聖エセルドレダ女学院の殺人 [読書・ミステリ]
評価:★★★★
7人の少女たちが学ぶ小さな寄宿学校。しかし夕食の席で殺人事件が発生する。実家へ帰りたくない彼女らは庭に死体を埋めて事実を隠蔽。同時に犯人捜しを始めるのだが・・・
時代は1890年、ヴィクトリア朝の末期。舞台はイギリスの学校だ。
聖エセルドレダ女学院は十代初めから半ばくらいの少女たち7人が在籍する小さな寄宿学校。毎週土曜日はコンスタンス・プラケット校長先生が、弟のアルドスを招いて夕食をとるのが慣わし。
しかしその席上、コンスタンスとアルドスが突然死んでしまうという事件が勃発する。ところが残された7人は、警察に知らせるどころか2人の死体を庭に埋め、事実を隠蔽してしまう。
この7人の少女が主人公となるのだが、彼女たちのキャラが素晴らしい。登場人物紹介での記載からして面白い。
"機転のキティ"、"奔放すぎるメリー・ジェーン"、"愛すべきロバータ"、"ぼんやりマーサ"、"たくましいアリス"、"陰気なエリナ"、"あばたのルイーズ"、とくる。
キティは紹介の通り、頭が抜群に回る。瞬時の決断にも長けて率先実行できるリーダー役。今回の "隠蔽計画" の中心人物だ。
基本的に真面目なキティに対して、メリー・ジェーンは常に "いい男" を探している恋愛体質なのだけど、案外この2人はウマが合うみたいなのも面白い。
アリスはその体型がコンスタンス校長先生とそっくりなところから、校長の "影武者" 役を割り振られる。嫌がっている割に、いざ始まってみると女優並みの演技力を発揮して周囲を驚かせる。
オカルト系のネタが大好きなエリナは、ところどころでホラーなツッコミを入れる役どころだが、アリスに施す変装のための化粧は一級品。どうやらエンバーミング(死者に施す化粧)に興味があって身につけた技術らしいが(笑)。
そしてルイーズ。最年少の12歳ながら将来の夢は医師になること。当然ながら科学的素養も豊かで、本書の中では探偵役となる。夕食に出たステーキの肉に毒が仕込んであったことも、その毒の種類までも解明してしまうんだから畏れ入る。
とにかくこの7人は、特技や才能や夢や野心に溢れている。読んでいても、将来が楽しみになってくるお嬢さんばかりだ。
しかし彼女たちがいるこの女学院は、それを許さない。
この時代、女性には社会参加の機会はなく、長じては良妻賢母となることが期待されていた。当然、高等教育への道も開かれていない。
7人が学ぶこの学校も、家庭に入ったときのために家事の技能やマナーを学ぶためのもの。巻末の解説にもあるがいわゆる "花嫁学校" (現代では死語だね)なのだ。
彼女たちがこの学校に "押し込め" られているのも、親の価値観と衝突したからだ。でも彼女たちはこの学校で "仲間" を得た。
もし校長の死が明るみに出て学校が廃止にでもなったら、仲間たちと別れなければならない。うるさい親の元へ帰らなければならない。そんなことはいやだ。自分らしく生きられるこの場所を失いたくない。
これが彼女たちが事件を隠蔽しようとする理由だ。
しかし彼女らの前途は多難だ。小さい学校でも校長となれば地方の名士のようで、来客も多い。退役した海軍提督とか牧師とかひっきりなしに現れるものだから、彼女らはてんてこ舞いする羽目になる。
このあたりはとてもよくできたコメディで、本書が殺人事件を扱ったミステリであることを忘れてしまうほど。
いくら何でも十代のアリスが高齢女性を演じるなんて無理だろうって思うんだが、これがびっくりするくらいバレないんだなぁ。「おいおい」って思うんだが、ドタバタ喜劇なんだからこれでOKだ。
