SSブログ

大怪獣のあとしまつ [映画]


 とにかくネットでの評判が悪いみたいで、観に行くのは正直心配だったんだけどね・・・でも、大丈夫でしたよ(笑)。
 私はこの映画、嫌いじゃない。むしろ好きな部類に入る。たしかに欠点もあるとは思うけど、115分の上映時間中、私は充分に楽しみましたよ。

20211130_01.jpg

 ではまず、公式サイトからあらすじを引用すると・・・

 人類を未曽有の恐怖に陥れた大怪獣が、ある日突然、死んだ。
 国民は歓喜に沸き、政府は怪獣の死体に「希望」と名付けるなど国全体が安堵に浸る一方で、河川の上に横たわる巨大な死体は腐敗による体温上昇で徐々に膨張が進み、ガス爆発の危機が迫っていることが判明。

 大怪獣の死体が爆発し、漏れ出したガスによって周囲が汚染される事態になれば国民は混乱し、国家崩壊にもつながりかねない。終焉へのカウントダウンは始まった。
 しかし、首相や大臣らは「大怪獣の死体処理」という前代未聞の難問を前に、不毛な議論を重ね右往左往を繰り返すばかり・・・。

 絶望的な時間との闘いの中、国民の運命を懸けて死体処理という極秘ミッションを任されたのは、数年前に突然姿を消した過去をもつ首相直轄組織・特務隊の隊員である帯刀(おびなた)アラタ[山田涼介]だった。
 そして、この死体処理ミッションには環境大臣の秘書官として、アラタの元恋人である雨音(あまね)ユキノ[土屋太鳳]も関わっていた。

 果たして、アラタは爆発を阻止し、大怪獣の死体をあとしまつできるのか!?
そして彼に託された本当の〈使命〉とは一体・・・!?

 基本的には喜劇。突然死んだ大怪獣の死体処理を巡るドタバタで笑わそうという狙いがあるのだろうけど、そのあたりのギャグが寒くてスベりっぱなし。まあそのへんが酷評の原因のひとつか。
 内閣の大臣たちが縦割り行政を盾に、死体処理を押しつけ合うところから始まるところはまだ笑えるが、国防大臣(岩松了)の飛ばす下品な下ネタギャグに眉をひそめる女性客は多そう。あれはセクハラだよねぇ。

 作品世界の中では ”国防軍” というのが存在していて、怪獣の死体処理にはまずそちらが乗り出していく。その方法というのが「凍結させる」というもの。
 だけど、じゃあ凍結させた後どうするのかというのは劇中で説明されない。細かいとこかも知れないが、そういうところまできっちり示していかないといけないよねぇ。荒唐無稽な物語だからこそ細部は大事だ。そういう詰めの甘さがある脚本も、本作の評価を落とすところだろう。

 喜劇とはいえ、国防軍も特務隊も含めて、とにかく現場で命をかけて死体に対峙している人たちの描写はかなりリアル。特務隊長・敷島[真島秀和]なんて、笑顔のシーンは皆無だよ。だからこそ、彼らのバックボーンはしっかり描いて欲しいなあと思った。

 環境大臣(ふせえり)をはじめ、政府内では、怪獣の死体処理を自分の利益に結びつけようという輩がうごめき始めるが、その筆頭は首相秘書官を務める天音正彦(濱田岳)。元特務隊員で、ユキノの夫でもある。

 この正彦が全編にわたって陰謀を巡らす役回り。ユキノの元カレであるアラタを死体処理の責任者に任命するが、裏では足を引っ張り、失敗させようとする。未だアラタに想いを残すユキノへの嫉妬がそうさせるのだが。

 さて、その主役のアラタだが、3年前に謎の失踪を遂げ、2年間消息不明に。その間にユキノは正彦と結婚してしまうのだが、1年前に姿を現し特務隊に復帰している。その間、何処で何をしていたのかは最後まで謎なのだけど・・・

 とはいっても、作中の描写からある程度の予測はつく。というか、この日本という国に生まれて、幼少時から浴びるように特撮TVや特撮映画を見てきた人なら分かるよねぇ・・・

 でもまあ、「いくらなんでもそれはないだろう」という気持ちもあった。
 しかしラストに至り、「ああ、やっちまった」となる。

 断っておくがこのラスト、私は嫌いじゃない。だけど、この展開について行けない人も多いだろうというのはわかる。
 山田涼介や土屋太鳳のファンです、ってだけで観に来た人には予想の斜め上過ぎるだろうし、『シン・ゴジラ』みたいなリアル路線を期待した人は、裏切られたって思うだろうし。
 アラタ&ユキノ&正彦の三角関係の決着も、このラストでどこかへ吹っ飛んでしまうので、そのあたりも不評の原因かも知れない。

 観る人を選ぶ映画だとは言える。波長が合えば楽しめるし、合わなければ拒絶反応が起こるだろうというのもわかる。

 うーん、ラストの展開について、ネタバレしないように書くにはやっぱり限界があるなぁ・・・。

 ひとつヒントというかキーワードを挙げると、映画のかなりはじめの方に
 「deus ex machina」(機械仕掛けの神)という言葉が登場する。

 wikiには「劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法」とある。
 日本の特撮作品にも、そういうのがあるでしょう・・・?


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

決戦は日曜日 [映画]


187194_03.jpg

 まずは公式サイトの「STORY」から引用すると

「とある地方都市。

 谷村勉(窪田正孝)はこの地に強い地盤を持ち当選を続ける衆議院議員・川島昌平の私設秘書。秘書として経験も積み中堅となり、仕事に特別熱い思いはないが暮らしていくには満足な仕事と思っていた。

 ところがある日、川島が病に倒れてしまう。そんなタイミングで衆議院が解散。後継候補として白羽の矢が立ったのは、川島の娘・有美(宮沢りえ)。
 谷村は有美の補佐役として業務にあたることになったが、自由奔放、世間知らず、だけど謎の熱意だけはある有美に振り回される日々…。

 でもまあ、父・川島の地盤は盤石。よほどのことがない限り当選は確実…だったのだが、政界に蔓延る古くからの慣習に納得できない有美はある行動を起こす――それは選挙に落ちること!

 前代未聞の選挙戦の行方は?」

 選挙がテーマの映画は珍しいのだろうけど、素材としては面白そうだ。というわけで、けっこう期待して観にいったのだけど・・・

 うーん、全体を通して感じたのは「中途半端」さ。

 父親の病気により、突然候補者に祭り上げられたヒロインが、謎の熱意に突き動かされ(笑)、旧弊に凝り固まった選挙区の事情に振り回されながらも暴走する。
 描きようによってはとっても面白くなりそうな内容なんだけど、(私の解釈が間違っていなければ)基本的には喜劇(のはず)なのに、見ていて少しも笑えないのはなぜだろう?

