贖い [読書・ミステリ]
評価:★★★★
東京都で小学6年生の男子児童が行方不明になり、切断された頭部が少年の通っていた小学校の校門で発見される。
埼玉県では、中学2年の女子生徒が自宅から姿を消し、雑木林の中で刺殺死体となって発見される。
愛知県では、母親が目を離した隙に1歳の幼児が連れ去られ、駅のコインロッカーの中で死体となって発見される。
それぞれの所轄の警察官たちは懸命な捜査を行うが、犯人へと至る手がかりを得ることができない。変質者による衝動的な殺人なのか、計画的な犯罪なのかさえも明らかにできないでいた・・・。
文庫で上下巻、計760ページに及ぼうという大部なので登場人物も多い。しかしその中で、ある人物に焦点を当てた描写が冒頭から散見される。
日本を代表する大企業・三友商事で本社総務部に勤務する稲葉秋雄。間もなく定年退職を迎える59歳だ。
若い頃には目覚ましい業績を挙げ、将来の幹部候補と目されていたが、40歳の頃に一時休職したことをきっかけに、昇進を固辞して現場で働き続けることを選んだ。
周囲からの人物評は絶賛するものばかり。上司からの信頼は厚く、同僚・部下たちからの人望も厚く、ぜひ定年延長で会社に残ってほしいとの声が絶えない。
家族はなく、生活ぶりはストイックの一語。昼食は会社近くの蕎麦屋で済ませ、退社後はスポーツジムで汗を流し、週に一回だけ訪れるジューススタンドで寛ぐのみ。
あまりにも聖人君子というか、稲葉の ”完璧超人” ぶりに、逆に薄気味悪さまで感じてしまう。
とはいっても、ミステリであるからにはこの稲葉が事件に何らかの関わりがあるのは予想できる。多くの読者は「たぶん犯人なんだろう」という推測を抱くだろう。ならば、
「なぜ稲葉は幼い3人の子どもたちを殺害する犯行に走ったのか?」
「3人の子どもたちに共通するもの(ミッシング・リンク)は何なのか?」
という疑問が浮かぶ。ここの解明も本書の大きなテーマになっている。
この稲葉に対して、警察側の主人公となるのは警視庁の警部・星野だ。
もともとは特殊犯捜査係で「交渉人」を担当していたのだが、”ある事件” をきっかけに、自らその責任を取る形で捜査一課の強行班へ異動してきた。
彼とバディを組むのは女性刑事・鶴田里奈。男女雇用機会均等のために捜査一課へ登用されたのはいいが、女性に対する蔑視は根強く周囲の目は冷たい。
というわけで、星野&里奈のコンビは小学生男子児童殺害事件捜査の主流から外されてしまうのだが、星野はそれを逆手にとって独自の捜査を始める。
埼玉の女子中学生殺人を担当する捜査陣の中にいる刑事、神崎俊郎と中江由紀。この2人も訳ありなのだが、特に由紀の方は深刻なトラウマを抱えている。
図らずも愛知の幼児殺害事件に関わることになってしまった坪川直之は、かつては東京の警察に勤務していたが、”あること” をきっかけに周囲から蛇蝎のごとく忌み嫌われるようになってしまい(本人は自分の正義を貫いただけなのだが)、見かねた上司の計らいで愛知へ出向していた。
この3組の刑事達は目の前の凶悪事件と対峙していくわけだが、その過程で彼ら彼女らは自らの ”刑事としての矜持” を取り戻していく。この部分も本書の大きな読みどころの一つだ。
3都県の警察による地道な捜査の結果、少しずつ事実関係が明らかになっていくのだが、犯人につながるものは出てこない。
そして、各捜査を指揮する上層部は、自分たちの抱える案件が他の事件と関連があるとは夢にも思っていない。
しかし上巻のラストでは、ついにその3つの事件のつながりが浮上し、下巻では、星野と犯人の息詰まる対決ぶりが描かれていく。
物証の無い相手に対し、緩やかに包囲を狭めて精神的な圧力を加えようとする星野と、それを柳に風と受け流す犯人。この心理戦も読み応え十分だ。
並行して事件の動機の解明が進んでいく。ここで明かされる真実は、実に胸に刺さる。殺人という行為自体は許されることではないが、そこまで犯人を追い詰めた事情も充分に納得できるものだ。
全体的にサスペンスに溢れる作品なのだが、最終盤になってもページを繰る手が止まらない。意外な展開の連続で、物語がどこに着地するかの予想が全く立たない。
そんな星野と犯人との息詰まる対決の果てに、タイトルの『贖い』の意味が明らかになっていく。
ラストは一転して穏やかな雰囲気になるが、事件に関わった者たちの『贖い』はここから始まる。
犯人当てミステリではないけれど、重厚な作品を読んだという満足感は得られる。この作者は、読者の心を揺さぶることに長けているなあとつくづく思う。
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