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ワン・モア・ヌーク [読書・冒険/サスペンス]


2011年3月11日午後2時46分。このとき私は職場にいた。
鉄筋コンクリ製のビルの4階にいたのだけど
半端ではない揺れに驚かされた。
このまま建物が倒壊するんじゃないかと思ったし
「もし倒壊したら、俺は死んじゃうんだろうなー」とか
人ごとみたいにぼんやりと考えていた。
揺れの激しさに、現実感を喪失していたのかも知れない。

津波の映像もリアルタイムで見た。
揺れが収まった後に、TVが見られる部屋へ行ったら、
同僚が集まっていてみんな画面に釘付けだった。
不気味な大波が田畑や人家を飲み込んでいく異様な光景に、
これも現実に起こっていることとは思えなかったことを覚えている。

そして何より、その後に福島第一原発で起こった事態。
「日本は大丈夫なのか」って心配にもなったが
福島県との(現実の距離はともかく)心理的な距離は遠かったようで
今ひとつ深刻に思えなかったことも事実だ。
「どうにかなるんじゃないか」って楽観的に考える(考えたい)
自分がいたのは否定できない。

そして9年。
汚染地域の除染が進んだと言っても
いまだ避難したまま帰還できない人々も多く
原発を廃炉にする行程もはっきりしない。
そもそも、残った核燃料を取り出すなんてことが
可能なのかどうかすらよくわからない。
農水産物を検査して、問題ない放射線量であることが
明らかになっても、風評被害は消えない。

しかし、被災地以外の人々にも日々の暮らしはあり、
毎日毎日東北のことを考えているわけにもいかない。
私もまた、そういうふうにして日々を生きている。

そんな時代を生きている日本人に向けて書かれたのが本書だろう。


ワン・モア・ヌーク (新潮文庫)

ワン・モア・ヌーク (新潮文庫)

  • 作者: 太洋, 藤井
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: 文庫
評価:★★★★

物語はオリンピックを控えた2020年3月6日(金)から
3月10日(火)までの110時間を描く。

3月6日、イラクの核物理学者にして元ISISのテロリストである
サイード・イブラヒムは、シリアの核施設から持ち出した
プルトニウムとともに日本への潜入に成功する。

彼を手引きしたのはベンチャー企業を率いる但馬樹(たじま・いつき)。
イブラヒムの持ち込んだプルトニウムは、
彼女が ”製作” した ”原子爆弾” にセットされる。
この爆弾は、東京の中心部で0.1キロトンほどの
小規模な核爆発を引き起こし、周囲を核物質で汚染する ”はず” だった。

そして3月8日の深夜、原爆テロを予告する1本の動画がアップされる。
「核の穴は、あなたがたをもう一度、特別な存在にしてくれる」
予告された爆発時刻は3月11日午前0時。残り時間は48時間。

但馬の目的は、核の問題から目をそらしがちな人々、
不確かな情報に振り回されて被災地に対して不当な扱いをする人々、
そして情報を隠蔽し、問題を放置、あるいは先送りする政府に対して、
”核” と本気で向き合う覚悟を迫るため。

合い言葉は「ONE MORE NUKE」。すなわち「核をもう一度」。

しかしイブラヒムの持ち込んだプルトニウムは、
当初の予定よりはるかに高濃度のもので
爆発した際の威力は500キロトン。広島型原爆の30倍に相当する。
23区内は壊滅、半径30km以内は人が住めない荒野と化す。
文字通り日本の中心部を消滅させることが彼の真の目的だった。

物語の序盤でイブラヒムの真意に気づいた但馬だが、
時既に遅く、原子爆弾はイブラヒムの手に落ちてしまう。

一方、この二人のテロリストを追うのは2つのチーム。

まずは国際原子力機関(IAEA)の技官・館埜健也(たての・けんや)と
CIA局員のシアリー・リー・ナズ。
2年前にシリアでイブラヒムに襲われた経験を持つ二人は、
彼の日本への入国とほぼ同じくして日本政府内で活動を開始する。

そして警視庁公安部外事二課所属の刑事、
早瀬隆二(はやせ・りゅうじ)と高嶺秋那(たかみね・あきな)。
二人は不法滞在外国人の捜査から、但馬の存在へと導かれていく。

但馬、イブラヒム、館埜&ナズ、早瀬&高嶺の4つの視点を駆使して
数百万の都民が郊外へと脱出していく混乱の中、
無人と化した都心で原子爆弾を巡る攻防が描かれていく。


人類は歴史上、一度手にした技術を自ら手放したことはない。
それは核兵器も原子力発電も例外ではない。

人間はいままで、新しい技術が生み出したものと
否応なく共存することを強いられてきた。
IT技術によって生活が激変してもそれに適応して生きてきたし、
これからAIによってさらに生活は激変してしまうのではないかと
心配されているが、誰もAIを止めようと言う人はいないから
これにも適応していくことを強いられるのだろう。

生物の進化では、環境に適応できない生物は絶滅してきた。
人間は自ら環境を変化させ、それに合わせて自らの生き方を変えてきた。
ならば、人類が核兵器や原子力発電を放棄する決断ができない以上は
それらとの共存に失敗した時が人類の絶滅の時なのだろう。

本書には、核兵器や原子力発電に対する
人間の愚かな行動が多々記されているけれども、
それだけではなく、賢明な行動を取ろうとする人々もまた描かれる。

人間の示す愚かさには、時に絶望的に気持ちにさせられるけれども
それだけではないと信じたい。人間に絶望したくない。

まさに爆発の時を迎えようとする原子爆弾を前に、
未来のために行動しようとする人々を描いたラストを読みながら、
そんなことを感じた。

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