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「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」第二章 感想・・・のようなもの その7 [アニメーション]


※ネタバレ全開です。未見の方はご注意ください。

第六話「死闘・第十一番惑星」(前編)


■永倉さん登場

脱出シャトルで宇宙を彷徨う永倉さん。
彼女の記憶を辿って第5話の物語がスタート。


■奮戦・永倉曹長

第3話でクリスマスではしゃいでいたガミラスの女の子。
しかし彼女の目前に広がるのは地獄のような光景。

そして迫りくるガトランティスの殺人ドローン。
絶体絶命の彼女を救ったのは、空間騎兵隊の永倉さん。

「星巡る方舟」では、桐生美影の父・悟郎率いる
空間騎兵隊第7連隊の生き残りとして登場。

男ばかりの集団にあって紅一点という立ち位置で、
「方舟」のときは、おそらく
それ以上の意味はなかったであろう彼女だが
こうして続編の製作が始まり、忘れ去られずに再登場を果たした。
誠に目出度い。

そして、忘れ去られるどころかこの第6話では
冒頭では可憐な少女を救い、
生存者たちの希望を背負ってシャトルで脱出、
しかも敵艦隊の写真までしっかり撮り、
傷だらけの状態で古代たちの作戦会議に参加する。
彼女の存在が古代の決定を促したのは間違いない。

そして約束通り、援軍であるヤマトを伴って戦場に帰還する。
もう、ほとんど主役級の活躍ではないですか。

いやあ、私はすっかり彼女のファンになってしまったよ。


■ガトラン兵

夜明けと共に一般市民を襲い始める殺人ドローン。
立ち向かうは空間騎兵隊の古橋。
あえなくガトラン兵の自爆に巻き込まれてしまうが・・・

ガトランティス兵の自爆ってどういう条件で起こるのかな。
最初は、一定時間ごとに何らかの処置(投薬とか)を受けないと
起こるのかなあと思ってたんだが、第6話を観ていたら
バイタルサインが一定レベルを下回ったら起こるのかな、とも思った。

これは "ガトランティス人" というものを端的に示す設定だと思うので
どこかで詳しく説明がほしいところ。


■土方さん生死不明

第十一番惑星の司令官なのだから、
当然ガトランティスを迎撃したのだろうが
おそらく多勢に無勢、形勢の不利を悟って降伏を申し入れる。
全滅するまで戦うなんていう思考は持っていないんですね。
(民間人も多数いたんでしょうし)

ガミラスとの和解を実現した沖田のことを知っていますから
彼もまたガトランティスと意思の疎通ができると信じたいのでしょうね。

しかしガトランティスの指揮官コズモダードの反応は非情。
「降伏とは何だ?」「ならば戦って死ね」
「さすればこの星にも安寧が訪れる」
このへんがガトランティスの基本的な思考なのでしょう。

第1話での大戦艦といい、自爆する兵士といい、
メンタリティを地球人とほぼ同じくするガミラス人とは全く違う価値観。
最後までこれを貫き、理解不能・不倶戴天の敵同士として
最終回まで突き進むのか。
それとも、どこかの時点で分かり合える可能性を示すのか。

21世紀版のリメイクではそのあたりをどう扱うか。
今後のストーリーが楽しみですね。


■脱出

「戦って死ねだと!上等だ! だが民間人を巻き込むわけにはいかねぇ」
斉藤隊長、軍人の本分を弁えてますね。流石です。

そして永倉に脱出を命じ、救援を託す斉藤。
「まさか私が女だから?」
もちろん彼女が選ばれたのは、その軍人としての能力ゆえだと思うけど
斉藤たちの心の底には「彼女には生き延びてほしい」というのが
確かにあったと思うよ。
男ってのは、そういう生き物だから。


■ "理" よりも "情" を重んずる者たちの物語

今回、「第二章」を観ていて真っ先に思った感想がこれ。

テレサのメッセージに応えようとする古代。
それに同意する真田さんを初めとする旧ヤマトクルーたち。
藤堂や山南の心の内にもそれはあったと思うし、
この第6話における第十一番惑星の扱いを巡る
作戦会議にも端的に表れている。

合理的に考えれば、既に戦闘開始から40時間が経過、
そして惑星近くに展開する敵艦隊の規模は、ヤマト単艦では手に余る。
普通なら艦隊本部に任せて先を急ぐのが合理的判断だが・・・

「テレサのメッセージの真相を探るため、先を急ぐべきだ」
「目の前で溺れている者を見捨てるのは矛盾です」
正反対の意見を述べるキーマンと山本。
以前なら古代が口にしたであろう意見を山本が言う。
なぜならここでの古代は意見を言う立場ではなく
判断し、決定を下す立場だから。

そしてその古代に決定を促したのは、その場にいながら
ひと言も口を開くことのなかった永倉の存在。

「万に一つの可能性を信じて彼女は脱出してきた」
「その万に一つの可能性は、生きている者たちがいることを
 俺たちが信じることからしか始まらない」

まさに義理と人情の世界。
"浪花節" ならぬ "福井節" が炸裂してますねぇ。

 そういえば「浪花節」なんて言葉もめっきり聞かなくなったなあ。
 これもまた "昭和の香り" なんでしょうねえ。
 そして、そんな「浪花節」な古代に素直に感情移入できる、
 そんな私も "昭和の感性" なんでしょうねえ・・・

この作戦会議のシーン、
第二章でいちばん脚本が冴えてるところだと思ったよ。


■キーマンの立ち位置

これもだんだんはっきりしてきた。

ヤマトの艦内においては、「情」に流れがちなクルーに対して
あえて非情な「正論」を吐く役回り。

本来なら真田さんか新見女史の役回りなのだろうが
「2202」での真田さんは、
古代に次ぐくらい "熱い男" になってしまったし、
新見さんは負傷で、そもそも乗艦していないからねぇ。

対立する意見がある方が会議のシーンは盛り上がるし。
「それほどのリスクを背負って、のこのこと死体の回収に行くのか」
なんて丁々発止な言葉の応酬もいい。

そのおかげで、古代の
「万に一つの可能性は、おれたちが信じることからしか始まらない。」
という台詞も、より観客の情に訴えるものになる。

そして、反対意見を述べながらも
作戦にはきっちり協力するところがまた憎い。

文句だけ言って何もしなかったら観客の反感を買うばかりだが
戦闘に参加してしっかり戦果も挙げるので、嫌われることもない。
このあたりの計算もしっかりしている脚本だなあと思う。


(続く)

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