SSブログ

汚れた手をそこで拭かない [読書・ミステリ]


汚れた手をそこで拭かない (文春文庫)

汚れた手をそこで拭かない (文春文庫)

  • 作者: 芦沢 央
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2023/11/08

評価:★★★


 些細なきっかけから深みにはまったり、心の闇に飲まれて、日常生活が蝕まれていく。そんな "事件" を描いたミステリ5編を収めた短編集。
 第164回直木賞候補作。

* * * * * * * * * *

「ただ、運が悪かっただけ」
 アンソロジー『ベスト8ミステリーズ2017』(講談社文庫)で既読。
 末期ガンで余命半年を宣告された十和子は、夫と共に自宅で最後の時間を過ごしている。その夫は昔から、年に数回うなされることがあった。
 「何か抱えているのなら、話して」十和子の呼びかけに応じて、夫の昔語りが始まる。
 夫が工務店で大工見習いとして働き始めた5年目、中西という客がやってくる。ちょっとした仕事でも過剰なサービスを要求する男で、どこへ行っても文句をつけるクレーマーとしても有名だった。
 そんな中西から「電球がつかないぞ」とのクレームが。夫が脚立を持って電球交換に赴くが、その帰りに「その脚立を売れ」と言い出す。電球交換でいちいち大工を呼んで金を払うのがもったいないらしい。
 中古の脚立を買い取った中西だったが、その半年後、彼はその脚立から落ちて死んでしまう。警察によると、脚立の留め具が壊れていたらしい・・・
 知らなかったとは云え、欠陥品を売ったと思って罪悪感に苦しめられていた夫。十和子は、夫の話から "ある推論" を紡ぎ出す。
 夫を残して去りゆく妻の「だから、あなたのせいじゃなかった」という台詞が、たまらなく胸に沁みる。


「埋め合わせ」
 夏休みの小学校。教師の千葉秀則(ちば・ひでのり)は排水栓を閉め忘れ、プールの水を空にしてしまう。明日はプール教室がある。あわてて水を入れ始めるが、水道料金に異常が見つかれば責任問題だ。管理職からの詰問、教育委員会からの呼び出し、そして戒告処分が待っている。
 秀則は、なんとか第三者に責任を押しつけようと画策を始めるのだが、同僚の五木田が怪しみ始めたようだ・・・
 学校がプールの水管理をしくじって高額請求される、ってニュースは毎年のように報道されるが、たしかに当事者はたまったものではないだろう。
 五木田を探偵役にした倒叙ものミステリとも読めるが、この結末は予想を超えた。


「忘却」
 武雄と妻の老夫婦が暮らすアパートの隣人・笹井が熱中症で死亡した。エアコンをつけずに昼寝をしていたらしい。それを聞いた武雄は狼狽してしまう。
 10日ほど前、武雄のもとへ〈電気料金未払いによる送電停止〉の案内が届いていたが、それは笹井宛てのもの、つまり誤配だった。笹井に渡さなければと思いつつ、武雄も妻もついつい忘れてしまっていたのだ。ひょっとして、笹井が死んだのは武雄たちのせいではないのか・・・
 物語はこの後、意外な事実が判明して幕となるが、間接的に他人を死に追いやってしまったかも・・・って思うのは恐怖だろう。


「お蔵入り」
 ベテラン俳優・岸野紀之(きしの・のりゆき)を起用した映画を撮影していた監督・大崎祐也(おおさき・ゆうや)は、作品の出来に手応えを感じていた。これは傑作になる。
 しかしプロデューサーの森本毅(もりもと・たけし)から、岸野に薬物使用の噂があることを告げられる。もし事実なら映画は公開できなくなってしまう。
 その夜、ホテルの一室で岸野を問い詰める大崎たち。岸野は疑惑をあっさり認め、さらには「やめられない」と開き直ってしまう。その態度に激高した大崎は思わず彼を部屋のベランダから突き落としてしまう。
 大崎たちは岸野の転落死を事故に偽装し、映画のお蔵入りを回避させようとするが・・・
 上手くいくかと思われた大崎たちの隠蔽工作が、意外なところから瓦解していく。この話の教訓はなんだろう。"過ぎたるは及ばざるがごとし"、かな。


「ミモザ」
 趣味で書いていた料理ブログが話題となり、人気料理研究家となった荒井美紀子(あらい・みきこ)。その著書のサイン会で再会したのは、かつての上司・瀬部庸平(せべ・ようへい)。美紀子は9年前、妻子ある瀬部と不倫関係にあった。
 現在は結婚して夫がある身でありながら、美紀子は瀬部の誘いに応じてバーに行ってしまう。瀬部は仕事を辞め、妻とも別れたという。そして金の無心を切り出す。
 そんな瀬部の態度に幻滅してしまった美紀子だが、かつての相手を見返してやるつもりで30万円渡してしまう。しかしそれが過ちの始まりだった・・・
 順風満帆だった人生が、かつての不倫相手と関わったために、坂道を転げるように崩壊していく恐怖。ラストはこの上なく苦い。



nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ: