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『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第一章嚆矢篇 EDテーマに寄せて [アニメーション]

実はこの記事の文章は「感想・・・のようなもの」を書き始める前に
原型はすでに書き上げていたのですが、
記事にするかどうかはけっこう迷っていました。

読んでいただけば分かりますが、
映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を
こよなく愛する方にとっては
オモシロクナイ内容となっていると思います。

平穏なところにわざわざ波風を立てることもなかろう・・・
とも思ったのですが、
これからも「ヤマト2202」について記事を書いていくなら、
やっぱり避けては通れない部分だと思いましたので、
ここに掲げることにしました。

地球とガミラスではありませんが、
本ブログを覘きに来ていただく方とブログ主との間が
「同床異夢」にならないためにも。


■100人100様
「宇宙戦艦ヤマト」という作品は40年を超える歴史があります。
100人のヤマトファンがいれば、作品に対する思いも100通り。
それぞれが考える "理想のヤマト像" も100通り。

「2199」の頃から本ブログを覘いていた方も多いかと思いますが
「2202」から新たにリメイク版ヤマトを見始め、
このブログにたどり着いた方もいらっしゃると思います。

ならば私の「ヤマト」と言う作品に対する思いも
このへんで明らかにしておくほうがいいでしょう。

それを端的に表すのが、第一章EDテーマに対する私の受け止め方です。

■「ヤマトより愛をこめて」
「宇宙戦艦ヤマト2202」第一章は、EDテーマとして
沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」を採用しました。

まさかのジュリー、それも39年前の音源をそのまま利用とか。
スタッフの並々ならぬ思い入れが感じられます。

ネットの感想でも
「この曲を聴いたらあの感動を思い出して涙が出てきた」
等の感想があちこちに散見されます。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」をこよなく愛する人にとっては
この作品を象徴する曲で、切っても切れないものなのでしょう。


しかしながら、私はこの曲から「感動」を得ることはありません。
映画館で「2202」第一章EDで流れるジュリーの歌声を聞いていても、
私の目が潤むことはありませんでした。

なぜなら、私は「さらば宇宙戦艦ヤマト」という作品を
どうしても肯定することができないからです。

 「2199」の頃からこのブログをご覧になっている方、あるいは
 私が書き散らしてきた(笑)ヤマト関係の過去記事を
 お読みになった方なら先刻ご承知でしょうが、
 私の「宇宙戦艦ヤマト」の旧作群に対する評価は、
 2012年の4月から5月にかけてまとめて記事として書いてます。
 特に「さらば」、そして「ヤマト2」以降の続編群については
 以下の関連記事をご参照ください。

 関連記事:
 「ヤマト2199」に関する駄文雑文集(2) ~「さらば」の衝撃~
 「ヤマト2199」に関する駄文雑文集(3) ~「さらば」私的考察~
 「ヤマト2199」に関する駄文雑文集(4)
  ~「ヤマト2」から「完結編」まで~


沢田研二の歌声に、ノスタルジーは感じます。
私も39年前に映画館でこの曲を聴きましたから。

「2202」第一章のEDに流れるジュリーの歌声を聞いていたら、
「さらば」を観ていた時に感じた、さまざまな思いが甦ってきます。

映画の中で次々に命を落としていくヤマトのクルーたち。
画面を見ているのが辛く、苦しく、悲しくてたまりませんでした。

でもそこから「感動」だけは、感じ取ることはできませんでした。

大好きだったはずの「ヤマト」から
思いっきり拒絶されたように感じて
強烈なショックでしたし、淋しい思いもしたものです。
「ヤマト」はそんな私を置いてきぼりにして
スクリーンの彼方へ消えていってしまいました。

「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は、
私が10代に観た最後の映画になりました。
そしてそれは、私とヤマトとの蜜月時代の終焉でもありました。


