幻月と探偵 [読書・ミステリ]
評価:★★★★
1938年の満州。満州国官僚・岸信介の秘書が毒殺された。現場は元陸軍中将の晩餐会。
依頼を受けた私立探偵の月寒三四郎は、内密に調査に乗り出すが、第二、第三の殺人が発生する・・・
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1938年(昭和13年)。太平洋戦争前夜の満州の都市・哈爾浜(ハルピン)。
満州国国務院産業部の官僚・岸信介(きし・のぶすけ)の秘書・瀧山秀一(たきやま・しゅういち)が毒殺された。現場は元陸軍中将・小柳津義稙(おやいづ・よしたね)の晩餐会。瀧山は義稙の孫娘・千代子(ちよこ)の婚約者だった。
岸の部下である椎名悦三郎(しいな・えつさぶろう)から依頼を受けた私立探偵の月寒三四郎(つきさむ・さんしろう)は内密に調査に乗り出すが、現場の状況から被害者を狙って毒物を飲ませるのは困難だったことが判明する。さらに晩餐会の客たちと被害者は初対面で明確な動機も見当たらない。
晩餐会当日、義稙元中将に宛てて、「三つの太阳(たいよう:太陽)を覚へてゐるか」という脅迫状めいた文書が送られていた。犯人の狙いは元中将なのかも知れない。
しかし義稙の親族、同居する使用人、晩餐会の招待客たちもなかなかアクの強いメンバーが揃っていて、月寒の事情聴取は困難なものとなる。
奉天会戦(日露戦争末期に行われた最期にして最大の陸上戦)で英雄として称えられた義稙は、引退した後も哈爾浜の社会に大きな "影響力" を持っていた。
物語が進むにつれて、現役の軍人だった頃に義稙が関わった秘密や、"影響力" の正体が明らかになっていくのだが、それがなかなか真相解明に結びつかない。
そして月寒に対して、なぜか憲兵隊からの捜査妨害の圧力がかかってくる。さらに第二、第三の殺人が発生するのだが・・・
探偵としての月寒は、一を聞いて十を知るような叡智型ではなく、地道に歩き回って関係者と対話を重ね、証言と証拠を積み重ねて少しずつ真相をあぶり出していくタイプとして描かれている。
満州という傀儡国家、そこを支配する関東軍(日露戦争後に日本が中国東北部に設置した陸軍部隊)の思惑、哈爾浜の裏社会など重層的な混迷の中にある舞台を中を動き回るのなら、ハードボイルド型の探偵の方が馴染むのだろう。
そして明らかになる真相。犯人の正体も意外だが、その動機にはさらに驚かされる。犯人に殺人を決意させたものは、この時代、この舞台だとも云える。紛れもなく "歴史" の上に成立するミステリだと思う。
本作は、作者の第三作めになる。月寒の登場する長編は現時点でこの一作のみなのだけど、シリーズとして続けていくらしい。太平洋戦争に向かう本作に続く時代の物語になるのか、戦後を舞台にするのか、はたまた時代を遡った過去編になるのかは判らないけど、期待して待ちましょう。
最期にちょっと余計なこと。
作中に登場する岸信介と椎名悦三郎は実在の人物。
二人はこの事件の翌年(1939年)に日本に帰国、政治家へと転身する。岸は昭和32~35年(1957~60年)に首相を務めている。ちなみに安倍晋三は岸の孫である。
椎名も岸の側近として複数の大臣を歴任している。昭和49年(1974年)に三木武夫総理を誕生させた「椎名裁定」(当時自民党副総裁だった椎名が、新総裁に三木を指名した)が有名だが、これを知ってるのは還暦越えの人だろうなぁ。
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