SSブログ

「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」第三章 感想・・・のようなもの その10 [アニメーション]


第9話 ズォーダー、悪魔の選択  (5/5)

※ネタバレ全開です。未見の方はご注意ください!

■思い切った演出

そして今回描かれたのは
Aパートではズォーダーと古代の対決、
Bパートでは古代と雪の "究極の愛"。

惑星シュトラバーゼという舞台も、
反ガミラス統治破壊解放軍という乱入者も
すべてはこの2つを描くためのお膳立てに過ぎない。

この2つを描くために、そしてそれを最大限に強調するために、
余計な要素はすべて取っ払ってしまった。
説明不足なところや唐突なところもあるがすべてはそのため。
そしてそれは、Bパートにおいて特に顕著だ。

一例を挙げれば、避難民に紛れ込んだ蘇生体が
ガミラス艦の機関部に易々と侵入できたのはなぜだ、という疑問にも
その気になればいくらでも理屈づけて描くことはできたはずだ。

例えば蘇生体はガトランティス兵士並みに "不死" (当たり前だが)で
ショッカーの改造人間並みに驚異的な膂力を発揮する、
みたいな描写を入れれば
ガミラス兵をバッタバッタとなぎ倒し、機関部へ突入するところを
視聴者に納得できるように描くことは充分にできただろう。

でも、演出するスタッフは、"そういう部分” は
"この回で描きたいもの" にとっては "枝葉" であり、場合によっては
(言葉は悪いが) "雑音" になると判断したのだろう。
だから一切合切きれいに外してしまった。

すべてはズォーダーとの対決を、
そして二人の "愛" のシーンを描くことに徹底している。

思い切った演出ではある。しかし諸刃の剣でもある。

改まって説明されない部分が少なくないので
理解できない、展開について来られない、
フラストレーションが溜まる人も出てくるだろう。

ヤマトと反乱軍との戦いさえも "枝葉" になり、
ぶつ切り状態での展開となった。
「ヤマトは戦闘シーンがあってなんぼ」
「土方の指揮振りをもっと見せろ」
という不満を抱く人も出てくるだろう。

古代と雪の二人のドラマをがっつりと描いたはいいが
「ヤマトにメロドラマは不要だ」
「あんなうじうじ悩む古代は見たくない」
という批判をする人も出てくるだろう。

説明第三章の評価が割れるのも分かる。
リメイクならではの「今までにないヤマト」だったがゆえに
「これはオレの見たかったヤマトじゃない」って
思った人も多かったのだろう。

■ "愛" vs "愛"

ではなぜ、二人に今回のような行動をとらせたのか。

「2202」がヤマトの物語であるなら、
最終的に "敵" であるズォーダーは倒されねばならない。
そして、そのときにはズォーダーの唱える
"大いなる愛" なるものもまた否定されねばならないはずだ。

そしてそれは、波動砲などを含む武力で殲滅することではなく
(実際、ガトランティスを武力で圧倒するのは、戦力的におそらく無理)
人と人との間の愛、男女の愛であり、親子の愛であり、
他人の幸せを祈ることのできる愛、によって
為されなければならないのではないか。

そしてそれを体現する存在として「古代と雪」という、
究極の "個の愛" を選んだ者たちが、
ラストでふたたびズォーダーと対峙するのだろう。

大帝に否定されてもなお愛することをやめず、
再び悪魔の選択を迫られてもやはり同じ選択をするであろう二人が。

トロッコ問題に正解はない。
どの答えを選んでも、後悔は残る。
だってそれが「人」というものだから。
その後悔を抱いて生きていくことこそが「人の生」だ。
そしてその「人の生」の中にこそ「幸せ」も存在する。

どの選択をしても心が痛まなくなったら、それはもはや人間ではない。

前回は大帝の言葉に翻弄されるばかりだった古代が
テレサと出会い、ガトランティスと戦い、この旅を通じて成長した古代が
再びズォーダーと対決したときに何を語るのか。

楽しみではあるのだが、ちょっぴり怖いような気がして、
一抹の不安を感じることを否定できないでいる私がいる。

やっぱり「さらば」のトラウマは拭いがたいものがあるので(笑)。

断言できることは、問答無用とばかりに
旧作のように自らの命をもってズォーダーと "対消滅" を図るような
ラストになったら、私は「2202」を否定する側にまわるだろう。

そうならないことを祈るだけだ。

■真の主役

「雪の行動が突飛すぎる」という意見もあるだろう。

でも、「2199」第23話で第二バレラスの破壊を決意したとき、
雪は自分の生還を諦めてはいなかったか。
その行動はヤマトを救うためではあったが、
その本質は「古代に生きていて欲しかった」ためではなかったか。

「2199」第23話で、そして「2202」第9話で。
あの場面であの行動が選べる雪だからこそ、
ラストでズォーダーに対抗しうる存在たり得るのではないか。

この第9話は、古代と雪の二人が「2202」という物語において、
"真の主役" となった回なのだと思っている。
二人の "戦い" はむしろここから始まるのではないのだろうか。

■「愛の戦士」は伊達じゃない?

ズォーダーの唱える "愛"、古代と雪に代表される "男女の愛"。
加藤一家に象徴される "親子の愛"。
(ひょっとするとここにはゴーランドとノルが加わるのかも知れないが。)

登場人物たちが何かしら "愛" を背負っていて
「愛の戦士たち」という副題が伊達ではなく
まさしくその名の通りの物語であることを示したのが
第9話だったのだろうと思う。

■ヒーロー物語として

とまあ、長々と感想めいたものをだらだら綴ってきたのだけど、
ここまで書いてきて、ふと思ったことは
「要するに今回の古代は、負けなくてはいけなかったのではないか」
ということ。

ヤマト自体は負けてないけどね。
反乱軍は退けたし、古代と雪、それに
三隻のガミラス艦隊まで救ってしまったから。

負けたのは古代のメンタルだ。
大帝のいいいように振り回されてしまい、もうボロボロだ。

でも、物語の作法(さくほう)からしても、
ヒーローは「一敗地に塗れる」ことなくして
勝利をつかむことは出来ないものだからね。
それでこそ物語は盛り上がる。

最終的にズォーダーに勝つためには、
古代は一度コテンパンに負ける必要があった。
それが第9話だったんじゃないだろうか。

                                                            (つづく)

nice!(3)  コメント(7) 
共通テーマ:アニメ