ストーリー・セラー [読書・恋愛小説]
評価:★★★
もし、最愛のパートナーが余命幾ばくもない、と宣告されたら・・・
古今東西、このテーマで幾多の恋愛小説が書かれたと思うのだけど
有川浩がこれで書いた、ってことがある意味衝撃ではあった。
だってねえ・・・有川浩の作品って基本的にラブコメで、
ラストはハッピーエンドで終わる、ってのが
お約束のように思ってたからね。
だからこういう、どう書いても暗くて重苦しくて
悲しい話にならざるを得ないものには縁がないと思ってたんだけど、
どういう心境の変化なんだろう、って考えながら読んだ。
「side:A」と「side:B」という2つの中編からなる本書。
基本設定はどちらもほぼ同じ。
作家希望の女性がいて(「side:B」ではすでに作家デビューしているが)、
たまたまそれを読んだ男性がその小説に惚れ込み、
さらには作者である彼女にまで惚れ込んで一緒になる。
女性は男性のサポートのもと、順調に作家生活を続けていく。
しかし幸福な時間は長くは続かず・・・というもの。
「side:A」では女性が不治の病にかかる。
その名も「致死性脳劣化症候群」。
複雑な思考をすると脳が劣化し、やがて死に至る。
生き続けるためには作家を辞めるしかない。しかし、
小説を書くことを生き甲斐にしてきた彼女にそれは可能なのか。
「それは無理だろうなあ」と思いながら読んでた。
おそらく彼女は小説を書くことを辞めない。それは必然的に、
そう遠くない未来において二人に別れの時が訪れるということだ。
このとき、唐突だが私の頭の中に
「猿は木から落ちても猿だが、
政治家は選挙に落ちればただの人になる」
って言葉が浮かんだ。
昭和の頃の政治家の言葉だったと思うんだが、
いったいどんな思考回路をしてんだ私。
「小説家が小説をかくことを辞めたらただの人になる」のだろう。
「ただの人」でいられないから作家になった彼女に、
それを求めるのは、「生きたままの死」を強いること。
なんだか暗いことばかり書いてるが、
それでも二人の出会いから結婚生活に至る序盤~中盤は、
まさにいつもの有川節が満開で楽しく読める。
終盤に至っても、単に重苦しいばかりでなく、
ここにも有川らしさがかいま見えるけど、
今までの作品群ではお目にかかったことのない場面が続いて、
こんな表現が妥当かどうかはわからないが、ある意味 "新鮮" だ。
そして感動のうちに「side:A」を読み終えた読者は
続けて「side:B」へと読み進めるのだろうが、
冒頭でやや戸惑うかも知れない。
実はこの2作の間にはある特殊な "関係" があるのだが
それは読んでのお楽しみだろう。
そして「side:B」のラストまで至ると、
読者の頭の中には再び「?」マークが飛び交うだろう。
このラストを、読者はどう評価するだろう。
もちろん受け取り方は様々だろうが
決して明るく楽しいとは言えない展開の物語の最後に、
ちょっぴり "救い" を見せたかったのかも知れないな、とは思った。
最後に余計なことを。
「side:A」「side:B」どちらにも、
"作家である妻を献身的に支える夫" が登場するが、
有川浩自身もまた既婚で、旦那さんがいる。
『図書館戦争』の発想に至ったヒントを与えてくれたりと
この旦那さんも奥さんを強力にサポートしているみたいだけど、
いったいどんな人なんだろう、ってふと思った。
この作品には、二重写しのように作者ご夫妻の姿もダブってくる。
実話の部分もけっこうありそうな気がするんだけどどうだろう?
そして旦那さんは、本作を読んでどんな感想を抱いたのだろう?
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