ラブコメ要素もしっかりある。若い女性たちが主役となれば若い男性も登場する。学校の隣にある牧場の息子、校長の顧問弁護士の助手、そして学校に聞き込みに現れるイケメンの警官とか。
メリー・ジェーンを筆頭に、”お年頃” な彼女たちは男性陣の挙動に興味津々だったりする。事件発覚を防ぐことに忙殺されるキティでさえ、事件の翌日から学校周辺に出没しだした青年が気になってくる。
もちろん最後にはきちんと真相が解明され、犯人も明らかになるのだけど、問題は女学院のゆくえだ。だけど作者は、粋な解決法を用意している。
物語が終わるに当たって、彼女ら7人の将来も気になるけれど、ここまで読んでくると、彼女らはどんな環境になっても結構うまく生き抜いていけそうな気がしてくるから不思議だ。
主役格(主犯格?)のキティについては、たぶんこうなるだろうという将来が示される。彼女ならぴったりだ、と納得させる進路だ。
本書は欧米でいくつかの児童図書の賞を得ているという。その看板に偽りなしの楽しいミステリだ。
タグ:海外ミステリ
水木一郎さん、ご逝去 [日々の生活と雑感]
「アニソンの帝王」が世を去りました。
74歳でのご逝去とのこと、現代の感覚からすればまだまだ頑張ってほしかったとも思いますが、こればかりは天の与えたものですから・・・
私が20代だった頃、自動車通勤の行き帰りのBGMとして(片道1時間もかかったので)、カセットテープ(!)にアニソンを録音して聞いてたのもいい思い出。
当時はアニソンを歌う歌手も少なく、ささきいさお、堀江美都子、子門真人など数えるほど。でもその中で、水木一郎氏の存在感はひときわ大きかった。
職についてからの最初の3年ほどは、やることなすことヘマばかりで、凹むことも多々あったけど、彼ら彼女らの歌声に励まされて生きてきました。
もう感謝しかありません。まさに私にとっては人生の応援歌でした。
10代の頃から数えれば、50年も私の人生を伴走してくれた人。
哀しいけれど、ご冥福を祈ります。
合掌。
すずめの戸締まり / 小説 すずめの戸締まり [アニメーション]
もう知らない人はいないくらいメジャーになった、新海誠監督の新作だ。
この記事を書いている段階で、もう3回観てる。もう1回くらい観に行くかも知れない。それくらい、楽しませてもらったということだ。
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…。
扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、草太は扉を閉めて鍵をかける “閉じ師” として旅を続けているという。すると、二人の前に突如、謎の猫・ダイジンが現れる。
「すずめ すき」「おまえは じゃま」
ダイジンがしゃべり出した次の瞬間、草太はなんと、椅子に姿を変えられてしまう―! それはすずめが幼い頃に使っていた、脚が1本欠けた小さな椅子。
逃げるダイジンを捕まえようと3本脚の椅子の姿で走り出した草太を、すずめは慌てて追いかける。
やがて、日本各地で次々に開き始める扉。不思議な扉と小さな猫に導かれ、九州、四国、関西、そして東京と、日本列島を巻き込んでいくすずめの ”戸締まりの旅”。
旅先での出会いに助けられながら辿りついたその場所ですずめを待っていたのは、忘れられてしまったある真実だった。
さて、以下にこの映画について思ったことをつらつら書いてみる。致命的なネタバレはない(つもり)で書いてます。
■疑問
最初にこの映画を見たとき、2つの疑問を持った。
疑問その1。
