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サイボーグ009完結編2012 009 conclusion GOD'S WAR (first/second/third) [読書・SF]


サイボーグ009 完結編  2012 009 conclusion GOD'S WAR I first (角川文庫)

サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR I first (角川文庫)

  • 作者: 石ノ森 章太郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/09/25
  • メディア: 文庫
サイボーグ009 完結編  2012 009 conclusion GOD'S WAR II second (角川文庫)

サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR II second (角川文庫)

  • 作者: 石ノ森 章太郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/09/25
  • メディア: 文庫
サイボーグ009 完結編    2012 009 conclusion GOD'S WAR III third (角川文庫)

サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR III third (角川文庫)

  • 作者: 石ノ森 章太郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/10/25
  • メディア: 文庫
評価:★★★

※長文注意!

■星の数の意味

まず、30年以上待たされた ”あの完結編” を読むことができたこと。
作者の執念のたまものとも言える小説版の完成に★5つ。

そして、執筆した小野寺丈氏の覚悟と努力に敬意を表して★4つ。
おそらく想像を絶する多大なプレッシャーがあったものと推察する。

しかしながら、この結末は・・・詳しくは後で述べるが★2つ。

そして、執筆した小野寺氏の努力は認めつつも、
やはり専業作家ではない弱点は覆いようもなく・・・
これも後で述べるが★1つ。

よって、総合/平均して★3つをつけました。


■はじめに

「サイボーグ009」。
マンガ界の巨匠・石ノ森章太郎の代表作のひとつにして
”未完の大作” でもあることでも有名な作品だ。

掲載雑誌を何回も変えて、長い時間を経て書き連ねられてきたし、
その間に何度もTVアニメや劇場用映画になったりした。

 私と同年代の人ならば「あか~いマ~フ~ラ~、な~び~か~せて~」
 ってモノクロ版TVアニメの主題歌を脳内再生できるだろう。

 あるいはカラー版TVアニメ(昭和版)の主題歌「誰がために」を
 カラオケで熱唱した経験をお持ちの方もいるだろう。

 残念ながら私は平成版のTVアニメは未見なんだけど・・・

雑誌の連載開始は1964年。
米ソ冷戦のさなか、秘密結社 ”ブラック・ゴースト” によって
改造人間(サイボーグ)にされた9人の若者が、組織に対して叛旗を翻し
”ブラック・ゴースト” をはじめとした
世界中の ”悪” と戦い続ける・・・という物語だ。

そして1969年。
サイボーグたちの ”最後の戦い” を描くべく始まったのが「天使編」。
文字通り、”神” を敵に回しての壮絶な戦いとなる ”完結編” となるはず
・・・だったのだけど、あまりにも壮大なスケールのために
作者自身にも収拾がつかなくなった(らしい)ために連載は中断に至る。

ラストシーンで、001(イワン)が002から009までの
8人のゼロゼロナンバーサイボーグたち(ああ、懐かしい響きだ)に
「<新しい力>をつけてあげる」という台詞を最後に、
彼らの ”最後の戦い” は封印されてしまった。


■完結編まで

当然ながら、ファンは完結編を読みたいと願う。
しかし封印されたしまったが故に、連載中断から時間が経つほど、
熱心なファンからの期待度は高まっていっただろう。

そしてそれが、作者に対しては巨大なプレッシャーとなっただろう事は
容易に想像できる。まあ、それだけが理由ではないだろうが、結果として
”完結編” は30年以上も放置されてしまうことになってしまった。

そして石ノ森氏自身は1998年にリンパ腫によって世を去ってしまう。
享年60歳という若さだった。
健在だったら、まだまだ10年以上は第一線で活躍できただろう。

しかし石ノ森氏は、病床にありながらも
最後まで ”完結編” の構想を練り続けていたという。


この小説版の著者は、石ノ森氏の長男にして
俳優・演出家である小野寺丈(おのでら・じょう)氏。

彼は病床にあった石ノ森氏から、
”完結編” の粗筋を一度だけ聞いたことがあるという。
「俺に何かあったら、完成させてくれよ」という言葉とともに。

その小野寺氏が、父が残した文章や構想メモ、語られた粗筋をもとに
小説化したもの、それが本書だ。


■第1巻「first」と第2巻「second」

物語は1997年11月、闘病を続ける石ノ森の元へ
ギルモア博士が現れるというメタフィクショナルなシーンから始まる。

そのギルモア博士は、2012年の未来から
イワン(001)の力を借りてやってきたのだという。

ギルモアは語る。
実はゼロゼロナンバーサイボーグたちは、21世紀初頭に
列強の宇宙開発計画の裏で、宇宙で戦える兵士の研究から
生み出された存在だったのだという。

そして、石ノ森が1960年代に描いた009たちの物語は、
2012年の未来から過去の石ノ森へと、
イワンによって時間を超えたテレパシーで送られた
彼らの戦いのイメージから生み出されたものだったのだ。

