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僕が愛したすべての君へ / 君を愛したひとりの僕へ [アニメーション]


 原作はハヤカワ文庫刊行のSF小説。並行世界(パラレルワールド)を生きた2組のカップルのラブ・ストーリーだ。


※小説版の記事は明日 up する予定。

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「読む順番によって読後感が異なる」をキャッチフレーズに部数を伸ばしたらしく、今回に映画化につながったのだろう。

 どちらを先に読む(観る)べきなのか、で悩む人がいるかも知れないが、
「どちらを先に読む(観る)か」を選ぶことは、言い換えれば「どちらを後に読む(観る)か」を選ぶこと。
 最期に穏やかな気持ちになりたければ「君愛」→「僕愛」の順に、最期に切ない気持ちに浸りたければ「僕愛」→「君愛」の順に読む(観る)のがいいだろう。どう「穏やか」でどう「切ない」かは、ここには書かないでおく。

 ただ悩ましいのは、この2つの物語は独立していなくて、双方向につながりがあること。だから、片方を読む(観る)と、もう片方の内容も一部入ってくるんだよねぇ。
 小説版のほうではそのあたりは抑えてあるのだけど、映画版の「僕愛」の終盤では、「君愛」の情報がかなり出てくる。ネタバレとまではいかないが。このへんはちょっと気になった。これについては後述する。

 ちなみに私は「僕愛」→「君愛」の順に観た。別に理由はなく、単に上映時間の早いほうから順に観ただけなんだが(笑)。
 原作は未読で、だから内容もほとんど知らない状態だった。でも、エンディングの違いは別として、「作品世界の設定のわかりやすさ」を考えれば、この順番の方がいいかもしれない。
 「君愛」の方が展開がドラマチックなのに加えて、並行世界に関する用語や設定が頻出して、特に後半の展開では正直言って消化不良の部分があった(そこのところは、あとで小説版を読んで理解した)。

 でも、SFとしてもラブ・ストーリーとしても面白いのは間違いない。10代~20代のカップルのデートムービーにはぴったりだと思うし、どちらもメインキャラたちの少年期から青年期、壮年期、そして老境までが描かれるので、私みたいなオッサンでもしみじみと感じるものがあった。
 どの世代の人が観ても、いろんな想いをかき立てられる映画だと思う。


 前置きが長くなってしまった。内容紹介に入ろう。


 舞台は ”並行世界(パラレルワールド)” の存在が実証された近未来。
 並行世界は、自分の存在する世界とほとんど変わらない世界もあれば全く異なる世界まで、可能性の数だけ無数に存在する。

 しかも、人間は日常的に並行世界の間を移動している(作中では ”パラレル・シフト” と呼ばれる)ことも判明する。それは、意識のみが他の並行世界の自分と入れ変わる形で起こる。
 世界間の差が小さいほど移動の頻度は高いが、移動している時間が短い。そのため、ほとんどの人間は並行世界間の移動に気づかないままに生きてきた。

 この2冊の主人公は、ともに暦(こよみ)という名の少年。しかしそれぞれ異なる並行世界を生きている。どこが異なるのかというと、暦が7歳の時に両親が離婚したときに分岐した世界になっているのだ。

 「僕が愛した-」は、暦が母親と暮らすことを選んだ世界で、
 「君を愛した-」は、暦が父親と暮らすことを選んだ世界だ。

 これだけなら、2つの世界の2人の暦がたどる、別々の人生を語るだけなのだが、上述したように並行世界間での意識の移動(パラレル・シフト)というものがある。これがしばしばストーリーに関わってくる。


「僕が愛したすべての君へ」

 高崎暦(高崎は母親の旧姓)は、県下有数の進学校にトップの成績で合格するが、勉強漬けの雰囲気になじめず、友人もいない高校生活を送っていた。

 そんなある日、クラスメイトの瀧川和音(たきがわ・かずね)から声を掛けられる(ちなみに彼女は入試で2位だった)。

 「私はこの世界から85離れた世界からきた(パラレル・シフトしてきた)」
 さらに、意外なことを告げる。
 「その世界では、私とあなたは恋人同士だ」と。

 このあたりはまるっきりのラブコメ展開なのだが、これをきっかけに暦は和音と言葉を交わすようになり、”こちらの世界” での彼女に恋愛感情を持つようになる。

 しかし ”こちらの和音” は難攻不落で、暦が何回アタックしても、ことごとく玉砕してしまう。だが、彼女と出会ったことで暦の人生は大きく変化していく。無味乾燥でモノクロのような日常が、一気に極彩色になったように。

 物語は暦と和音、2人の人生を綴っていく。


「君を愛したひとりの僕へ」

 両親が離婚し、父親と暮らす日高暦。10歳の時、暦は父が研究者として勤務する「虚質科学研究所」(並行世界の研究のために設立された)で、同い年の少女・佐藤栞(しおり)と出会う。彼女は研究所の佐藤絲子(いとこ)所長の娘だった。

 時は流れ、お互いの恋心を意識するようになった中学2年生の夏、2人に驚きの知らせがもたらされる。互いにバツイチ同士だった暦の父と佐藤所長が再婚することになったのだ。「兄妹になってしまったら結婚できない」と思い込んだ2人は、並行世界への ”駆け落ち” を敢行する。

 しかし、パラレル・シフトした先の世界で栞は交通事故に遭い、死亡してしまう。その結果、彼女の肉体だけが ”こちらの世界” に残り、彼女の意識はその交通事故の現場に残り続けること(作品内では ”交差点の幽霊” と呼ばれる存在)になってしまう。
 ”こちらの栞” の体は脳死との診断が下り、植物状態となって人工呼吸器で延命されることに。

 無事な ”帰還” を果たした暦は、成長すると「虚質科学研究所」に入り、研究者となった。すべては、”栞を救い出す” ために・・・


 作中でも言及されるが、義理の兄弟姉妹であっても血縁関係がなければ結婚できる。「それくらい調べろよ~」とも思ったが、まあそれくらい2人とも頭に血が上っていた、ということか。それに、ここが物語のキモとなる設定なので「それは言わない約束」なのだろう(笑)。


 暦は、どちらの世界でも、1人の女性を愛し抜く人生を送る。
 「僕愛」では和音を、「君愛」では栞を。

 しかし、その愛が暦の人生に与えたものは極めて対照的だ。彼の7歳の時の選択に依って分岐した、彼の2通りの人生を2つの物語は描いていく。


 この記事の頭の方で、映画版「僕愛」の終盤について言及したけど、そこのところを書いておこう。
 映画の終盤で、老境を迎えた暦と和音が登場するのだが、ここでの展開がどうにもそれまでの流れと合ってないと感じた。まさに、木に竹を接いだような印象を受ける。

 原作の「僕愛」を読んでみると、老境の2人が登場するのは同じだけど、もっとすっきりとした流れで、問題のこの部分は存在しない。つまり映画の終盤で起こる ”イベント” は映画版オリジナルだということだ。
 たぶん「君愛」との関連性を強調したかったのだろう、とは思うのだけどね。だけどそれで「君愛」の内容が一部判ってしまうのは諸刃の剣かな。
 でもひょっとしたら、この部分はもともと作者が考えていた展開で、小説を書くときにカットしたのかも知れない、とも思ったが。

 さて、冒頭でも書いたけど、小説版の記事は明日 up する予定。


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