映画の冒頭、ヒロイン・すずめが草太を追って廃墟へ向かうところ。
道ばたで一言だけ言葉を交わしただけの相手に、そこまでする(惹かれる)のは何でだろう、と思ったこと。
疑問その2。
すずめが草太から「きみは死ぬのが怖くないのか?」と問われて、すかさず「怖くない!」って叫び返すところ。
彼女は17歳の女子高生。このさき数十年の人生が待っていて、楽しいこと嬉しいことももたくさんあるだろう。そんな人が吐く台詞ではない。
しかしどちらの疑問も、映画を観ていく中で氷解していった。
■震災
11年前の東日本大震災の日、私は職場にいた。関東地方の内陸部で、鉄筋の建物の4階にいたのだけど、ものすごく揺れて「いまこの建物が倒壊したら俺は死ぬんだろうなー」なんてぼんやり思ったのを覚えている。
その後、TVのある部屋に行ったら、あの "津波" のシーンが流れてた。家も車も何もかも飲み込んでいくのを見て、呆然としていた。あまりの衝撃に現実感が追いついていかなかったのだろうと、今になって思うけど。
映画の冒頭は、幼少時のすずめが荒野を歩くシーン。廃墟と化した家々、その上に乗り上げた漁船・・・いずれも、11年前の震災の爪痕を伝える報道VTRで見たものだ。ここですずめが震災で母親を喪った被災者であったことを観客は知る。
この震災は、すずめの中にトラウマとして残るだけでなく、彼女の価値観にも刻まれているのだろう。「人の生死は運次第」「自分はたまたま生き残っただけ」彼女は心のどこかでそんなふうに達観しているのかも知れない。彼女の心の中では、死は特別なものではなく、身近に存在するものに感じられるのかも知れない。だから "疑問その2" で挙げた「死ぬのは怖くない」なんて言葉が出てくる。
しかし、その記憶はとてつもなく哀しく、苦しいことでもある。だからもう二度と起こってほしくない。そういう気持ちも心の中を占めている。
だから、映画の中盤で彼女は "あの決断" を下すことができた。これも普通なら「私にはできない」と拒否してもおかしくないところを、彼女は苦渋と悔恨に苛まれながらも実行してしまう。
この映画は、徹頭徹尾すずめの物語である。彼女と、彼女の心の中の震災の記憶の物語であり、なにより彼女の成長の物語だ。
草太によって巻き込まれたはずが、その彼が早々と椅子に姿を変えられてしまい、しかも中盤からは物語の表舞台からも姿を消してしまうことによって、物語の焦点がどんどんすずめにむけて絞り込まれ、彼女が主体の物語へと変化していく。
■賛歌
すずめは草太に出会い、彼とともに旅をする中で変わっていく。
草太は映画の終盤で、「人は少しでも命を永らえたいと願う」と叫ぶ。
そしてスペクタクルな場面が決着した後、すずめの語る台詞は、映画冒頭時点の彼女からは出てこないものだ。
新海監督がこの映画で訴えたかったのは、まさにこのシーンなのだろう。
つらく悲しいことも多いけれども、少しずつでも前に進もう。
この世は生きるに値する。人間は愛するに値する。
生命への賛歌、人間への賛歌が心に響く。
ここがこの映画の真のクライマックスだ。
■善人
ダイジンを追って、扉を閉める旅に否応なく加わることになってしまったすずめだが、行く先々で出会う人々はみな "いい人" ばかりだ。
「こんなにいい人ばっかりじゃないよ」って思うんだけど、映画を見終わった後なら、この映画で訴えたかったものを知ったなら「こうでなければならない」と思える。
エンドタイトルで、彼ら彼女らが再登場してカーテンコールをしてくれるのも楽しい。
でも考えてみたら、登場人物は基本的に善人ばかりなのに、それでも2時間の冒険映画に仕立て上げてしまうのもすごいなとも思う。
