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聖闘士星矢 The Beginning : Knights of the Zodiac [映画]



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 『聖闘士星矢』の原作マンガを読み出したのは連載開始からかなり経ってから。ポセイドン編あたりからだと記憶してる。それも書店での立ち読みだった(おいおい)。単行本を買ったこともない。
 TVアニメもほとんど観てない。映画版は何本か観た。実家の近くにレンタルビデオ店があったので借りた。VHSテープの時代だったなぁ。
 要するに、私は『聖闘士星矢』の熱心なファンではなかったということだ。そんな私がこの映画を観て思ったことをつらつら書いてみる。


 まずはあらすじから。


 星矢(新田真剣佑)は幼い頃、姉を何者かに連れ去られ、今ではスラム街の地下格闘場で戦う日々を過ごしていた。

 ある日、戦いの中で不思議なパワーを発した星矢は謎の集団に狙われるようになる。その襲撃のさなか、星矢の前に現れた男アルマン・キド(ショーン・ビーン:磯部勉)は、星矢のパワーが自身の中に秘められた「小宇宙(コスモ)」と呼ばれるものであること、そして女神アテナの生まれ変わりである女性シエナ(マディソン・アイズマン:潘めぐみ)を守ることが運命だと告げる。

 聖矢を襲い、シエナを狙う組織のリーダーはヴァンダー・グラード(ファムケ・ヤンセン:井上喜久子)。彼女はアテナの覚醒は世界に破滅をもたらすと信じていた。

 聖矢は白銀聖闘士[シルバーセイント]のマリン(ケイトリン・ハトソン:瀬戸麻沙美)のもとで修行し、「小宇宙(コスモ)」の制御を学ぶが、シエナの居所を突き止めたグラードが襲来してくる・・・


 結論から言うと、原作の『聖闘士星矢』とは ”別もの” と思って観た方がいい。マンガやアニメの ”再現” を期待すると当てが外れるだろう。

 主役の聖矢からして ”少年” ではないし、アテナも ”少女” ではない。聖衣(クロス)のデザインにも変更が加わってるし、ストーリーも(大筋はともかく)細かいところはかなり違う。

 原作者自身も、聖衣のデザイン変更をはじめ製作にけっこう関わってるみたいだし、製作資金は全額、東映アニメーションが出資してるとか。
 そういう意味では、日本側もかなり「一本の ”映画” として成立させるための努力」を注ぎ込んでいるのだろう。この場合の ”映画” とは、”海外でも日本でも通用する映画” という意味だ。
 製作者の姿勢としては理解できるけど、ファンがそれを受け入れるかは、また別問題だ。

 冒頭にも書いたように、私自身は熱心なファンではないので「こういうのもアリかな」とは思ったし、それなりに楽しんで観たけれど、ガマンできない人や怒り出す人もいるんだろうなとは思う。

 実際、上映の途中で席を立って出ていく人もちらほら。みたところ、私と同年配くらいか。原作マンガの連載をリアルタイムで追いかけていた世代の方たちとお見受けする。単にお手洗いが近かっただけかも知れんが(おいおい)。


 あと、思いついたことをいくつか。


 主演の新田真剣佑さんは健闘してると思う。アクションの切れもいいし、体格もいいので、欧米人に混じっても見劣りしない。日本人でこういう俳優さんが出てきたことは素直に嬉しく思う。
 映画の前半は実写の肉弾戦が多かったと思うのだけど、後半にいくに従ってCGが増えていく。これは善し悪しかな。
 画面に派手さは出てくるけど、同時に ”つくりもの感” も増していく。聖闘士はあくまで ”肉体で戦う” ものだというイメージがあるので、CGを否定するわけじゃないが、使いどころはもう少し考えたほうがいいような気もしてる。


 私が観たのは吹替版で、真剣佑さんは自分の声を自分で演じてるんだが、声優としてはとても達者で問題ない。アニメ映画『二ノ国』でも上手だったので心配してなかったけどね。

 ネロ(鳳凰星座の一輝に相当するキャラ)役は浪川大輔さんが演じるなど、脇を固める声優さんもベテランを揃えて豪華。
 シエナ/アテナ役は潘めぐみさん。TVアニメではお母さんの潘恵子さんが演じていた役。話題づくりの一環かとも思うが、めぐみさん自身、キャリアも実力も十分な方なので納得の起用。
 めぐみさんの声と恵子さんの声は、今まで似ているとは思ってなかったんだけど、映画のクライマックスシーンでの台詞を聞いていたら、彼女の声にお母さんの声が重なって聞こえた気がしたよ。気がしただけだけど(笑)。


 この映画は、タイトルに「Beginning」とあるように、長大な原作の序章部分という位置づけだ。噂によると全6部作だとか(ホントかどうか知らんけど)。
 実際、次作へ向けての伏線も張ってあるし、製作陣は作る気まんまんなのだろう。問題は興行収入だね(笑)。

 『聖闘士星矢』の醍醐味は、「聖矢たち5人の青銅聖闘士 vs 敵勢力」の団体戦、そして戦いの最中に交わされる熱い台詞の応酬にあると思う。これは「Beginning」には全く無かった要素なので、ある意味『聖闘士星矢』は次章からが本番とも言える。
 作ってくれたら観に行こうとは思ってるのだけど、さて、どうなるか。



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シン・仮面ライダー [映画]



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 まずはあらすじを、と思ったんだけど wiki を見たらストーリーが全部載ってるのにびっくり。なんだかなぁ。
 とりあえず序盤あたりを中心に、思いつくままに書いてみると・・・


 バイクをこよなく愛する青年・本郷猛(池松壮亮)は、謎の組織 SHOCKER の科学者・緑川弘(塚本晋也)によって、身体にバッタとのオーグメンテーション手術を施されて桁外れの跳躍力と腕力を持つ昆虫合成型オーグメント・バッタオーグとなる。


 実はこの部分は本編中では描かれず、映画は次のシーンから始まる。


 しかし弘の娘・ルリ子(浜辺美波)に促され、彼女とともにオートバイで組織の研究施設を脱出する。クモオーグと配下の戦闘員たちによる追撃を受けるが、猛はバッタオーグに変身、湧き上がるコントロール不能の力で、戦闘員らを瞬く間に惨殺し、ルリ子を救出してセーフハウスに身を隠す。


 このあたりは昭和のTV第一シリーズの雰囲気を濃厚に再現してる。流血シーンがあったのはちょっと驚いたが、これは明確に ”子ども向けではない” という宣言なのか。
 浜辺美波はとにかく綺麗でカッコいい。彼女については、あとでまとめて書く。
 池松壮亮は気弱な青年といった趣き。藤岡弘の演じたものとは真逆のキャラだが、あれを再現しても現代では浮きまくりだろうから、この ”令和の本郷猛” は正解だろうし、私も嫌いではない。