 世間知らずのお嬢様育ち、ついでに常識にもかなり欠ける。宮沢りえ演じる有美の設定だ。だからこそ、過去のしがらみを打破する暴走ぶりを期待したりしたのだけど、そこまで突っ張るほどの根性はなさそうだ。
 しかしそれ以前に、有美さんのキャラが好きになれないことのほうが問題だろう。単なる我が儘で、秘書に対してパワハラし放題、演説原稿の漢字も満足に読めない。頭に血が上ると暴力に訴えるところに至っては、なんてトンデモナイ女なんだ、と呆れてしまう。
 彼女に何をさせたいのかよく分からないままに時間は過ぎていく。彼女の演技力は折り紙付きのはずなんだけど、宝の持ち腐れ感が。

 一方、後援会を始め、国会議員と深く癒着した地元の政財界、そこにうごめく魑魅魍魎たちの描写は、類型的ではあるけどなかなか闇の深さを感じさせる。それはいいのだが、そのへんの闇を深く描けば描くほど、コメディ映画の雰囲気からは遠ざかってしまう。

 喜劇がやりたいのか実録ものを見せたいのか。ひょっとしたら両方を狙ったつもりなのかも知れないが、そうだとしたらどっちも的を外しているようにも思える。
 私はもっと徹底的にはっちゃけたコメディを期待してたのだけど、私と同じような思いで映画館に足を運んだ人は「思ってたのと違う」「期待外れ」って感じたんじゃないかなぁ。

 窪田正孝が演じる秘書・谷村も、当初は先代からの旧体制存続を最大目的とする前例主義・事なかれ主義でサラリーマン気質に凝り固まっている。
 終盤になると有美に感化され、共謀して ”落選” を目指すのだけど、そのあたりの心境の変化も今ひとつ分かりにくい。

 終盤、谷村が隠し撮りした事務所内部の様子がSNSに挙がって大騒ぎになるシーンがあるのだけど、映像のアングルを観れば谷村が撮影者であることは一目瞭然のはず。加えて、谷村だけ映ってないし。
 「これ、絶対バレるだろ」・・・だけどほとんどの者は谷村の仕業と気づかない。ここ、観ていておかしいと感じた人は少なくないんじゃないかなぁ・・・
 私も、この部分はずいぶん杜撰だと思ったし。この映画がピリッとしない原因のいちばんは脚本の拙さだと思う。

 主役の二人以外は、寡聞にしてほとんど知らない俳優/女優さんばかりなんだけど、皆さん演技力はものすごく高い。特に後援会の幹部や地元政財界の顔役の方々を演じる年配の男優陣の迫力は半端ない。
 素材もユニークだし、達者な演者をそろえたはずなのに、それを活かし切れていないのではないのか?

 観ていて心が動かされるところがほとんどなく、エンドロールまで来てしまう。
 「決戦は日曜日」というタイトルだけど、日曜日(投票日)にはもうすべての選挙運動は終わっているので、”決戦” 感はほぼ皆無。だとしたら拍子抜けのタイトルだよなぁ・・・

 ・・・と、ここまで書いてきて思った。
 ひょっとして ”決戦” とは、映画のラストシーンの後、すなわち投票日の夜から始まる ”新人国会議員・有美 vs 地元のしがらみ” の戦いの第2ラウンドのことを指しているのかな、と。
 うーん、だとしたら判りづらいよなぁ・・・それとも、映画を観た人は皆ちゃんと理解して映画館から帰っていったのかなぁ・・・?
 その場で判らなかったのは私だけ?

 とまあいろいろ考えたんだけど「なんだか、ものすごくもったいないなぁ・・・」という感想だけが残った映画でした。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

サンダーバード55/GoGo [映画]


thunderbirds_poster.jpg



■まずは昔話から

  『サンダーバード』は1965~66年にイギリスで放送され、日本では66~67年に吹き替え版が放送された。
 当時の私は小学校低学年で、ブラウン管(死語)を食い入るように見ていたことを思い出す。もちろんプラモデルも発売され、大人気商品となった。

 かつて宇宙飛行士だったジェフ・トレイシーは、妻の死をきっかけに退役し、実業家に転進して巨万の富を築き上げた。彼はその資産を元に「国際救助隊」を設立、太平洋の孤島にその基地を建設した。
 ジェフの5人の息子たちがサンダーバード1号~5号をはじめとする各救助用メカを駆り、巨大メカや巨大建造物が引き起こす、あるいは巻き込まれた災害から人々を救い出す活躍を描くのが『サンダーバード』だ。

 放映終了の半年後から開始した『ウルトラセブン』が、ウルトラホークの発進シーンのみならず『サンダーバード』からいろいろと影響を受けたことは有名な話だ・・・なあんてことはwikiに詳しく書いてあるのでそっちを読んでください(笑)。

 毎回登場する国際救助隊の各メカも素晴らしいが、各話のゲストメカにも忘れられないものが多々ある。
 超音速旅客機ファイヤーフラッシュ、超大型多脚戦車ゴング、有人火星ロケット(橋が崩壊して川に落ちたアレだ)、大型タンカー・オーシャンパイオニア号、移動工場とも呼ぶべきクラブロッガー・・・
 私を含めた日本の子どもたちが、そんな無数のメカたちにどれだけ心を躍らせたことか・・・

 閑話休題。昔話はここまでにして、表題にもどろう。

■『サンダーバード55/GoGo』とは

 本作は当時の手法そのままに人形劇形式で撮影された作品で、メカ類もミニチュアを使用した実写作品だ。
 現代ではCGを使った方が安く仕上がるらしいし、見栄えもぐっと良くなるみたい(時代は変わったものだ)。
 しかしそれでは当時の雰囲気が出ないからと、スタッフは60年代の製作方法にこだわったらしいが・・・

■内容について

 30分ほどのエピソードを3本連ねたオムニバス形式。wikiからあらすじを引用すると

第1話「サンダーバード登場」
 国際救助隊の創設にあたり、ジェフはペネロープをトレイシー島に招き、サンダーバード1~5号や家族を紹介するとともに島の案内を行う。

第2話「雪男の恐怖」
 世界各地でウラン工場の破壊工作が相次いでいた。その頃ヒマラヤでは雪男に襲われる人が増え救難信号をサンダーバード5号もキャッチしていた。そこでジェフはデリーにいたペネロープに調査を頼む。

第3話「大豪邸、襲撃」
 イギリスの大豪邸で宝石が盗まれ爆破される事件が相次いでいた。ジェフはペネロープを心配するも、彼女は出来ることがないと普段どおりの生活をするが、すでに強盗団の盗聴器がクレイトン=ワード邸(ペネロープの屋敷)に据えられていた。

■ ”本編” との関係

 3本とも主役となるのはレディ・ペネロープで、内容も「サンダーバード基地見学ツアー」「雪男の正体探し」「強盗団の捕縛劇」。
 どちらかというと ”番外編” に近い位置づけのエピソードのように思えて、巨大災害に救助メカを駆使して立ち向かうようなスペクタクル性あふれる ”本編” みたいな活躍を期待すると、ちょっと当てが外れるだろう(私も少なからずそう思った)。

 これは本作の出自に起因するものだろう。
 『サンダーバード』には、映像としてのTVシリーズ作品が32話あるのだが、これとは別に音声ドラマが3話あったのだという。
 映像はないがオリジナルの声優が出演しているもので、この映画はこの音声ドラマに映像を付け加える形で制作されたわけだ。

■映像について

 50年以上前の作品を再現するにあたっての苦労話は公式サイトに載っているのでそっちを見てもらうとして(笑)、サンダーバードメカの発進シーンや飛行シーンなどはTVシリーズのバンクをそのまま用いている。
 50年以上も昔にブラウン管(死語)にかじりついて見ていたシーンを、映画館の大画面で見られたのは感激もので、目尻にちょっぴり涙がにじんでしまったのはナイショだ。

 上にも書いたけど、メカのシーンは新撮したものと当時の映像を流用したものが混用されている。
 新撮シーンのほうがメカが若干ふらついて見えて、昔の映像のほうが安定して飛んでいるように見えるのは、思い出補正なのかなぁ・・・

■日本語吹き替え版について。

 オリジナルの声優さんも多くは鬼籍に入り、生存しておられる方もいるけれど、年齢を重ねたことによる声の ”変質” はいかんともしがたい。
 そこで本作では声優陣を一新しているのだが、私みたいなオールドファンからすると、やはり違和感は拭いがたい。

 ジェフはベテランの大塚芳忠さんが演じられているのだけど、やっぱり旧作での小沢重雄さんの重厚さとは色合いがかなり異なる。

 ペネロープは満島ひかりさん。旧作では黒柳徹子さんだったが、ひかりさんはNHKのドラマで若き日の黒柳徹子を演じたことがあったそうで(そういえばかみさんが観てたような気もする)、これが起用の理由かも知れない。
 この方も最初はかなり抵抗があったけど、最後の方ではなんとなく耳に馴染んできた。

 パーカーは井上和彦さん。これはけっこうよかった。最初は井上さんと気づかなかったくらい、老練かつとぼけた味を出してる。

 フッドは立木文彦さん。これも旧作の西田昭市さんとはかなり違うけど、悪役声としてはとてもはまってる。

 この4人はかなり台詞も多いけど、逆に5兄弟やブレインズは台詞が少なくてねぇ。けっこう豪華な声優さんを揃えてるんだけど、ちょっともったいない感じも。

■今後

 できれば、新作が作られるといいなぁと思う。今回のような外伝的なものではなく、ガチなディザスターものが観たいなぁ。
 それには、この映画が大ヒットとまでは行かなくてもそこそこは客が入り、配信でも観てもらえて、「サンダーバードは金になる」って制作陣に思ってもらわなくてはならないわけで・・・なんとかそのラインをクリアして欲しいとは思う。

 日本での人気は、本家イギリスと同等かひょっとして上回るくらいあると思うので、日英合作とかできたら最高なんだけどね。そしたら庵野秀明氏あたりが「シン・サンダーバード」を作りたいなんて言い出すかも知れない。

■最後にもろもろのこと

 観ていて気になったのは、やっぱり60年代当時のイギリスって階級社会だったんだなぁ、ってこと。

 支配階級のペネロープと労働者階級のパーカーの身分差は隔絶している。
 劇中でのペネロープのパーカーに対する扱いは、現代なら立派なパワハラだよ。まあ、描き方がコミカルだから救われるところもあるが。

 彼女がパーカーを何かと頼りにしていて大事に思ってるのは、旧作からのファンならわかっているとは思うが、この映画で初めて『サンダーバード』を観た人は「なんて高慢でいけ好かない女だ」って思うかも知れない。

 現在のイギリスでもこのままだとは思わないけど、こういうものは根が深いから、表面上消えたように見えても、水面下ではけっこう残っているような気もするし。

■おまけシーンについて

 本編の前後や各エピソードの合間には、日本のスタッフが制作した作品紹介映像が入る。製作のメイキングシーンなどだ。
 そのなかで、1話と2話の間に入るのがなんともオールド特撮ファンの琴線をくすぐる。

 『謎の円盤UFO』(1970年)というドラマ作品がある。『サンダーバード』と同じ製作会社がつくったもので、こちらは生身の俳優が出演するものだ。
 この『ーUFO』には、印象的なオープニングシーンがある。電動タイプライターが文字を打ち出しながらナレーションが入るものだ。往年の特撮ファンなら記憶に残っているだろう。

 このオープニングを模した映像で、『サンダーバード』の紹介が行われるのだ。

 『エヴァンゲリオン』から25年も前に、音楽とシンクロしたカット割りをしたオープニングをつくってたわけで、当時のスタッフのセンスが秀逸なのがわかる(YouTubeで見られるので興味がある人は是非)。
 庵野秀明氏がこのオープニングを観ていないはずはないので、たぶんこちらをリスペクトした演出なのだろうと思う。

 ナレーションはなんとオリジナルと同じ矢島正明氏。
 wikiでみてみたら御年89歳。さすがに声はだいぶ変わられていて、聴いた時には矢島さんとわからなかったよ。
 でも年齢の割には滑舌もハッキリしていて、まもなく卒寿とは思えないクリアなお声を聞かせてくれる。

 私には、ここがこの映画でいちばん感動した部分だっりする(おいおい)。

■おまけのおまけ

 『-55』の本編上映後に『ネビュラ・75』なる作品の特別編が上映された。つまり併映作品というわけだ。
 内容は『-55』の製作会社がつくった新作人形劇。

「地球から3300万マイル(約5300万km)離れた宇宙を航行するネビュラ・75に乗るレイ・ネプチューン船長、アステロイド博士、ロボットのサーキットらの宇宙での冒険物語。」(by wiki)

 ただこれはねぇ・・・よく分かりませんでした(笑)。
 あちらでは2シーズン・12話も作られたらしいのでそこそこ人気なのだろうけど、私にはその良さが分かりませんでした。

 日本ではBSの有料放送局スターチャンネルで、今月から日本語版を放送されるらしいのでその宣伝のための ”特別編” なのだろうけど、もうちょっと内容は何とかならなかったのかねぇ・・・。
 責任者に1時間くらいこんこんと説教したくなったよ(笑)。

■最後に

 2012年の「宇宙戦艦ヤマト」のリメイクに始まり、16年には「シン・ゴジラ」、17年には「マジンガーZ / INFINITY」が公開された。
 「ガンダム」は43年前の初登場以来、数年と空けずに新作が作られ続けている。

 そして今年は「シン・ウルトラマン」が公開予定で、来年には「シン・仮面ライダー」が控えてる。

 私が小学校から高校にかけて、ブラウン管(死語)で観ていた懐かしい作品群が、今もなお新しい命を吹き込まれて製作・公開されている。

 いやあホントにいい時代になったものです。長生きはするものだ。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

そして、バトンは渡された [映画]

187116_01.jpg

東大出のサラリーマン・森宮壮介(田中圭)は子連れの女性と結婚したが、
その妻に逃げられ、義理の娘・優子(永野芽郁)と二人暮らし。
彼女は高校の卒業式に向けてピアノを猛特訓中だが、
クラスでは友人がいない。そんなとき、
音大進学を目指す同級生・早瀬健人(岡田健史)と知り合う。
次第に健人に惹かれていく優子だったが・・・

水戸秀平(大森南朋)は妻に先立たれ、
幼い娘の ”みぃたん”(稲垣来泉) を抱えていた。
梨花(石原さとみ)という女性と再婚するが、
彼女はみぃたんを実の娘のように慈しむ。
その秀平が ”自分の夢を叶えるため” にと勝手に会社を辞め、
梨花に対してブラジルへの一家揃っての移住を切り出した。
しかし梨花はその申し出を拒否、みぃたんとともに日本に残ることに。
秀平と離婚した梨花だが、パート暮らしで生活は困窮、
やがて泉ヶ原茂雄(市村正親)という資産家と再婚するのだが・・・