■私のスタンス
「宇宙戦艦ヤマト」という作品のファンの中では
おそらく最大多数派を占めるであろう人々を
敵に回すような文章ですが、
上記のように私は「さらば」否定派です。
「ヤマト2」も好意的な評価はしていません。

だからといって、その2作品をモチーフとして製作されている
「2202」を、最初からこき下ろすつもりは毛頭ありません。
あくまで「ヤマトの新作」としてフラットな目で見るつもりです。

 それどころか監督の羽原信義さんは、
 これも私が大好きな「蒼穹のファフナー」シリーズの監督を
 長きにわたって務めてこられた人ですし、
 脚本・シリーズ構成の福井晴敏氏は大好きな作家さんです。
 本ブログの過去記事にも書きましたが、「終戦のローレライ」は
 ヤマト・マインドに溢れた大傑作だと思っています。

  原稿用紙2800枚という大長編ですけど、一気読みでした。
  あるシーンを読んで号泣しているところを
  かみさんに見つかって往生したのも、いい思い出です。

 そんな二人がタッグを組んでいるんですから、
 期待するなと言う方が無理です。

実際、今までの記事を読んできていただいておわかりでしょうが
第一章に関しては「絶賛」していると言っていいでしょう。


しかしながら、上に書いたような "価値観" をもつ私のことですから
第二章以降もこの「絶賛」が続く保証はありません。

今後のストーリー展開によっては
「ヤマト2」ファンが泣いて喜ぶようなシーンを
こき下ろすかも知れませんし、
「さらば」ファンが感動に打ち震えるようなシーンを
酷評することもあるかも知れません。

ネットでは「書く自由」もありますが「読まない自由」もあります。
「そんな奴が書く記事なら読むのを止めようかなぁ」
そう思われたら遠慮することなく「読まない自由」を行使して頂きたい。

私としては、第七章まで「絶賛」の感想記事が書き続けられることを
願っているのですけれども(切実)。


■「沢田研二」起用のわけ
私の辛気くさい昔話はこれくらいにして、現在に戻しましょう。

第一章のEDとしてこの曲をもってきた理由は何なのでしょう。
ただ単にスタッフのこだわりだけではないような気もします。

私が考えるに、いちばん大きな理由は
「旧作ファンを取り込みたいから」ではないでしょうか。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」は観客動員数400万人でした。
その人たちをそっくり取り込めればもう大ヒット間違いなしですから。

 安易なタイアップ曲なんか使って下手を打つと
 年季の入ったヤマトファンから大ブーイングを浴びて、
 出だしからつまづいてしまいますからね。

実際、第一章を観て感じたのは、
軸足を「旧作ファン」に置いてるなぁ、ということです。

上にも書いたように、それはそれで正しい戦略なのかも知れません。
イベント上映の対象は旧作「さらば」のファンと
「2199」から引き続きのファンがメインターゲットと割り切って、
新規のファンはTV放映で取り込もう、ということなのでしょう。

 実際、「2199」もTV放映が始まってから
 ぐっと若者が増えましたからね。


ネットを見渡すと、別の理由を挙げているファンの方もいます。
いささか深読みかも知れませんが
「第七章で使えないからではないか」というものです。

つまり「さらば」とは異なる結末になるので、
この歌は使えない、というものです。

 まあ21世紀の今日、旧作と全く同じ結末を描くとは
 私も思わないんですが・・・さて、どうでしょうか。

 でも、ネットの感想を見ていると、
 旧作通りの結末を望んでいる人も一定数いるんですよねぇ・・・

■最後に
冒頭にも書きましたけど
40年を超えるコンテンツですから、いろいろなファンがいます。
100人のヤマトファンがいれば、「見たいヤマト」も100通りある。

全員を満足させることは絶対的に不可能なのだけど
「2202」製作陣はどんな答えを出すのでしょうか。


長々と書いてきましたけど「ヤマト2202」第一章については
これでひと区切りとしたいと思います。
お付き合いいただき、ありがとうございました。m(_ _)m


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