちんと評価していると思う。

 年齢のことが出たついでに書くけど、
 「さらば宇宙戦艦ヤマト」という作品への評価も、
 初見時の年齢が大きいんじゃないかなと個人的に思ってる。
 映画の公開時でもTV放映時でもいいんだが、
 初見時に大学生以上(19歳以上)だった人(私もこれに含まれる)には
 否定派が多く、中学生以下(15歳以下)は肯定派が多くて、
 高校生(16~18歳)だった人は半々くらいなんじゃないかなあ、
 ってこれも勝手に思ってる。

本書を読み終わってみて、西崎義展という人物に対して
抱いていたイメージが大きく変わった、ということはないが
より深く実感できたとは言える。
山はより高く、谷はより深く(笑)。
独立プロデューサーとして毀誉褒貶に満ちた人生を送り
まさに空前絶後の人だった。
たしかに、こういう人がいなければ
画期的で斬新な作品というのは生まれてこないのだろうとも思う。

 「一発大ヒット」を狙うより「リスク回避」を最優先する
 (製作委員会方式というのはその象徴だろう)
 現在は、こんな人は存在すること自体が
 極めて難しい時代になってしまったのだろう。


新たなこともいくつか知ることができた。

「さらば」以降のヤマトの続編は、
キャラを安易に死なせることが半ば常態化した。
これらの作品群について、私は西崎氏の
「こんな話にすれば視聴者は感動するだろう」という "計算" のもとに
作られてきたと思っていた。
言ってみれば「さらば」で得られた "勝利の方程式" に則って。
しかしどうやらそれは違うらしい。

西崎氏はあくまで「自分が見たいヤマト」
「これこそヤマトだと自分が信じるもの」を作り続けてきたらしい。
"計算" ではなく、本気の "思い込み" だったのだ。
自らが監督した「復活編」が惨敗に終わったとき、
スタッフが「時代の流れ」「感覚の古さ」を進言しても、西崎氏は
「そんなことはない。ならディレクターズ・カット版をつくる」
と言って、自分の感覚に最後まで自信を持っていたという。

自分の思い通りに作品を作り続けることができた
西崎氏本人は幸せだったのかも知れない。
それが時代に、そしてファンに受け入れられ続ければ
みんながハッピーだったのだけどねぇ・・・


西崎氏は生涯3度の結婚と3度の離婚を経験している。
実子も複数いるのだが、見事なまでに本書に登場してこない。
それだけ家族との縁が薄かったのだろう。
本書の中でいちばん印象的だった言葉が
「西崎氏は、金と権力で人間関係を支配していた」というもの。
まさに彼は他者に対して、終生その姿勢を変えなかった。
しかし家族にはその理屈は通用しない。
だから家族からは距離を置いていた(端的に言えば家族から逃げていた)。

そしてこの言葉は次のような文章に続く。
「西崎氏の人間関係には、敵か使用人しかいなかった」
ということは、西崎氏の周囲にいた人々から見れば、
氏は「自分の敵」か「自分を支配する者」でしかなかったことになる。

西崎氏は、自分が嫌われ者であることは百も承知で、
そういう目で見られることについて全く意に介さなかったものの、
一方では無類の寂しがり屋でもあったという。
そんな、人間としてのさまざまな側面も描かれている。

この強烈な個性が、70年代に於いては無類の輝きを放った。
徹頭徹尾、「生きたいように生きた」男の一代記だ。


 でも、もしもこんな人を上司に戴こうものなら
 私なんぞあっという間に胃に穴が空いて入院するか
 出社拒否に陥ってしまうだろうなあ・・・

nice!(3)  コメント(11) 
共通テーマ: