SSブログ

アイアムまきもと [映画]



 原作は、第70回ヴェネチア国際映画祭で4つの賞を受賞したウベルト・パゾリーニ監督のイギリス・イタリア合作映画『おみおくりの作法』(2013)。ちなみにこちらは未見。
 これを日本を舞台にリメイクしたのが本作。
makimoto.jpg
 始めに断っておくが、私のこの映画に対する評価は高くない。
 映画の中で頑張ってる人は、ラストではやっぱり報われてほしい。
 主人公の牧本は頑張ってる。同僚や上司から迷惑がられても、自分の信念に従って。たしかに、こういう人が身の回りにいたら鬱陶しいし、私だって嫌うかも知れない。でも、こういう人が1人くらいはいてもいい。5人もいたら職場が崩壊するだろうけど(笑)。
 だから牧本には報われてほしかった。映画だから、フィクションだからこそ報われてほしかった。
 製作陣は「彼は十分に報われてる」と思ってるだろうし、この映画を高く評価している人もそう感じてるのだろう。まあ価値観は人それぞれだからね。
 でも私には ”あのラスト” は ”報われている” とは思えないんだ・・・。

 まずは内容紹介。公式サイトの「Story」からの引用。

 小さな市役所に勤める牧本(阿部サダヲ)の仕事は、人知れず亡くなった人を埋葬する「おみおくり係」。故人の思いを大事にするあまり、つい警察のルールより自身のルールを優先して刑事・神代(松下洸平)に日々怒られている。
 ある日牧本は、身寄りなく亡くなった老人・蕪木(宇崎竜童)の部屋を訪れ、彼の娘と思しき少女の写真を発見する。
 一方、県庁からきた新任局長・小野口(坪倉由幸)が「おみおくり係」廃止を決定する。
 蕪木の一件が “最後の仕事” となった牧本は、写真の少女探しと、一人でも多くの参列者を葬儀に呼ぶため、わずかな手がかりを頼りに蕪木のかつての友人や知人を探し出し訪ねていく。
 工場で蕪木と同僚だった平光(松尾スズキ)、漁港で居酒屋を営む元恋人・みはる(宮沢りえ)、炭鉱で蕪木に命を救われたという槍田(國村隼)、一時期ともに生活したホームレス仲間、そして写真の少女で蕪木の娘・塔子(満島ひかり)。
 蕪木の人生を辿るうちに、牧本にも少しずつ変化が生じていく。そして、牧本の “最後のおみおくり” には、思いもしなかった奇跡が待っていた。

 映画のロケ地は主に山形県ということで、風景の美しさは格別。映画の中で、画面いっぱいに広がる水田や遠くの山並みは素晴らしいのひとことに尽きる。

 そんな地方の市役所で、独居老人が死亡した後始末をする「おみおくり係」担当の牧本が主人公なのだけど、この人物造形がかなり特徴的だ。
 彼の仕事に対する ”こだわりのルール” は3つ。

1 葬儀は絶対にやる(たとえ遺族が求めてなくても)
2 参列者をなんとしてでも探し出す(たとえ身寄りがないと警察に言われても)
3 納骨はギリギリまでしない(骨壺が保管場所からあふれても)

 こう書くとさぞかし使命感にあふれた情熱的な人物、と思われるだろう。あながち間違いではないのだが、周囲からの評価は真逆だ。

  全く空気が読めない、全く人の話を聞かない、なかなか心を開かない、でも、決めたことは自分のルールで突き進む、ちょっと頑固で迷惑な存在、と受け止められている。
 ネットの感想でも何人かの人が触れているけど、私には情動に何らかの問題を抱えている人のようにも思えた。

 彼のやっていること自体は「純粋で無垢」な、心からの ”おみおくり” なのだ。それは尊いことなのは間違いない。だから彼のことは嫌いにはなれない。
 じゃあ好きになったかと問われたら、首を傾げてしまうだろう。彼の猪突猛進に振り回され、迷惑を被る周囲の人々の事情も理解はできるから。

 そんな牧本だが、鏑木の遺族を探していく過程で多くの人とめぐり会い、故人の人生を辿っていく過程で少しずつ変化していく。
 映画は牧本の変化を描くと同時に、牧本に出会ったことで、鏑木との関係を再確認あるいは再構築していく関係者を描いていく。

 牧本の奮闘の結果は、終盤の葬儀シーンで描かれるのだけど、同時に牧本自身にも大きな運命の変転が起こる。

 映画のラストが非常に印象的で、このシーンにつなげるための演出だったというのはわかるのだが・・・私はこういう展開は好きではないのだよ。

 公式サイトには「笑って泣けるエンターテインメント」ってあるけど、笑うにはテーマが重すぎ(ところどころ笑わせようとしてるが、スベりまくり)、泣くに泣けない(いや、たぶん泣く人はいっぱいいるのかも知れないけど。少なくとも私は泣けなかったなぁ・・・)。


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画