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デイ・トリッパー [読書・SF]


デイ・トリッパー (徳間文庫)

デイ・トリッパー (徳間文庫)

  • 作者: 梶尾真治
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2021/10/08
  • メディア: 文庫
評価:★★★★

 主人公の香菜子は、結婚生活わずか3年半で不幸のどん底に落とされる。最愛の夫・大介が突発性の病で急逝してしまったのだ。

 しかし、失意の日々を送る香菜子の前に現れた女性・笠陣芙美(りゅうじん・ふみ)はこう語り出す。

 「もう一度、ご主人に会う方法があるのですが」 

 芙美の伯父・機敷野風天(きしきの・ふうてん)は市井の科学者で、自らの発明で得た特許料をつぎ込んで様々な研究に没頭していたという。
 しかしその風天も半年前に亡くなり、芙美がすべての遺産を相続した。その中に、伯父の最後の発明品「デイ・トリッパー」があった。

 それはタイムマシンの一種だが、物体や人間を過去に送り込むのでは亡く、人の ”心(意識)” のみを、過去の自分の中に送り込む機械だった。
 これを使えば、大介が生きていた時期の ”過去の香菜子” の心の中に、”現在の香菜子” の心を送り込むことができる。

 香菜子はデイ・トリッパーで過去の大介に会いにいくことを決めるが、芙美はいくつか ”条件” をつけた。それは生前の機敷野が決めたもので、過去に戻った香菜子によって過去が改変されないように、つまり ”タイム・パラドックス” の発生を防ぐためのものだった。

 その中で最も重要な条件は「大介に死期を知らせないこと」だった。それを承服した香菜子はデイ・トリッパーに乗り、過去へと旅立つ。

 香菜子が着いたのは、大介の死から1年半前の過去だった。元気で健康な大介の姿を見て感激し、再び彼に愛される幸福な日々を迎えることになる。

 残りの日々を逆算しながら、彼と悔いのない時間を過ごそうと懸命になる香菜子。当然ながら、”大介の死” というタイムリミットがあり、しかもデイ・トリッパーの機能は限定的なもので、”その時” よりも前に香菜子の意識は ”現代” に戻ってきてしまう。

 最愛の人と暮らす楽しいはずの日々なのだけど、一方では刻々と別れの時が迫るという苦悩に苛まれる香菜子だが・・・


 くれぐれもタイム・パラドックスを起こすなかれ、って言われて過去へやってきた香菜子さんだが、大介との幸福な日々を送るうちに、自らの衝動に耐えられなくなる。

「大介といられれば幸せ」
「大介を救いたい」
「大介が生きられるなら、世界が、歴史がどうなってもかまわない」

 香菜子さんは、どうやったら未来が変えられるのかいろいろ画策し始める。


 タイムトラベルものにはタイム・パラドックスはつきもの。今までにも多くの時間SFが書かれ、その内容もいろいろ。

 スケールの大きなものとしては、大学時代に読んだ豊田有恒の『モンゴルの残光』かな。この作品では1000年単位での地球規模の歴史改変が描かれた。しかしよく覚えていたもんだねぇ。読んだのは40年以上前だよこれ。

 本書の作者・梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』では、過去から帰ってくるときには出発した現在に戻ることはできず、遙かな未来に飛ばされてしまうという ”副作用” をもつタイムマシンが登場した。しかし、それによってさまざまな感動の物語が紡がれた。

 タイムトラベルSFがすべてそうではないけれど、多くの時間SFはタイム・パラドックスを物語の重要な要素に据えている。

 この先は、ちょっとネタバレっぽいことを書くので要注意。


 本書でもタイム・パラドックスは発生する。そしてその原因となるのは香菜子さん。
 そして、たいていの時間SFではタイム・パラドックスの回避、あるいは修復が物語の中で大きな部分を占めていくことも多い。

 そもそもタイム・パラドックスというもの自体が架空の概念で、矛盾無く回避したり解決することは本来不可能なのだろう。だけど、そこのところをうまく描くのがSF作家の腕。物語世界内のロジックで、何とか解決していく。それがまた読みどころになるのだが・・・

 しかし、本書の場合はそのあたりはかなり甘いというかユルいというか(おいおい)。いわゆる ”投げっぱなし” な感じといったらいいか、読んでいて「これでいいのか?」って思うような展開になる。

 ハインラインの『輪廻の蛇』みたいなガチな時間SFが好きな人だったら、本書を読んで「何だよこれ」って放り出すかも知れない。私も、20代だったらそうしたかも。

 でもまあ、還暦を超えて人生の残り時間を計算するようになってきた身からすると、「これはこれでアリかもな」って思えるんだなぁ。
 だって、作中の香菜子さんはいじらしいまでに健気に描かれているんだもの。私だって香菜子さんには幸せになってほしいと願ってしまう。

 作者は、時間SFとしての完成度より、登場人物たちの幸福をとったのだと思う。香菜子さん以外のキャラにつても、扱いは同様だ。

 このあたり、作者の『黄泉がえり again』に近いものを感じる。
「これでいいのか?」という私の問に対しては、バカボンのパパじゃないけど、
「これでいいのだ!」って作者は答えるんじゃないかなぁ。


 まあ、作者も私もトシを取ったということなんですかねぇ・・・



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