映画はこの2つの家族の物語を交互に描いていくのだが
両者の関係については、観ていれば容易に見当がつくだろう。

優子の義父・壮介は ”不器用だが誠実” を絵に描いたような人物。
会社での出世にも頓着せず、血のつながらない娘との
距離感に戸惑いながらも、懸命に育てていく。

優子もまた、それに応えて優しく思いやりのある娘に育つが
複雑な生いたちゆえか、人間関係の構築がうまくできない。
しかし、卒業式に向けて懸命にピアノ練習に努力する姿を見た
クラスメイトたちは、彼女への態度を少しずつ変えていく。

やがて迎えた卒業式。
ピアノを弾く優子の姿を見て壮介は号泣するのだが
観ている私の周囲のあちこちからもすすり泣きが。
ここはこの映画での、大きな感動ポイントだ。

しかしストーリーはまだ半ば。

高校卒業から(作中では明示されないけど、たぶん)3年くらい後、
調理師として働く優子は健人と再会する。
音大を中退し、もう一つの夢であった料理人を目指しているという。

やがて二人は結婚を決意するが、壮介はそれを許さない。
「無職のプー太郎に娘はやれない」まあ当たり前の反応だ。

実際、健人はピアノの才能は天才的だが生活能力はかなり低そう(笑)。
健人の母も猛反対。息子の生きる道はピアノしかないと信じてるからね。

困った二人は、ある行動に出るのだが・・・

この作品の特徴は、悪人が一人も登場しないこと。
出てくるのはみな善人ばかり。

終盤では、2つの家族を巡って、親たちがついていた《嘘》、
そして隠されていた《秘密》が明らかになっていくのだが
それらはすべて、娘に向ける愛情ゆえのもの。

親が変わり、名字も変わる。血のつながらない家族。
描きようによってはいくらでも悲惨な状況になり得る話が
本作では感動の物語に昇華する。

「そんな善人ばっかり登場するなんて、絵空事の話だ」
そう思う人もいるだろう。
実際、現実世界では不幸な結末を迎えるケースもままあるだろう。

でも、フィクションの中だけでも
「人の善意が信じられる世界」があってもいいじゃないか。

”物語” というものは、人を絶望させるために存在するのではない。
明日を生きる希望を与えてくれるものじゃないのか?


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

007 / NO TIME TO DIE [映画]

ダニエル・クレイグ版007シリーズ、5作目にして最終作。

no_time_to_die_ver17_xlg.jpg

wikiからあらすじを引用しつつ、思うところを書いてみよう。

スペクターとの戦いのその後。
現役を退いたボンドと恋人マドレーヌ・スワンは
イタリア・マテーラにて幸せに静かな生活を送っていた。

ボンドは、かつて愛したヴェスパー・リンドへの思いを断ち切るために
彼女の墓を訪れるが、そこでスペクターの紋章が描かれた紙を発見、
直後に墓が爆発する。さらにスペクターの傭兵たちが現れる。
襲撃からは辛くも逃れることができたが、
ボンドはスワンが裏切ったと思い、彼女と訣別してしまう。

5年後。ボンドはジャマイカで穏やかな日々を過ごしていた。
そんなある日、彼のもとに旧友でもあるCIAエージェントの
フィリックス・ライターがやって来て、
誘拐されたロシアの細菌学者ヴァルド・オブルチェフを
救い出してほしいと依頼する。

オブルチェフはMI6の秘密研究所で細菌兵器を開発していた。
そこが何者かの急襲を受け、細菌兵器のサンプルとともに
彼も拉致されてしまっていたのだ。

CIAの求めに応じて現役復帰したボンドは、
危険な生物兵器を操る正体不明の敵との
想像を超える過酷な闘いに身を投じていく。

事件の背後にいたのはリューツィファー・サフィン。
かつてスペクターに両親を殺されたことから
組織への復讐をもくろみ、さらには入手した細菌兵器を用いて
世界を混乱に陥れようと画策している。

物語が進むにつれて、スワンとサフィンの間に
意外なつながりがあることが明らかになっていくのだが・・・

最初、上映時間が163分(2時間43分)もあると聞いて
ギョッとしたのだが、観てみるとさほど冗長さは感じなかった。

 最近、長い映画を観るときに心配になるのが
 年齢が上がってきたせいかトイレが近くなったこと。
 2時間以内の映画ならほとんど心配ないのだけど、今回は2時間43分。
 今までの人生でも何回もないくらいの長丁場なので、
 見に行く日は朝から水分を控えて臨んだよ。
 秋でよかった。
 夏だったら脱水症になってたかも(おいおい)。

映画の話に戻ると、もちろんアクションシーンは
ふんだんに盛り込まれていて
観客を飽きさせないサービスはもちろんなのだが
なによりダニエル・クレイグが演じるジェームズ・ボンドがカッコいい。
彼の活躍を眺めているだけで、自然と時間が過ぎていくようだ。

私より少し上の年代の方々(いわゆる団塊の世代)に言わせると
「007はなんといってもショーン・コネリー」なのだろうが
私はそれより少し遅れてシリーズに入ってきたので
もっぱらロジャー・ムーアのイメージが強い。

イケメンでおしゃれでセクシーで、激しいアクションの中にも
ユーモアがあり、最後はラブシーンで終わる。
私にとって「007」とはそんな作品群だった。

だからティモシー・ダルトンはイメージが違っていて好きになれなかった。
ピアーズ・ブロスナンになってちょっと持ち直したけど。

だからダニエル・クレイグも最初は戸惑ったよ。
なんだか地味だなあって。

だけど、作品を重ねるごとにだんだん好きになってきて、
そうなると不思議なもので、カッコよく見えてくる。
私もトシを重ねて、”見る目” ができてきたのだろう、
って自分で自分を褒めてる(笑)。

ダニエル・クレイグ版007の特徴に、ストーリーの連続性がある。
もちろん、前作を観ていないと楽しめないほど
深いつながりがあるわけではないが、観ておけばより楽しめる。
そういう意味では、この5作はひとつながりの大きな物語とも言える。
(初めから意図していたのか、結果的にこうなったのかは不明だが)
そして、本作はこの ”5部作” の締めくくりになっているのだろう。

本作のラストはいろいろ物議を醸すかも知れない。
ひとによってはがっかりしたり、怒り出す人もいるかな。
でも、上に書いたようにクレイグ版ボンドの完結編、って考えれば
それなりの納得のいく結末じゃないかと思う。

ジェームズ・ボンドはいままでいろんな俳優が演じてきたが
みな、パラレルワールドなのだろうと思ってる。

ショーン・コネリーの007が活躍する世界があって
ロジャー・ムーアのボンドが生きている世界があって。
主役俳優が交代すると、ボンドに関する設定がリセットされるのも
パラレルワールドだからこそ、なのだろう。

ダニエル・クレイグのボンドはこれで終結する。
ラストにおいて、ボンドにはいろんなことが降りかかるけれども
次作で主演俳優が交代すれば、またすべてリセットされて
新しいボンドの物語が始まるのだろう。