 そこに現れた弘は、猛が生体エネルギー・プラーナの力によって変身する昆虫合成型オーグメンテーションプロジェクトの最高傑作となったことを告げ、その力を個人のエゴではなく人のために使い、SHOCKER と対抗してほしいと語るが、そこに再び出現したクモオーグによって殺されてしまう。
 ルリ子を連れ去ったクモオーグを追って猛はバッタオーグへと変身し、ルリ子からヒーローの象徴として与えられた赤いマフラーを首に巻いて「仮面ライダー」と名乗り、クモオーグを倒す。


 ちゃんと ”仮面ライダー” の名の由来を描いてる。細かいところだが、私は嬉しかったな。


 自らも SHOCKER の一員であったルリ子は語る。
SHOCKER とは
 Sustainable Happiness Organization with
 Computational Knowledge Embedded Remodeling
 すなわち「計算機知識を組み込んだ再造形による持続可能な幸福組織」と名のる、最も深く絶望を抱えた人間を ”救済” するために設立された非合法組織なのだと。そのために、ルリ子の兄で SHOCKER の一員・緑川イチロー(森山未來)は、人間から生体エネルギー・プラーナを強奪し、”ハビタット世界” に魂を送り込んでいる。
 つまり SHOCKER による ”救済” とは、すべての人間を ”ハビタット世界” に送り込むという「人類滅亡計画」であるのだと。


 昭和の時代なら曲がりなりにも通用した「世界征服を企む悪の秘密結社」は、現代では荒唐無稽に過ぎるだろう。”敵” をどう設定するかは、悩むところ。
 本作での SHOCKER は、自分たちが ”人類の幸福を願う正義の組織” として認識しているようだ。終盤でのイチローの台詞にもそれがうかがえる。
 そういえば、庵野監督のアニメ『ふしぎの海のナディア』での敵組織ネオ・アトランティスの総帥ガーゴイル(CV清川元夢)も「我々は悪ではない。善なのだ!」って豪語してたし。
 イチローの遂行しようとしてる内容も、どこぞの補完計画みたいで、そうしてみると「イチロー - 緑川ルリ子 - 本郷猛」の関係は、「碇ゲンドウ - 葛城ミサト - 碇シンジ」の相似形にも見えてくる。
 ここ以外にも、たぶん意図的にやってるのだろうけど、時おりエヴァンゲリオンっぽい雰囲気が感じられる。まあこれが ”庵野監督の持ち味” なのだろう。


 そしてイチローは、ルリ子が猛を伴って自らの元に現れることを想定し、本郷と同様に昆虫合成型オーグメントとなった男・一文字隼人(柄本佑)を用意して待ち構えていた・・・


 1号ライダーと2号ライダーの戦闘シーンは、『シン・ウルトラマン』のウルトラマンvsメフィラスみたいだなって思ったのは私だけ?


 全体を通して「TV第一シリーズの序盤+原作マンガ」が、ベースというか指針みたいになっていると思う。だから、全体的に画面は戦闘シーンを含めて地味め。CGを多用すればいくらでも派手にできるのだろうけど、本作はそっち方面は目指してない。
 私みたいに昭和ライダーの時代から知ってる人間はともかく、平成ライダーあたりから入ってきた人にはかなり異質に感じる作品になってるんじゃないかな。そういう意味では ”観る人を選ぶ” 作品になってるかと思う。私自身は嫌いではないけれど、かといって大絶賛というほどではない。庵野秀明作品だから、そこそこお客さんは入って、赤字にはならないだろうけど。
 監督は続編を作りたいみたい。私も製作されて公開されれば観にいくとは思うけど、さてどうなるか。


 上にも書いたが、浜辺美波はいい。よくぞ彼女をキャスティングしてくれたと思う。ルリ子は感情を表さず、テキパキとやるべきことをやっていくキャラ。まさにクールビューティー。作中ではほとんど仏頂面なんだけど、後半までくるとわずかながら笑顔を見せてくれるシーンがあり、その後の展開では涙腺が緩んでしまった。「仮面ライダー」で泣かされるとは・・・本作は ”浜辺美波を観る映画” だと云っても過言ではない(キリッ)。

 彼女はアニメ映画『HELLO WORLD』(SF)、『金の国 水の国』(ファンタジー)ではヒロインのCVを務め、TVドラマ『アリバイ崩し承ります』・映画『屍人荘の殺人』などのミステリ作品では名探偵役と、サブカル系の作品にもたくさん出てくれる。
 いまは朝ドラにも出てるらしい(観てないけどw)。それも『屍人荘-』で共演した神木隆之介と夫婦役なんて楽しすぎる。
 これからもどんどんアニメや特撮作品に出てほしい俳優さんの一人だ。


 最後に音楽について。
 戦闘シーンに流れるBGMが、まさにTVシリーズで使われたものだったり、そのアレンジだったり。これは予想外だったけど、耳にした瞬間ちょっと感動してしまったのは事実。これは監督の趣味なのだろうけど、昭和ライダーを知る人へのサービスでもあるのだろう。
 エンドロールの途中でも「レッツゴー!!ライダーキック」が流れる。それも藤浩一(子門真人)が歌唱するもの。庵野監督だから「ひょっとしたら流れるかも」とは思ってたが、ホントに流れた。嬉しかったけど、知らない人には「何じゃこれ」って思われないか心配になったよ(笑)。


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アイアムまきもと [映画]



 原作は、第70回ヴェネチア国際映画祭で4つの賞を受賞したウベルト・パゾリーニ監督のイギリス・イタリア合作映画『おみおくりの作法』(2013)。ちなみにこちらは未見。
 これを日本を舞台にリメイクしたのが本作。
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 始めに断っておくが、私のこの映画に対する評価は高くない。
 映画の中で頑張ってる人は、ラストではやっぱり報われてほしい。
 主人公の牧本は頑張ってる。同僚や上司から迷惑がられても、自分の信念に従って。たしかに、こういう人が身の回りにいたら鬱陶しいし、私だって嫌うかも知れない。でも、こういう人が1人くらいはいてもいい。5人もいたら職場が崩壊するだろうけど(笑)。
 だから牧本には報われてほしかった。映画だから、フィクションだからこそ報われてほしかった。
 製作陣は「彼は十分に報われてる」と思ってるだろうし、この映画を高く評価している人もそう感じてるのだろう。まあ価値観は人それぞれだからね。
 でも私には ”あのラスト” は ”報われている” とは思えないんだ・・・。

 まずは内容紹介。公式サイトの「Story」からの引用。

 小さな市役所に勤める牧本(阿部サダヲ)の仕事は、人知れず亡くなった人を埋葬する「おみおくり係」。故人の思いを大事にするあまり、つい警察のルールより自身のルールを優先して刑事・神代(松下洸平)に日々怒られている。
 ある日牧本は、身寄りなく亡くなった老人・蕪木(宇崎竜童)の部屋を訪れ、彼の娘と思しき少女の写真を発見する。
 一方、県庁からきた新任局長・小野口(坪倉由幸)が「おみおくり係」廃止を決定する。
 蕪木の一件が “最後の仕事” となった牧本は、写真の少女探しと、一人でも多くの参列者を葬儀に呼ぶため、わずかな手がかりを頼りに蕪木のかつての友人や知人を探し出し訪ねていく。
 工場で蕪木と同僚だった平光(松尾スズキ)、漁港で居酒屋を営む元恋人・みはる(宮沢りえ)、炭鉱で蕪木に命を救われたという槍田(國村隼)、一時期ともに生活したホームレス仲間、そして写真の少女で蕪木の娘・塔子(満島ひかり)。
 蕪木の人生を辿るうちに、牧本にも少しずつ変化が生じていく。そして、牧本の “最後のおみおくり” には、思いもしなかった奇跡が待っていた。