■円環
唐突だが、「ふしぎの海のナディア」というアニメがある。第1話で主人公とヒロインの出会うのがパリのエッフェル塔。そして世界中を巡る大冒険活劇の末、物語は最初の場所に戻ってくる。クライマックスの最終決戦はパリ上空だった。
こんなふうに、最後の最後で "始まりの場所" に帰ってくる物語が好きだ。
この映画もそういう "円環構造" をもっているのだけど、特筆すべきはそれが "二重" になっていることかな。
このあたりは詳しく書くとネタバレになってしまうけど・・・。
■再会
もっとも、これくらいは書いてもいいかな。
新海監督の前2作のラストはどちらも "再会" だった。本作もそれを踏襲しているのだけど、前2作ほどドラマチックではない。
でもこの映画のラストにはこれがふさわしい。
映画の最後はすずめの台詞で終わる。映画館で観たときには全く感じなかったのだけど、小説版を読んだら、この台詞には実は深い意味が込められていたことを知った。まあ、映画だけで気がついた人も多いのだろうけど、いかんせん私はニブチンなので。
小説版を読んでから観た2度目のラストシーンは、更に感慨が増した。
■声優について
主役の2人は、専業の声優さんではないけど、しっくりきていて、ぴったりだと思った。まあ、オーディションをしたのだろうから、下手な人が入ることはないとは思うけど。
この映画、意外なほど声優さんが少なくて、俳優さんばかり。だけど、どの役の人もハズレなし。専業の人をも含めて、素晴らしいキャスティングだと思う。
個人的にはすずめの叔母を演じた深津絵里さんがよかった。いまから20年くらい前に、彼女の出ていた舞台を見た記憶がある。そのときも、とても達者な人だと思ったのだけど、年齢を重ねてさらに円熟してきたようだ。
草太の友人・芹沢を演じた神木隆之介さんは、最初は彼だとわからなかったよ。「君の名は。」の瀧君とはガラッと変わった役を演じていて、これも見事。
上にも少し書いたが、小説版も読んだ。新海監督自らの書き下ろしだ。
基本的に映画と異なる部分はないのだけど、登場人物、とくにすずめの心情が細かく書き込まれているので、そのあたりは興味深く読める。
映画は徹底的にすずめが主役なので、小説も当然ながらすずめの一人称で綴られる。驚いたのは、すずめが関わっていないシーン(登場していないシーン)も、すずめの一人称で書かれていること。
そのためにちょっと無理をしてるかな、とも思うけど、これは監督のこだわりだね。
映画の中の世界すべてを、すずめの視点から描きたかったのだろう。
タグ:アニメーション
いつかの岸辺に跳ねていく [読書・青春小説]
評価:★★★★☆
森野護(もりの・まもる)と工藤徹子(くどう・てつこ)は幼馴染み。2人の幼少時から青年期までの物語。友人以上恋人未満、ラブ・ストーリーになりそうでならない、2人の微妙な関係が綴られる。
後半に入ると予想外かつ怒濤の展開にハラハラドキドキ。けれども2人が迎えるこの結末は、多くの読者を納得させるだろう。
本書のジャンルは「青春小説」としたんだけど、実は他のジャンルの要素を多分に含んでいる。
ただそれを示すと、ネタバレにつながりそうなので・・・
本書は二部構成。主人公の男女それぞれの側からみた物語が展開する。
第一部「フラット」は森野護の一人称で描かれる。
森野護からみた工藤徹子は、ものすごい ”変わり者” だ。
例えば、いきなり道端で見知らぬおばあちゃんに抱きつく。理由を聞くと「あのおばあちゃんに取り憑いていた悪霊をあたしが浄化した」のだと言う。
