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ヒノマルソウル ~舞台裏の英雄たち~ [映画]


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1994年のリレハンメルオリンピック。
主人公・西方仁也(にしかた・じんや)はスキージャンプ団体、
いわゆる “日の丸飛行隊” メンバーの一人だった。しかし。
日本はエース原田雅彦のジャンプ失敗で金メダルを逃してしまう。


4年後の長野オリンピックでの雪辱を誓い、選手たちは日々練習に励む。
そして、船木たち有力な若手もまた頭角を現してくる。
そんな中、西方は練習中に負傷してしまい、練習からの離脱を
余儀なくされる。懸命なリハビリによって長野オリンピック直前で
復帰にこぎつけたものの、代表候補からは外されてしまう。

失意に沈む彼に、テストジャンパーとしての
オリンピック参加が打診される。

 テストジャンパーとは、選手が本番で飛ぶ前にジャンプを行って、
 コースの調整をする役目を負った者のことだ。

「なんでオレがそんなことをしなければならない・・・」
屈辱を感じながらも、裏方としての参加を受け入れる西方。

そして迎えた長野オリンピック本番。
集まった25人のテストジャンパーは、みな様々な思いを抱えていて
一枚岩とはほど遠い、いわば ”寄せ集め” だった。
そんな異なる思惑のもとに集まった集団に、反目や対立が起こる。

物語は、そんなテストジャンパーたちを描きながら進んでいく。
西方もまた、その中にあって傍観者ではいられない。
他のメンバーたちとも、いやでも関わりを持つことになり、
それが彼を少しずつ変えていくことになる。


そしてついにスキージャンプ団体戦の日を迎える。
1本目のジャンプで、原田の失敗により日本はまさかの4位に後退。
しかも折からの猛吹雪により競技が中断。
このまま中止となれば1本目の成績だけで順位が決まってしまう。


メダルの可能性が消えかけた時、審判員たちから提示されたのは、
「テストジャンパー25人全員が無事に飛べたら競技を再開する」
という前代未聞の条件だった・・・

実話を元にした作品だという。

もちろん、ドキュメンタリーではないのだから
映画の内容が全て事実ではないだろうし、
ドラマチックな展開にするために、ある程度の脚色も施されているだろう。

公式サイトの紹介文には
「誰もが心を打たれる感涙必至のヒューマンドラマ」とある。

じゃあそんな感じの、「いかにもな演出」があるのかというと
そういうわけでもないように思う。

田中圭演じるところの主人公・西方仁也は、
大きな挫折と葛藤を抱えながらも、テストジャンパーとして
長野オリンピックに参加するが、彼が自分の心に折り合いをつけ、
日本の金メダルのために飛ぶことを決意するのは
じつに映画の最後の最後、クライマックスの直前だ。
彼はそれまでの間、悩み続ける。そして観客もまた、
最後まで彼の迷走につき合うことになる。


観ていて思ったことをいくつか。

まず「テストジャンパー」という存在を知らなかった。

そしてその中には、難聴というハンデを抱えながらも
130mを超える自己ベスト記録を持つ者や、
どんなに記録を出そうとも、決してオリンピックに参加できない
女子高校生ジャンパーなど
(当時、女子ジャンプはオリンピックの正式種目ではなかった)
自らの満たされぬ思いをテストジャンプという場にぶつける者たちが
いたことも初めて知った。

そして彼ら25人が、吹雪の中のテストジャンプに挑むクライマックス。
一歩間違えれば重大事故につながる。
怪我の具合によっては選手生命を絶たれることもある。
それでも彼らは、飛ぶことを決断する。

誰にも知られず、誰からも賞賛を受けることも無く、
ただ日本のメダルの可能性を切り開くために飛ぶ。
そんな、まさに ”舞台裏” の仕事に徹した者たちがいたことを知った。

上の方でも書いたが、観客の涙を誘うような「いかにもな演出」は
無いわけではないが、それがあからさまに現れる場面は少ないように思う。

それでも、見ている私の涙腺は途中から緩みっぱなしであった。
コロナ禍の折、マスクをつけての鑑賞なのだが
そのマスクが鼻水でグズグズになりそうなくらいには涙が出た。

 まあ、私が人並み外れて涙もろいということなのだろうが・・・

私自身が、華やかなスポットライトを浴びる立場からは
全く無縁の人生を送ってきたせいもあるだろう。
裏方の仕事をすすんで引き受けることも多かったし。

しかし、私の40年の職業人生の中で、(元)同僚達の中には、
周囲や世間からの賞賛をあびるような実績を残した者もいる。
もちろん、そういう人たちはそれに見合う努力をしていたし
人生のリソースのうち、かなりの部分を注ぎ込んでもいた。

だからそれは当たり前のこと。
私が彼ら彼女らに届かないのは、それだけの覚悟を持って
取り組んでいなかっただけの話。それはそうなのだけど・・・
私の中に、彼ら彼女らに対する羨望や嫉妬の感情が無かったか、
といわれれば、残念ながら否定せざるを得ない。

人間は理性よりも感情の動物だ。私もその枷からは逃れられない。

おそらく世の中の99%の人は、華やかな脚光とは無縁の存在だろう。
この映画は、そんな99%の「その他大勢」の人を描いている。
それでも、わずか1%の「脚光を浴びる人」の陰には、
99%の「その他大勢の人」の努力があった。
そのことを描いてくれたのだから、”以て瞑すべし” なのだろう。

だから、99%の「その他大勢の人」の人生を歩んできた私が、
それで涙を流したっていいじゃないか・・・なんて思った。

俳優陣についてちょっと書く。

西方の妻・幸枝(ゆきえ)は、彼にとっては精神的な支柱となる女性。
演じるのは土屋太鳳。ちょっと前までは制服を着て
女子高生を演じていた気がするのだが、
本作では3歳の子を持つ母として登場する。
西方が何をどう言っても動じないという、度量の広さを感じさせる。

テストジャンパー・髙橋竜二を演じるのは山田裕貴。
聴覚障害がありながら、テストジャンパー集団において
貴重なムードメイカーとなる、という難しい役どころを熱演している。

女子高生ジャンパー・小林賀子は紅一点、
かつ(おそらく)最年少なのだろうが、映画の中においては
要所要所でストーリーの流れを作る大事な台詞を任されるという
ある意味 ”メインヒロイン” 的な位置に立つ女性である。
演じるのは小坂菜緒(日向坂46)。寡聞にして存じ上げなかったけど
台詞回しには堅さが感じられるが一生懸命に演じているのはわかる。


 いつまでアイドルを続けるのかはわからないけど、
 早めに女優に転向した方が未来は開けるのでは・・・
 なぁんて思ったり(笑)。

未だコロナ禍が収まらない中、東京オリンピックを目指すアスリートには
辛い状況が続いていることだろう。

私もこの状況での五輪開催には不安を覚える一人だが
こういう映画を観てしまうと、いろいろ考えてしまう。

アスリートたちは五輪の舞台に上がるために必死の努力を続けている。
少なくとも彼ら彼女らには、コロナ禍に関して何の責任もないのだから
とにかく胸を張って頑張ってほしいものだ。


少なくとも、私にはそれしか言えない。


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