 映画のロケ地は主に山形県ということで、風景の美しさは格別。映画の中で、画面いっぱいに広がる水田や遠くの山並みは素晴らしいのひとことに尽きる。

 そんな地方の市役所で、独居老人が死亡した後始末をする「おみおくり係」担当の牧本が主人公なのだけど、この人物造形がかなり特徴的だ。
 彼の仕事に対する ”こだわりのルール” は3つ。

1 葬儀は絶対にやる(たとえ遺族が求めてなくても)
2 参列者をなんとしてでも探し出す(たとえ身寄りがないと警察に言われても)
3 納骨はギリギリまでしない(骨壺が保管場所からあふれても)

 こう書くとさぞかし使命感にあふれた情熱的な人物、と思われるだろう。あながち間違いではないのだが、周囲からの評価は真逆だ。

  全く空気が読めない、全く人の話を聞かない、なかなか心を開かない、でも、決めたことは自分のルールで突き進む、ちょっと頑固で迷惑な存在、と受け止められている。
 ネットの感想でも何人かの人が触れているけど、私には情動に何らかの問題を抱えている人のようにも思えた。

 彼のやっていること自体は「純粋で無垢」な、心からの ”おみおくり” なのだ。それは尊いことなのは間違いない。だから彼のことは嫌いにはなれない。
 じゃあ好きになったかと問われたら、首を傾げてしまうだろう。彼の猪突猛進に振り回され、迷惑を被る周囲の人々の事情も理解はできるから。

 そんな牧本だが、鏑木の遺族を探していく過程で多くの人とめぐり会い、故人の人生を辿っていく過程で少しずつ変化していく。
 映画は牧本の変化を描くと同時に、牧本に出会ったことで、鏑木との関係を再確認あるいは再構築していく関係者を描いていく。

 牧本の奮闘の結果は、終盤の葬儀シーンで描かれるのだけど、同時に牧本自身にも大きな運命の変転が起こる。

 映画のラストが非常に印象的で、このシーンにつなげるための演出だったというのはわかるのだが・・・私はこういう展開は好きではないのだよ。

 公式サイトには「笑って泣けるエンターテインメント」ってあるけど、笑うにはテーマが重すぎ(ところどころ笑わせようとしてるが、スベりまくり)、泣くに泣けない(いや、たぶん泣く人はいっぱいいるのかも知れないけど。少なくとも私は泣けなかったなぁ・・・)。


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沈黙のパレード [映画]

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まずは公式サイトのSTORYから引用。


 天才物理学者・湯川学(福山雅治)の元に、警視庁捜査一課の刑事・内海薫(柴咲コウ)が相談に訪れる。
 行方不明になっていた女子学生が、数年後に遺体となって発見された。内海によると容疑者は、湯川の親友でもある先輩刑事・草薙俊平(北村一輝)がかつて担当した少女殺害事件で、完全黙秘をつらぬき、無罪となった男・蓮沼寛一。
 蓮沼は今回も同様に完全黙秘を遂行し、証拠不十分で釈放され、女子学生の住んでいた町に戻って来た。
 町全体を覆う憎悪の空気…。 そして、夏祭りのパレード当日、事件が起こる。蓮沼が殺された。
 女子学生を愛していた、家族、仲間、恋人…全員に動機があると同時に、全員にアリバイがあった。そして、全員が沈黙する。
 湯川、内海、草薙にまたもふりかかる、超難問...!
 果たして、湯川は【沈黙】に隠された【真実】を解き明かせるのか...!?


 原作は既読です。それについての記事も2021年12月6日にアップしてます。ミステリとしての感想は小説版の記事のほうに当たっていただいて、ここでは映画の評価について書きます。

 結論から言うと、私はとても満足しました。ストーリーも真相もすべて知っていた上で観たのですが、それでも最後まで楽しめました。

 やはり映像の力というのは凄い。小説を読みながらで、頭の中で思い描いていた場面が、想像どおりの、あるいはそれを超えた形で目の前に展開されていくのは快いものです。

 冒頭、14歳の並木沙織が夏祭りのステージで歌い出すシーンから、もう目が潤んでしまいましたよ。この数年後、彼女が辿る運命を思ったら・・・

 主な舞台となるのは、沙織の両親(飯尾和樹・戸田菜穂)が経営する定食屋「なみきや」。その店に集い、看板娘だった沙織を幼い頃から慈しんでいた仲間たちを演じる田口浩正、吉田羊、高垣智也、椎名桔平、檀れい。そして彼らの憎悪を一身に集める蓮沼を演じる村上淳。その他の端役に至るまで、ハズレのキャストは一人もいないと思いました。

 そして、”運命の時” となる菊野市夏祭りパレード。大量のダンサーにエキストラ、この撮影のために用意されたと思しき山車の数々。さすが人気シリーズだけのことはあって、予算もかけたのでしょう。TVドラマとはスケールの違いを感じさせます。

 主演は福山雅治と柴咲コウなのですが、この2人を押さえて、北村一輝の熱演が光ります。過去の事件を解決できなかった悔い、それによって新たな事件を呼び起こしてしまった自責の念。
 徹頭徹尾、悩み苦闘し続ける草薙刑事を演じた彼こそ、この映画の影の主役と言えると思います。

 飯尾和樹もよかったですね。娘を殺された父親・並木祐太郎の悲哀を、ギャグ要素ゼロで演じきりました。彼のことを知らない人は、誰もお笑い芸人だとは思わないでしょう。
 祐太郎の親友・戸島修作役の田口浩正も存在感がありました。オッサン俳優が頑張る姿は嬉しいものです(笑)。

 それ以外の主要な登場人物たちも、決して少ない数ではないのに、それぞれの感情をうまく掬い上げ、各自にそれぞれ見せ場が用意されています。監督と脚本の ”交通整理” も、尋常でなく達者です。

 ただ、終盤で明らかになった真相が、さらに二転三転するあたりは、原作未読の人にはわかりにくいかも・・・とは思いますが。


 さて、上に書いたように私は満足したのですが、ネットの評価は必ずしもそうではないようで、けっこう低評価の人がいます。
 まあ、価値観は人それぞれですから、それはそれでかまわないのですが、低評価にはそれなりの理由がいくつかありそうです。