例えば、護が交通事故で足を骨折して入院した時、病室に現れて「ごめんね」と言いながら涙を流す。
例えば、模試の結果で ”合格間違い無し” と出た高校に落ちても、ケロリとしてにっこり笑ってる・・・
護にとって徹子は幼馴染みではあったが、”変わり者” 過ぎて全く恋愛対象ではなかった。けれど、なぜか気になる、放ってはおけない、そんな存在だった。
2人は別々の高校に通うが、徹子は高校で林恵美(はやし・めぐみ)という親友を得る。そして徹子は恵美の ”ある困りごと” を護に相談する。その裏には、どうやら護と恵美をくっつけようという思惑があるようだ。結局、それはうまくいかないのだが。
その後も護と徹子はつかず離れず、友人以上だが恋愛にまでは至らないまま、成人式を過ぎ、社会人となっていく。家が近いのでたまに2人で酒を飲みにいくくらいの関係を保ちながら。
しかし27歳を迎えた頃、ついに護はこう切り出す。
「もし、お互い30歳になっても相手がいなかったら、俺たち、つきあってみてもいいんじゃないか・・・?」
徹子の方も満更ではなさそうなリアクションを返すのだが・・・
ここまでだったら、不器用な男女の ”長すぎた春” を描いた青春ラブ・ストーリーになりそうなんだが、次のページの一行でぶっ飛んでしまう。
なんと徹子は結婚が決まったのだという。相手はスゴいエリートらしい。
第二部「レリーフ」は工藤徹子の一人称で描かれる。
ただ、この第二部はネタバレなしに紹介するのが難しい。
でもそれでは記事にならないので、ここまではいいかな・・・というところまでを書いてみると・・・
時系列的には、第一部と重複するところから始まる。つまり彼女の幼少期から描かれる。彼女の数々の ”奇行” にも、実は理由があったことも語られる。
そして時間軸が進行するにつれて、どんどん不穏の度が増していく。第一部のような平和でほのぼのとした雰囲気は欠片もなく、やがて陰鬱なサスペンスが物語全体を覆っていくようになる。正直言って、読み進むのが躊躇われる気分にさえなってしまった。
だけど、そこで思った。この本を書いてるのは加納朋子だ。
彼女がそんな×××・××××××な物語を描くはずがない。
ただその一点を信じて読み進んでいったのだが・・・
冒頭に掲げた、本書の星の数を見てほしい。
信じて良かった、とだけ書いておこう。
蜃気楼の王国 [読書・ミステリ]
評価:★★☆
「源義経は奥州平泉で死なず、北へ逃亡して蝦夷へ、さらには大陸へ渡って成吉思汗(チンギス・カン)になった」など、「伝説」と「正史」の狭間を巡る物語に、実在の人物を配置した歴史ミステリーを5編収録した短編集。
「琉球王(レキオ)の陵(みささぎ)」
保元の乱で活躍した豪傑・源為朝。彼には、琉球に渡って妻子をもうけ、その子が初代琉球王になったとの伝承があった。
明治38年(1905年)春、日露戦争のさなか、ロシアのバルチック艦隊が日本近海に迫りつつあった頃、連合艦隊司令長官・東郷平八郎は参謀・秋山真之中佐を伴って西表島に上陸した。
2人はそこでアメリカ人特派員ハロルドと出会う。彼は、源為朝の墓がこの島にあるのだというのだが・・・
「蒙古帝(モンゴリア)の碑(いしぶみ)」
11代将軍徳川家斉の治世。江戸を訪れていたシーボルトは、遠山金四郎とともに間宮林蔵に会う。
樺太を超えて大陸に渡った林蔵は、そこで源義経の痕跡と思われる事跡の数々に遭遇したと語るのだが・・・
”義経=チンギス・ハン伝説” の ”そもそもの起源” にまつわる話。
「雨月物語だみことば」
すみません、私にはよく分からない作品でした。高校時代に、もっとよく古典を勉強しておけばよかった?