ちなみに、観たのは日本語吹き替え版。
ホントに皆さん達者で、観ていて安心感がある。

ダニエル・クレイグは藤真秀さん。
この人のボンドは当たり役になったね。ホントぴったりだ。

マドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)は園崎未恵さん。
この人は「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」で知ったのだけど、
本作でもすばらしく魅力的な女性を演じてる。
ついでにいうと、レア・セドゥという女優さんの顔は私の好みだ(笑)。

サフィン(ラミ・マレック)を演じたのは中井和哉さん。
この人もベテランだ。クールな中に凄みを秘めた悪役を好演してる。

ボンドの引退後、MI6で新たに「007」を割り当てられた
女スパイ・ノーミ(ラシャーナ・リンチ)。
声の担当は斎賀みつきさん。凜々しい女性を演じさせたら絶品だね。

巨大組織「スペクター」首領で、現在は刑務所に収監中の
ブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)の声を演じるのは山路和弘さん。
この人は実写の吹き替えもアニメのCVもこなすし、
顔出しで大河ドラマにまで出るし、ホント大活躍の人。

CIAエージェントの吹き替えには浪川大輔さんと水樹奈々さんとか
ここでは全部は挙げられないけど、みな達者な人ばかり。
名前は思い浮かばなくても、声に聞き覚えがある人ばかりで
さすがは007、サブキャラにも豪華な布陣だ。

監督さんは日系の人みたいで、作中にも
能面とか日本庭園とかが登場してるし、
最終決戦の舞台となる地も日本(と言いたいが、ちょい微妙な場所)だし。

ネットの噂では、次のボンド役は2022年頃から探し始めるとのこと。
ならば作品として登場するのは早くても2024~25年頃かな。
まだまだ、007の新作が楽しめるというのは嬉しいことだ。

私が生きているうちに、あと何本のボンド映画に出会えるかなぁ。
そんなことを考えたりするトシになっちまったよ(おいおい)。


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

レミニセンス [映画]

原題は「Reminiscence」。回想、追憶、思い出、とかを意味する。
内容としては、タイトル通り ”記憶” がテーマ。
Reminiscence.jpg
以下、「映画.com」の記事から引用したあらすじを適当に編集しながら
内容紹介、そして感想もどきを書いていってみよう。

時代は近未来。そこでは多くの都市が水没している。

 温暖化による海面上昇と思われるが
 これによって、水浸しの下町に住む貧しい人々と
 堤防で囲まれた高地に住む一握りの富裕大地主という
 階層の分断が起こっていて、これが本作のバックボーンになっている。

主人公ニック(ヒュー・ジャックマン)と
その相棒ワッツ(タンディ・ニュートン)は、元軍人という過去を持つ。
現在は人の記憶に潜入し、それを時空間映像として再現する
「記憶潜入(レミニセンス)エージェント」を生業としている。

二人のもとへ、メイ(レベッカ・ファーガソン)という女性がやってくる。
「忘れ物を見つけてほしい」
ニックは彼女の記憶に潜入していく。

彼女はナイトクラブの歌手のようだ。
ピンスポットが落ちるステージに立ち、ささやくように歌い始めた。
ニックは驚く。それは彼の祖父がよく歌っていた曲だったからだ。

この件をきっかけにニックとメイは恋人となるが
ある日突然、メイは姿を消してしまう。

傷心のニックに、検察からある仕事が舞い込む。
瀕死の状態で発見された新興勢力のギャング組織の男の記憶に潜入し、
組織の正体と目的をつかむというものだった。

男から引き出した記憶の中にメイの姿を発見するニック。
彼女は5年前、ギャング組織のボスであるセント・ジョーのもとへ
身を寄せていた。それがどういう経緯でニックのもとへやってきて、
そしてなぜ去っていったか。

彼女の手がかりを求めて奔走するニックは、
やがて、想像だにしない “大きな陰謀” に巻き込まれていく・・・

本作のメインアイデアである ”記憶潜入(レミニセンス)” とは、
カプセル状の水槽に人体を浮かべ、その人から引き出した記憶を
円形のステージ上に ”3D映像” として再現する技術を指す。

その映像が、周囲の人間からはあたかも目の前で現在進行中の
”現実” のように見える。

この技術は犯罪捜査でも活用され、
証言ではなく記憶から事件解決に至るケースも多い。
だからニックたちのもとへ検察から依頼が来るわけだ。

ただし、当然ながら制限もある。
(1)潜入(再現)できる記憶は、対象者が五感で体感した世界すべて。
 当たり前だが、本人が見ても聞いてもいないことは再現できない。
(2)同じ記憶に何度も入ると、対象者は記憶に呑み込まれ、
 現実に戻れなくなる。
(3)記憶に “事実と異なるもの” を植え付けると、
 対象者は脳に異常をきたす。

この映画には様々な要素が入っている。

ニックが消えてしまったメイを捜して奔走するハードボイルドであり、
彼女の背後に潜む陰謀に巻き込まれていくサスペンスでもある。
ニックと相棒ワッツは退役軍人であり、しかもワッツは銃撃の達人。
二人がギャングたちと激しく戦うアクション&銃撃シーンもあり、
終盤になると、あちこちに張られていた伏線が一気に回収されて
メイにまつわる謎が解かれていくミステリとなる。

その中で、終盤近くにとても感動的なシーンが訪れる。
物語的にはここがクライマックスになると思うのだけど
この場面は ”記憶潜入” というアイデアゆえに成立する。

 制作陣がいちばん描きたかったのがこのシーンなのだろう、
 って勝手に思ってる。

本作は紛れもなくSFだ。
SFでなければ描けないシーンを描いているのだから。
それに加えて、上にも書いたようにミステリやサスペンスなど
様々な要素を含む物語でもある。

そうなのだけど、この物語の中心にあるのは
「”運命の女性” と巡り会ってしまった男」を描くラブ・ストーリーだ。

だけど、二人の愛の行く末を描くラストは哀しいなあ。
小説だったら、けっこう沁みると思うんだけど
映像で描かれてしまうと、ちょっと胸が痛む。

最後に余計なことを書く。

映画を見終わったとき、なんとなく梶尾真治の短篇SF
「美亜へ贈る真珠」を思いだしてしまった。
アイデアもストーリーも全く異なるのだけど、
どちらも ”運命の女性” を描いているせいかもしれない。


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

クーリエ:最高機密の運び屋 [映画]

187686_01.jpg

実話に基づく映画化だという。

以下、「映画.com」に載っている《あらすじ》を引用するが、
一部編集してあることをお断りしておく。

表向きは平凡なセールスマン。
しかし裏の顔は、英国の密命を受けたスパイ――
ただし、特別な訓練を受けたわけではない “素人” だった。

1962年10月、東西冷戦下。
アメリカとソ連の核武装競争による対立は頂点に達し、
世界中が「核戦争が起きる」恐怖に怯えていた。

 世界中のあちこちに「核シェルター」が作られたのも、
 この頃のことらしい。

そんな折、米CIAと英MI6は、1人の英国人に目をつける。
名はグレヴィル・ウィン、東欧諸国に工業製品を卸すセールスマンだ。
彼が依頼されたのは、販路拡大と称してモスクワへ渡り、
ソ連の機密情報を持ち帰ってくる “スパイ任務” だった。