 そのひとつが、「『ガリレオ』っぽくない」というもの。
 湯川が事件解決のために実験をするシーンが少ない、真相に閃いて数式を書き殴るシーンがない、などですね。

 私見ですが、これは『ガリレオ』シリーズの短編と長編の違い、そして作品内での ”時間の流れ” から来るものが大きいように思います。

 短編では、大がかりな物理トリックを中心に据えて物語が構築されます。ちょっと意地悪く言えば ”一発芸” 的な。それを解明するために、湯川による検証実験が行われ、解決に至る。ある意味単純なんだけど、そこが面白い。
 ですから1時間で完結するTVドラマ向きなのだと思います。

 長編では、物理トリックだけで支えるにはちょっと駒が足りない。そこで登場人物の人間ドラマや、ストーリー展開の意外性など、複数の要素を付け加えて引っ張っていく。短編とはかなり構造的に違いがあると思います。ですからTVドラマのような雰囲気を期待すると当てが外れる、ってことが起こるのでしょう。

 実際、この作品では ”大がかりな物理トリック” は使われていません(あの殺害方法は充分に ”大がかり” だよって、感じる人もいるかとは思いますが)。
 ですから湯川も、大々的な実験は行う必要もない。ゆえに数式を書くこともない。でもその代わり、湯川は ”犯人” の心の内を深く推し量ることで、真相に到達していきます。
 だったら「探偵役は湯川である必要はない」って意見も出てくるかも知れませんが、”それは言わない約束” でしょう(笑)。

 そして、『ガリレオ』の世界は ”サザエさん時空” ではありません。
 今作の湯川は助教授(准教授)から教授へと ”出世” し、内海刑事も既に新人ではありません。2人の間にエキセントリックなシーンが減り、ある程度の落ち着きが感じられるのは作品内でも時間が経ったということなのでしょう。ついでにいえば、草薙も係長へと昇任しています。
 15年前のTVドラマのような湯川と内海の威勢のいい掛け合いを期待していた人は、ちょっとがっかりしたのかも知れません。

 上にも書きましたが、本作は福山雅治と柴咲コウを観る映画というより、北村一輝と飯尾和樹(+多彩な脇役陣)を観る映画です。
 原作から改変されている部分もありますが、映画化のためには必要かつ効果的な変更だと感じました。そしてなおかつ、原作を読んだ人間に違和感を感じさせないつくりに仕上がっているのは流石です。

「ミステリ小説の映画化」という点では、ベストな出来ではないかと思いました。


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異動辞令は音楽隊 [映画]

 阿部寛さんは好きな俳優さんです。ですから期待して観に行きました。
 で、その結果は・・・うーん、つまらなくはなかったけど、事前の予想とはかなり違ってましたね。あと、いろいろモヤモヤしたこともあって。
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 そのあたりは後で書くとして、まずは映画の紹介から。
 以下は公式サイトの文章の転載です。


 犯罪撲滅に人生のすべてを捧げてきた鬼刑事・成瀬司(阿部寛)。
 だが、コンプライアンスが重視される今の時代に、違法すれすれの捜査や組織を乱す個人プレイ、上層部への反発や部下への高圧的なふるまいで、周囲から完全に浮いていた。
 遂に組織としても看過できず、上司が成瀬に命じた異動先は、まさかの警察音楽隊! しかも小学生の頃に町内会で和太鼓を演奏していたというだけで、ドラム奏者に任命される。
 すぐに刑事に戻れると信じて、練習にも気もそぞろで隊員たちとも険悪な関係に陥る成瀬。だが、担当していた強盗事件に口を出そうとして、今や自分は捜査本部にとって全く無用な存在だと思い知る。
 プライベートでも随分前に離婚、元妻と暮らす高校生の娘にはLINEをブロックされてしまう。
 失意の成瀬に心を動かされ手を差し伸べたのは、〈はぐれ者集団〉の隊員たちだった。音楽隊の演奏に救われる人たちがいることを知り、練習に励む成瀬と隊員たち。
 ところが、彼らの心と音色が美しいハーモニーを奏で始めた時、本部長から音楽隊の廃止が宣告される・・・。


 阿部寛をはじめ出演する俳優陣がいかに楽器の練習に打ち込んだかとか、演奏シーンの出来が素晴らしいとか、けっこう評判はいいようです。
 また、意に沿わぬ異動で意に沿わぬ仕事に回され(私にも経験がある)、家庭も崩壊し、ふてくされた男が、ゼロから再生を果たしていくドラマとしてもよくできていると思います。

 そのあたりの好評な感想については、ほかのSNSにもたくさん上がってると思うのでそちらに当たっていただいて・・・

 私は、この作品を観ていてモヤモヤするところがありました。
 主なものは三つ。それを書いて見ようと思います。
 いちゃもんをつけようという意図はないのですが、この映画を気に入った方には不快に思われるかも知れません。あらかじめお断りしておきます。


 一つ目は主人公の描き方について。

 「涙と笑いの人生大逆転エンターテインメント」これがこの映画のキャッチコピーなんですが、「笑い」の部分は少ないように思います。
 TVの番宣なんか見てると、コメディ部分を前面に出してるみたいに感じましたが、映画はシリアス要素が予想外に大きくて、笑えない要素が多々。

 冒頭から描かれるのはアポ電強盗。一人暮らしのお年寄りを狙うグループで、犯行の凶悪ぶりには恐怖とともに怒りを覚えます。
 そしてそれを主役の成瀬刑事(阿部寛)が捜査するのですが、これがまた粗暴で高圧的な人間にしか見えません。
 怪しいチンピラには容赦なく暴力を振るう、上司には楯突く、同僚後輩には暴言の嵐。パワハラで告発されるのももっともです。
 家庭も顧みないので妻は去り、娘とも連絡が取れない状態に。昭和の映画やTVドラマでは存在が許されたかも知れませんが、令和のこの時代ではレッドカードで一発退場でしょう。
 異動させられた音楽隊でも嫌々やっているのが丸見えで、ハッキリ言って、観ていて全く感情移入できない人物になってます。
 そしてこの状態が映画の冒頭から1/3くらいまでは続きます。

 その彼が、中盤からは自分の境遇を受け入れて変わっていきます。
 もちろん、”更生”(笑) した後の成瀬はとても魅力的な人物に変貌します。観客はここに来てやっと安心することができますが、そこにいくまでが私にはかなり長く感じました。


 二つめは警察音楽隊の描き方について。

 成瀬が異動した音楽隊は、ほとんどの隊員が他の業務(交通課や機動隊、自動車警ら隊など)との兼務。だから隊員が全員揃わないことも多く、フルメンバーでの練習もなかなかできません。

 ネットで検索したら、大規模な自治体(=警官数も多い)では、音楽隊員は専属のようです。例えば神奈川県の警察音楽隊は年間で160回も演奏活動してるってあったので、そもそも兼務なんて不可能でしょう。
 映画みたいな、他の業務と兼務している音楽隊は小規模自治体(=警官数が少ない)に多いようです。