「槐説弓張月(かいせつ・ゆみはりづき)」
「椿説(ちんせつ)弓張月」は「南総里見八犬伝」で有名な曲亭馬琴の長編小説。「鎮西八郎為朝外伝」というサブタイトルが示すように、源為朝の活躍を描き、最後は琉球王国へ渡って王朝を打ち立てるという伝奇大作だ。
文化八年(1811年)、当時19歳だった遠山金四郎は、あることきっかけに馬琴と知り合い、為朝の琉球伝説についての史実、そして彼の考察を聞かされるのだが・・・
「蜃気楼の王国」
1854年、日米和親条約を締結して日本の開国を果たしたペリーとその艦隊は、帰路の途中、琉球を訪れる。しかしそこで、乗組員の一人が琉球人に殺されるという事件が発生するが・・・
ヨーロッパからやってきた宣教使の一家、さらにはアメリカが抱える黒人奴隷の問題なども絡めて、ミステリとして仕立て上がっている。
しかしその背景には、清国へ朝貢しながら日本国の幕府にも従うという、2つの大国の中で立ち回らなければならない琉球王国の存在があった。
たぶん大学生の頃だったと思うのだけど、高木彬光の「成吉思汗の秘密」を興味深く読んだことを思い出したよ。これは名探偵・神津恭介が、病気療養中の暇つぶしとして義経生存伝説を推理する、という歴史ミステリだった。
義経にしろ為朝にしろ、英雄の生存伝説は庶民の願望が生み出したものだろうけど、本書でその秘密に分け入っていく主人公たちは、それをうまく利用しようとする者たちの存在にも触れることになる。
いままでは「虚か実か」しか考えなかったけれど、本書によって「その伝説が広く伝搬することによって、誰が利を得るのか」という新たな視点を教えてもらった。
ただ、扱う題材によって私の興味の有無が如実に出てしまって、楽しめた作品とそうでない作品の差が大きくなってしまった。歴史に詳しい人ならもっと楽しめたんだろうと思うけど。
タグ:歴史ミステリ
ネクスト・ギグ [読書・ミステリ]
評価:★★★★
ライブハウスのステージ上に登場したボーカルが倒れる。彼の胸には千枚通しが突き立っていた。衆人環視の中、誰が殺人を犯したのか。
ライブハウスのスタッフ・児玉梨佳は、事件の背景を調べ始めるが・・・
「ラディッシュハウス」は、オールスタンディング(立ち見)でキャパ(総定員)が500人という中規模のライブハウスだ。
かつて熱狂的ファンを集めたロックバンド〈サウザンドリバー〉。解散後、そのギタリストだったクスミトオルが中心となって新たに結成した〈赤い青〉というバンドが根拠地にしている。
定例となった〈赤い青〉のステージでのアンコールで、ボーカルのシノハラヨースケが倒れる。胸には千枚通しが突き刺さって。
しかし肝心の ”その瞬間” を見た者はいない。ステージ上のバンド仲間か、最前列の客か。近くから投げつけても可能と思われ、自殺を疑う声も挙がる。
視点人物は、ライブハウスのスタッフ・児玉梨佳(こだま・りか)。大学時代からラディッシュハウスでアルバイトを始め、卒業後はそのままそこに就職している。スタッフの中でも最年少の彼女は、死んだヨースケが生前に漏らした「ロックってなんなんだろうな」という言葉にこだわり続ける。
物語が進むにつれて、〈サウザンドリバー〉時代の出来事も明らかになっていく。メンバーの1人が死亡したこと、それに関する事情をクスミは黙して語らないことも。
さらには解散後の〈サウザンドリバー〉の元メンバーも登場し、事態は混迷していくが、そこで第二の殺人が起こる。しかも現場は密室状態だった・・・
「ロックってなんなんだろうな」作中で執拗に繰り返される問である。
梨佳がことあるごとに相手に対して投げかける質問だが、答えは様々だ。十人十色の回答がそのままその人の ”ロック観” を表すのだろう。
しかし、事件の根底にはこの「ロック」というものが重奏音のように常に流れている。登場人物がみな、多かれ少なかれ ”ロックに魂を奪われた者たち” ばかりだからだ。
私自身はロックについてはからきしである。高校時代の友人にディープ・パープルのファンがいて、一度彼の家に遊びに行ったときにレコードを(まだCDは登場していなかった)聞かされた記憶があるのだが、どんな演奏だったかさっぱり覚えていない(おいおい)。