そして2012年の009たちは、今まさに
”神々との戦い” の真っ只中にある。
ギルモア博士が過去へやってきたのは、
自分たちの ”神々との戦い” の行く末を知るためだった。
しかし、未だ構想の定まらない石ノ森にとって、
完結編のラストは彼自身にも分からないことだった・・・

 これは30年近い時の流れをリセットして
 「009」を現代の物語として語り直すための段取りだったのだろう。


そして本編が始まる。

第1巻「first」と第2巻「second」では、サイボーグたちは
「誕生編」から始まる長い戦いを終え、”神々との戦い” を前に、
それぞれの故郷でつかの間の平和な日々を過ごしている。

しかし彼らはみな、不可思議な事件に巻き込まれ、
その中で人間ならざる異形の存在と出会っていく。
それは ”天使” であったり ”邪神” であったり ”幽霊” であったり・・・

「001」から「009」まで、9人それぞれが主役となる短編が9編、
それが2巻に渡って描かれていく。

このあたりは、30年のブランクを埋めるべく、
古くからのファンにはそれぞれのキャラクターの健在ぶりを示し
新しいファンには各キャラの紹介を兼ねて、「サイボーグ009」が
どんな作品なのかを知ってもらう役目をするのだろう。

そして各短編には、最後の戦いを描く
「third」へ向けての伏線も埋め込まれている。


■第3巻「third」

「third」はほぼ全編が戦闘シーンと言っていい。

異形の怪物たちの大軍団が東京を蹂躙する。
サイボーグ戦士たちは必死の迎撃を試みるが、
彼らの超常の力も全く通じず、圧倒的な数の敵に敗北を喫する。

これがなんと、徹底的なボロ負けなのだ。
そして、ほとんどの戦士たちは瀕死の重傷を負ってしまう。

このあたり、描写の一部にはかなりグロテスクなものもある。
これだけで本書を投げ出してしまう人もいるかも知れない。

死の一歩手前でイワンに救われた彼らは、
ギルモアによる治療と再強化の手術を受けることになる。

さらに、イワンは自らの生体エネルギーのほとんどを費やして
彼ら8人に<新しい力>を与える。

しかし、”強くなる” ということは、
それだけ人間から遠ざかることを意味する。
それは能力だけでなく、外見さえも ”人間離れ” していくのだ。

 特に003(フランソワーズ)の変貌には、多くの人が驚かされるだろう。
 私も「ここまでやるか」って思ったもの。

 今までの「009」の中でもしばしば語られてきたテーマではあるけれど
 最後まで ”改造人間たちの悲哀” を語り続けるところは
 確かにこれは「009」の続編だ、と感じさせる。


終盤では太平洋上に伝説の「ムー大陸」が出現、
そこに終結した ”神々の軍団” との間で最終決戦が始まる。

パワーアップしたサイボーグたちだが、
”敵” もまた強力な ”新手” を繰り出してくる。
まさに「終わりなき戦い」が続く中、圧倒的な数を誇る敵に
サイボーグ戦士たちは、一人、また一人と倒れていく・・・

その戦いの果てで、009(ジョー)はイワンから衝撃の真実を知らされる。
”神” とは何か、彼らの目的は、人類を滅ぼそうとする理由は。
さらには人類の出自、地球と宇宙の創世の秘密まで・・・


■幕間

さて。
最終巻まで読み終わった感想なのだが・・・
どうにも評価は難しい。

これ以後、ネタバレありで文章を書くので、
これから本書を読むつもりの人は
以下の文章は読まないことを推奨する。


■ストーリーについて

最大最強の敵を迎えての最後の大激戦である。
全員無事で大勝利、平和な世の中になりました、万歳!。
・・・なぁんて結末に収まることはあるまい、とは
おそらく待ち続けたファンみんなが覚悟していたことだろう。

もちろん、願望としてはそうなってほしい、とは思うだろうが
しかし状況がそれを許さないであろうことも。

だから、この結末は理解はできる。

なにせ読者は30年以上、待っていたのだから
熱心な人ほど、いろんなラストを妄想しただろう。
想定の範囲内だったという人も少なくないかも知れない。

しかし「理解できる」と「納得できる」とは別物だ。
私にとっては、想定していた中で最も救いのない結末に近いと思う。

”全能” たる ”神々” を打ち破るには、この方法しかないのだろう。
だろうとは思うが・・・やっぱり悲しいのだ。


■文章について

全3巻のうち、第1巻は文庫で約270ページ、第2巻は430ページ。
導入部分だけで約700ページあるのに、
”本編” である第3巻は約280ページしかない。

いかにもバランスが悪いのだが、「あとがき」によると
石ノ森氏は完結編の導入のうち、かなりの部分を小説の形で残していた。
小野寺氏は残された小説をベースに第1巻・第2巻を完成させたらしい。
しかし第3巻に当たる部分は、
創作ノート上にもわずかしか残っていなかったという。
石ノ森氏本人も、最終決戦のアイデアには悩んでいたのだろう、と。