用意された計画は完璧だった。
ただ “ウィンにスパイの経験など一切ない” という一点を除いて。

当然ウィンは「危険すぎる」と拒否。
それでもCIAとMI6は「君ならできる」と謎の自信を押し付け、
彼をほぼ強制的にモスクワへ向かわせた。

 この手の物語の常だが、「君ならできる」「君にしかできない」
 「家族を核兵器から守るためだ」・・・
 スパイの元締めたちはウィンに対してあの手この手の説得をしてくる。

モスクワに到着したウィンは、商談を続ける中で
GRU(ソ連軍参謀本部情報総局)の高官ペンコフスキーと接触する。
彼はソ連の指導者フルシチョフの性格を危険視しており、
あえて国に背いて、核兵器に関する機密情報を
ウィンを通じて西側へと流し続ける。

やがて、彼の情報によってソ連がキューバへ核ミサイルを
持ち込んだことが明らかになり、米ソの対立は決定的となる。
いわゆる “キューバ危機” の勃発である。

同じ頃、モスクワ内部でも、西側に情報を漏洩しているスパイが
いるのではないかと疑う者が現れていた・・・

核戦争一歩手前までいったと言われている
”キューバ危機” の陰で行われていたスパイたちの戦いを描く。

なにしろ ”素人” が始めるスパイのまねごとだから、
その緊張感はハンパなく、ハラハラさせられる。
しかも、その内容もストーリーが進むにつれて
どんどん複雑になっていくので、
いつまで経ってもウィン君の気苦労は絶えない。

そんなスパイ・スリラーとしての魅力と並行して、
見る者を引き込むのは主役となる二人の友情だ。

はじめはいやいやながらスパイ活動を始めることになったウィンだが、
ペンコフスキーの人となりや胸に秘めた平和への思いを知るうちに
いつしか二人は強い絆で結ばれていく。

CIAは、いざとなったらペンコフスキーを亡命させる予定だったが
”キューバ危機” によって彼は行動の自由を制限されてしまう。
スパイであることが露見したら、彼の命はない。
ウィンは彼を救出することを強く主張し、CIAも同意するが
ペンコフスキーに連絡する手段がない。
そこでウィンは、初めて自分の意思でモスクワへ赴くことを決める。
かけがえのない ”友” を救うために・・・

ウィン役はベネディクト・カンバーバッチ。
大袈裟に言えば世界の命運を背負っているのだが
それは最愛の家族にも言えない。しょっちゅうモスクワに行くので
妻からは浮気しているのではないかと疑われる始末。
そんな映画前半部のウィンをユーモアとペーソスをもって演じている。

もう名優としての評価は定まっていると思うのだけど
それでも、共産主義国家・ソ連の闇が描かれる
終盤での彼の演技は鬼気迫るものがある。
どうスゴいのかは未見の方のために書かないが、一見の価値はある。


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

浜の朝日の嘘つきどもと [映画]

asahi.jfif

映画の公式サイトから<Story>を引用すると・・・

福島県・南相馬に実在する映画館「朝日座」。
100年近い歴史を持ち、主に旧作映画を上映する名画座として
地元住民に愛されていたが、近年はシネコンと呼ばれる
複数のスクリーンを持つ複合映画館の台頭によって厳しい経営状況だ。

支配人の森田保造(柳家喬太郎)はサイレント映画『東への道』を
スクリーンに流しながら、意を決する。
35mmフィルムを一斗缶に放り込んで火を着けた瞬間、
森田の背後から水をかけて邪魔をする女性(高畑充希)が現れた。
経営が傾いた「朝日座」を立て直すために
東京からやってきたという彼女は、
自分の名前を「茂木莉子(もぎ・りこ)」と名乗る。

しかし、「朝日座」はすでに閉館が決まっており、
森田も「打つ手がない」と決意を変えるつもりはない。
「ここが潰れたら本当に困る!」と主張する莉子は、
この町に住んでなんとかするという。
それは、「ある人との約束」が理由だった。

莉子が高校一年の時、東日本大震災が起きた。
タクシー会社で働いていた父(光石研)は
除染作業員の送迎を担当したが、やがて莫大な利益をあげたと
噂をされるようになり、莉子は友達が一人もいなくなってしまう。

そんな高校二年の折、立ち入り禁止の屋上にいるところを
数学教師の田中茉莉子(大久保佳代子)に見つかり、
視聴覚準備室へ連れていかれる。茉莉子先生と一緒に
映画『青空娘』のDVDを鑑賞した莉子は、映画の魅力を知るのだった。

その後、家族で東京に移住するが、
高三の一学期でドロップアウトしてしまう莉子。
家に居場所がない莉子は、郡山にある茉莉子先生の家を訪ねて
二人の同居生活が始まる。
茉莉子先生との楽しい毎日は長くは続かなかったが、
莉子が実家に戻るまで、二人の時間にはいつも映画があった。

2019年、映画の配給会社に勤めていた莉子のもとに、
茉莉子先生が病に倒れたという連絡が届く。
8年ぶりに茉莉子先生と再会すると、
「お願いがある」と言われるのだった。
「南相馬にある朝日座という映画館を立て直してほしい」と。

先生との約束を果たすために映画館を守ろうと奔走する莉子と、
積年の思いを断ち切り閉館を決めた支配人・森田。
果たして「朝日座」の運命やいかに……

さて、それではこの映画を観て思ったことを
順不同につらつらと書いてみることにしよう。
あまりまとまっていないのだが、
いつものことなのでそのへんはご勘弁のほどを(おいおい)。

全体的に、派手なシーンはないし劇的な展開が待っているわけでもない。
震災の悲惨さや住民たちの苦闘をことさらに描く部分もない。

主に日常生活の場面が延々と続くのだが、目立つのは会話のシーン。
莉子と茉莉子、莉子と森田、二人だけで会話するシーンが
けっこう尺を占めるんだが、見ていて退屈することはないし、
ストーリーへの興味もなくなることなく持続する。
演じている役者さんもいいのだろうけど、
それ以上に脚本が上手いのだろうと思う。
ちなみに脚本を書いたのは監督本人だ。


映画本編は、莉子が「朝日座」存続のために奔走する ”現代編” と
莉子と茉莉子先生の交流を描く ”過去編” が交互に描かれていく。

東日本大震災と原発事故によって大打撃を受け、
さらにコロナ禍でとどめを刺された「朝日座」。

 この映画館に限らず、過疎化とコロナ禍で経営が成り立たなくなった
 店舗や施設は枚挙に暇が無いだろう。

莉子の父は、皆が尻込みする放射線絡みの仕事に対し、
「誰かがやらなければならないこと」との使命感を持ってあたるが、
それが結果的に周囲から白い目で見られることになる。

莉子の母は夫のことが理解できず、子どもたちを連れて東京へ転居するが
体の弱い莉子の弟を溺愛して、莉子のことを顧みない。

 これもまた、震災と原発事故がもたらした悲劇だが
 この一家に限らず、3.11以後に家族のあり方が変わってしまった
 という人も数多いのではないか。

高畑充希が演じる主役の莉子は、高校1年の時に震災で家庭が崩壊し、
高2の頃は自殺しそうなくらい追い詰められていて暗い表情なのだが
10年後、「朝日座」に現れた莉子は毒舌交じりの威勢のいい台詞を吐く
元気いっぱいのお嬢さんへと成長している。
この二つの役をきっちり演じ分ける彼女はやっぱり上手いと思う。