でも、そんな私でも本書は楽しめた。何より、作中でロックについて、その誕生から変遷も含めて実に豊穣に語られているのだから。本書を読むといっぱしのロック通になったような気がする(あくまで ”気がする” だけね)。
そして、本書のラストでの謎解きシーンでも、この「ロックとは何か」は事件と切り離せない、大きな意味を持ってくる。
ちなみに、探偵役も実に意外な人物が務めることになるのだが、これは読んでのお楽しみだろう。
作者は新人賞を受賞してのデビューではない。投稿作品が編集者の目にとまり、アンソロジー用の短編執筆を経ての長編デビューだとのことだ。
初長編である本書は文庫で400ページ近い大作だが、ストーリーテリングもしっかりしているし、新人離れした文章だと思う。
タグ:国内ミステリ
イスランの白琥珀 [読書・ファンタジー]
評価:★★★★
かつては大魔道師と謳われ、イスリル帝国の建国に多大な貢献をしたヴュルナイ。しかし時は流れ、王宮は腐敗し国土は乱れた。
そんな中、野に下っていた彼はある人物に出会う。その中に新たな希望を見いだしたヴュルナイは、帝国の再建を決意する。
〈オーリエラントの魔道師〉シリーズの1冊。
その身の内に、稀なる ”闇の種” を宿す少年ヴュルナイは、魔道師イスランにその能力を見いだされ、やがて大魔道師へと成長した。
イスランはヴュルナイ率いる魔道師軍団とともに乱れた国土を統一してイスリル帝国を築き上げ、”国母” と呼ばれるようになる。
しかし彼女が亡くなり、その親族たちによる後継者争いが始まる。その諍いに巻き込まれたヴュルナイは、地位も名声も失って表舞台から去ってしまう。
失意のヴュルナイはオーヴァイデン(オーヴ)と名を変えて放浪生活に入り、百年あまりの時が過ぎた頃(この世界の魔道師は長命なので)に、物語は始まる。
帝国の王宮は腐敗し人心は乱れ、不正と賄賂が横行する時代となっていた。
そんな中、北方から侵入してくる蛮族との戦いに身を投じていたオーヴは、無実の罪で捕らえられたロブロー族の若い女族長ハルファリラと関わることになる。
ハルファリラの中に ”ある力” の存在を感じ取ったオーヴは、彼女を救い出すべく王都イスリルに潜入、〈落雷王〉の異名を持つ魔道師にして国王のグラスグーシや、宰相ジルナリルと対決することになるが・・・
イスリル帝国では、建国初期の後継者争いによる混乱の中、「魔力の最も強い者が王になる」慣例が成立している。ならばグラスグーシは当代最強の魔道師のはずなのだが、百戦錬磨のオーヴは彼と互角以上に渡り合ってみせる。
オーヴの戦歴を考えれば、グラスグーシなど易々とやっつけてしまえそうなものだが、意外と苦戦するのは舐めてかかっていたからかも知れない(笑)。
「俺はまだ本気出してない」って言いそうだが(おいおい)。
タイトルの「イスランの白琥珀」とは、オーヴァイデン(ヴュルナイ)がイスランから与えられた宝玉のこと。彼にとってそれはイスランとの絆であり、帝国建国時の理想の象徴だ。
一時は絶望して野に伏していたオーヴが、新たな希望を見つけ出し、再び立ち上がる。かつての恩人が築いた帝国を再建するために。かつての恩人から託されたものを、次世代へとつなげるために。
とはいっても、主人公オーヴのキャラクターはあくまで明るく軽快だ。悲壮感など欠片もない。実年齢は百歳を超えているので、酸いも甘いも噛み分けているはずなのだが、けっこう頭に血が上りやすく、後先のことを考えずに行動してしまうなどかなりの粗忽者。精神年齢はかなり若そうだ(笑)。
オーヴの相棒を務める青年エムバス、オーヴの財産管理をしているスティッカーカル、ハルファリラ救出に協力する双子の魔女など、脇役陣も個性派が揃っていて飽きさせない。
本書の最後のページに「イスリル帝国年表」というものが載ってるんだけど、これ、ネタバレじゃないかなぁ。もっとも、「この後はこうなる」と分かっていても面白いんだけど。