 でも、兼務音楽隊を ”はぐれ者の集まり” みたいに描くのは如何なものでしょう。音楽隊への熱意についても濃淡があり、成瀬のように必ずしも音楽隊希望でない者もいて、仲間同士での諍いも絶えません。
 まあ、そういう ”寄せ集め” が次第にまとまっていき、終盤で大きな働きをする、って展開が映画としては盛り上がる、ってのは分かるつもりですが。

 でも実際、警察官の業務を兼任しながら音楽隊をやるのは、時間のやりくりはもちろん、とてつもない熱意と努力と滅私奉公が必要なのではないかと推察します。この映画での兼務音楽隊の描き方は、現場の音楽隊員さんからすれば不本意なのではないかと心配になってしまいました。
 まあラストでは音楽隊が大活躍するのでそれでOK、ということなのでしょうけど・・・


 そう思った理由の一つは、先日『新任巡査』(古野まほろ・新潮文庫)という本を読んだことにあります。
 元警察官で、交番勤務を振り出しに最後は警察大学校の教官まで務めた著者によるミステリなんですが、内容の2/3くらいは新人警官の交番勤務における研修の日々を描いたものです。これだけでも警察官の仕事が如何に激務なのかがよく分かります。
 この本を読むと、業務内容によって仕事量に多寡はあるでしょうが、それでも警察官が兼務をするというのは並大抵のことではなかろうと推察されます。


 三つめは、映画のラストについてです。未見の人はご注意を。


 映画というフィクションに、どこまでリアリティを求めるのかは作品によるでしょう。この作品に対して「法律がどうの」「管轄がどうの」とか文句を言うのは ”野暮なこと” だと百も承知なのですが・・・

 終盤では、アポ電強盗のボスを捕まえる話が展開します。

 観ていてまず思ったのは、これは ”おとり捜査” じゃないのかなぁ?ってことでした。”おとり捜査” にはかなり制約があって、麻薬事件とかごく一部にしか適用されないんじゃ・・・?
 でも、振り込め詐欺なんかでは、電話を受けた一般人を ”おとり” にして犯人を捕まえたって話も聞きますし、このレベルならOKなのかも知れません。

 でも、演奏をしている音楽隊員がステージを離れて ”強盗のボス” の捕縛に繰り出していくのはマズくないですか?
 周りには刑事課の私服警官がいるのに・・・?

 あともう一つだけ。

 ラスト直前、コンサート会場に向かう音楽隊のバスが渋滞に巻き込まれて止まってしまうシーン。かつての成瀬の同僚・坂本(磯村勇斗)が、サイレンを鳴らしながらパトカーで先導して渋滞を突破していきますが、これ、厳密に言ったら職権乱用ですよねぇ。

 法律を守るべき立場の現実の警察だったら絶対やらないことだろうし、マスコミに漏れたらけっこう物議を醸すだろうし、一般市民からもけっこう反感を買うんじゃないでしょうか? まあ映画だからこその演出なのでしょうけど。

 私はこのとき、音楽隊員が楽器を持ってバスを降りて、歩道でチンドン屋(死語)みたいに演奏しながら、沿道の人々と交流しつつ、のんびりと会場に向かう、って展開を予想したんですけど、見事に外れました(笑)。
 まあ、そもそも歩道に人がたくさんいたらできないことだし、これだって厳密に言えば道路交通法違反でしょうけど、コンサートには遅れても一般市民からの反感は遙かに少ないと思うんですけどね。


 映画というフィクションを成立させるには、いろいろ現実に目をつぶらなくてはいけないところがあるでしょう。
 まあ人の評価はそれぞれなので、上記の点が全く気にならない人もいるのは分かります。だけど、私にとっては ”気になってモヤモヤした” 映画でした。


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バイオレンスアクション [映画]


 まず私は、橋本環奈さんのファンというわけではない(嫌いでもないけど)。それに、原作マンガを読んだこともない、というかそもそもマンガが原作だったということすら知らなかった。

 じゃあ何で観に行ったのかと言えば「なんだか面白そうだったから」以上の理由はない。
 結果はどうかというと、2時間弱の上映時間中、退屈はしなかったし、途中で出ていこうとも思わなかった。
 つまり「それなりに楽しみました」ということなんだけど、観ていていろいろ考えたこともあった。これは後で書くとして、まずは映画の紹介から。
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 以下に公式サイトの文章を転載する。ちょっぴり編集してあるけど。

 ゆるふわピンクボブの菊野ケイ(橋本環奈)は日商簿記検定2級合格を目指し専門学校に通っていた。学校帰りのバスでビジネスマン風の青年テラノ(杉野遥亮)と出会い、ケイは胸を高鳴らせながらもいつも通りバイト先へ。
 一見、フツーのラーメン屋だが、その実態は殺し屋。ケイは、指名ナンバーワンの凄腕の殺し屋だったのだ...!!
 キレたら恐い店長(馬場ふみか)、不自然ヘアーの運転手ヅラさん(岡村隆史)、ケイに想いを寄せる渡辺(鈴鹿央士)と孤高のスナイパーだりあ(太田夢莉)がバイト仲間だ。
 この日の依頼は、巨大なヤクザ組織を仕切る三代目組長(佐藤二朗)からある人物を殺して欲しいという内容だった。そのターゲットとは巨大な抗争の渦中にいるヤクザの会計士、バスで出会ったテラノだった・・・。
 そこにケイを狙う最狂の殺し屋みちたかくん(城田優)まで現れて...!?
 菊野ケイ、史上最悪のバイトをどう乗り切る!?


 ヒロイン菊野ケイの仕事は殺しのデリバリー。依頼があった場所まで出かけていって、そこにいるターゲットを ”始末” する。
 殺し屋としての腕はウルトラスーパー級だ。格闘技でも刃物でも銃でも何でもOK、群がる ”標的” をぶち殺しまくり、映画開始5分ほどで画面の中には死体がゴロゴロという惨状が展開する。
 しかもそれをやってのけたのがピンクのヘアでボブカットのお嬢さんなんだから。簿記の専門学校に通い、休み時間には女友達とBLマンガを眺めてキャッキャ言ってる。まあ、そのギャップがこの作品のセールスポイントのひとつなのだろう。

 アクションシーンの演出は、リアリティよりは外連味を重視してる。アニメの画面をそのまま実写化したみたいに感じた。
 殺陣にしても、およそこんなことは不可能だろうと思われるシーンが多々あるし、主人公の撃つ弾丸は百発百中で、敵の弾丸はことごとく外れる。しかも、主人公が身を躱しながら飛んでくる弾丸をすいすいとよけていく。おまえは島村ジョーか、って心の中でツッコんでしまったよ。あ、分からない人は ”サイボーグ009” でググってください(笑)。

 そういう ”主人公補正” はどんな作品にも多かれ少なかれあるものだが、ここまで堂々とやられてしまうと、いっそ天晴れなのかも知れない。
 主人公の人間離れしたアクションシーンもまた、本作のセールスポイントのひとつなのだろう。