 間もなく三十路に入ろうという人なんだが
 17歳の役がさほど不自然に見えないのは
 本人の童顔に加え、メイクや衣装の助けもあるのだろうが
 立ち居振る舞いなどのところで、
 高校生の雰囲気をうまく出しているんだろう。

高校生の莉子を救ったのが、数学教師の茉莉子。
”人生の師” となる茉莉子との出会いによって、
変わっていく莉子の様子も描かれていく。

いささか風変わりだが、仕事はきっちりやり、生徒からの人望もある。
しかし男に対しては惚れっぽく、またすぐにフラれてしまって
男運に恵まれないという残念な教師を大久保佳代子が好演している。

 というか、彼女以外にはこの役はできないんじゃないかってくらい
 ハマってる。あんまり上手いんでwikiを見てみたら、
 劇団に所属してたこともあって、舞台出演の経験も豊富なようで
 女優としての基盤はしっかり持っている人だったんだね。
 「数学教師」というのは意外だったが、作中ではしっかり
 莉子に三角関数の加法定理を教えてるシーンがある。

終盤近くのあるシーンでは目から汗が・・・
いやはや、失礼な言い方になるが
大久保佳代子さんに泣かされるとは思わなかったよ。

「朝日座」支配人の森田を演じる柳家喬太郎。
本職は落語家ということなのだが、こちらも
閑古鳥の鳴く映画館を泣く泣く閉めることになる哀愁を
違和感なく見せてくれる。

この映画の特徴として、悪人が登場しないことがある。

「朝日座」を取り壊して、跡地にスーパー銭湯を建てる、
という計画を進める男が出てくる。
普通の映画なら悪役になるところだが、
実は彼なりに地域の振興のために熟慮した結果だったりする。

莉子からみれば「家庭を顧みなかった」父親だったが、
10年後の今はタクシー会社の社長にまで上り詰めている。
上にも書いたが、彼にも彼なりの使命感があって
仕事に邁進していたわけで、家族に対しての言い分だってある。

映画の中の莉子は「家族なんて幻想」と言う。
父にも母にも裏切られた(と感じている)莉子だったが、
映画のラストにいたると、彼女の家庭も(ほんのちょっぴりだが)
これから変わっていくかも知れない、という
ささやかな可能性の芽も描かれる。

恩師の意を受けた莉子が、「朝日座」を救うために走り回る映画なのだが
その行動が回り回って、最後には莉子自身をも救うことに。

「朝日座」を存続させることが果たして地域にとって ”正解” なのか、
観ている私も「こりゃ難しいなぁ」・・・って思ったが、
紆余曲折の末に納得のエンディングを迎える。
”映画” としては、これが正解だろう。

東日本大震災以後衣、被害の悲惨さや原発行政の不備とかを扱う
ニュースや映像作品は夥しく出現しただろうけど、
震災から10年を経て生まれたこの作品は、
それまでと異なり、東北に生きる人々の
”希望” を語る映画になっていた。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

スーパー戦闘 純烈ジャー [映画]

junretsuger2.jpg

公式サイトからあらすじを引用すると・・・

スーパー銭湯のアイドルとして歌い続け、2020年には
紅白歌合戦3年連続出場を果たしたムード歌謡グループ純烈。
歌謡界のスターダムである彼らだが、世を忍ぶ仮の姿を持っていた。
皆の憩いの場となる温泉施設の平和を守るヒーロー “純烈ジャー”
としても人知れず温泉の平和を乱す悪と戦っていたのだ――。

ある時、全国の温泉でイケメンが行方不明になるという怪事件が多発し、
巷で話題となっている。 
しかし、事件性は見られず警察の捜査は見送られてしまった。
温泉の危機を感じ取った純烈のメ ンバーは
独自に捜査を開始するのだが・・・。

以前、五木ひろしの歌謡ショーに行ったことを書いたけど
あれは三部構成で、第一部と第三部が歌中心のショー、
間の第二部は、分かりやすくてゲラゲラ笑え、最後は泣けるという
王道エンタメの演劇パートだった。

 五木ひろし以外は知らないのだけど、演歌歌手の歌謡ショーで、
 歌と軽演劇の二本立てはよくあるパターンだろうと思う。

この「純烈ジャー」、という作品、”映画” という形ではあるけど、
純烈というムード演歌歌手の「歌謡ショー・演劇の部」と
考えた方が、本質に近いように思う。
だから、もちろん本作のメイン・ターゲットは、スーパー銭湯まで
彼らを観に来ているおばさま・おじさまたちである。

ストーリー展開は、東映特撮もののフォーマットに則っていて
とても分かりやすい(笑)。これは悪口でなく褒めてる。
たぶん、純烈のファンの方々は、
普段は戦隊ものやライダーは観てないだろうから。
だからわかりやすさは大事。

なぜか途中でミュージカル風なシーンになったり
突然、ステージ上で純烈が歌うシーンに変転したり
脈絡のない展開が始まったりするんだが、それも
「歌謡演劇ショー」って考えれば納得だ。

そして基本はコメディなんだから、あまり深く考えずに
純烈のメンバーがスクリーンの中で頑張るところを楽しめばOK。
逆に「考えてしまったら負け」だろう(おいおい)。

 ただ、上記のようにベースは「歌謡ショー」なのだから、
 ”普通の映画” を期待して観に来た人は
 開始早々10分くらいで呆気にとられるかも知れない。
 私もその一人だったが(笑)。

まあ、純烈ファンの人なら満足できる ”映画” になってるだろう。

 実際、映画が終わって外へ出るとき、私の前を歩いていた
 おばさま二人組が「面白かったわね~」って話してたから。

あと、思いつくままにちょっと書いていくと

悪の女王フローデワルサ様を演じるのは ”ラスボス” 小林幸子様。
ラストで巨大化して、純烈ジャー相手に大暴れするのもお約束通り。
まるで紅白歌合戦のステージを見ているみたいだ(おいおい)。
見ていて勝てる気がしないのは流石の迫力。

 私くらいの年代だと、曽我町子さん演じるところの
 へドリアン女王様を思いだしてしまうんだよねぇ・・・。

純烈たちが、”温泉の女神” と契りを交わすことで
純烈ジャーに変身できる、って設定なんだが
その女神の皆さんが熟年の女優さんばっかり、ていうのは
やっぱりファン層を考慮しているんだろうなあ(笑)。

その中で、謎の占い師・アリサを演じているのが出口亜梨沙さん。
メインキャラの中で唯一の20代女優(28歳)なのは貴重だ(笑)。
なかなか可愛い人だと思う。グラビアアイドル出身なんだけど
wikiを見ると、サブカル系の舞台なんかにも出てるみたいだ。

そして、スーパー銭湯の清掃員として登場するのが小林綾子さん。
「おしん」でデビューしたあの子も、49歳になったんですねぇ・・・・
映画の冒頭から出番がやたらと多いなあと思ってたら、
後半のストーリーのキーマン(キーウーマン?)でした。

小田井涼平が演じる ”純ブルー” の、変身後の武器アイテムが銃なのは
彼が出てた「龍騎」での仮面ライダーゾルダをなぞってるのか?