だから小野寺氏は、わずかな構想メモと、石ノ森氏から聞かされた
粗筋だけを頼りに第3巻に取り組まなければならなかったのだろう。

小野寺丈氏は俳優と演出家が本業だ。
脚本の執筆経験はもちろんあるだろうが、小説作品は本書が初。
そのせいかもしれないが、小説としての ”格好” が整っていた
第1巻・第2巻と異なり、第3巻の小説としては出来は
お世辞にもいいものとは言いがたい。

普通の作家だったら、文字数を費やすような天変地異のシーンも
わずか1行で済まされたり。
メインキャラが死亡(!)するシーンも、
それまでの ”タメ” の描写がほとんどないので
実にあっけなく ”お亡くなり” になる。

 古参のファンからしたら、30年40年と親しんできたキャラが
 わずか数行の描写で ”退場” してしまうのは、耐えがたいことだろう。

 善意で解釈すれば、それくらい ”神々” と ”サイボーグ戦士” とは
 力の差がある、ってことなんだろうけど・・・。

幹はあるけど枝葉が少ない。そんな森の中を延々と歩くようだ。

 ただそのぶん、展開はスピーディになるので
 そこを評価する人はいるかも知れないが。

小野寺氏が自らの力量不足を知りつつも、
完結編の執筆を引き受けた経緯は「あとがき」に詳しく書かれている。
その、どんな批判をも甘んじて受け止める覚悟は素晴らしいとは思うが
意気込みはどうであれ、結果で判断されるのもまた仕方がないこと。


■「プロ作家」問題

ちょっと話はずれるが、本書について書かれたネットの感想に
「石ノ森章太郎をリスペクトする小説家はたくさんいるだろう。
 なんでそういうプロに書かせなかったのか」
という意見が散見された。

でも、実際に「009」の完結編を執筆してくれ、って依頼されて
喜んで引き受ける作家さんがいるだろうか。

何をどう書いたとしても、ファンの ”思い出補正” にはかなわない。
30年間待ち続けたファン一人一人の心の中には
「自分の009像」があるのだから、
すべてのファンを納得させるのは絶対に不可能。
どんなに全身全霊を込めて書いたって、
激しい批判にさらされるのは目に見えてる。

あえて ”火中の栗” を拾う人は少なかろう。むしろ、
石ノ森章太郎を敬愛する人ほど、引き受けないんじゃないかなぁ。

 もし引き受ける人が居るとすれば、
 金が目当ての人か、話題作りに走りたい人か
 怖いもの知らずの新人さんくらいだろう。


■ラストシーンについて

これ以下の文章では、ラストシーンについて書く。
かなり具体的な内容まで踏み込んで書くので注意されたい。


”神々の軍団” との激しい戦いの中で、仲間たちの犠牲によって
ついに最後の ”神” を倒したと思われたとき・・・

ムー大陸の地の底から、巨大な ”主神”(神の複合体)が現れ、
今まで倒した数を超えるほどの ”神の軍団” を産み出し始める。

生き残っているのはイワンとジョーとフランソワーズのみ。

イワンは二人に語る。

人類の秘密、”神” の秘密、そして戦いの意味・・・

そしてイワンは二人に選ばせる。

戦い続けるか。
死を選んで ”神” のもとへ召されるか。

もちろん二人は、戦い続けることを選ぶのだが・・・


この結末をどう解釈したらいいのだろう。

一つ思ったのは、良くも悪くも「昭和的な決着」だなあ・・・ということ。
もちろん昭和期の作品なのだから当たり前なのだけど。
もしこの結末が、予定通りに(つまり1969~70年初頭あたり)に
描かれていたら、そしてそれを
当時、小学校高学年か中学生だった私が読んでいたら、
案外、素直に受け入れていたかも知れない・・・

この結末の構想が、いつの頃から
石ノ森氏の頭の中にあったのかは分からない。
ひょっとすると小野寺氏の考えた結末なのかも知れないが、
二人の中では、009たちはやはり
「昭和」の時間の中を生きていたのだろう・・・ということだ。


■おまけ

「third」を読み終わったのは深夜のことだった。
結末をどう解釈・評価したものか悩みながら床についたのだが
翌朝、布団の中でふと気がついた。

”完結編” のラスト部分の展開は、
映画「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」(1979年)の
ラスト部分と、よく似ていないだろうか・・・と。

 ”主神” を超巨大戦艦に、イワンをテレサに置き換えると・・・

石ノ森章太郎はこの映画を見ただろうか。
見てはいなくても、物議を醸したあの ”結末” は知っていただろう。

もし、映画「さらば」よりも先に、
”完結編” のこの構想を得ていたとしたら
彼はどんな思いを抱いただろう・・・

これはもう永遠に知ることはできないことだろうけども。


■おまけ2

”主神” との ”最後の戦い” を前にして、
ジョーがフランソワーズに問いかける。

「今度、生まれ変わったら、何になりたい?」

彼女の答えは、もう決まっているでしょう。

ネットの感想では、ここで彼女が返した台詞を
「陳腐」と思う人もいるみたいだけど
私の中の ”昭和脳” は、受け入れてしまったんだなぁ・・・


■おまけ3

こんなに長く書くつもりは全くなかったんだが・・・
私の中にも、ささやかながら「009魂」が眠っていたみたいです。

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