 でも、私がこの映画を観ていていちばんモヤモヤしたのはそういうところではなくて、主人公の ”人となり” だった。

 この映画では、主人公ケイの内面についてはほとんど描写されない。原作の方ではどうなのか知らないけど、少なくとも映画の中では語られない。

 大勢の人間を手にかけているのだけど、それについてどう感じているのかは描かれない。何も感じないで平然としているのか、実は悩んでいるのだけど表に出さない(そういうふうには見えないけど)のか。
 ひょっとすると彼女には精神に何らかの問題があって、感情に欠落があるのではないかとすら思ってしまったよ。

 なぜあんな超人的な殺人技を身につけているのかも語られない。ケイの仲間のスナイパー・だりあについては、断片的にだが過去が語られてるけどケイについては皆無だ。
 どうして殺し屋をやっているのかも分からない。始めたきっかけ、続けている理由も不明だ。

 まあ、そういうところにこだわるのが ”昭和の親爺” の悪いところで、若い人はそんなところは気にしないのだろう。
 「20歳の女の子が ”ゴルゴ13” をやってる」。そういう作品なんだ、って割り切って観るべき映画なのかも知れない。


 思ったよりも長くなってしまった。あとは俳優陣についてちょっと語って終わりにしよう。

 組長(佐藤二朗)のおやじギャグは全く笑えない。というか、店長(馬場ふみか)・ヅラさん(岡村隆史)・渡辺くん(鈴鹿央士)あたりを中心とした、観客を笑わせようとする演出はあまり成功しているようにはみえない(おいおい)。

 ゆるふわな主人公側に対して、ヤクザ組織側の演出は暑苦しい。
 木下(高橋克典)、その手下アヤベ(大東駿介)、スナイパー金子(森崎ウィン)。彼らの ”狂犬ぶり” の描き方は申し分ないのだけど、それを上回るのが殺し屋みちたかくん(城田優)。
 彼の怪物ぶりというか不死身ぶりは、さながら「ターミネーター」。シリアスなシーンのはずなのに、彼が登場すると一気にマンガチックな演出になってしまうのはどうしてだろう。原作でもそうなのだろうか、って思ったり。


 主演の橋本環奈さんは熱演してると思う。アクションシーンについてはスタントマンが演じてる部分もあるのだろうけど、本人もけっこう頑張ってるんじゃないかな。
 彼女がメジャーになって露出が増えてきた時、正直ここまでビッグになるとは予想しなかった。
 最近では舞台に挑戦したりと、仕事を(いい意味で)選ばないところも、素晴らしいと思う。



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TANG [映画]



 デボラ・インストール原作の長編小説『ロボット・イン・ザ・ガーデン』の映画化。舞台をイギリスから日本に置き換え、日本人キャストで描いている。
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 原作小説については2019年2月13日に記事を書いている。
 この記事をベースに、この映画の感想めいたものを書いてみる。


 時代は近未来。人型ロボットが街や施設内を闊歩し、ドローンが物流の主役となっているようだ。
 主人公夫妻が住んでいる街は、広々とした敷地にけっこうな豪邸が立ち並ぶ、それこそハリウッド映画に出てきそうな高級住宅地。

 はて、日本にこんな場所あったかな・・・と思ったが、製作がワーナー映画なので「日本人キャスト部分だけあとで外国人俳優の演じたものと差し替えて、ハリウッド版を作っちゃうじゃないだろうか」なんて邪推もしてしまった(笑)。
 ちょっと後で、ここが北海道に設定されてることが明かされますが。

 ちなみに映画の中盤では、舞台が中国の深圳(しんせん)に移るのだけど、ここも実に華やかに描かれていて、科学技術についても先進都市ぶりが強調されてる。このあたり、中国での公開を睨んでのことかなと邪推したり。

 うーん、邪推ばっかりですね。ちょっと反省。


 絵に描いたような幸福な新婚生活だったはずが、夫の健(二宮和也:原作ではベン)が ”ある理由” から研修医の道を放り出し、ひきこもりのニート状態になってしまう。
 日夜ゲームに明け暮れて、弁護士として働く妻・絵美さん(満島ひかり:原作ではエイミー)のヒモ状態に。というわけで彼女の中に不満が鬱積していく。

 そんなある日、健は庭先に迷いこんだ一体のロボットを発見する。いかにもあり合わせの部品を集めて作ったような、見るからにポンコツな外見。”彼” は自らを「タング」と名乗るが、どこから来たのかは答えない。

 そんな矢先、とうとう絵美さんは健に愛想を尽かし、彼はタングともども家から追い出されてしまう。なんとかタングを厄介払いしたい健は、タングを作ったと思しき大手ロボット製作会社を訪ねていくのだが・・・


 2019年の記事には、私はこんなことを書いている。

「これは、タングとの間の ”疑似親子関係” を通じた、ベン(健)の ”父親修行” の物語だ」
「『子育ては自分育て』。はじめから立派な親はいない。子どもを育てながら、自分も親になっていくものだ」

 タングは学習型AIを搭載しているらしく、健とのやりとりを通じてだんだん人間ぽい受け答えを覚えるようになっていく。
 最初はタングを嫌っていた健も、タングの ”成長” に伴い、だんだん愛着を覚えるようになっていく。

 その記事の中では、こうも書いている。

「タングと共に旅を続けるうちに、タングの保護者としての自覚と行動を身につけていき、ベン(健)はだんだんと ”父親” らしく振る舞えるようになっていく」

 この健の成長こそが原作のメインテーマで、映画もしっかりそこのところは押さえて作られている。

 しかし、大筋においては原作通りでも、細かいところはけっこう改編されている。

 いちばん大きいところは、ベンの妻・エイミーの描き方だろう。
 原作での2人の仲は、けっこうドロドロしてる部分もあったのだけど、映画ではそのあたりは一掃され、満島ひかりさん演じる絵美は、可愛らしく健気な奥さんとして描かれる。
 こんなよくできた嫁さんを、悲しませるポンコツ男を二宮和也が演じてる。映画前半の健は、ホント感情移入できない ”嫌なヤツ” と感じさせる。なかなか好演といえると思う。

 原作での夫婦の描き方のほうが今風でリアルなのかも知れないが、夏休み公開のファミリー映画としてみるなら、この改編は必須で、かつ正解だったと思う。

 それ以外でも、タングを付け狙う ”悪党たち” に、かまいたちの2人+小手伸也を起用してるのも、ファミリー向け映画感を醸し出している。


 2019年の記事では、最後の方にこんなことを書いてる。

「総体的にSF的雰囲気は薄いかな。アシモフのロボットものみたいな作品を期待するとあてが外れるが、”親子” の情愛物語としてみれば、ベタな展開だけど手堅く読ませる」

 映画の評価も、ほぼこのまま。終盤の展開はだいたい予想がついてしまうんだけど、それが大多数の観客が望むエンディングだろう。
 そのあたりに物足りなさを感じる人もいるかも知れないけど、小さいお子さん連れの家族や、若いカップルには楽しめる映画になってると思う。



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ハケンアニメ! [映画]