戦隊ものといえば、主人公たちが搭乗する巨大メカが
欠かせないんだけど、これもしっかり登場する。
未見の人のために書かないけど、見たら
感心すると同時に笑ってしまうだろう(おいおい)。

そして、なんといっても最終決戦開始直後に流れる
主題歌「NEW(入浴)YORK」が素晴らしい。
タイトルこそふざけてるが(笑)、聞いてみるとそのガチさに驚く。
初期の平成ライダーっぽい曲調で始まり、
サビに向けては昭和の熱血ヒーローみたいな歌詞が胸を熱くする。
(このあたり、純烈ファンなら世代的に直撃だろう)
そうして、締めはしっかり戦隊ものの主題歌として着地する。
YouTubeに上がってるMVもカッコよくて、一見の価値ありだ。

ムード歌謡もいいけれど、たまには
こういうヒーローソングもいいんじゃないかな。そのうち、
ホントにライダーや戦隊の主題歌を歌う日が来たりして。

さて、「歌謡ショー」相手に野暮は承知で
ちょっとだけ文句を言わせてもらうと、
セットとかコスチュームなどががいささかチープな感じが否めない。
言い方を変えれば、昭和の頃のライダーや戦隊ものなどの
特撮TVドラマの雰囲気に近い、ともとれる。
まぁこれは予算の都合・・・なんだろうなぁ。

無い袖は振れない中でも、最終決戦のシーンは充分に盛り上がるので
肝心なところにはしっかりお金をかけてる、のだろう。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

鳩の撃退法 [映画]

CinemasPlus_046635_8f23_1.jpeg
まずは、公式サイトからあらすじを引用しながら、
思ったことをつらつらと。

■映画の《あらすじ》

かつては直木賞も受賞した天才作家・津田伸一(藤原竜也)は、
とあるバーで担当編集者の鳥飼なほみ(土屋太鳳)に
書き途中の新作を読ませていた。

 物語の背景として、津田は以前、小説に書いた内容について
 訴訟を起こされ、それが原因で一時失踪していた。
 そして久々に高円寺のバーのバーテンとして鳥飼の前に現れ、
 彼女に新作小説の原稿を見せてる、という流れ。

※〈あらすじ〉
 ここからが津田の書いた小説のあらすじで、
 映画はこの小説の中の世界に入っていく。

一年前、閏年の二月二十九日。雪の降る夜。
かつては直木賞も受賞したが今は富山の小さな街で
ドライバーとして働いている津田伸一は
行きつけのコーヒーショップで偶然、幸地秀吉(風間俊介)と出会い、
「今度会ったらピーターパンの本を貸そう」と約束をして別れる。
しかし、その夜を境に幸地秀吉は
愛する家族(妊娠中の妻と4歳の娘)と共に突然、姿を消してしまう。

それから一か月後、津田の元に三千万円を超える大金が転がりこむ。
ところが喜びも束の間、思いもよらない事実が判明した。
「あんたが使ったのは偽の一万円札だったんだよ」
ニセ札の動向には、家族三人が失踪した事件をはじめ、
この街で起きる騒ぎに必ず関わっている
裏社会のドン・倉田健次郎(豊川悦司)も目を光らせているという。
倉田はすでにニセ札の行方と共に、津田の居場所を捜し始めていた……。

神隠しにあったとされる幸地秀吉一家、
津田の元に舞い込んだ大量のニセ札、囲いを出た鳩の行方、
津田の命を狙う裏社会のドン、
そして多くの人の運命を狂わせたあの雪の一夜の邂逅……。

※津田の書いた小説の〈あらすじ〉はここまで。
 これ以後は、”現実世界の話” になる。

富山の小さな街で経験した出来事を元に書かれた津田の新作に
心を躍らせる鳥飼だったが、読めば読むほど、
どうにも小説の中だけの話とは思えない。
過去の暗い記憶がよぎる鳥飼。
小説と現実、そして過去と現在が交差しながら進む物語。
彼の話は嘘? 本当?

鳥飼は津田の話を頼りに、コーヒーショップ店員・沼本(西野七瀬)の
協力も得て、小説が本当にフィクションなのか【検証】を始めるが、
そこには【驚愕の真実】が待ち受けていた―。

■映画の《あらすじ》はここまで。

まず、私はこの映画についてほとんど情報を仕入れずに観にいった。
原作も読んでないし、上に書いた公式サイトのあらすじも読まずに。

そういう状態で観たこの映画、はっきり言ってよく分からなかった。

冒頭から断片的にいろんな情報が画面に現れてくるのだけど
それがどうつながるのかがさっぱり見えてこない。
(まあ、私のアタマが悪いのもあるのだろうけど)

観客がみな原作を読んだ人ばかりじゃないんだよ!・・・って
心の中で呟きながら見てた。
そんな私を置いてきぼりにして、どんどん映画は進行していく。

強いて分類すれば What done it ? (何が起こっていたのか?)
を巡るミステリ、とも言えるだろう。

小さなピースばかりかと思うと、津田が幸地と出会って
会話を交わすシーンはやたらと長い。
最後まで見終わってみればそれなりに意味があったと分かるのだが
初見では、無駄に長いシーンに思えてしまう。

 そんなこんなで、最初の30分くらいは映画になかなか入り込めなくて
 ちょっと辛かったことを告白しておこう。

 これからこの映画を見に行こうという方で、
 もし原作が未読なら、公式サイトのあらすじだけは
 目を通しておくことをオススメする。

もちろん、最後まで見ていけば、ピースがそれぞれハマって
全体像が明らかになっていく。

特に、津田が手にした偽札、特にその中の3枚(3万円分)が
登場人物たちの間を移動していく様子が明かされていくところは
なるほど、と思う。ミステリとしては、
たぶんこの部分がいちばんメインになるのだろうけど
如何せん、その他の部分がねぇ・・・

映画全体に、売春、不倫、暴力などネガティブなシーンがあふれてして
意外かも知れないが、私はその手のものが苦手なんですよ(笑)。

そして、主人公・津田がまた感情移入のしにくいキャラなんだよねぇ。
颯爽としたヒーローとはおよそ真逆で
どちらかというとダメ人間の部類。
コミカルな部分もあるのだけど、映画全体に広がる
陰鬱な雰囲気を払拭できるほどのパワーはない。
というか、鳥飼相手にはぐらかしたり、とぼけたりするばかりで
観客にとって、映画の内容を理解する助けにならない(笑)。

 冬の北陸、という季節&ロケーションも影響しているのだろうか。

ラストにいたって、事態はいちおうの収束を見せるのだけど
よく考えたら疑問なところもちらほら。
偽札の移動など、かなりの偶然の連続のような気もするんだが
それは言ってはいけないのだろう(笑)。
(まあ、この部分も津田の創作なのか現実なのかは曖昧なんだが)

頭からもういっぺん見直せば、よーく理解できて
評価も変わるのかも知れないが、残念ながら
もう一回観ようという気にならないんだよねぇ・・・
原作ファン、あるいはこの映画のファンの皆さんには申し訳ないが。


nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:映画