タグ:ファンタジー
密室から黒猫を取り出す方法 名探偵音野順の事件簿 [読書・ミステリ]
密室から黒猫を取り出す方法 名探偵音野順の事件簿 (創元推理文庫)
- 作者: 北山 猛邦
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2021/01/28
評価:★★★
気弱で引きこもりがちな青年・音野順(おとの・じゅん)を探偵役とするシリーズ、第2巻。助手を担当するのは、順の友人にしてミステリ作家・白瀬白夜(しらせ・びゃくや)。短編5作を収録。
「密室から猫を取り出す方法」
完璧な密室トリックで同僚を殺害した田野。現場はホテルの一室。しかしドアを閉じる瞬間、その隙間を縫って黒猫が中に入り込んでしまう。慌ててドアを開けようとする田野だが、すでにトリックが発動していたために中に入れなくなっていた。
翌日になって死体が発見され、警察が捜査にやってくるが、現場内に猫はいなかったらしい。猫はどうやって密室から脱出したのか・・・
密室トリックは、レトロ感あふれる物理的なもの。それに対して猫の脱出方法は・・・無理だろぉ、って言ってしまうのは簡単なんだけど、これが受け入れられるかどうかが本書、ひいてはこの作家さんを楽しめるかどうかを決めるかな。
「人喰いテレビ」
山奥のロッジの近くで他殺死体が発見される。遺体は一流企業の重役のもので、頭部は激しく殴打され、右腕は切断されて持ち去られていた。
事件の夜、現場近くでは「UFO研究会」という有志団体が夜空の観測会を開いていた。その代表・如月陽子は「ロッジの中でテレビを見ていた被害者が、テレビに喰われるのを見た」と証言する。
被害者は ”砂嵐” 状態のテレビに近づき、頭と右腕が ”画面の中” に入っていってしまった、というのだが・・・
ちなみにロッジにあったのはブラウン管テレビ。本書の初刊は2009年なので、まだアナログ波用の旧式TVも生き残ってた時代かな。私の家が地上波デジタルの液晶TVに切り替わったのが2010年の末だったし。
そのうち ”ブラウン管” て単語も死語になっちゃうんだろうなぁ。
「音楽は凶器じゃない」
音野たちのもとを訪れた女子高生・笹川蘭(ささかわ・らん)は、彼女が通っている聖イサベラ学園高校で6年前に起こった殺人事件について語り出す。
音楽室の中で、音楽教師・藤池伊代が撲殺され、その傍らには3年生の落合彩(おちあい・あや)が、これも殴られて気を失っていた。
現場周囲の目撃情報から、犯人は彩だと思われたが、逮捕には至らなかった。凶器が発見されなかったからだ・・・
音野が指摘する ”意外な凶器” が今作のキモなんだが・・・これを使うのは大変そうだなぁ。そしてラストシーンのひねりが効いてる。
「停電から夜明けまで」
資産家の義父・稲葉慎太郎の殺害を計画する兄弟。彼らの住む屋敷に来客が来る夜、落雷による停電が発生し、彼らの計画が始まった。用意周到に準備されたはずだが、予定外の来客が・・・
名探偵・音野順は今回も犯人を ”示して” みせる。しかしその方法がなんともねぇ。ネタバレだから書けないけど、古今東西、こんな形で事件を解決に導いた探偵はいないだろうなぁ。
ある意味本書でも(というか本シリーズの中でも)屈指の問題作。
「クローズト・キャンドル」
芸術家・鈴谷氏の死体が発見された。現場のアトリエの床には無数のロウソクが立てられており、入り口のドアを開けることもできない。
アトリエの中には低い円卓(ここにもロウソクが立てられている)があり、その上には、天井からぶら下がった鈴谷氏の縊死状態の遺体が。
警察は自殺と判断するが、琴宮という探偵が鈴谷家に現れ、これは殺人だと言い出す。鈴谷氏の娘・花澄(かすみ)に導かれた白瀬と音野は、3000万円を賭けて琴宮と推理合戦をする羽目になるが・・・
作者お得意の物理トリックが炸裂する。よくまあこんなこと考えるなぁと感心するが、ラストの犯人指摘シーンはちょっと唐突だね。「聞いてないよ~」って言いたくなる(笑)。
タグ:国内ミステリ