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 タイトルの ”ハケン” とは ”覇権” のこと。
 毎年、膨大な数の新作アニメがTV放映されている日本で、同一クール中で最も話題になり、”売れた” アニメに与えられる称号が ”ハケンアニメ” だ。
 自分たちの生み出した作品が ”ハケンアニメ” となるように、日々奮闘するアニメ業界の人々を描く、辻村深月による同名小説を原作とした映画だ。


 それでは、公式サイトにある ”あらすじ” をちょっと加工して・・・

 主人公となる齋藤瞳[吉岡里帆]は28歳の新人アニメ監督。8年前に王子千晴[中村倫也]監督のデビュー作『光のヨスガ』に出会って衝撃を受けた。
 なぜそんなに彼女の心に ”刺さった” のかは、映画の中で明かされていく。

 国立大を卒業、県庁職員となっていた瞳だったが、「観る人に魔法をかけるような作品を作りたい」との思いに駆られた彼女は仕事を辞め、”自分の夢” へと向かってアニメ業界へ転職したのである。

 そして今期、彼女は連続アニメ『サウンドバック 奏の石』でついに監督デビューを果たす。だが、気合いが空回りして制作現場には早くも暗雲が漂う。何せ周囲のスタッフはみな彼女よりキャリアのあるベテランばかりだしね・・・

 瞳を大抜擢したプロデューサー・行城(ゆきしろ)[柄本佑]は、敏腕ではあるのだがビジネス最優先。作品のタイアップ企画やマスコミ対応に、ことごとく瞳を引っ張り出して廻るので、そのストレスだけでも半端ない。

 そして、運命のいたずらか『サウンドバック』は、王子千晴監督の新作『運命戦線リデルライト』と同一曜日・同一時間帯の放送と ”まるかぶり” 状態。期せずして瞳にとっての最大のライバル作品となってしまう・・・

 一方の王子千晴もまた、『リデルライト』に賭けていた。デビュー作『光のヨスガ』で高評価を得たものの、それ以降は長い沈黙の時間を過ごしていた。そこからの復帰作だったからである。

 王子千晴の復活に懸けるのは、その才能に惚れ抜いたプロデューサー有科(ありしな)香屋子[尾野真千子]。しかし、彼女も王子の超ワガママ、気まぐれに振り回され「お前、ほんっとーに、ふざけんな!」と、大大悪戦苦闘中だった。

 物語は瞳、行城、王子、有科の4人を中心に、周辺の制作スタッフ・声優をも巻き込み、熱い “想い” をぶつけ合いながら “ハケン=覇権” を争う戦いを描いていく・・・


 テーマがアニメであるだけに、作中作となる2本のアニメが登場するのだが、その扱いが半端ない。映画の中での登場は数分だが、実際にアニメが制作されており、映画の公式サイトには、このアニメ2作の ”公式サイト” まで用意されているのだ。


『サウンドバック 奏の石』
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 ある日突然、巨大ロボットに襲われたのどかな田舎町。地球を守るため、少年少女たちはロボットに乗って戦う。
 サウンドバックとは、「奏(かなで)」と呼ばれる石が、現実の音を吸い込むことによって変形したロボットのこと。その形状は音によって変わり、1話ごとにノックや風鈴など異なる音が捧げられ、毎回違う形のロボットが登場する。
 「奏」は戦いを終えると力を失い、ただの石に戻るが、捧げた音とそれにまつわる記憶はヒロインのトワコから奪われていくという秘密があった……。

 原作者である辻村が全12話分のプロットを書いたというのだから恐れ入る。
 ヒロインのトワコには、戦うたびに記憶を失っていくという過酷な運命が科せられている。映画の中では、第一話と最終話、合わせて数分ほどが描かれるのだが、それだけでも涙もろいオジサンである私は泣いてしまったよ・・・


『運命戦線リデルライト』
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 行方不明の妹を探す魔法少女の充莉は、自らの魂の力で乗るバイクを変形させ、ライバルたちとレースで競い合う。
 『プリキュア』と『仮面ライダー』を合わせたような、ありそうでなかった組み合わせ。その発想はなかった、ってか。
 「リデルライト」とは、少女たちが駆るバイクの総称。第1話に6歳で登場する充莉は、年に1度のバイクレースでのバトルを通して、仲間や敵対する魔法少女の清良たちとともに1話1歳ずつ年を重ね、いわゆる「成長するヒロイン」の姿が描かれる。

 しかし、デビュー作『光のヨスガ』でヒロインを殺せなかったことを悔やむ王子は、「今度こそ、最終回でヒロインを殺したい」と有科に告げる。

 しかし、スポンサー陣は猛反対。「夕方5時台のアニメでは人は死なない」なんてのたまうのだが・・・。両者の間で苦悩する有科。

 でも1970年代後半~80年代には、キャラがたくさん死ぬ夕方5時台アニメなんて掃いて捨てるほどあったけどね。
 ざっと思い浮かぶだけでも『○ンダム』『ダ○バイン』『ボト○ズ』『レイ○ナー』・・・。『ザン○ット3』『イ○オン』なんて、××エンドだったし・・・
 あ、だから『イデ○ン』は途中打ち切りになったんですかね・・・
 まあ、時代が違うということですかな。


 瞳も王子も、予定調和的なハッピーエンドを拒否し、「観た人の心に刺さる作品」となるようなエンディングを模索する、という点では全く同じ。
 それがまた周囲との軋轢を生んでいくのだが、それも映画で描く主要テーマのひとつとなっている。



 作中作に登場する声優さんも豪華。


 『サウンドバック』では梶裕貴さん、潘めぐみさん、速水奨さんなど。
ヒロイン・トワコは高野麻里佳さん。アイドルかと思ったら専業の声優さんで、『ウマ娘』で有名な人らしい。彼女は顔出しで台詞も多く、吉岡里帆と絡む役。

 『リデルライト』では花澤香菜さん、堀江由衣さんなど。
ヒロイン・充莉を演じる髙橋李依さんも、最近よくみる声優さんだ。


 瞳と王子の ”ハケン争い” は熾烈を極め、最終回までもつれ込むのだが・・・


 この作品をこれから見ようという人にアドバイス。
 映画が終わった後、エンドロールが流れるのだけど、その後にワンシーンある。そこが ”真のラスト” となるので、どうか席を立たずに待っていてください。
 アニメファンなら ”ニヤリ” とするエンディングになってます。



※追記


 実は今日(5/27)、2回目を観てきた。人間関係や細部がより深く理解できたせいか、1回目より感動した。

 終盤は、「瞳と王子のハケン争い」+「サウンドバック最終話」+「リデルライト最終話」のクライマックスが怒濤の三重奏で、目から溢れる汗を止めることができなかったよ。うーん、円盤買っちゃいそう。

 あ、映画の中では「DVD」とか「ブルーレイ」って単語は使わずに、登場人物みんな「円盤」って言ってましたよ。流石、よく分かってる。

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大河への道 [映画]


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 ではまず、あらすじから。

 千葉県香取市役所の職員・池本[中井貴一]は、地域観光の目玉として郷里の偉人・伊能忠敬を主人公とした大河ドラマ誘致を提案、採用される。プロジェクトは始動し、手始めに脚本を大物脚本家・加藤[橋爪功]に依頼することとなった。

 始めは乗り気でなかった加藤も伊能の人生に興味を持ち、資料を調べ始める。しかしそこで明らかになったのは、「伊能忠敬は『大日本沿海輿地全図』を完成させる3年前に死去していた」という事実だった・・・。

 ここから、映画は現代と幕末を行き来する。

 1818年の江戸。幕府に仕える天文学者・高橋景保[中井貴一・二役](忠敬が師事した天文学者・高橋至時の長男)は、伊能の弟子たちから師匠の死を3年間秘匿し、その間に地図作りを続けさせてほしいと懇願される。困惑した髙橋だが、紆余曲折を経て彼らの ”陰謀” に加担することに。

 幕府を欺いて公金を拠出させていることが露見すれば死罪は免れない。かくして一蓮托生となった高橋と伊能組一同は、伊能の死を偽装しながらお上からの追及をのらりくらりかわしてゆく。

 しかし、いつまでたっても地図は完成せず、顔も見せない伊能をいぶかしんだ勘定方は、高橋の周辺を調べ始めるのだが・・・


 落語家・立川志の輔の創作落語「伊能忠敬物語―大河への道―」が原作だとのこと。この落語に惚れ込んだ中井貴一が映画化を思い立ったらしい。

 「伊能忠敬物語」と銘打ってあるけれど、物語の冒頭で忠敬は逝去してしまうので、本編には登場しない。代わって、綿貫善右衛門[平田満]を筆頭とした、日本地図完成を悲願とする忠敬の弟子たちがメインとなる。
 最初は伊能の死を秘すことに反対していた高橋景保も、彼らの熱意に打たれ、やがてはすすんで協力するようになっていく。

 とにかく、地図作成というのは文字通り ”地を這う” ような地道な作業を延々と繰り返すこと。人間の歩幅で距離を測り、角度を測り、それを積み上げていくという気の遠くなるような手順。映画の中でそれはふんだんに描写される。
 現在のような精密な測量方法の無かった時代に、これほどの手間暇をかけなければ地図が作れなかった、いやこんなアナログ極まりない方法にも関わらず、正確無比な地図を作り上げたことに驚嘆させられる。

 しかし、ひとたび伊能の死が明るみに出れば、彼らはみな死罪となるかも知れない。彼らの行動の一部始終を目撃していた高橋景保の ”ある決断” が映画のクライマックスとなる。

 落語がベースであるから、基本的にはコメディなのだけど、”爆笑コメディ映画” という雰囲気ではない。どちらかというと ”人情もの” 寄りの映画になってると思う。実際、完成した伊能地図を将軍に披露するシーンは、けっこう感涙ものだ。

 中井貴一は『記憶にございません!』でも抜群のコメディアンぶりだったが、本作でも安定の演技。その相棒を務める松山ケンイチもいい味を出してる。考えたらこのコンビ、どちらも大河ドラマの主役を張ってるんだよね。

 役場の職員と忠敬の元妻の二役を演じた北川景子もいい。けっこうコミカルなシーンもあるので、ぜひ本格的なコメディ映画で主演してもらいたいな。
 それにしても彼女は綺麗だね。どのシーン、どのカットを見ても隙が無く綺麗だ。つくづく素晴らしい女優さんだと思う。


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ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 [映画]


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 まずはあらすじから。

 前作『黒い魔法使いの誕生』の出来事から数年後の1930年代。

 ちょっと捕捉すると、前作は1927年という設定らしいので、その数年後ならば、本作は1932~33年あたりかと思われる。

 グリンデルバルトの勢力が急速に拡大、ダンブルドアはニュート・スキャマンダーとその仲間たちをドイツに送り込む。

 グリンデルバルトは、自分の信奉者たちを使ってドイツ魔法省を抱き込み、自身への指名手配を取り消させ、国際魔法使い連盟の代表選挙に出馬しようとしていた。
 彼が代表になると人間界との戦争が始まってしまう。選挙には魔法動物・麒麟を利用した不正な方法で勝利することを企て、それに加えて対立候補の暗殺をも実行しようとしていた・・・

 麒麟が次のリーダーを決める、なんて『十二国記』を思い出してしまったよ。


 題名通り、本作ではダンブルドアに関する秘密が明かされるんだけど
 原題は Fantastic Beasts: The Secrets of Dumbledore
 Secrets と複数形であることがポイントかな。

 そのせいか、グリンデルバルトとダンブルドアの過去の因縁や対決がメインとなり、ニュートの出番は少なめ。ティナに至ってはほんの数カット。まあ彼女が出てきてニュートと絡んだら尺が足りなくなって収拾がつかなくなってしまうからかな。

 観ていて気になったことをいくつか。

 前半の舞台がドイツで、そこの魔法省がグリンデルバルトに牛耳られていて、画面での表現もナチスドイツを彷彿させるのは、これは意図的にやってるんだろうなと思う。

 人間界との戦争を目論むグリンデルバルトだけど、魔法界には彼を支持する勢力も少なからず存在しているようだし、彼を熱狂的に迎える人たちが画面に現れると、アメリカの前大統領をはじめとして昨今の世界情勢を思い出してしまう。

 ヒトラーだって、最初は民主的な選挙によって登場したはずだよねぇ・・・

 政治的な描写が多いと思ったけど、全5部作の映画(今作は3作目)の最終作のラストは1945年になるらしいので、残り2作では第二次世界大戦と魔法界の関わりが描かれていくのだろう。そのための布石なのかも知れない。


 単体の映画としてみた時に感じたのは、ちょっと冗長かなということ。

 魔法のシーンは迫力満点で目を見張る出来なのだけど、それ以外のシーンはいささか尺が長いんじゃないかなぁ・・・と思うことしばしば。
 2時間20分を超える長さなのだけど、ストーリーを語るだけならば2時間くらいに刈り込んだほうがテンポよく観られるんじゃないかな、と思った。

 でも、その後でこうも思ったんだよね。
 この映画を観る人は、『ハリー・ポッター』シリーズからのファンが大半だろう。ならば、映画で描かれる ”魔法が存在する世界” が大好きで、その世界に没入するために映画館に来てるんじゃないかな、って。

 ならば、その世界をじっくりたっぷり描いてもらった方が彼ら彼女らのニーズに沿うわけだ。

 私自身『ハリー・ポッター』は嫌いじゃないが、そんなにのめり込んでるわけでもない ”普通” の人々とでは、評価の軸が違うんだろうなとも思った。
 まあこれは本作に限らず、シリーズもの作品全般に言えることだろうけど。


 余計なことだけど、ちょっとwikiで見てみたら、本作が1932年の出来事とすると、ニュートは1897年生まれなので35歳(画面では若く見えるが)、ティナは1901年生まれなので31歳。どちらもover30じゃないか(笑)。1945年だと48歳と44歳になってる。
 ならば、次作あたりで2人を結婚させとかないとマズいんじゃない?(笑)。


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